ep.24 『黄金色の景色の向こう』
コチという集落を指し示す色はまさに黄金色だろう。
秋という収穫の季節に十全に実った稲穂が絨毯のように一面に敷き詰められているかのような光景に俺はここに来た目的すら忘れ魅入られてしまった。
「ユウ? どうしたの?」
「あ、いや。綺麗だと思って」
「それってこの景色のこと?」
「まあね。こんな景色、現実だと滅多に見られないからさ」
稲穂のなかに点在している家屋というものはいつもの町の様子以上にどことなく絵画のような雰囲気があった。
そこに立つ俺たちの格好はアニメチックな洋装に、全身を覆う金属の鎧。そして活発なショート丈のシャツの上から纏われた要所要所に金属の装甲が施された軽鎧。
全員が今まさに戦場に赴く戦士であることは間違いないが、ことこの場の穏やかな雰囲気にはそぐわない。浮いてしまっているとすら言える。
そして普段ならば、たくさんのNPCがたわわに実った稲穂の収穫に勤しんでいることだろう。
なのに地面に無造作に捨てて置かれている鎌や、昨日まで、いや、それこそついさっきまで作業をしていたと思わしき痕跡があちらこちらに残ったまま。
人がいたという確かな証拠はあるのに集落に人はいない。
たったそれだけのことなのに、いつもと違いすぎる風景が事態の異常さを際立たせていた。
「おいおい、そんなのんきなこと言っていられる状況じゃないだろ」
「わかっているさ。ここから妖霊の森林ってのは近いはずだけど、どこら辺にあるんだ?」
「マップは共有してるはずだよな」
「念のための確認ってやつさ」
「どうだか」
「や、本当だって」
話に出たマップを表示させる。
簡易マップには目的地である妖霊の森林が中心にその周囲が記されている。更にその周囲には現在自分がいるコチの集落があり、そこには自分の位置を示す光点が輝いていた。
「マップの通りならここからでも見えるはずだろ?」
「隠されているのかもな」
「誰に?」
「システムにじゃないかな? ほら『迷いの森』って場所があったでしょ。あそこもマップには表示されているけど実際に近くに立つまでそこにあるってわからなかったじゃない」
「なるほどね。確かにそういう場所は珍しくない、か」
「幸い方角はわかっているんだ。ここを直進すれば直ぐに見つかるさ」
進行方向を指差し歩き出すハルを追いかけて、俺とリタも歩き出す。
集落といってもコチはそこいらの村なんかよりは格段に広い。けれどその敷地の大半を占めるのは田畑。故に人が住める空間は少ない。
「はえ!?」
田んぼや畑を囲むように作られている土の道に沿って進んで行くと、ハルが突然田んぼの中に片足を突っ込んだ。
「ちょっと待って、もしかしてここを進むのか?」
「そのほうが早いだろ」
「ダメだ。それだと稲穂を踏み潰すことになる。俺やリタならともかく、や、それでもダメだけど。けどハルが入れば確実にたくさんの稲穂が駄目になってしまう。それだとこの集落の人が困ることになるかもしれない」
「ってもゲームの中のことだぞ。現実じゃない。それを分かっているのか?」
「それでもだ。あのな、植物を育てるのって大変なんだぞ」
ギルドホームを手に入れる前、小さな拠点にいた頃の話だ。俺は自らの手でポーションを作るための薬草畑を作っていたことがある。だからこそ分かる。ここまで見事な稲穂を実らせるのは一朝一夕に出来ることじゃない。
それを俺たちが勝手に壊すわけにはいかない。
「でも、これって何時もこうなんじゃないの? 最初から収穫期の集落として作られているなら踏み潰すもなにも無いと思うんだけど」
リタが言うことも尤もだ。
作られた世界でしかないこの場所で、固定化された場所なんてものは無数に存在する。
常に雪で覆われた山であったり、荒れ続けている海域であったり。
ならば常に収穫期で停滞している集落があってもおかしくはない。
「けど、今はそれを確認する術も時間もないからな。わがままで悪いけどさ、やっぱりこの田んぼは迂回して欲しい。ちょっと遠くなるかもしれないけどさ」
「ちょっと?」
「え、あ、いや、かなり……かな?」
見渡す限り、コチの集落は田畑が広がっている。
そしてそれらは一つ一つが広大。
田んぼの中を横断するという最短距離を進めば、おそらく妖霊の森林に辿り着くまでは数分と掛からないだろう。しかし、極力コチに影響を及ぼさずに妖霊の森林を目指そうとするならば、必要な時間はその倍くらいは掛かってしまいそうだ。
「だめか?」
「あら? 私は別に良いわよ」
「そうだな。ユウが言うなら仕方ない」
ニコリと笑ってハルとリタが頷く。
そして方角をそのままに、田んぼを突っ切ること無く進む。
