ep.31 『現状と侵入』
真っ白い部屋に立つと思い出されることが一つある。
自分がこの世界に足を踏み入れた最初の日、最初の出来事。一年以上に及び自分の体として馴染んだこのキャラクター、『ユウ』を作り上げた時のこと。
しかし、似たような場所に立っているとしても見ているものは違う。
過去に見ていたものは希望。
だが、現在見ているものは絶望。
コレを引き起こしたのが自分たちだというのならば、これまでしてきたことの意味はあるのだろうか。
「何がどうなってヤがるッ!?」
白い部屋にアラドの怒号が飛ぶ。
果てしなく広いこの空間で決して多くない人が集まっているその場所でアラドが小さな子供の胸ぐらを掴み持ち上げていた。
「ちょっと、いきなりどうしたっていうんだ」
「アラド君、落ち着いてってば、グリモア君を責めてもどうしようもないでしょ」
「い、いえ、大丈夫です。兄が怒る理由も理解していますから」
「でもっ!?」
「こういう事態になってしまうことを避けるために僕は現実に残ったんです。だから」
「そうは言ってもだ。その様は見ていて心地よいものじゃないよ。離してあげてくれ」
戸惑うリタを庇い告げたハルに対して分かったと言わんばかりに舌打ちをすると、アラドは乱暴にグリモアから手を離す。
ドサッと尻餅をついたグリモアは慣れた様子で立ち上がった。
「少しは落ち着きましたか?」
「チッ。悪かったな」
「いいえ。実際に痛みを感じないこの世界でしかこんなことしないでしょ」
苦笑交じりにそう言い切るグリモアは乱れた服の裾を正しながら厳しい視線を虚空に向けた。
「んなコトどうでもいいンだよ。ってか、アレはどういうことだ」
「アレ…というのは、兄さん達が最後に見た彼らのことですね」
真剣な眼差しでアラドは頷く。
「おそらくは皆さんが考えている通りです。兄からスクリーンショットを見せて貰いました。そこに映っていたのはプレイヤーであり、モンスターでもある。僕にはそう見えました」
「つまり?」
「モンスターの一部、あるいは何か別の要因に寄生された元プレイヤーではないかと推測されます」
息を呑む音が聞こえる。
それはグリモアが告げたことと自分たちが見たものを照らし合わせることで不気味な説得力が生まれてしまったから。
そして、この言葉を裏付けるように空中にいくつもの映像が映し出された。
「正直に言いますと、皆さんもこうなる危険性はありました。ですが、皆さんならそうなる前に阻止できる。僕はそう考えていたんです」
「そっか。悪かったな。俺たちの力が足りなくて……」
「いいえ! そうじゃない、そうじゃなかったんです。僕達の読みが浅かったんです。それで皆さんを危険な目に」
「別にいいさ。俺たちはこうして無事なんだからさ。そうだろ、ユウ」
「まあね」
「でも……」
「それよりも、あの状態の対処法とかないの?」
「あります。いえ、正確に言うなら、ありました」
「どうして過去形なの?」
「いまもそれが通用するかどうか分からなくなってしまったからです」
まるで愛しいものを撫でるかの如く、グリモアは空中に浮かぶ映像へと手を伸ばした。映像に触れるか触れないかぐらいの瀬戸際で手を止め、目を伏せ、軽く頭を振る。
郷愁を振り払うかのような雰囲気を醸し出すグリモアに俺は思わず口を噤んでしまっていた。
「グリモアが考えていた対処法っていうのは何だったんだ?」
「とても簡単なことのはずでした。皆さんが持つその金属版に記されているモンスター、今回の事象を起こしている存在を討伐すれば、とりあえずはこの事態を収拾出来たはずだったんです」
グリモアが悔しさを堪えるように奥歯を噛み締め拳を握る。
「でも、とりあえずってことは何も根本的な解決にはなっていないってことよね?」
「その通りです。しかし、現状それ以外に方法は無かったんです」
「だったら今からでもそのモンスターを倒せられれば……」
「無理です」
「どうして?」
「状況は僕達の予測を超えて広範囲に拡散してしまったからです」
俺、ハル、リタの視線を一枝に受けてグリモアが声を荒らげた。
「ハッ、成る程な」
「アラド? 何を見て――ッ」
アラドが向ける視線の先。そこには映し出されている俺としては見慣れない、けれどよく知る風景があった。
「なあ、これってライブ映像なのか?」
「…はい」
「ってことは、これは今起きてるってことだよな」
