ep.30 『森林の奥へ』
「で、オマエらは何しに来やがったンだ?」
レギオンとの戦闘が終わり、晴々とした青空の下でアラドが開口一番にそう訊ねてきた。
俺とは違う竜化を解いて人の姿に戻った彼は自分の背にある大剣を地面に突き立て、それを背もたれにして地面に座り込んでいる。
「何をって、アラドを助けに来たに決まってるだろ」
「そうね。グリモア君にお願いされたもの」
ハルとリタがそれぞれ理由を告げるとアラドは眉間に皺を寄せ、小さく舌打ちをした。
「戦闘中にも言っただろ。聞こえてなかったわけじゃないよな」
「ああ。ただの確認だ」
ストレージからポーションを一つ取り出すと慣れた様子でその栓を外し一口煽る。
戦闘中で無ければ消費しているHPは徐々に回復する。それは町の中もエリアの外でも変わらない。つまり戦闘を終えた今、減少したHPは自然回復していくことになる。
それでもポーションを飲むのは現実の水のように喉を潤すため。
「俺たちが来た理由は二人が言ったとおりだよ。んで一つ聞きたいんだけど、アラドはどうしてここに来ることになったんだ? それに他の人は近くにいるのか?」
あれだけの戦闘を繰り広げているなら他の人の目に留まることもあるだろう。
今が一般のプレイヤーがいない状況になってしまっているとはいえど、アラドが探索に出たときに同行していた人も居るはず。
なのにいつまで経ってもここに他の人が近付いてくる気配はない。
「ベツにどうでも良いだろ――」
「良くはないさ。他に人が居るのなら合流すべきだし、何か問題が発生しているなら対処すべきだ。そうだろ?」
答えるつもりなどなく適当に流そうとするアラドにハルが詰め寄る。
「だから教えてくれ。どうしてアラドは一人でここに居たんだ?」
真剣な目をしたハルがアラドの前に立つ。
どんなに誤魔化そうとしても意味は無いと悟ったのか、それとも誤魔化すこと自体が面倒になったのか、アラドは大きな溜め息を吐いてぽつりぽつりと話し始めた。
アラドの話を要約するとこう。
このエリアに来た当初の目的は氷海や荒野に向かったのと同じで調査。
操り人形や傀儡というモンスターが出現しているのを把握するまでは単調な捜索が続いたという。
だが、一度モンスターを見つけたらそこから後は度重なる戦闘に突入したらしい。そこでアラドは他のプレイヤーとはぐれたらしい。
尤もアラドには戦闘に没頭すると他のことをおざなりにしてしまう悪癖がある。普段ならばある程度冷静にことを運ぶこともできただろうが、俺たちが戦ったのとは毛色が違う傀儡人形との戦いでは他のことまで気を回すことが出来なかったのだろう。
元々そこまで仲の良かった人たちと組んだわけでも無かったと言うことも影響があったのかもしれない。また広範囲の探索だからと予めパーティを組んでいなかったこともあってか、共に行動していた他のプレイヤーの現在地を把握することが出来なかったというのだ。
誰一人として連絡することもできず、現在地も不明。生きているのか、それともモンスターに倒されてしまっているのかさえも分からない。
未知のエリアではぐれてしまうということはそういうことだ。
「どうするの?」
アラドの話を聞いてから最初に口を開いたのはリタ。
その顔は未だ見つかっていない他のプレイヤーのことを心配しているように見えた。
「そうだなぁ。正直に言えば解毒用のポーションの数が心許なくなったから一度拠点に戻りたいってのが本音だけど……」
「戻ってこられる保証はないってか?」
「まあね」
「となるとこのまま行くしかないってことか」
「そうなるかな。リタはそれでいい?」
ハルと短くお互いの意思の確認をした俺はそのままリタに訊ねた。
「もちろんよ。このまま無視するなんてことできないもの」
「本当に良いのか? ここで倒されると――」
「分かってるわ。それでもここで帰るよりは、ね」
どうやら確認するまでもなく気持ちも覚悟も決まっているらしい。
となれば、残るは、
「アラド。そういうことだからもう少しこのまま俺たちとパーティを組んでいてもらうぞ」
「ハッ。勝手にしやがれ」
「そうさせて貰うさ」
獰猛な獣のように笑うアラドに俺はニヤリと口元だけを緩ませて応える。
とりあえず、このままパーティの継続が決定したことで、俺たちは次ぎに何処を目指すべきか考えることにした。
『妖霊の森林』というエリアでは手元のマップを頼りにゴールを目指すということが出来ない。遊園地にある迷路のように自らの足で進まなければならない。
「ポーションの数に不安が残るし、出来る限り戦闘は避けて進もうか」
「そうだな」
「ええ。わかったわ」
「アラドもそれでいいよな?」
「好きにしろ」
「ん、了承も得られたってことで、まずはこのまま進んでみるか」
ここまで来る時に通って分かったことだが、妖霊の森林の作りは案外単純なものだった。