時間は、やはり十分くらい掛かってしまった。
集落を抜けるだけでそれだけの時間が必要だった。ここから妖霊の森林を探すとなればもっと時間と手間が必要。そんな風に考えていた俺は集落を抜けてすぐの場所で立ち尽くしていた。
コチから距離にして僅か三十メートル程度。マップを確認しながらたったそれだけの距離を歩いていると目の前に広大な森が現われたのだ。
自分の背丈など優に超える巨大な樹木が立ち並ぶ森。近づけば近づくほど太陽の光すら遮り、暗い影が自分たちを覆い尽くす。
「ここが迷いの森と変わらないってのは本当だったっぽいな」
「そうね。それにこの距離だとこっちからはコチが見えるみたい」
リタの言葉を受け振り返ってみるとたわわに実った稲穂の絨毯が見えた。
「何にしても、だ。この先にアラドがいるかもしれないんだ。進むしかないってわけだ」
無意識のうちに腰のガン・ブレイズに触りながら呟いた。
三人横に並んで妖霊の森林へと足を踏み入れる。
森林といっても、そこはやはり冒険が可能なゲームエリア。プレイヤーが歩きやすいようにと舗装されていないまでも、足元はしっかりとした剥き出しの土の道に仕上げられていた。
最初はその土の道に沿って進む。
とはいえ、この妖霊の森林は広大だ。コチの集落も広いと感じたが、確実にそれ以上。
なのに森林の中腹に至るまで他のプレイヤーはおろかモンスターの影一つ見受けられなかった。
「本当にアラドはここに居るのかしら」
「さあ、どうだろうな。それよりもだ。ここは本来どういう場所だったんだろうな」
「意外だな。ハルも知らないんだ」
「昔ならまだしも、今はここも随分と広く複雑になっているからな。全てを把握している人なんて稀さ。つまり俺も知らないってことだ」
お手上げと言わんばかりに両手を挙げるハルは歩く速度を緩めること無く森林の中を歩いていく。
どれくらいの時間、どれくらいの距離を進んだだろうか。
代わり映えも無く、モンスターの襲撃すらない平坦な道は、普段のゲームを鑑みれば退屈なものでしかない。
見慣れない景色を楽しむなどということはとうの昔に終わっていた。
退屈でつまらない行進もゴールが見えていれば耐えられるだろう。けれど残念なことに今の俺たちの歩みに対するゴールはあっても、それが何処なのか、何時になるのかは誰も知らない。
そしてこの森林の向こう側というものすらいつまで経っても見えてこなかった。
「あーっもう。いつまでこうして歩いていれば良いんだよ!」
最初に耐えきれなくなったのはハルだった。
「ちょっと休憩する?」
次にそう問い掛けてきたのはリタ。
俺は曖昧な笑みを返すことで精一杯だった。なにせこの二人が抱いているのと似たような感情を俺も持ち始めているのだから。
こうなってくるとどんな変化でも歓迎してしまいそうになる。それこそモンスターに襲われることも含めてだ。
「あれ?」
半ば惰性にすらなりかけていた移動の最中、突然リタが立ち止まった。
「どうした?」
「何か聞こえない」
「何かって何?」
耳に手を当てて音を聞こうとしているリタに俺とハルがそれぞれ問い掛けた。
「シッ」
リタが口に指を当てて静かにするように告げると、俺とハルも同じように耳を澄ましてみる。
すると、ほんの微かに何かがぶつかり合うような音が聞こえてきた。
「これは?」
「戦闘の音に似てる気がするんだけど」
自信がないという感じで呟くリタに同意するようにハルが頷く。
「間違い無い。誰と誰が戦っているのかまではわからないけど、確かに戦闘の音だ!」
ハルはそう答えると、堪えきれなくなったかのように、あるいは光に誘われる虫のように、音のする方へと駆け出していた。
「あ、ちょっと待って……」
先を行くハルを追いかけ、俺たちもその音のする方へと走り出した。
作られている土の道を外れ、草木生い茂る獣道ですらない場所を進む。
すると暫くして、誰かと誰かが争っている様子が見えてきた。
「あれは……誰だ?」
戦っていたのは知らないプレイヤーと始めて目にするモンスター。いや、本当にプレイヤーなのだろうか。そして本当にモンスターなのだろうか。
まず、プレイヤーらしき人影だが、その人は仮面らしきものを被っていた。
目の部分には横一文字に開けられたスリット。呼吸しやすくするためか同様のものが口の場所にもある。
ただ、それと対峙しているモンスターらしき影から受ける印象が不思議と対峙しているプレイヤーらしき人影と酷似しているように思えたのだ。
「手を貸すのか?」
「いや、止めておこう。なんとかなりそうだってのもあるけどさ、気になることがあるんだ」
「気になること?」
「なんとなくだけど、似てる気がしないか」
