ep.56 『幽騎士』
「はっ、ユウは……」
動かなくなったレグルズから視線を外しムラマサは戦場の端にいるユウとセッカのもとへと駆け寄って行った。
その手に握られた刀は未だ抜かれたまま。刀を鞘に収めるという行為がそのまま戦闘の終了を彷彿させる。鬼化術という強化は戦闘中にのみ有効である。だからこそ刀を収めるわけにはいかないのだ。
「……ん、もう、だいじょうぶ」
小さくもしっかりとした口振りでセッカが答えた。
その隣には瞳を閉じたままのユウが横たわっている。よくよく見てみればセッカのMPは相当消耗している。どうやらここに至るまでにかなりの回数回復アーツを使用したらしい。
「お、その口振りだとユウは助かったみたいだな」
「……ん、でも、ちょっと大変だった」
「というと?」
「……さっきまで、呪われてた、の」
「【呪い】だって!?」
「……でも、だいじょうぶ、だよ?」
大袈裟に驚くハルの隣でムラマサも目を丸くしている。
【呪い】というのは状態異常の一つである。その効果は複数存在しており、時には毒のようにHPを蝕むもの。時には対象の能力値を減少させるものや珍しいもので言えば対象の行動を阻害するものもあった。
今回のユウの状態を鑑みるに受けたのはHP減少の効果といつまで経っても目覚めないことからも何らかの行動阻害を受けた可能性がある。
呪いを解くには解呪という手段を用いるしかないが、その方法は決して一つというわけじゃない。解呪の効果を有するアイテムやアーツを使う方法。呪いを掛けた存在を討伐する方法。多少強引だが呪いの効果が消えるまで耐え忍ぶという方法もあった。
パーティ内で唯一強力な回復手段があるセッカは自分の回復アーツの中に解呪を持っているはず。とすれば今回も間違い無くそれを使用していたはずだ。しかし、レグルズが動かなくなるまでずっとHP回復と解呪を掛け続けていたらしいことは彼女のMPの減り具合からも明らか。
もしかすると解呪に成功したのではなく、ずっと耐え続けただけなのかもしれない。
「とりあえずMP回復ポーションだ。使ってくれ」
「……ん、ありがと」
ムラマサが青色の液体が入っている瓶をセッカに手渡して立ち上がる。
すうっと目を細め頭部を失したレグルズを訝しむ視線を向けて独り言ちる。
「さて。これからどうなるか」
ムラマサの声には困惑が色濃く出ていた。
それもそのはず見つめる先にいるレグルズはHPゲージを消失しているにも関わらず未だその存在を残し続けているのだから。
「まだ何かあるのは間違いなさそうだけど――」
「そう、だね」
「……どう、するの?」
MPを回復させたセッカがメイスを持ってムラマサの隣に立つ。
三人の後ろではユウが眠ったまま。そして前には物言わぬレグルズが。その周囲にいるライラたちはそれぞれ減少したHPとMPを回復させていた。
一通り周囲の様子を一瞥するとムラマサは眉間に皺を寄せた。セッカの質問の答えを持たず口を噤んだまま。左右の手に持たれた刀の切っ先も地面に向けられたまま上を向くことは無かった。
「何か気になるのか?」
「え? あ、いや……」
何でも無いと言おうとしたのだろう。しかし、その言葉が上手く口から出てこずに一瞬の逡巡のあとムラマサは俯いてしまう。
「話してみろよ。どうせ、何か起こらないとこっちも動きようが無いんだからさ」
ムラマサの心情を考慮して、ハルが明るく告げていた。すると一度目を伏せた後、ムラマサは漠然とした思いを口に出し始めたのだ。
「ハルはユウをどう思う?」
「何だよ、藪から棒に」
「や、今更ながらユウは奇特な立ち位置にいると思わないか?」
ハルの顔を見ずにムラマサがいった。