ある程度同じ形状をしたブロックを繋ぎ合わせていると言えば解りやすいだろうか。全く同じに見せないために複数のレイアウトパターンがそれぞれの区画に割り当てられているようで、一見しただけでは気付かれないようになっている。
似た景色が繰り返すことでここに挑むプレイヤーの感覚を狂わせる。加えて現在地しかマップが表示しないというのならば迷ってしまうことは必至。
そういう意味では俺たちがアラドのもとに辿り着けたこと自体、偶然だったのだろう。
この妖霊の森林の一つの区画の広さ自体、それほど狭いというわけじゃない。少なくとも複数のパーティが同時に本来の妖霊の森林に出現するであろうモンスターとの戦闘に耐えられるだけの広さがある。様々な素材アイテムの収集ができそうな場所もいくつか見受けられることからも、平時だったのならばここは有益なエリアとして活用されていたはずだ。
一つの区画の形は正方形に近い。
その四方が次の区画に繋がる出入り口となっている。それは一般的に『迷いの森』と呼ばれているエリアの仕組みと同じ。
道中チラチラと見かける操り人形と傀儡といった二種のモンスターを避けながら、時に陰に隠れ、時に元の区画に戻ったりを繰り返しつつ先に進む。
俺たちにとってのゴールは妖霊の森林の終着地ではなく、探している他のプレイヤーと合流を果たすこと。
それは一直線にゴールを目指すよりも困難で、ともすれば行き違いになったりすることもあり得る。
せめてアラドのように戦っている最中に合流できればいいのだが、そうではなく、隠れているのだとしたら合流自体が困難になってしまう。
「……ここにも居ない、か」
レギオンと戦った区画から離れ進むこと七つめとなる区画に入った途端、辺りを見渡しながらハルが呟いた。
二種のモンスターが出現するのは全ての区画というわけではないようで、出会うことは大雑把に言って三分の一くらいの確率だろう。
新しい区画に入ってすぐに視線を巡らせてプレイヤーがいないかどうか、モンスターが現われないかどうか、少なくとも見通せる範囲だけは素早く確認していた。
「もう少しここを探してみる?」
「いや、すぐに次の区画に行こうか。どのくらいの広さかは分からないけど、一つ一つに時間を掛けていたんじゃ日が暮れるからな」
訊ねてきたリタだけじゃなくハルにも聞こえるように言うと、立ち止まる俺たちの横をすり抜けて無言でアラドが歩き続ける。
「行くぞ」
頷き合って先を目指す。
区画の出入り口を指し示す一回り大きな二本の木の間を抜けて次の区画にでると、そこにはモンスターの姿があった。
「ここでも戦わないんだよな?」
「ああ。無駄に使えるポーションはないし、また傀儡人形になったりすれば無傷で勝てる相手でもないからさ。幸いこっちから手を出さなければ戦闘には突入しないみたいだからな」
「わかったわ。それならあの木の影に隠れて――」
やり過ごそう、そう言おうとしてリタは思わず口を噤んでしまった。
アラドが一人でモンスターに突っ込んで行ってしまったからだ。
「アラド!? どうしてっ!?」
「何してんだアイツは!」
戸惑うハルを余所に俺はアラドの目的を見極めようと目を凝らす。
「ちょっと待って。あのモンスターこれまでのとは違くない?」
リタも俺と同じようにアラドが対峙しているモンスターを探るように視線を向けていた。
それに追随してハルもアラドが向かった先を見る。
「違う…か? 仮面を付けたのもいるし、平面のヤツもいるぞ。確かに細かい所は違うみたいだけど」
「その違いってのが重要なんじゃないの?」
「おそらくな。アラドはそれにいち早く気付いたから仕掛けていったんだろう」
アラドが無策で突入するほど愚かじゃ無いことは理解している。
だからこそ、否定するのではなく、その意味と目的を探ることにしたのだ。
「――っ! まさかっ」
それに気付いた瞬間、息を呑んだ。
アラドが向かった先にいるのは確かに二種のモンスターで間違い無い。しかしハルが見つけたようにこれまでに戦ったのとは違いがあった。
「嘘…だろ……」
俺に遅れること数瞬。ハルもまた気付いたらしい。そしてその直ぐ後に、リタもまた同じように戦々恐々とした表情を浮かべた。
「くそっ、そういうことかっ」
「だからアラドが真っ先に気付いたのか」
「でも、どうするの?」
三人が三人、別々の表情を浮かべて戸惑ってしまっている。
その戸惑いが自分たちの行動の指針を決めることさえも阻害してしまっていた。
「戦えるのか?」
自分が、あのモンスターたちと。
敢えて主語を抜いて呟かれたその一言はまさに三人の心を表わされたもの。
「――っ!」
戦闘の音が聞こえてくる。
いち早くアラドが二種のモンスターと戦闘を始めたのだ。
――どうする? どうすればいい?
