ep.23 『寂しい景色』
ゴーストタウンという言葉が脳裏を過ぎる。
普段、プレイヤーとNPCたちで賑わう町も今はひとっこ一人いない。
建物の中も外にも人の影すらなく、それどころか町のオブジェクトも同然だった小動物も見かけない。道なりにある木々も心なしか造花のように見えてしまう。
現状ゲームエリアに入ることのできないプレイヤーを見かけないのは当然だとしても、NPCまで見かけないのは何故だろうか。
そのようなことを考えながら町の中を移動する。
目的地は一つ。各町に設置されている転送ポータルのある場所。
そこに向かう道中、俺がずっと抱いていた懸念。それは転送ポータルがちゃんと機能しているかどうかということ。
けれどそれも実際にその場に立ってみることで解消できた。いつものように手をかざし転送ポータルを起動させると、正しく手元に専用のコンソールが出現しそこに目的の場所を入力することで俺たちの体は淡い光に包まれていた。
一瞬にして俺たちは見覚えのある景色のもとへと移動した。
「よかった。ちゃんと動くみたいね」
町の景観から『黒い梟』のギルドホームの庭へと景色が変わったことに安堵したのか、リタが辺りをキョロキョロと見渡しながらいった。
「どうやら正常に稼働しているシステムと停止しているシステムがあるってことか」
ふと思いついたままに独り言ちるハルは何かを確かめるように手を動かしている。
傍から見れば奇妙に映るその光景も同じプレイヤーである俺からすればごく自然な光景だった。
「何か気がついたのか?」
「あー、何もないな。気持ちが悪いくらいに」
「何もないなら良かったんだろ」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
納得できないと首を傾げながら手元のコンソールを消したハルはぶつぶつと何か呟いているが、それはあまりにも小さな声で俺には聞き取ることができなかった。
立ち止まっているハルを置いて、ライラとキョウコさん、そしてリタが仲良さげにギルドホームの中へと歩きだしていた。
再びゲームエリアに入る前の打ち合わせでギルドホームを今回の拠点として使うことを決めていたからこそ、何よりもまずここに来ることを優先していた。転送ポータルが機能していなければギルドホームのあるクロウ島に向かうために何かしらの方法を模索する必要はあったわけだが、幸いにも転送ポータルは正常に機能してくれた。それにより一瞬にしてここにまで来ることができたのは大幅な時間短縮ができたとも言える。
となれば、自ずと次にすべきことは決まってくる。
先に行ったはずなのに、キョウコさんがギルドホームの玄関でぼんやりと佇んでいた。
「どうかしましたか?」
「やっぱりここにも誰もいないのね」
「そう…みたいですね」
「少し寂しい気がする」
常時複数名のNPCを雇っている俺たちのギルドのギルドホームは町中とまではいかなくともいつもそれなりの活気があった。
しかし、今は静寂に包まれている。
記憶にあるなかで現在のギルドホームの雰囲気と似ているものは、多くの人が下校した後の物悲しい学校だろうか。これで日が暮れていたり、夜の闇に包まれていたりすれば物悲しい雰囲気は一転して不気味なものに変わってしまうのだろう。
けれど、やはりというべきか。今のギルドホームに漂っているのは寂しさだけだった。
「ここの設備は使えそうか?」
手早く施設のチャックを終えたライラが戻ってきた。
「そこは問題ないみたい」
「そこは?」
「NPCたちが誰もいないの。まるで最初からここに人なんていなかったみたいにね」
「どうする? ここに残るのが辛いならライラも俺たちと一緒に行くか?」
「いいえ、大丈夫よ。少しの間だもの。それに、誰もいなくてもここは私たちの大事なギルドホームだから。私自身の手で守りたいの」
「そっか、分かった」
自分の意思でギルドホームに漂う寂しさを乗り越えようとするライラを頼もしく感じながら、俺たちはギルドホーム内にある今回の異変に対応するための設備が置かれた部屋へと向かった。
