ep.27 『毒の脅威・前半』
これが現実世界だったのならば辺りは異臭に包まれていただろう。
そして、足元にはお世辞にも綺麗とは言えない水溜まりが広がっていたはず。
俺にそう思わせるだけの光景が目の前に繰り広げられていた。
「うわっ」
咄嗟に片足を上げて何かを避けようとしたハルは自身の武器である戦斧を棒高跳びの棒の代わりにして大きく後退した。
それまでハルが立っていた場所には黒とも赤とも取れる異様な水溜まりが出来ている。
シュゥウっと音を立てて灰色の煙が水溜まりから立ち上がる。
この煙も、水溜まりも、それを作っている原因は同じ。
プレイヤーの攻撃を受けて切り落とされた『傀儡人形』の腕や足。しかし、一度は四肢を切り落とされたとしても次の瞬間には修復され、元の状態に戻ってしまう。
「気をつけて! その煙を吸うと『毒』を受けるみたいだから!」
はっきりとそう言ったのはリタ。彼女は最初に傀儡人形の一部が切り落とされた際に出来た水溜まりから立ちこめる煙を吸ってしまい毒のバッドステータスを受けてしまっていた。その時は所持していた解毒のポーションを用いることで即座に回復できたが、リタが使ったのがそれなりに等級の高いポーションであったことからもどれだけのダメージを受ける毒なのかは解らないまま。
継続ダメージが微々たるものならばその都度解毒する必要性は低いと判断出来るが、その検証のために自らこの毒を受けるかと問われれば答えは否。
安全性が確保されている戦闘ではない限り、余計な危険は回避するのが鉄則だ。
「チッ。うぜェンだよ!」
アラドが手甲を付けた両手で傀儡人形の腕を払い退ける。
するとまるで耐久値が限界まで減少している武器を打ち付けた時のように傀儡人形の腕が打撃を受けた場所から崩れ落ちた。
体を離れ落ちた腕が瞬時に融解し、その場に淀んだ色の水溜まりを作り、その直後灰色の煙が立ち上った。
「アラド! 速くそこから離れるんだ」
「解ってンだよ!」
防御力という点では俺たちが戦った傀儡人形とは比べものにならないほど低い。しかし、こうして対峙してみるとその防御力の低さ自体が目の前の傀儡人形の攻撃に繋がっているとしか思えない。
さらにこの傀儡人形が持つ再生力も異常だと言える。
斬り付けたそばから再生するというのはスライムのような粘体動物にしか見られなかった特色だ。それがこの傀儡人形にも備わっているのだとすれば厄介なことこの上ない。
「聞いてくれ! 再生も無限じゃないはずだ。だから繰り返し攻撃していれば――」
「バカかッ! まともにダメージが通ってねェだろうが。そンな悠長に構えてどうすンだ!」
ハルの指示にアラドの声が覆い被さる。
ゲームとしてのセオリー通りならばハルが言おうとしていたことは間違っていない。けれど、アラドが言うことも間違ってはいないのだ。
同じ事を繰り返すのだとしてもそれは勝算が取れている時の話。今のように戦闘の均衡が一定の状態ではあまり効果的な策ではないはず。
そんなことハルは重々承知しているはずなのに。
「落ち着けって。どうしたんだ? いつものハルらしくもない」
戦闘中のためにハルに近寄らず問い掛ける。
するとハルが兜の奥で表情を強張らせているように見えた。
「本当にどうしたのよ?」
「苦手…なんだ……」
「何がよ?」
「ああいう、ヌメッとしてるのとか、ドロッとしてるのとか……」
「つまりスライムみたいなモンスターってこと?」
「いや、スライムなら平気なんだ」
「だった何がダメなんだ?」
「だから、基本は普通のモンスターなのに変にヌメヌメしてるヤツが嫌なんだよ!」
妙にピンポイントな好き嫌いだと思う。
