ep.22 『侵入~バックドア~』
今の俺はいつもとは違う服装をしている。
ゲームの時のようなアニメチックな防具でもなく、普段着ているようなシャツやズボンでもない。
ましてスーツのような正装でもなければ、奇を衒った何処かのショウで目にするような服でもない。
個人の個性というものを全て無くすことを目的としたとすら思えてくる特徴という特徴を埋没させた服装。
上はどこにでもありそうなTシャツに下はどこにでもありそうなデニム。手頃なお値段で買うことの出来る大量生産の既製品であり、さらに言えばそれも品質が悪かった時代を彷彿とさせるものでもあった。
それらは個人に好きな服装を選んでもらうためという大義名分があるが、そもそもが協賛している企業が販売している服のデザインから外れたものというコンセプトのもと選ばれた服である。大抵がほんの少しのリアルマネーを使い最初にこの世界における自分の服装を変えることから始まるとも言われるほどだ。
そんな中、俺は最初の服のまま変更することもなく人混みの中を歩いていた。
ゲームエリアが封鎖されているといっても、より多くの世代、より多様な人に向けて開放されているセントラルエリアだ。普段ゲームをしない人も多く存在しているし、元よりこちらの方に目的があって仮想世界に足を踏み入れている人もいる。
防具ほどではないものの、現実では出来ないような高級ブランドの服や自らデザイン制作したであろう個人ブランドの服を着た人など多彩な格好をした人で溢れていた。
「ってか、みんなちゃんと服装変えてたんだな」
近くを歩く四人の格好を見て呟いた。
現実でもオシャレに気を使っているのだと思っていたリタやライラは勿論のこと、最近、仮想世界に足を踏み入れたばかりのはずのキョウコさんもそれぞれ自分の雰囲気にあった格好をしている。
リタはボーイッシュ系で纏め、ライラはエスニック系の服、キョウコさんは海外セレブを彷彿とさせるような服を選んでいた。
それぞれ似合っていると思うのは決して俺の気のせいではないだろう。
なのに、ハルは、ハルだけは初期服である俺に負けず劣らずこの場から浮いた格好をしているのだ。
上着や小物などワンポイントに止めておけばいいところを全身迷彩の服、それも上下一体となっている作業着だった。しかも意味も無く生地の厚いの手袋や帽子も身に付けており、それらも柄は迷彩で統一されている。
唯一迷彩柄じゃないのがブーツだが、ミリタリー系のゲームに登場するような丈の長い頑丈なデザインで、今にもサバゲーに赴くのかと思うようなものだった。
「どうだ? こういうのは現実だと中々出来ないからな。思い切ってしてみたんだが、似合ってるか?」
「あ、う、うん」
想像以上に嬉しそうに話すハルに俺は曖昧な返事を返した。
何気なく他の三人を見てみるも、素早く目を逸らされてしまった。
「それにしても、結構人が居るんだな」
走っている人こそ少ないもののそれなりの速さで歩いている人は多い。
俺たちもその例に漏れず早足で歩いているわけだが。
「まあ、ゲームをしない人ってのも結構いるからね」
リタが俺の呟きに答えていた。
現実の場所を問わず、最新の情報が集まり最新の物で溢れているこの場所は自ずと流行の最先端となっていた。
「それに、どれだけ食べても太らないのがいいのよね」
「そうそう」
というのがライラの意見。
当たり前と言えばそうなのだが、この仮想世界でどれだけ物を食べても現実の体には影響しない。そういう意味ではこの世界で店を構えて成功した業種の一つとして飲食業が上げられるだろう。
実際に食材を扱う現実とは違い、試作をするも自由。それも現実と比べて格段に安いコストで行える。ここで受けが良ければそれを現実にフィードバックすれば失敗のリスクも抑えられる。
現実で再現できれば『本物』と謳い売り出すことも可能。実際そうやってヒットした商品も少なくはない。
俺がぱっと思い出せるだけでも二、三種類はある。
「あと、服も安いしね」