設備といっても、手元に浮かぶコンソールモニターを複数同時に見るために現実のテレビの形をしたモニターがテーブルの上に展開されている部屋があるだけだが。
「これも使えるんだな」
「意外か?」
「だって、これを用意したのは運営側だろ。それも俺たちとは敵対する(予定)サイドのさ」
などと当たり前だというようにいったハルに注目が集まる。
「な、なんだよ」
「結構考えてるもんなんだな」
「茶化すなって」
困ったように肩をすくめるハルに悪戯っぽい笑みを向けるとハルもまた少しばかり呆れたように大きな溜め息を吐いていた。
「ま、それはさておいてだ。ここがちゃんと機能していることは分かったし、早速アラドを探しに行こうか」
「それは別にいいんだけどさ。どこに居るか分かっているの?」
「いや。全然」
「えっ!?」
平然と答えた俺に皆の驚いた視線が集まる。
「や、だってさ、アラドが今どこにいるかなんて聞いてないだろ」
狭霧から聞いた話で確かなのはアラドがこの世界にいることだけ。他は全て“かもしれない”の範疇。未だ狭霧の話だから信じられるというだけに過ぎないなのだ。
「あれ? 違うのか?」
「あー、ユウは聞き逃してたみたいだけどさ、アラドの今の場所は分からないまでも大体の場所なら分かっているんだ」
「えっ、そうなの!?」
「というよりは目的地としている場所の情報だな。確か、こっちでも見やすいようにって渡されたデータがあったはず……」
とコンソールを操作し、所持アイテム一覧を確認していく。
「あったあった。これだこれ」
ストレージから取り出して実体化されたアイテムの形状は丸められた一枚の紙。
多少質が悪いように見えるが羊皮紙などではなく、一枚の紙だった。
「それは?」
「地図、みたいなものかな。あ、どうやらこっちでアイテムとして区分は『スクロール』になってるみたいだな」
「スクロールっていうと使い切りの魔導書みたいなものだったよな」
「ああ。今回は使い切りってわけじゃないみたいだけど」
「そうなのか?」
「種類としてはスクロールになってるけど、実際は他のゲームによくある『たいせつなもの』と変わらないらしいな。慌てて作ったから色々雑なんだろ。ま、使えるなら構わないさ」
スクロールを縛っている紐を解き、机の上に広げるとそこには普段使用している簡易マップとよく似たものが描かれていた。
違うのは簡易マップは自分を中心に見える範囲が決まっているのに対し、このスクロールは元々描かれている場所だけを表示しているにすぎないこと。どちらが使いやすいかなどは明白だとしても、俺たちにとっては何よりも得がたい手掛かりだった。
「ハルはこれが何処の地図なのか分かるのか?」
「まさか。ここは現実のそれとは違って日々拡張を繰り返す世界だぞ。それにこういう言い方をすると大袈裟かもしれないけどさ、明日には山一つなくなっていてもおかしくない世界でもあるんだ。こんな切り取った地図一つで何処の大陸の、どんな場所なのかまでは判断つかないよ」
「だったらどうするの?」
「こういうアイテムにはちょっと変わった使い方があるんだ」
「変わった使い方?」
「ん? ああ……なるほど。だからスクロールなのか。仕事が雑だったわけじゃなかったんだな」
「一人で納得してないでさ、私たちにも教えてよ」
リタがハルの鎧の端をひっぱって笑いかける。
すると俺たち全員の顔を見渡してハルはスクロールを指差しながら話し始めた。
「まあ、簡単に言うとだな、あくまでもこれは魔法の道具だったってわけだ」
「簡単すぎてわかんないって」
「ちゃんと説明するから。といっても時間もないし、実際にやりながらになるけど、いいか?」
「ああ」
全員が一様に頷いた。
「普通のスクロールがどういうものなのかは皆分かってるよな」
「そりゃあ、まあね」
「確か、魔法が使えない人も使えるように、何らかの魔法を封じ込めたアイテムなのよね」
思い出すようにキョウコさんが言うとハルは「正解」と首肯してみせた。
