ep.58 『飛び込む選択』
「さて、これからどうするか決める必要がありそうだね」
レグルズとの戦闘を終えて一時の休息を取っていると全員のHPとMPが回復しきった頃を見計らいムラマサが声を上げ立ち上がった。
全員の視線が一点に集まる。
「当然、このまま次に進むか、それとも戻るかという選択肢がある――と思うんだけれど」
真っ先に口火を切ったというのに徐々にムラマサの声がゆっくりと尻窄みに小さくなっていく。
視線を巡らせて辺りの様子を探っている素振りを見せるも一周した辺りで溜め息を吐き大きく肩を竦めてみせた。
「んー、あるようでないというか、元々無かったというべきか。うん。困ったものだね」
腕を組み、姿勢を正しながら苦笑を浮かべるムラマサに俺はなんともいえない表情を返した。
「ああ、成る程」
ムラマサが送った視線を追って俺も周囲を見回した。そうすることでムラマサが感じた困ったことというもを理解できると思ったからだ。事実、その直感は正しかった。
「つまり進むしか無いってことだな」
「そういうことだね」
レグルズと戦っていた場所は広大といえどどこかの地下迷宮の一室のような作りをしていた。つまり空があるのでは無く天井が。壁も確実に存在する。一件密室に見えずともそこは確実な密室も同義なのだ。
「……でも、進むって、どこ、に?」
俺たちが戻るという選択肢を消した理由。それは単純。元の場所に行く方法が無いからだ。今更ながら俺たちがここに来た方法というのが突如消失した床に飲み込まれるように落ちただけということ。その穴も今や天井に覆い尽くされ何処にあったのかすら分からなくなっている。どうにかこうにか天井にあったはずの穴を見つけ強引にこじ開けることができたとして、自分たちの脚力ではそこを通ることすら困難。
それが戻る選択肢を消した理由。
セッカが疑問に感じていることの原因足る理由はまた別にある。
戻られないのならば進むしか無いというのに次に進むための道はどこにも見当たらないのだ。
「んー、そうだね。また突然地面が無くならないとも限らないからね。一ヶ所に集まって――」
言い終えるよりも早く俺たちはムラマサの近くに集合していた。
「なんだか近くないかい?」
「そうかしら?」
「これだけ近付いていればもし誰かがどっかに行っちゃいそうになっても大丈夫だよねっ」
「……うん。まちがい、ない」
和気藹々と話す四人を遠巻きに俺、ハル、リントは少し困った顔をして直ぐ傍で互いの顔を見合わせていた。
「対処療法としてはそれでもいいんだろうけど、根本的な解決にはなっていないんだよなぁ」
「そうッスねえ。せめて何処に行くかくらい分かればいいんッスけど」
「普通のダンジョンとも違う感じがしているし」
「それは言わずもがな」
兜を外し小脇に抱えるハルは一瞬だけ険しい表情を浮かべ、すぐにいつもの顔に戻る。
「ともあれだ。全員回復したことだし、どうすれば次に進めるか考えようじゃないか」
その一言で始まった小規模な会議。
議題は先に進む方法。
最初に出た意見は道を探すこと。密室としても広大で、広大なればまだ目にしていない場所や隠されている何かがあるかもしれない。とはいえ何かに巻き込まれ一人ではぐれててしまう可能性を考慮して男女で分かれ手早く周囲の捜索に赴くことにした。
だが、結果は芳しくない。手掛かりらしい手掛かり一つ見つけられず、再集合したときににはまた別の方法を相談することになった。
オブジェクトらしいオブジェクトのない一室で出来ることは限られている。つまり、捜索以外の適していそうな方法などどれほど考えても出て来なかったというわけだ。
手詰まり感が否めない。
何をどうすればいいのか、いくら考えても名案など浮かんでこなかった。