「レベルもランクもオレたちよりは低いだろ。装備はまあ、一級品だけどさ、スキルのレベルも種類も今のオレたちよりも低いし少ない」
「何が言いたいんだ?」
「何が言いたいんだろうな。ただ、普通なら能力が高い人が中心になるはずだろ。このパーティならオレやハル、ライラだってそう。正直に言ってユウは弱くはないけど、突出して強いわけじゃない」
まるで自問するかのように紡がれていく疑問は一つ一つ言葉になるごとにムラマサは自身のなかにあった違和感というものを実感し始めていた。
「なのに、オレたちのパーティの中核を担っているのはユウだろう?」
確認するような物言いのムラマサにハルは深く頷いてみせる。
「まあ、ユウはここぞと言うときには絶対決めるからな。無意識のうちに頼っていても仕方ない気もするけどさ」
「わかっているとも。それにハルたちのことだって信頼してるし頼りにしてる。だた、だからかな、ユウがいるのに参加できない現状に少しだけ不安を感じていたのかもしれない」
不安は抱えていると知らぬ間に膨らんでいくものだ。他人にとって何でも無くとも本人にとって重大であることも珍しくはない。それを解消する手段は数あれど、この時のムラマサにとっては自分の心情の吐露がそれに該当したというわけだ。自分の中にあった不安に気付き吐き出したことでようやくムラマサの表情から硬さが消え去った。
「ははっ。そう言うなって。今みたいなヤツが相手だとどうしてもな。どういうわけかユウは変な相手に強いからな」
俯いていた顔を上げて見た光景はそれまでよりも広く見える。さっきとは違う意識で視線を巡らせたムラマサはまた違う意味で目を細めた。
「あれは……」
「全員、レグルズから離れろ!」
素早く指示を飛ばすハルの声が響く。
緊迫感のあるハルの声を聞き全員がレグルズから離れる。すると飾られていた甲冑が倒されバラバラになる時のように頭部を失ったレグルズが崩れたのだ。
プレイヤーが装備する鎧よりも大きな鎧が足元に散らばった。
「これで終わった、なんてことは無いよな」
「んー、残念ながら、そうみたいだね」
余裕を取り戻した口振りでムラマサが答える。
バラバラになったレグルズの鎧がユラユラと浮かび上がった。胴体部や腕部の鎧のパーツの中身は無く空洞で黒い靄だけが煙のように漂っていた。
「さて、ここからが本番ってことかな」
自分の中に渦巻いていた不安を振り払うようにムラマサは左手の刀を振り抜く。一陣の風が吹き、それと同時に大きく深呼吸した。
「来るぞ!」
戦斧を握るハルが叫ぶ。
それはレグルズの鎧が組み上がり頭部のない騎士デュラハンのようなモンスターが出現した瞬間だった。
頭、首、体の関節など、およそ肉体があったであろう箇所からは黒い靄が絶えず揺らめいている。
黒い靄が立ちこめている手で地面に落ちている突撃槍を拾い上げる。すると突撃槍の穂先に黒い靄が広がり、持ち手以外が燃えた松明のような見た目に変化した。
レグルズが黒々と燃える突撃槍を突き出す。
狙いはハル。戦斧を旗のようにはためかせて挑発していたのが効果を発揮したようだ。
「ふぬぅッ」
レグルズの突きを戦斧の腹で受け止めた。黒い火花を撒き散らしながら止まった突撃槍を押し込もうとレグルズが前のめりになるのに合わせてハルは体全体を使い戦斧を押し衝撃を相殺させる。
再開された戦闘の第一撃は互角。双方に甚大な被害は与えないまま衝撃だけが広がった。
「行けっ」
「ああ!」
叫ぶハルに応えムラマサが駆け出した。
鎧が組み上がった時、それまで持っていた大盾だけは戻らず、また拾う素振りを見せなかった。まるで攻撃しか頭になくなったように見えるそれも対峙しているムラマサたちからすればただ自分たちが有利になっただけ。