「…はい」
グリモアが絶望し、アラドが納得した原因が映し出されている。
それは本来、あり得てはならない光景だ。
「うそ……」
「セントラルエリアだよな、これ」
「はい。現在、セントラルエリアにログインしている人達が先程皆さんが遭遇したプレイヤーと同様の現象が確認されています」
「この人たちのリアルは無事なの?」
「健康上は問題ないと確認が取れています。ただ、この状態になってしまった人のキャラクターは操作不可、パーソナルデータがロストした状態になってしまっているとのことです」
「復旧は出来そうなのか?」
「正直、なんとも。原因は推測できているとしても、このような状態は本来。ゲームエリアの仕様にも、セントラルエリアという一般向けの仕様でもあり得ない事ですから」
ある人は突然、作り掛けみたいな無表情の仮面を被せられ、また別の人は体のどこかに一枚のプレートが突き刺さっている。
それらが身に付けさせられた人は性別、年齢、格好、全てにおいて共通している部分は見受けられない。中には似たような風貌をした人もいるみたいだが、それがこの状態を招く要因というわけではなさそうだ。
「まるでゾンビ映画だな」
「ああ、そうだな。仮面を付けられた人たちはこんな動きになるのか」
「それはおそらく、リアルとの接続が切れたからだと思います」
「えぇっ!? 接続が切れても動けるの?」
「半分モンスターになっているみたいですから。まあ、それも一つの原因で修復できなくなっているんですけど」
「どういう事?」
「キャラクターがこちらに残っている状態はシステムにはログインを継続していると認識されてしまっているようなんです。だから――」
「再ログインすることが出来ないってことか」
「はい」
「それなら新しくキャラクターを作ってみるのはどう?」
「すぐには無理なんです。新規のキャラクターを作成するなら新しいアカウントを取得する必要がありますし、そのためには新しいHMDが必要になってきます。予備の機器を常備している人なんて少ないですからね」
「だったらセカンドキャラクターを作ればって、ああ、そうか」
「ええ。そもそも、ファーストキャラクターにアクセスできなくてはどうしようもないんです」
キャラクターとの接続が途切れてしまった人は現状どうにもならない状況になってしまっていることは理解した。
だが、気になることはまだある。
「運営はどうするつもりなんだ?」
「それは僕の口からは何とも。ただ、大して手出しできないのではないかと」
「どうして?」
「本来、セントラルエリアにはモンスターもプレイヤーも存在しないんです。いるのはキャラクターの体を有する人だけです。だからモンスターに近しい存在になったとはいえ、その場に残ってしまっている以上はそれを討伐することができない。いいえ、現状あの場所でその力を持つ者がいないんです」
「だったら、運営がそのアカウントを停止させるとか」
「停止だけでは解除された時に同じ状態のままになってしまいます。だからどうにか原因を排除しないことには」
「意味はないってか」
「はい」
重々しくグリモアが肯定する。
「にしても、まだ残ってるヤツはアホなンじゃねェか」
「それが、どれだけアナウンスしても残っている人がいるんです」
危機感が薄いのか、それとも一つのアトラクションだと思っているのか。
そもそも全体数から見れば仮面を付けられた人も、プレートが突き刺さった人も極少数に過ぎない。多くの人は日常と変わらずにかの世界にて同じ日常を繰り広げている。
現実に戻されて、こちらに来られなくなった人が声を挙げるにしても、それが広がるまでには時間を要する。仮に時間を掛けずに問題が広がったとするのならば、それは何かしらの切っ掛けが必要となり、その切っ掛けを予想することは限りなく無理なことだった。
「ならメンテナンスとか言って強制的にログアウトさせるのは?」
「ゲームエリアだけならそれも可能なんですけど」
変に言い淀むグリモアに皆の視線が集まる。
「セントラルエリアは活動を停止出来ないんです」
そのすぐ後に意を決してはっきりと、且つ歯痒そうに表情を歪めながらグリモアがいった。
「ゲームエリアとは違いセントラルエリアの運営には多数の企業が関わっているんです。ですので、メンテナンスの日程などは予め通知しておかなければ余程のことじゃないと許可されないんです」
