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ep.59 『蒼白の騎士』


「ぺっぺっ。うぅ、口の中に砂が入ってきたあっ」


 手に付いた砂を払い、さらには口の中に入った砂を吐き出しつつ、フーカが表情を歪めながら言った。

 俺を含め残る全員もそれぞれがその場で立ち上がり、体に付いた砂を払っていた。


「ん?」


 砂を払い落としてから再びその場にしゃがみ込み砂浜に触れてみると些細な違和感を感じ取った。砂の粒子は限りなく細かくて均等、であるように見える。一掴み分砂を掴むと自分の胸の前まで拳を動かしている間に指の隙間から砂が落ちてしまう。

 白といっても綺麗な純白などではなく、どことなく灰色がかったくすんだ白。それは空を覆い尽くす雲と似ていて、ある種この地面を覆い尽くしているかのよう。


「ユウどうかしたのかい?」

「これ。砂の下。何か変じゃないか?」

「下だって?」


 と、疑問符を浮かべながらハルが戦斧をスコップ代わりに砂浜を掘り始める。すると程なくしてカツンと固い岩盤を叩いたかのような音が響き渡った。


「石っていうよりは、硬い硝子みたいな感じだな」


 カンカンと幾度にも渡り戦斧の先で地面を叩く。その度に砂が波打ち、掘り開けた場所に周りの砂が流れ込んでくる。


「ってことは、ここはその硝子の地層の上に砂があるってことか」

「んー、そうみたいだね。で、それの何が変なんだい?」

「あっちの海の中。底がどんな感じだったか、何となくでも良いけど覚えているか?」

「そうだね。普通の海底みたいだった気がするけど、って、ああ、成る程」

「えっと、どういうことッスか?」

「や、普通に考えて硝子状の地面があるなんて思うか?」

「まあ、そういう場所もあるってだけだろ。なんたってゲームだぞ。それにこんな色の無い場所だって現実的じゃないのは当然だろ」


 ハルにきっぱりと言い切られると不思議とその発言に納得することができていた。

 そういうもので受け入れると今度は辺りを見渡してみた。

 雲に覆われた灰色の空。

 果てが見えない大海原。

 そして自分たちが下がることを否と言っているかのように、俺たちの後ろには数十メートルを超す岩肌が剥き出しの崖があった。


 物音ひとつしない静寂。それを破るように空と海の狭間にもう一面違う水面が現われた。

 キラキラと輝き揺らめく水面は真下にある海の表面と同じ。光が乱反射するタイミングや揺らぐタイミングなど何から何かで鏡映ししたかのように見える。しかし、風などが吹いているわけでもなく、雲に遮られて太陽の光も届かない。それなのに光が揺らめいているように見えるのだから、変だというほかない。


「蜃気楼」


 誰がそう言ったのか。

 俺の耳にその単語が届いた瞬間、景色にそれまでの揺らぎとは違う揺らめきが起こる。揺らぎは徐々の大きくなり、果てにはノイズのようなものまでもが迸っていたのだった。

 瞬時に警戒心が増していく。

 自ずと腰のガン・ブレイズに手が伸びる。

 戦闘体勢に入り微かに腰を落としたその時だ。目に見えていたノイズが収まり、空と海の狭間にある水面が一ヶ所に集まり一つの球のように変化したのだ。


 球は真円ではなく、楕円形。言うなら卵形というのだろうか。変わらずに水面のようにキラキラと輝きを放っていたそれからドクンっと鼓動のようなものが聞こえてきた。

 一度目の鼓動のあと、二度目の鼓動が轟いた。それから二度三度と繰り返し鼓動は脈動となり、それに呼応して卵状のなにかが収縮を繰り返している。


「また戦闘になるのね」


 辟易したというような声色でライラが呟く。それもそうだろう。多少のインターバルは挟めてはいるものの殆ど休み無しにボスモンスターとの連戦があったのだ。

 そしてこの期に至っては卵状のなにかの脈動。そこから出現するであろう何かがボスモンスターであるという想像は決して難しいものじゃない。


「だとしても、ここから逃げることは出来なさそうだ」

「ま、HPとMPの回復が出来てるってことは良かったじゃないか」


 現状を受け入れようとする俺にハルがその中でもマシなことがあると言って肩を叩いてきた。


「そうだな」


 脈動が早くなる卵状のなにかに注目する。いつしか全員の視線がそこに集まっていた。

 不意に表面の揺らぎが止まる。

 鼓動が途切れ、卵の形状を保っていた水面が一様に重力に従い崩れ始めたのだ。


「来るぞっ」


 警戒心を露わにしたムラマサが叫ぶ。

 卵状のなにかがあった場所。そこに立っているのは痩身で性別不明の騎士だった。

 モノクロの世界の中。色を持つのは自分たちプレイヤーだけだった。しかし、今は違う。目の前に居る騎士もまた、この世界で色を有している。早朝の空のような青白さ。一見すると綺麗だが、どこか生命の息吹が感じられない肌寒さがあった。