個人の好みに対して口を出すつもりはないとはいえ、それで戦闘に影響が出るのは避けるべきだ。
「我慢しろ」
一見すると冷たく感じられるが今のハルには必要な一言だった。それも本人が理解しているから問題ない。言い淀むハルにアラドは視線だけで傀儡人形と向き合うように促す。
「はぁ、分かってるって…」
若干及び腰ながらもハルは戦斧を構えた。
「ああ、やっぱり気持ち悪い…」
戦意を削がれそうになりながらもそこはやはり熟練のプレイヤー。深く息を吸い込むと即座に意識を切り替えたのが伝わってきた。
正確には再び戦闘時にスイッチしたとでも言うべきか。
頼もしいほどに鋭さを取り戻したハルは駆け出し、傀儡人形の脚を薙ぎ払った。
「みんな!」
ハルが叫ぶ。
腕や体とは違い、その巨躯を支える脚はその片方だけでも消失させてしまえば、動きを阻害できる。
高速の再生だとしても一時はバランスを崩し、その身を地面に近付けるのだ。
「ハアッ! <インパクト・スラスト>」
目の前に近付く傀儡の頭部を斬り付ける。
剣撃一閃とでも言い表すように、一筋の剣閃が傀儡人形の頭部に大きな切り傷を刻み込んだ。
「オラァ!」
アラドが傀儡人形の腕をその両手で引き裂き、
「せぇーのっ」
リタが大剣でもう片方の腕を両断する。
片足を失い、左右の腕を切り落とされ、頭部に巨大な裂け目がついた。
見るも無惨な状態になったというのに、傀儡人形のHPゲージは想像していたよりも減っていない。まるでこれまでの全てが大したことのない攻撃であったのではないかとすら思えてしまうこの現実に俺は大きく息を呑んだ。
「また毒か!」
辺りに漂い始める灰色の煙。
一つならば直ぐに消えていたそれも、これだけ同時に且つ複数となれば周囲を漂う霧になる。それでいて効果は変わらないのだから、俺たちは急いでその中から脱出するのだった。
声を出さず、息も止めたまま。
現実同様に呼吸しているわけではないが、それでも息を止めたのはそれで毒を吸い込まずにすむと考えたからだ。この咄嗟の判断は間違っていなかったようで、幸運にも俺たちは誰一人として毒の状態異常に掛からずに済んだ。
「やっぱり、すぐに再生するみたいだな」
「なるほどね。その時間を稼ぐための毒ってわけか」
「オイ、納得してる場合じゃねェだろ」
「というか、呑気に話している場合でもないと思うんだけど!?」
今回の傀儡人形の修正を理解するのは攻略に必要なこと。
再生はあくまでも損傷の修復であり回復ではないのはHPゲージが減ったまま変動していないことからも明らか。
僅かとはいえ再生に時間が必要なことも分かった。
そのタイムラグを埋めるための手段が毒を与える煙であり、それを引き起こすのが体を離れた四肢というわけだ。だとすると、あからさまに切り落としやすい腕や足はトカゲが自分の尻尾を切り離して天敵から逃れるのと同じなのかもしれない。
そう考えると腕や脚を攻撃してもダメージが少ないのも納得できる。
「っても頭も似たような感じか」
俺が攻撃した頭部もすでに再生が始まっていた。
最初に切り落とされた脚が戻り、次いで左右の腕も元通り。
立ち上がった傀儡人形はHPゲージこそ多少減らしているものの、俺たちが対峙したときと何も変わらないまま。
「さて、どうするかな」
僅かに出来た静寂の中。俺は必死に思考を巡らせた。
自宅のクーラーが壊れてしまった等々思いもよらないことが多発してリアルが忙しかった為に今回は作者があまり執筆に時間がとれませんでした。
ですので今回は普段の半分くらいの文量になってしまいました。
まことに申し訳ないですが、この続きは次回ということで。
この暑さ、熱中症にはお気を付けてください。