しみじみと頷いて続けられたリタの発言に、ライラとキョウコさんが力強く頷いた。
ハイブランドの服は勿論、現実ならば大量生産でない服は原材料で高騰しがちなものも、ここならば格安で販売できる。
生地の柄や色、それに肌触りなどに拘り作り出す素材メーカーも現実より自由に試作することが可能で、試作できるからこそブランド側もより多様な商品を生み出すことができる。
そして後は現実に落とし込むだけという良い循環ができているのだ。
などとぼんやり考えつつ、俺たちは真っ直ぐ目的の場所を目指す。
現実のショッピングセンターを何倍も大きく豪華にしたような区画にも多少の流行廃りは存在する。
人気がある店が大勢の人を集める反面、人気の無い店は人が素通りしていく。
需要が少ない商品を扱っている店もあれば単純に何故そんな物を売っていると首を傾げたくなるような店もある。
店舗数が日々増えていくとしても、なかには消えていった店もある。そして大概消えると思うような店が残っているのには理由が存在するのだ。
俺たちが立ち止まった店もそのような店舗の一つ。
人通りの少ない道を曲がり、奥に進んだ先にあった店のなかは暗く、人の気配は感じられない。
ドアの前に置かれた看板は割れてしまっていて、ここがどのような店なのかも、店名ですら分からない。
「ここ、だよな」
狭霧が言っていた場所はここで間違い無いはずと、心配になりながら問い掛けると、ハルは何処か自信なさげに頷く。
「そのはずだ。第一、地図を見てきたんだから間違いようがないだろ」
セントラルエリアは店舗数が増え拡張を繰り返してきたことで、当初の何倍にもその面積を広げていた。そうしていつしか何処に目当ての店があるのか分かりにくいという話になり一冊のガイドブックが作られることになった。
それは遊園地のパンフレットのように大まかに何処にどのようなものがあるのかを記した簡単もの。当然それで全ての店の情報を補えるわけもなく、結局使われたのは極々短い期間だけだったらしい。
となればどうなるか。
より使いやすいシステムが採用されるだけだ。
コンセプトアートではセントラルエリアの外周より広がるゲームエリア。そこで使われている簡易マップのシステムだった。
他のゲーム的な機能は大抵採用されなかったセントラルエリアに始めてゲーム的な要素が加わった瞬間でもある。
現実ではスマホやタブレット端末を用いて見ていた地図をセントラルエリアでは手元に出現させたホログラムのモニターで見ることが出来る。
プレイヤーが己のステータスを見るときや、素材等のアイテムの詳細を確かめるときに使っているものと同様のそれが実装されたのだ。
ゲームに不慣れな人にでも、自分の位置を光点で示し拡大縮小を自在に操れるマップは意外なほどすんなりと受け入れられた。
データのマップは店舗の管理にも役立ったという話も聞く。
マップに表示される店舗は自ら申請する必要は無く、このセントラルエリアに店を構えると申請した後、実際に店をオープンさせたのと同時に自動更新されマップに表示されるようになっているのだ。
つまり、マップに表示されていない店は非公式のもの。
例えばプレイヤーが自分で得た物を売り買いする簡単な露店であったり、店を持たず客と店主が直接やりとりをするような店がそれに当たる。
しかし、大抵の店がマップに載せられ、公式だと示されるようになったいま、それらの店は大概偽物扱いを受けてしまう。
細かな整備がされていないために犯罪とまでは言えないものの、セントラルエリアを利用している人からすれば非合法という認識を受けていた。
自然淘汰されて次第に数を減らしていくが、なかにはしぶとく残っている店もある。
根強い固定客がいるからなのか、あるいは正規では扱えない商品を扱っていると噂されているからなのかは分からないが、今でも路地裏の隅ではそのような実態のない店が存在しているらしい。
だが、俺たちが辿り着いた店はそうじゃない。
外見からでは何を売っている店なのかは分からないが、一応マップには載っている。