突破法が見つからないまま無益な時間だけが流れる。
最初こそどうにかしようという気概があったものの、次第に重い空気が漂い始めていた。
そんな空気を振り払おうとしても、残念ながら仲間を鼓舞するような台詞は誰の口からもでてこない。皆が一様に先の進み方を見失っているのだから当然とも言えるのだろうが。
「ん?」
そのまま十分程度時間が流れると、ようやくとでもいうべき変化が起こった。真っ先にそれに気付いたのはリザードマンであるリント。
慎重な足取りで歩き出して気になった場所へと近付いて行くその後を俺たちは追いかけていく。
程なくしてリントが立ち止まったのは長方形の石が積み重ねられることによって作られた壁の傍。一見すると何もないその場所ではたった一つの異変が起きていた。
「これは、水?」
「水ッスね」
「普通の水?」
「フツウの水ッスね」
積み重ねられている石と石の間から漏れ出すように流れ出している一筋の水。澄んだ透明な水に触れたハルが普通のことに対する疑問を声に出してリントはそれに対する普通の返答をしていた。
「あっちからも水の音がするよっ」
フーカが指差したのは俺たちが居るのとちょうど反対側の壁。目を凝らし見てみるとそこにも水が流れ出している場所があった。
「あら? こっちにもあるわね」
次いでライラが水の流れ出した場所を見つけると、そこからは加速度的に至る所から水が流れ始める。
最初こそ湧き水程度だったそれが、蛇口を最大に捻ったかの如く流れだし、遂には小規模な滝のように流れ出した。
けたたましい水音が木霊する。
いつの間にか床一面に水が広がっていた。
「ユウ!」
「ああ。これで次に進めそう、かな?」
思わず出た言葉には喜色が滲み出ていた。だが、この異変は自分の予想に反して危機感を煽ってくることになったのだ。
靴底を濡らす程度だった水がゆっくりとその水位を増してきた。
ゴゴゴッと嫌な揺れが起こる。
それと同時に崩壊が始まった壁と天井。床に敷き詰められている石畳も水に溶けるようにボロボロと崩れ始めたのだ。
「うげっ、溶ける」
「大丈夫」
軽く蹴るだけで崩れてしまう床に咄嗟に片足を上げたハルにムラマサが冷静に反応した。
「溶けているのは床や落ちてくる瓦礫だけみたいだ。オレたちの体には無害だよ」
「でも、このままじっとしてる訳にはいかないわよね」
「まあね」
と短く肯定する。
見上げた先では崩れる天井がある。
落ちてくる瓦礫は大小様々とはいえ、どんなに小さな欠片でも拳くらいの大きさはあるし、それが直撃したらダメージを受けることは必至。それでなくとも瓦礫に押し潰されてしまうかもしれない。もしかすれば溶けた床が崩壊して、先程のように何処かに落ちてしまうかもしれない。
脳裏を過ぎる良くない未来。どうにかそれを回避しようとしても、崩壊から逃れる術も、今もなお刻一刻と増えていく水に飲み込まれない方法も見出すことはできなかったのだ。
落ちてきた瓦礫の一つに足を掛ける。
大きな岩のようだったその塊も水に落ち、触れた場所からボロボロと崩れていったのだ。
片足を乗せた途端バランスを崩し転がった瓦礫も水の中を転がっていくごとに小さくなっていく。それはさながら雪の上で雪玉を転がして大きくしている様子を逆再生しているかのよう。
ガタンっと一際大きな音がした。
視界の奥。水が膝まで満ちてきた頃、床一面に広がっていた水に不自然な流れが出来ていた。体が持って行かれそうになる流れに耐えながらも不自然な流れはいよいよ視認できるまでになっていた。
渦を巻き、飲み込まれて行く大量の水。なのにどういうわけか水位は変わらず増えている。渦が大きくなってもそれは変わらなかった。
「壁がっ」
フーカが恐怖の混じった声を上げる。
片面、それもその一角の壁がぽっかりと消失していたのだ。