もし防御を棄てたのだとすればあとは簡単。より大きなダメージを与える攻撃を繰り出すだけだ。
全力で駆け抜けレグルズとすれ違ったその瞬間、ムラマサはその腹を目掛けて二振りの刀を同時に振り抜いた。
風の刃と氷の刃が同じ傷を刻む。
今度は傷が修復されることはないらしい。
「<ライトニング・スラッシュ>」
ムラマサの反対側で光の斬撃が瞬いた。
さらに背後からは鎧を貫通する勢いでリントの槍が突き出される。
「<アイス・ピラー>」
レグルズの足元に全体を囲むくらいのサークルが出現し、一瞬にしてその全身を氷の柱が飲み込んだ。
「……砕く。<ヘヴィ・インパクト>」
ハルとぶつかっている突撃槍の先だけが剥き出しになっている氷の柱の中腹から凄まじい轟音が轟いた。それは先程までユウの回復に集中していたために戦闘に参加できなかったセッカの使うメイスの打撃アーツによるものだった。
ガラガラと大きな欠片となって砕け散る氷の柱の中から打たれた場所に凹みと亀裂を残し現れたレグルズがふらつき突撃槍を地面に突き立ててその身を支えた。
「<極鬼術・氷旋爪>」
鬼化術を発動させている間のみ使える強化版アーツの一つ。二種の斬撃を同時に獣の爪撃のように放つアーツがレグルズの腹部の鎧を砕いた。
叫ばず、怯まず、戦かず。おおよそ感情の全てを失ったと思わしきレグルズはダメージを無視して突撃槍をがむしゃらに振り回した。しかし、まともに狙いが付けられていないそれは誰にも届かない。
「俺も忘れてくれるなよ! <爆砕斧>!」
虚しくも空を切った突撃槍はそれを持つ腕ごと下から振り上げられた戦斧によって爆発の中に消えた。
ガンっと重い音を立てて突撃槍が落ちた。地面に転がった時には黒い靄が消え穂先が砕かれた突撃槍と成り果てていた。
武器を失い我を忘れて両腕を振り回すだけとなったレグルズに全員のアーツが降り注ぐ。
瞬く間に消失していくのは鎧が組み上がった時に再生していたたった一本のHPゲージ。遂にそれが残り一割を切った。
「ムラマサ! トドメを!」
「お願いっ」
「しますッス」
「……ん、任せた」
「足止めは私に任せて。<アイス・ウェブ>」
蜘蛛の巣状に張った氷がレグルズを包囲する。
暴れ回ったせいでそれを踏んだ瞬間、氷が広がりレグルズの下半身を固めたのだ。
「<極鬼術・氷旋華>」
ムラマサ全力の乱撃が繰り出される。
文字通り強烈な風に舞う氷の刃が花弁を広げる華のようにレグルズを切り刻む。
全ての攻撃が止んだ後、そこには一輪の氷で出来た華が咲いていた。
バンッと耳慣れない破裂音と共にレグルズが砕け散る。
その際撒き散らされた黒い靄は澄んだ冷たい風によって吹き飛ばされていた。
ようやく戦闘が終わった。そう実感したムラマサは二振りの刀をそれぞれの鞘に収める。すると額の三本角も極細の結晶となって風の中に消えた。
「よっし。勝った――っ!」
仲間たちと集まるべくハルが振り返ったその瞬間、不意に風が不自然に蠢いた。
それはレグルズの執念とでもいうべきか。霧散していた黒い靄が獅子の頭を形作り牙を剥き出しにハルへと向かっきたのだ。
ドンッ
振り返り獅子の頭と目が合ったその刹那、ハルの横顔を閃光が駆け抜ける。
「ったく、気を抜きすぎじゃないか?」
「お前こそ。寝過ぎだろ」
「それは俺のせいじゃない」
閃光に貫かれレグルズは今度こそ消滅する。そして、閃光が放たれた場所には、
「ま、助かったよ。ありがとな。ユウ」
「俺のほうこそ。みんなありがとう」
壁にもたれ掛かるように座りながらもしっかりとガン・ブレイズを構えるユウが満面の笑みを見せていた。