「それって、あの人とモンスターのことよね?」
「ああ」
俺から見て変な仮面だと感じるアイテムも珍しくはない。ゲーム内でドロップする類のアイテムの他にプレイヤーが作るアイテムがある。つまりあの仮面がそういう類のものだとするのならどれだけ不気味に見えても納得できさえするのだ。
仮面をそういうものだと割り切ったなら、次に気になってくるのはあの場所にいるモンスターのこと。
あのモンスターを最初にみて思い浮かべたのは異様なほど平面的であると言うこと。体の一部や使う武器に対してじゃない。その全てが一枚の紙で作られているかのようだったのだ。
一枚の紙を切って作られた人形。陰陽師ものの漫画などでよく目にするそれだ。
けれど、当然あのモンスターの体は紙ではない。
平面だと感じられるだけで、決して薄くはなく、しかしながら生物的な凹凸もない。それなりの厚みがあるだけで平面であることには変わりが無いのだ。
「似てる、か?」
「えっと、姿がとかじゃなくてさ、雰囲気っていうか、その……」
上手く言葉が出てこない。
そもそもモンスターとプレイヤーが似ているなんてことは有り得ない、なんてことあるわけない。
モンスターからドロップする素材を用いた防具はそのモンスターの特徴を色濃く残した防具であることなんてよくあることだ。獣の素材からは獣の意匠が施されたものに作ることもあれば、水棲のモンスターから得た素材で作られた装備は水場に強く、火口に生息するモンスターから得た素材から作られたものは火に強いというように特性を活かした装備にすることもある。
特性以外にも敢えてその素材の元となったモンスターの特徴を残した装備もある。竜の顔を防具の形状としたものすらあれば、その頭を兜として被り竜の頭を模した被り物のような防具だって存在するのだ。
それに比べれば仮面など可愛いものかもしれない。
「ま、ユウが言いたいことはなんとなく分かるよ。確かにあの二人は似てる。けど、それってあのモンスターの素材で作った防具をあのプレイヤーが使っているからじゃないのか?」
「その可能性も大いにあるんだけどさ。けど、なんとなく違う気もするんだよな」
今ひとつ納得できない。奥歯に何かが挟まっているかのようだ。
先程感じた戦闘の行方も今では微妙な感じになってしまっていた。
仮面のプレイヤー優勢であると見た予測が外れたなどという可愛いものじゃない。ほんの僅かな間に仮面のプレイヤーと平面のモンスターの立ち位置は反転してしまっていた。
「拙い。このままじゃあのプレイヤーが倒されるかもしれない」
焦りを持ち始めたハルが言う。
リタは視線で俺に問い掛けてきた。どうするのか、と。
「…行こう」
異変の起きたエリアではプレイヤーが死ぬことは避けなければならない。それが例え自分の知らない相手だとしても。
「…え?」
咄嗟に前に出ようとした俺の肩をハルが掴んだ。
「どうした? 助けないとヤバいんじゃないのか」
「見てみろよ」
ハルに促され俺は視線を戦闘を繰り広げている一人と一体に向ける。
すると驚いたことにまたしても優劣が覆り仮面のプレイヤーがモンスターを追い詰め始めていたのだ。
「何だ? 何が起こった?」
意味が分からない。
戦闘においてよくある攻防の入れ替わりじゃない。まるで予め動きが決められた演目を見ているかのようだ。
パキッという音がした。
いつの間にか身を乗り出していた俺が足元に落ちている枝を踏み付けてしまっていたらしい。
枝の折れる音なんて小さなもののはずだった。目の前で繰り広げられている戦闘が出す音に比べれば。
けれど、その音が俺たちに変化をもたらすことになった。
それまで戦闘を演じていた仮面のプレイヤーと平面のモンスターが一斉にその首をあり得ない角度で曲げて、生気の無い瞳を俺たちの方へ向けたのだ。
「ひっ!」
思わずというようにリタが息を呑んだ。
ようやく分かった。
俺があのプレイヤーとモンスターが似ていると感じた理由が。
そう。あの一人と一体は決して戦っていたわけじゃ無かったのだ。
戦っているように見せて待っていたのだ。
プレイヤーを助けようとする人を。
モンスターを討伐しようとする人を。
次の瞬間。一人と一体はそれまでと一変した動きで迫って来た。
人の動きをしていたはずの仮面のプレイヤーが両手を地に着けクモのように這い蹲りながら、平面のモンスターは練習の足りない人形師が操るぎこちない動きをする人形のように手をだらりと垂らしながら。
「向かい撃つぞ! <爆斧>」
言うよりも早く爆発が地を駆けた。
木々で溢れる森林の中、広がる爆炎から二つの影が飛び出してくる。
俺は咄嗟にガン・ブレイズの引き金を引いた。