店を畳むと申請されていないまま残っているのではないか、と思ってしまうが、ヴァーチャルなこの世界。管理は現実のそれよりも簡単であり、最初から規約のなかに一定期間活動が見られなかった店舗は事前に申請がない場合は運営の都合で退去してもらっているらしい。その際、荷物は圧縮されたデータとして保存していて、後に申請があれば返却しているみたいだが、そうなる場合は稀だった。
自分たちが訪れたこの店もそういう撤去される寸前の店なのかと思ったが、違うらしい。
ドアに手を伸ばし軽く押してみると鍵は掛かっておらず簡単に開くことができた。
「おじゃまします」
義理堅くもそう告げてからハルが店の中に足を踏み入れる。
ハルに続き俺たちも店の中に入ると、そこは外から覗き込んだのとは違う空間が広がっていた。
「え……!?」
「うわっ、何よこれ」
戸惑いの声を上げ立ち止まったライラとリタはそれぞれ目を丸くして辺りを見渡していた。
それもそうだろう。
外からは一応店を開いている風に見えていた店内が、驚いたことにただのがらんどうだったのだから。
「ここまで何もないとは思わなかったな」
呆れたように呟くハルは何もない空間に手を伸ばした。
案の定何に触れること無く空を切ったその手を引き戻し、握ったり開いたりを繰り返すと、ひらひらと手を振りこちらを向いた。
「外から見たときには棚とかあったのに」
「ハリボテだったってことじゃないんですか?」
驚くキョウコさんにそう答えると俺はゆっくりと前に進んだ。
いや、四方八方何もない空間で前というのはあまり自信が持てなかった。
とりあえず、自分が向いている方向に歩を進めたというのが正しいだろう。
前なのか横なのか、とりあえず後ろでは無いことだけは確かだが、進んだという意識はある。
「何処に行くの?」
「あ、いや、どこまで続いているのかと思って」
リタに呼び止められると自然とそのように答えていた。
「だめよ。はぐれたら困るでしょ」
「そう…ですね」
「でも、ここからどうすれば良いのかしら?」
俺の近くに集まってきたライラが当然の疑問を口にした。
『あ、もし……もしもし………皆さん…聞こえますか?』
不意にノイズ混じりの声が響いた。
「もしかして狭霧か?」
『良かった。繋がったんですね』
「これから俺たちはどうすればいい?」
いつの間にか隣に並ぶハルが問い掛ける。
『こちらからバックドアのプロテクトコードを打ち込みます。その後出現する扉を潜ればゲームエリアに行けるはずです』
「ハズって…失敗することもあるのか?」
『もし、なんらかの妨害を受けていた場合はですけど』
「うそっ」
「それで大丈夫なのか?」
『現段階でその可能性は低いと想定されます』
「けど、ここはアラドが向かったときに使ったのと同じ道なんだろ?」
『いいえ、その時に使用した経路とは別です。記録では使用されたことないバックドアですので、まだ見つかってすらいないハズです』
狭霧の声が力強く断言した。
「わかった。狭霧はここが一番安全で確実だと思ったから俺たちに教えたんだろ」
『勿論です』
「なら、信用するさ」
アイコンタクトで皆に確認するとどうやら納得してくれたみたいだ。
「それじゃあ、頼む」
『あ、その前に』
「何だ?」
覚悟を決めて向かおうとした瞬間に呼び止められてしまい、些か気が抜ける。
『改めて向こうでの行動の指針を確認しましょう。皆さんのゲームエリアでの目的は兄【アラド】との合流、そして現実への帰還です。ですので、無理に戦う必要はありません』
「ああ、スクエアみたいなヤツが出現しているかもしれないんだったな」
『可能性で言えば出現している方が高いはずです。しかし、現段階での討伐の必要はありません。何よりこの状態で討伐した場合は……』
「ゲームエリア自体が崩壊するかもしれない、んだったな」
『その通りです。確率としては低いですが、崩壊の危険がある以上は下手に手出しできません。尤もそれに関して兄が何らかの情報を得ているかも知れませんが、どちらにしても合流を優先してください』