「加えて言えば基本的には使い捨て。それでいて封じ込められる魔法もちゃんとしたプレイヤーが使うやつよりも格が落ちる。だから精々がポーションの代わりに回復魔法を封じたものとか暗いダンジョンを探索するときのための光源魔法とかだな」
「つまりこのスクロールもそれに準ずると?」
「大まかに言えばそうなるな。ただ、これに封じ込めてあるのは魔法じゃなくて、マップ情報だけど」
「それってスクロールを使えば見られるってことなの?」
「見るだけならそれでいいはずだけど、俺たちはこれが何処の地図なのか知る必要があるだろ。だからこうやってマップに同期させられればいいんだが……成功した!?」
「何でハルが驚いているんだ?」
「こんな魔法見たことも聞いたこともなかったからな。正直出来るとは思ってなかったわけじゃないが、出来て驚いたのも事実だ」
手の中から跡形もなく消滅したスクロールは、それを縛っていた紐までもが消えていた。
そこに描かれているものはコピーしたかのようにギルドホーム内にある複数のモニターに同時にいくつも表示されていた。
「キョウコさん。それにライラもそれをここにある全てのマップデータと照合して貰えますか?」
「任せて」
「やってみるわね」
ハルとすれ違うように二人はモニターの前に座った。
出現したホロキーボードを叩き、刑事ドラマなんかでよく目にする指紋照合みたいに既存の地図情報と先程同期した地図情報を照らし合わせていく映像が映し出された。
「あった」
「案外簡単に見つかったわね」
複数あるモニターのなかで一番大きなものに照合したマップが表示された。
「けど、これは……」
「そこの現在の様子を映し出せる?」
「えっ!? そんなに高性能なの!? これっ」
「探索に向かってた俺たちを見ることも出来たんだ。それくらいならなんとかなるんじゃないか?」
「出来るわよ」
びっくりしているリタを余所にハルはキョウコさんに問い掛けていた。
軽快にキーボードを叩き、一番大きなモニターの映像が隣のモニターに切り替わり、一番大きなモニターには目的の場所の映像が映し出された。
「一面森だな」
「それもそうだろ。あそこは『妖霊の森林』というらしいからな。とはいえ、だ」
「寂しい光景ね」
人がいないだけならまだしも、動物や鳥、小さな虫すらもいない。更に言えばモンスターもいない森を映し出した映像にリタが呟いていた。
「本当にここにアラドがいるのか?」
俺が呟いた疑問に皆は息を呑むだけ。
「まだここに辿り着いていないかもしれないな」
「そんなに険しい場所なの?」
ハルよりもゲームの経験が少ないキョウコさんがごく自然に聞いていた。
「険しいってのとはちょっと違うな。あそこは本来なら専用のクエストを受けたプレイヤーだけが行ける特別な場所だったんだ」
「じゃあ…」
「大丈夫。今はクエストのシステムは機能していないから、俺たちも行くことは出来るはずさ。無理でもそのクエストに必要な手順は頭に入っているから俺に任せてくれればいいさ。まあ、問題なのはどちらかといえば直接『妖霊の森林』に向かうための転送ポータルがないことの方だが」
ハルが険しい顔をして告げる。
それに同じような顔して頷いたのはライラとリタで、俺とキョウコさんは生憎とそういう情報は疎い。再開した以上それでは良くないと思うが、勉強し直そうとしてもゲームの情報は膨大だ。
半ばその時になればどうにかすればいいと割り切っていたがために、俺が保つ妖霊の森林の情報は皆無に等しい。
「そこに一番近い中で転送ポータルがあるのはどこになるの?」
「ヴォルフ大陸の『コチ』っていう集落だな。通常のクエストでもそこを拠点にして妖霊の森林の攻略に挑むプレイヤーが多いはずだ」
「それじゃあアラドもそこにいるのかしら?」
「いや、どうだろうな。通常がそこってだけでこの状況で拠点を構えているかは分からないし、そもそも他のプレイヤーやNPCがいないなら妖霊の森林のなかで簡単なキャンプをしているかもしれない」
考え込むハルとライラを余所に、俺は一度モニターを見つめた。