 全身が冷たい蒼白色の騎士はゆっくりと降下を始め、水面の僅か数センチ上のあたりで停止した。

 耳鳴りみたいなキーンッとした音が木霊する。

 音が波紋のように海水の表面を広がっていく。そしてその波紋をなぞるように海が固まっていったのだ。


「海が、凍ってく…」


 ライラが氷の魔法アーツを得意としているからだろうか。目の前の変化していく海を見つめつつ小さく独り言ちている。


「んー、どうやら凍っているわけじゃなさそうだよ」

「え?」


 その呟きに返したのはムラマサ。同じ氷を使うからだろうか。即座に気温が変化していないという違和感を読み取り冷静に判断してみせていた。


「なるほど。水面を覆っているのは氷じゃなくて水晶みたいなものってことか」

「それだけじゃないさ。ごく一般的な水晶でもない。そうだろ、ムラマサ」

「おそらくね」


 砂浜ギリギリまで広がった水晶は見渡す限りの海を変質させていた。

 つま先立ちしているみたいな形状の足が触れるかどうかという位置で蒼白の騎士が浮かび佇んでいる。左手にはいくつもの金属プレートが組み合わされて作られたような大剣。右手には四枚のプレートが一枚の細長いプレートに十字型に填め込まれている槍。

 鎧の形状も独特で、これまでプレイヤーにも鎧を纏ったモンスターにも見たことのない意匠が刻まれた全身鎧。

 なかでも頭部のデザインが特殊で、青白く発光している球体を左右から挟むように兜がある。それが燭台のように光の球体を支えているようにも見えた。


 蒼白の騎士が動き出す前に、いつものようにガン・ブレイズの照準を向ける。瞬間浮かび上がる一本のHPゲージと蒼白の騎士の名称。


『ディギュリス』


 機械的な各関節から流れ出す水が途切れた瞬間、ディギュリスが起動した。

 槍を天高く掲げ、大剣で水晶と化した海面をその切っ先が撫でる。刹那、鋭い風が海水の表面に等間隔で走る二筋の傷が刻まれた。


「全員散開! おそらく水晶化している海面は十分に足場として使えるはずだ。その広さを利用しろ」


 ムラマサの声を合図に俺たちはディギュリスを囲むように駆け出していた。

 瞬間的な加速で突進してきたディギュリスが狙ったのは一番体格の大きいハル。驚いたことにハルは回避するのではなく戦斧で受けることを選んでいた。加えて自ら前に出て他の仲間たちに攻撃の手が伸びることを妨害してみせたのだ。

 ハルの戦斧とディギュリスの大剣がぶつかり合う。

 水晶の海面を迸る衝撃波が駆け出していた俺たちの足を一瞬だけ止めてみせた。


「うおぉっ」


 大剣を受け止めたハルはその場に縫い付けられてしまう。だが、ディギュリスの武器は大剣だけじゃない。右手に携えられている槍もまた、ディギュリスの武器だ。


「危ないッス」


 自由な右手で槍を突き刺そうと構えるディギュリスにリントが突っ込んだ。

 抜き放った槍をディギュリスの槍目掛けて突き出した。

 人の可動域では不可能な動きでディギュリスはリントの刺突を受け止める。鍔迫り合いならぬ槍の穂先と穂先のぶつかり合い。形状も大きさも違うそれの衝突は意外なほどに拮抗している。

 ディギュリスの前と右で受け止められた攻撃は幸いにも誰の元にも届いていない。受け止めているハルとリントですら明確なダメージを受けてはいないのだ。


「っつ、今!」

「自分たちのことは構わないで攻撃するッス」


 二人が叫んだ。

 ディギュリスに接近し攻撃を受け止めている二人を避けて攻撃を仕掛けることは不可能ではない。だがそれは俺やムラマサ、フーカの場合だ。魔法アーツをメインに戦うライラやセッカはその攻撃で二人を巻き込んでしまう怖れがある。だが、二人の叫びはそれすら構わずにという意思が込められていた。