「でも、この状況なのよ。そんな呑気なこと言ってられないじゃない」
「個人としては僕もそう思います。ですが、この状況の意味を確かに理解している人は少ないんです。ですので、楽観視している所もあれば、はっきりとした解決策が出てこない限り現状を維持しようとする所もあるんです。意見が合致しない為に、決定には時間が掛かってしまいます」
「そこまで動きの遅い企業ってのはどこなんだ?」
「えっと、それは……」
「国だ」
アラドのあっけらかんとした一言に場の空気が凍った。
「あの、その通りです。公にはなっていませんが、セントラルエリアの運営には国も関わっているんです」
「それじゃあ、仕方ない、のか?」
ハルが困ったように戸惑いながら、自分を納得されていた。
「ンなコトどうでもいいンだよ。オマエは何時までコレを放っておくつもりだ」
「どうにかするにはやっぱり対応したモンスターを討伐するしかないってのが僕達の考えです。でも…」
「セントラルエリアに居られたら手出しできないってことか」
「そうなんです。加えてモンスターの現在の所在も判明していません」
「えっ、そうなの?」
「この状況になる前はゲームエリアで反応が確認されていました。多分ですがキャラクターが乗っ取られるのはモンスターの近くで見られる現象ですから、皆さんが戦っていた場所の近くにいたことは確かなはずです。しかし、それは今セントラルエリアで起こっている。そうなると……」
「例のモンスターがいるのは向こうってことか!」
深くグリモアが頷く。
「ゲームエリアは封鎖されたままなんだろ。仮にそのモンスターがこっちに残って潜んでいるのだとしても、探し出せる保証はないぞ」
「それに関しては問題はありません。こちら側なら僕達で捕捉することができますから。そのために人の出入りを禁じているんです」
「でも、今は見失っているのよね」
「ええ。ですので、例のモンスターがセントラルエリアに居ることは間違いないと思うんですが」
コレといった方法を見い出せず足踏みをするしかない状況にグリモアを含め、数人の溜め息が聞こえてきた。
「素人考えで悪いけどさ、方法はあるんじゃないか?」
重々しい空気を打開すべくハルが徐に口を開いた。
「方法ですか?」
「そうだな。例えばだけど、俺たちをこのままの状態でセントラルエリアでも活動出来るようにする、とか? 表だった理由は何かのショーとか、適当なデモンストレーションとか言っておけば案外すんなりと受け入れられるんじゃないかな」
システムのことなど全く知らないハルだからこそ出た意見。
プレイヤーがセントラルエリアに行くには同じ外見でも全く別物のキャラクターを使わなければならないということを常識として念頭に置きすぎていた為に出てこなかったものだ。
「それは――」
「出来なくはねェハズだ」
ハルの意見を後押ししたのはアラドだった。
その視線を受けてグリモアは僅かに狼狽えたように後ずさる。
「そう、ですね。確かに可能です。でも、それは出来ないと言うことになっているからこそ、セントラルエリアの平穏は保たれて――」
「何言ってヤがる。今更だろうが。そもそもモンスターが出てきた段階で平穏なんてもンは崩れてンだろうが」
「あ、え、そう、ですよね。でも、あの場所で戦うことには賛成できません。ゲームエリアとは違い、セントラルエリアの町の大半は破壊不能オブジェクトじゃないんですから」
「それなら、俺たちがモンスターを捕捉した段階で、別の場所に強制移動させることは出来ないか?」
その場所がゲームエリアにすることが出来れば、思い存分戦うことができる。
「やってみないとなんとも言えませんが、可能だと思います」
数秒考えてグリモアが答えた。
「それならっ、昔何かの本で見たんだけど、専用のエリアを作ってそこに移動させることはできる?」
「専用のエリアにですか?」
「うん。内装は簡単に床だけとかにしてさ、どれだけ壊れてもいいヤツを作って、そこで戦うの。それならゲームエリアにもセントラルエリアにも影響は少ないでしょ」
「それで戦闘が終わるまでゲームエリアともセントラルエリアとも隔離してしまえば逃げられる心配はないってことか」
「俺たちが逃げることもできないけどな」
「勝てばいいンだろうが」
少しだけ後ろ向きなことを考えていたハルにアラドが言い放つ。
それから暫く考え込んでいたグリモアが、考えを纏めて言葉を紡ぐ。