風も無く、生き物の気配もない。そんな寂しい景色を映しだした映像を前にして俺は自然と腰のガン・ブレイズに触れていた。
戦いに赴く時とは違う緊張感が漂う妖霊の森林はまるで息を潜め獲物を待ち構えている獰猛な肉食獣が開けた口を思い出させる。
天高く成長した木々が牙ならば、その奥に続く暗闇はまさに喉。
当然獲物となるのは自分たち。
敵となるモンスターがいないはずなのに、その闇の奥には自分たちの敵が待ち構えている、そんな気がしてならなかった。
「何はともあれ、行ってみればわかるさ」
「でも、直接妖霊の森林に向かえばいいのかしら?」
「アラドと行き違いにならないか、か」
「そうね。私とキョウコさんはここに残ってモニタリングするけど、実際に行くハルくんとユウくんにリタちゃんは森に入ったら簡単に戻って来られないでしょう?」
「そうなのか?」
「うん。確か、妖霊の森林は脱出のための転移は出来なかったはず。脱出系のアイテムも、煙幕みたいなやつ以外は使用不可だったはずよ」
「リタの言うとおりだな。だからここで持って行ける最大数までポーション類は補充しておきたいんだ。ギルドに在庫はあったよな?」
「見てみる?」
「お願いします」
キョウコさんがモニターの一つにギルドの倉庫に預けられているアイテムのリストを開いた。
「十分だな」
「凄い数と種類ね。商業ギルドに負けないんじゃない?」
「さすがに売り買いメインのギルドには負けるさ。けど、品質は負けてないつもりだ」
「あら? ユウくんが作ったの?」
「最近のやつはそうだな。スキルレベルだとまだ皆に負けているかもしれないけど、技術はそうそう負けるつもりはないからな。いくつかのレシピも改良したぞ」
「へえ、凄いじゃない」
「まあ、そういうことに関しちゃユウの方が一日の長があるってわけだな。けど、そのレシピを使って直ぐに再現出来るようになったんだ。リントやセッカも大したものだろ」
「そうだな。皆には助けられているよ」
などと話している間に倉庫のアイテム一覧の保有数がごそっと減った。
「隣の部屋に出しておいたから、三人ともちゃんと持って行ってね」
「私も良いの? ギルド違うんだけど」
「そんなことでケチったりしないって。まあ、リタのギルドで作ってる方が性能がいいなら無理にとは言わないけどさ」
「うーん、じゃあ、消費してるのとかユウくんたちの方が性能が高いの貰うよ?」
「ああ」
「気が退けるなら代わりに使わない方を貰えるか? どんな違いがあるのか見てみたいし」
「良いけど。これの調合割合も商業ギルドの秘密の一つだから他言無用でお願い出来るかな? 勿論ユウくんたちのも秘密にするから」
「お、おお。分かった」
三人連れだってモニターが置かれた部屋の隣の部屋に向かう。
扉を開けて広がっていたのは綺麗に並べられたいくつもの小瓶。
文字通り多種多様なそれを全員が所持限界までストレージに収めていく。
「あ、そうだ。ここでパーティ組んでおくか。現地でモタつくものあれだろ」
「良いわよ」
「そうだな。だったら俺が申請するよ」
慣れた手順でリタとハルとの三人パーティを結成した。
「準備は出来た?」
モニターのある部屋に戻るとライラが聞いてきた。
「大丈夫」
「後は出たとこ勝負だな」
「あ、懐かしい。そういえばユウくんで意外と行き当たりばったりだったね」
三人がそれぞれ思い思いに喋っていた。
「コチに着くように転送ポータルには入力済みだから」
「ありがとうございます」
今度はライラとキョウコさんも連れだって、ギルドホームの転送ポータルが置かれた中庭へと向かう。
知らぬ間に改装、改築されていたギルドホームは昔よりもかなり立派な建物になっていた。
「それじゃ行くか」
先陣を切ったのはハルだ。
次いでリタが転送ポータルに手を伸ばし、最後に俺もそれに倣う。
そして再び俺たちは光に包まれ一瞬にして姿を消した。
ギルドホームに残ったライラは一瞬心配そうな視線を彼方に向けるも、直ぐに何時ものように微笑い、
「それじゃあ、お茶でも飲んで連絡を待っていましょうか」
と、穏やかな様子で提案したのだった。