「わかった」
思い起こされる氷海エリアの崩壊。
存外自分にとってもトラウマのようになっている光景は確かに避けるべきだ。
『それから、リタさんは今回よりこちら側として扱われてしまいますが、本当にいいんですね』
「勿論。どんと来いよ!」
『ありがとうございます。ちなみにゲームエリア内での皆さんの組み分けはあのままでいいんですね?』
一つのパーティの最大人数は四人。
つまり五人いる現状では一人が余ってしまうことになる。
さらに目的であるアラドとの合流も、同じパーティに加入してもらった方がいいだろうと言うことになり、実際に探索に当てられる人数は三人まで。
「まあな。とりあえずは事前の打ち合わせ通りに行こうと思う。俺とユウとリタさんが探索に向かい、ライラとキョウコさんにはギルドホームで後方支援してもらう。それでいいんだな」
「ええ」
「任せて」
『先に言っておきますが、ゲームエリア内で【グリモアール】を見つけてもそれは僕じゃありません。もし、兄がグリモアールと一緒に居るならどうにか説得して分断させてください』
「ああ」
『もし、兄が話を聞かず攻撃してくるようでしたら、倒しきらなければどのような状態にしてもらっても構いませんので、思いっきりやっちゃってくださいね』
「本当にそれでいいの?」
『良いんです。偶にはいい薬になるでしょうから』
意外な狭霧の辛辣な言葉に俺とリタはそれぞれ困ったような笑みを浮かべ顔を見合わせた。
遠慮する必要は無いと言われても結局はどうにか説得を試みることになりそうだという予感に肩をすくめる。
『くれぐれも言っておきますが、今のゲームエリアがどのようなことになっているのかは分かりません。普段非戦闘区域でもモンスターが出現しているかもしれない。その場合、プレイヤーである皆さんは迎撃することは出来ません。ですので全力で逃げて下さい』
「や、それってかなり重要な問題だよな」
『ゲームエリアのシステムが正しく働いているならそのようなことにはなっていないと思いますが、そうじゃない場合は』
「けど、その場合だとプレイヤーの行動を制御するシステムも働いていないことになるのかも知れないのよね」
『検証のために無謀な戦闘は避けるべきだと言っているんです!』
「どうしてもどうにもならなくなった場合よ」
キョウコさんが狭霧と無言の圧力がぶつかり合う。
『そうですね。その場合はできるだけ遠距離から攻撃を試みて下さい。そうすれば多少の危険は避けられるはずですから』
「だったら私達のパーティではユウくんにお願いしようかな」
「まあ、別に良いですけど」
「それならこっちは私の役割ね」
リタさんに指名され承諾する俺と自ら名乗り上げたライラ。
今更ここに居るメンバーで遠距離攻撃できない人は居ない。それはアーツであったり、何らかのアイテムを用いたりして出来ないことを減らしているからだ。
けれど、より負担が少なく出来る人となれば自然と限られてくる。
以前からそれを自分の攻撃の一つとして組み込んでいる人物。つまり、俺とライラだ。
『いいですか? 先の戦闘で受けた武器や防具の消耗はこちらから修復しておきましたが、使用したアイテムまでは補充出来ていません。プレイヤーショップは勿論、NPCショップですら正常に機能していないかもしれないんです。くれぐれも戦闘は避けて下さいよ』
「大丈夫。ギルドホームに行けば備蓄してあるアイテムはそれなりにあるから」
『それでも、です』
念を押してくる狭霧に「わかった」と告げて俺たちは再び準備ができたと伝えた。
それから一分もしない後、
『皆さん! 現在地と皆さんのギルドホームに直通の回線を繋ぐことができました。準備は良いですか?』
一様に息を呑み頷く。
すると目の前に光だけで形作られた扉が現われた。
『そう長くは保ちません。急いでください!』
狭霧に急かされるように俺たちはその光の中に飛び込んだ。