 戸惑うライラの視線が俺たちを巡る。

 しっかりと頷いたのはムラマサ。そしてその後に続きセッカが、


「……回復は、任せて」


 力強く告げた。


「<アイス・アロー>」


 それでも多少の抵抗は残っていたのか、ライラが使用したのは複数の氷の矢を撃ち出すもの。プレイヤーの技量によっては精密な狙撃が可能となるアーツであり、事実、撃ち出された氷の矢は全てディギュリスの背中に命中しハルとリントに当たることはなかった。

 スキルレベルやレベルやランクの高いプレイヤーが使う魔法アーツには副次効果を持つ場合がある。今回の場合は氷の矢が命中した場所から『氷結』の効果を与えるということ。行動阻害の効果があるそれは幸運にも発揮されたというわけだ。

 確実ではなく確率で発揮される『氷結』をディギュリスは平然と受けていた。

 まるで効果は無いと物語っているかのような光景に俺は咄嗟にガン・ブレイズの引き金を引いていた。撃ち出される弾丸は氷が張ったディギュリスの背中を穿つ。砕ける氷に魔力の弾丸が命中するエフェクトが混ざる。

 連続して六回。撃ち出された射撃の後、氷は消え去るもその下にあるディギュリスの体には傷一つ付いてはいなかった。

 当然、HPゲージも変動していない。

 正確には微々たる減少はあったのかもしれないが、一見するだけでは判明しないほど微々たるものでしかないということだった。


「フーカ、タイミングを合わせてくれ」

「まかせてっ」


 二振りの刀を抜き駆け出しているムラマサの横ににフーカが直剣を握り並ぶ。


「<鬼術(きじゅつ)風一閃(かぜのいっせん)>」

「<ライトニング・スラッシュ>」


 俺が通常攻撃しても大したダメージを与えられなかったのを見ていた二人は迷うこと無くアーツを発動させていた。

 緑と白。二色の光がディギュリスの左横腹を斬り裂く。しかし、聞こえてきたのはガキンっという音。

 強引に大剣を前に突き出し、ハルを押し退けるとそのまま刀身を横に寝かせ、二人の斬撃アーツを受け止めていたのだ。


「このっ、<爆――>」

「ちょ――」


 即座に体勢を整えたハルが自身のアーツを発動させるべく戦斧を振り上げた。するとそのタイミングで槍を打ち付け合っていたリントを誘導しハルにぶつけたのだ。

 まるで熟達した剣士と未熟な剣士の試合を見ているかのように、圧倒的な技術を用いてディギュリスはムラマサとフーカの斬撃アーツを受け、リントとハルを軽くあしらってみせていた。

 今にして思えばライラの魔法アーツを受けたのも、俺の射撃を受けたのも、防御も回避もする必要がないと理解していたのかもしれない。

 またしても大剣を振り、自身と周囲に一定の間隔を作り上げた。それがディギュリスの間合いだというのは見て取れる。問題なのはそれが俺たちの誰よりも広く、俺やライラの遠距離攻撃以外は届かない距離であること。


「<インパクト・ブラスト>」


 ならばと撃ち出した威力特化の銃撃アーツは驚いたことにディギュリスが突き出した槍によって貫かれた。


「嘘、だろ…」

「くっ、このっ」


 位置を変え再び刀で薙ぎ払いの攻撃を繰り出したムラマサが思わずに顔を顰めていた。攻撃を仕掛けた方の刀が大剣が正確に打ち払われていたのだ。


「だったらこれッス。<スパイラル・タービュランス>」


 穂先を回転させた乱撃を放つ。

 大剣が持たれている左側ではその幅の広い剣の腹で受け止められる危険性がある。だからこそ槍を持った右側を狙ったのだろう。しかし結果はディギュリスの技量の高さを証明するだけ。

 アーツによって放たれた乱撃もディギュリスによって正確に撃ち落とされてしまっていた。


「特殊な効果がないだけにキツいな」


 これまでに戦ってきた白の守護者やマグナ・ブル、レグルズとは違い、ディギュリスは純粋な技術だけで俺たち全員をあしらっている。その事実に俺はこれまでにない戦慄を覚えていた。



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