「セントラルエリアでの戦闘を避けるのでしたら、そのままで侵入することは可能です。それから専用のエリアも、実装前のエリアを用いれば問題無いと思います」
「後は俺たちが勝てるかどうか、か」
「それと、この作戦を実行するにあたり他のプレイヤーがどう出てくるかだな」
ハルが何気なく言ったその一言に俺はようやく思い出していた。
この事象に対応しているのは何も自分たちだけじゃ無い。他にも顔も名前も知らない有力なプレイヤーが自分たちと同じように何かしらの対応を講じているはず。
「それに関しては、こちらでどうにかして見せます。ですが、隔離する必要がある以上、援軍もないことになりますが」
「別に構わねェよ。知らねェヤツと並んで戦うよりもこのままの方がまだマシだ」
「皆さんも同じ意見ですか?」
「そうだな。人数的にもっと戦力が欲しいのは本音だけど、突然顔を合わして共闘するってのは難しいから。それに――」
誰かが操られる危険は極力減らした方が良い。そう告げるとグリモアは納得したように、
「分かりました。皆さんは準備してください」
「準備って言われてもな。ここには何もないしな」
「一度ギルドホームに戻れないか? そこでさっき使ったポーションを補充したい」
減ってしまっている解毒とHP回復のポーション。
念のためにもそれらは回収しておきたい。
「私も、自分のギルドホームに備蓄があるんだけど」
「あ、言い忘れてました。コレを使って下さい」
そういってグリモアが出してきたのは巨大な冷蔵庫。
「見た目は冷蔵庫ですけど、これは皆さんが個人で保有しているアイテムを直接取り出すことができるものです。運営権限で使えるようにしておきました」
アラドが慣れた様子で冷蔵庫の扉を開くとそこからいくつもポーションを取り出して自身のストレージに収めていく。
「あ、ああ。使わせてもらう」
「私もいいかな?」
「どうぞ、どうぞ」
ハルは無言のまま、俺とリタは一言断りを入れてから冷蔵庫の扉を開ける。
するとそこにあったのは冷気が漏れ出す棚、ではなく、何とも味気ないシステマティックなコンソール画面だった。
コンソールを操作して、倉庫の中からポーションを取り出す。
手にしたポーションを流れ作業のようにしてストレージに収めていくとものの数分で消費した数は最大値まで戻った。
「残りは武器と防具の耐久値だけど、皆は大丈夫か?」
「俺は問題無いぞ」
「私も。この位なら許容範囲よ」
「アラドは」
「問題ねェ」
武器も防具も強化を繰り返したことでその耐久値の最大値も上昇する。
モンスターとの戦闘もより多く、より長く耐えられるようになり、回復させる手間が減っているらしい。
「グリモア。準備できたぞ」
驚くほどの速さでコンソールに加えて出したホログラムキーボードを叩いていたグリモアは視線を逸らすこと無く告げる。
「こっちはもう少し………出来ました!」
タンッとキーを叩き振り返ると俺たちの傍にブラックホールを彷彿とさせる穴が開いた。
「この穴を通ればセントラルエリアに向かうことが出来ます。そして皆さんにはコレを」
と差し出したのは青と黄色の紐で組まれたミサンガ。同じデザインのそれが四本、グリモアの手の中にあった。
「コレを付けていれば皆さんは現在のままセントラルエリアで活動出来ます。けれど戦闘行為をすることはできませんので、モンスターを発見したら外して下さい。そうすると皆さんの近くにいるモンスターを感知して専用のエリアに強制転送させることが出来ますので」
「凄い。この短時間で作ったの?」
「は、はい。イベントの強制転移のシステムを流用しただけですのでそれほど難しくはなかったです」
「分かった。他に気をつけることは?」
「仮面を付けられた人やプレートが突き刺さった人と無理に戦おうとしないでください。彼らは例のモンスターを倒しさえすれば解放されるはずですから」
「了解!」
「もう良いか? サッサと行くぞ」
短く言葉を交わしてた俺たちをアラドが呼んだ。
「あ、ああ」
「気をつけて下さい。もし、セントラルエリアで戦闘になると多くの被害が出てしまうかもしれませんから」
「分かってる。グリモアもモンスターの索敵、頼むよ」
「はい。全力で見つけて見せます」
力強く頷いたグリモアに見送られ俺たちは穴の中に飛び込んだ。
セントラルエリアにモンスターの出現という異常状態を解決するために。