普通壁の一角が消えれば、その中に水が満ちているのならば、当然のように流れていくものだろう。実際フーカが見つけたそこを見ると正しく排出される水の流れは出来ていた。だが、それは絶えず増していく水の勢いには勝てず、いよいよ増えていた水位は俺の腰の上まできていた。
「どうする?」
「や、どうするって言われてもな。正直自分でどうにか出来る範疇を超えている気がするんだが」
「んー、オレもユウに同意するね。この状況は明らかに異常だ。しかし、異常だと判断してもオレたちにはそれに抗う術がない」
「――つまり?」
「このまま水が満ちるのを待つか、あるいはもう一つしかないってことさ」
鎧姿のまま立ち泳ぎをするハルには必至な面持ちでフーカとライラがくっついている。鎧とはいえどそこはゲームの装備であり、普通の金属で作られているわけでもない。不思議な浮力を有しているらしく、軽く手と足を動かすだけでハルは比較的平然と水に浮くことが出来ているようだ。
リザードマンは文字通り蜥蜴――リントの場合は竜になるのだろうが――の特徴がある。それは水の中でも一般的な人族よりも長く呼吸が出来るというもの。それだけでなく泳ぎも得意な人も多いようで背中にセッカを乗せているというのに平気そうな顔をしている。
意外なことに一番水に苦しめられていたのはムラマサだった。和服の特徴がある防具は存外水を吸ってしまうらしく、重くなった衣服がその挙動を制限しているようだ。
俺は幸いにも普通の服と変わらず、キャラクターの能力値があれば現実よりも安全に水に浮いていられた。
「もう一つって何だ?」
胸から上を水から出してハルが問い掛ける。
「あの渦の中に飛び込むんだ」
「えっ!?」
驚いて声を出したフーカ以外にも目を丸くしている人が多い。即座に納得していたのはリントくらい。俺も虚を突かれていて、渦によってできた波が起こす水を顔に被ったことでようやく平静を取戻していた。
「天井が崩れても空が見えることも無い。壁が崩れてもその奥は見えてこない。となれば床が消えた先に次の場所があると思うのは当然だろう?」
「でも、何もなかったら?」
「このままだとどっちにしても水に飲み込まれるのを待つだけッスよ」
心配そうに問い掛けたライラに答えたのはリントだった。はっきりと言い切るも弱腰な物言いに発破を掛けられることは無かったが、反面現状に対する危機感はしっかりとかき立てられた。
「行こう」
何をしていても水に飲み込まれてしまうのならば少しでも可能性がある方に賭けたい。
全員の顔を見渡して大きく息を吸い込むと、俺は渦の中へと飛び込んだ。
(くっ、何も見えやしない)
暗黒に包まれ視界は最悪。聞こえてくる音は水の流れる音だけ。
飛び込む前に見た方向を思い描きながら必至に泳ぐも、結局は流れに飲み込まれるような形になってしまっていた。
こうなればと全身の力を抜いて水の流れに身を任せる。そうして俺は渦の中へと吸い込まれていく。
口から漏れる泡。
耳を劈く轟音。
徐々に苦しくなる――気がする――呼吸に耐えながら水の流れが弱くなった頃合いを見計らい、真上を目指し全力で腕をかき回した。
「――っ、ぷはっ。はぁはぁ」
水面から頭が出た瞬間、大きく息を吸い込んだ。
荒い息を整えながら周囲を見渡してみる。
「ここは――」
原理不明。
常識を著しく逸脱した景色。
それはモノクロの世界であり、人工物が一切存在しない海の真っ只中。
自分に続いて仲間たちも海面から顔を出し、それぞれ息を整えてながらも現状を探る様子が窺えた。
渦に飛び込んだ順番通りに現われた仲間たち全員が互いの存在を認識したその瞬間、俺たちは突如襲いかかった大波に飲み込まれ、何もない真っ白な砂浜が広がる海岸へ押し込まれてしまった。