声に出さず自問自答を繰り返す。
これまでに出現したモンスターと今アラドが戦っているモンスターとの違い。その僅かにして巨大なたった一つの事実こそが自分の足を地面に縫い付けてしまっているのだ。
『ユウ!』
自分を呼んだのは誰だろう。
ハルか、それともリタか、あるいはアラドか。
動けないでいる俺は声の主を探して慌てて辺りを見渡した。
目の前で戦闘が繰り広げられている意外の場所は静かなもの。だからこそ一段と際立って見えた。平然とそれと戦ってみせているアラドのことが、現われてしまったそのモンスターの異様さが。
「俺たちも…戦おう」
「良いのか?」
「それ以外に俺たちが取れる手段は無い、だろ」
「うん。そうよね」
冷静さを取り戻そうと息を整える。
そうすることでようやく足を動かせるようになった。
「行こう」
アラドを手伝うべく走り出そうとしたその刹那、世界に亀裂が走り、大地に歪みが生じた。
「え!? 何? 何なの?」
「リタ! 動くなよ」
「分かってるわよ。そういうハルくんも気をつけてよね」
「人一倍でかいんだからな」
「ったく、わかってるって」
幸か不幸か俺たちはいつもの調子を取り戻すことが出来た。
故に今度は動けないのではなく、動かないで成り行きを待った。
「アラド! 一度戻って来いっ! 戦ってられる状況じゃなさそうだ」
俺の声が届いていないのか、アラドは尚も目の前のモンスターと戦い続けている。
「おいっ! 無視するな――ッ! またかっ」
トンッっと軽い衝撃が走ると歪みが大きくなった。
モニターの砂嵐のようなノイズが混ざる歪みはここが現実では無いのだと無理矢理伝えてくるかのよう。
亀裂が大地を、空を飲み込んでいく。
『……か?………聞こえていますか?………皆さん、聞こえますか?』
その声は俺が呼ぶよりも遙かにしっかりとアラドに届いた。
歪みの中での戦闘をモンスターを強く蹴り飛ばすことで中断させたアラドは強く跳躍して自分たちのもとへとやってきた。
『申し訳ありませんが……一度戻って来て下さい!』
「でも、アラドとしか合流出来てないんだぞ」
『仕方ありません。寧ろよくこの短時間で合流出来たと考えるべきです』
声の主はグリモア。自分たちを送り出した張本人が自分たちを制止しているのだ。
『皆さんの現在地は把握出来ました。運営権限の移動ゲートを開きますので、そこに飛び込んで下さい』
有言実行というように宙に楕円形をした穴が出現した。
『さあ。早く』
「アラド、文句はないよな」
「チッ、仕方ねェな」
「でも何でこんなことになったんだ」
「ねえ、何が起きたっていうの?」
「分からない。けど、グリモアの様子は普通じゃなかったし。正直この歪みのなかにいるのはゾッとしないからな。一度退却するのは両手を挙げて賛成だ」
「違いない」
少し離れた場所でアラドが蹴り飛ばした二種のモンスターが起き上がった。
歪みも亀裂もお構いなしというように近付いてくる二体の手が触れる位置に来るまで。それが俺たちに残されたタイムリミットだった。
「急ぐぞ。リタとハルが先に行ってくれ」
「ええ、分かったわ」
「あんまり遅れるんじゃないぞ」
「ああ」
二人が穴の中に飛び込んだ。
一瞬にして姿を消した二人に続いて俺たちも穴の中へと飛び込もうと身構える。
「そういえば、これは何が起こったんだ?」
「グリモア、オマエ何か知ってンじゃねェのか」
『詳しいことは戻って来たら話します。ただ、あえて言うなら』
一呼吸、深く息を吸い込む。
そして、
『僕達のやろうとしていたことは間に合わなかった、そういうことです』
グリモアの悲痛な言葉を耳にしつつ、俺たちは穴の中へと飛び込む。
普段の転送ポータルを使った転移とは違う感覚が自分を襲う。
長いようで短い転移を抜けて、俺は自分たちのギルドホームともいつもの町の転送ポータルの近くとも違う、見知らぬだだっ広い白一色の部屋に立っていた。