ep.21 『現実の邂逅』
強制ログアウトが発生してから三日後。
日曜日に俺はとある喫茶店へとやってきた。
隣に座るのは夏音さん。
そして向かいに座っているのは春樹と知らない顔二つ。
とはいえ、その二人を俺はまったく知らないというわけじゃない。実際に顔をつき合わすのが始めてというだけで、事実もう一年近くも前からの知り合いではあるのだ。
この二人こそ、リタとライラのリアルである。
「しかし、一時はどうなるかと思ったな」
そう口火を切ったのは春樹。
「そうねえ。私は押し出されたわけじゃないけれど、話に聞いたときには驚いたわ」
「そうですね」
頬に手を当て、困ったもんだと眉をハの字にするのはライラのリアルである田ノ中衣澄さん。ゲームのキャラクター同様に柔和そうな雰囲気を漂わせている彼女は俺よりも一つ二つ年上の女性。春樹のいとこだと言っていたのを思い出すも、春樹とは似ても似つかない彼女に俺はゆっくりと頷き返していた。
「でもさ、こうして面と向かってみると案外ゲームのままだね。皆」
ニコニコと爽やかな笑みを向けてくるのがリタのリアル。猫屋如月さんである。
ギルドメンバーでもない彼女がどうして同席しているかと言われれば、俺は知らなかったことだがライラ――この場合は田ノ中さんがリタのリアルである猫屋さんと仲良くなっていて、よくリアルでも遊んでいるからだった。
今日のちょっとしたお茶会にも近くに住んでいるからこそ参加してきたというわけらしい。
そして、これも驚かされたのだが、猫屋さんは俺たちが何をしているのか知っていたのだ。
「やっぱりそう思うよね。私は二人のことをそんなに知らないけど、実際、悠斗君と春樹君は結構そのままだと思うの」
「夏音さんも結構『キョウコさん』のままですよ?」
「あら? 如月さんも『リタさん』の印象そのままよ。もちろん、衣澄さんもね」
みるみるうちに仲良くなっていく女性三人に俺と春樹は驚きを隠せないでいた。
「そんなことより。今回集まったのはこれからどうするかの相談だってでしょう」
姦しく話に花を咲かせ始めた三人を制止して春樹が話を切り出した。
「どうするって言われてもね。ログイン出来ないんだからどうしようも無いんじゃない?」
あっけらかんと返したのは田ノ中さん。
そうなのだ。強制ログアウトという異常事態が起きたにもかかわらず、復旧されないまま既に三日もの時間が経過してしまっていた。
それで色々と荒れないのかと問われればもちろん荒れた。なまじゲームに熱中している人が多い分だけ、より早い復旧と、その間の保証が何人ものプレイヤーによって訴えられたのだ。
声を上げたのがプレイヤーだけだったのはいくつもの企業が出店しているセントラルエリアが全くの無傷であったこと。そしてそこの安全を保証するとして、ゲームエリアとは違うサーバを用いて運営されていると公式にアナウンスされていた為だ。
それが不幸中の幸いだったのか【ARMS・ONLINE】というゲームの枠を飛び越えたシステムは滞りなく運営されている。
まるでゲーム部分などこのまま無くなってしまっても問題が無いかのように。
「実際、私達みたいなただのプレイヤーにできることなんて、これみたいに訴え続ける事くらいよね」
取り出したスマホには早期復旧を望むプレイヤーたちが集まって作られた署名サイトの画面が表示されている。
そこには既に複数のキャラクターの名前が記されていた。この中にどれほど実際にプレイしている人間がいるのか分からないが、このたった一つのサイトですら百人を超える名前が書き連なっていた。
「田ノ中さんもここに署名したんですか?」
「硬っいなー。衣澄で良いってば。それで私だよね? してないよ」
「えっ!? そうなんですか」
「だって、これが実際に運営に届けられるか分からないじゃない。それにここ以外にも似たようなサイトはいくつも出来てるみたいだし」
画面をスライドさせるとまた別の署名サイトが映し出された。
それは有名な攻略サイトの一つであり、先程のところよりも少しだけ信憑性が高く感じられた。そう感じているのは俺だけではないらしく、そこに記されている名前も一つ前のとこよりも多い。
「と、まあ、今はそんな署名サイトはどうでも良いんだ」
「どうでもって…」
全く意に介さないというように再び話を切り出した春樹は一つの言葉を投げかけてくる。
「ゲームエリアの復旧が完了していないっていうのは嘘なんだ」
「は?」
突然の告白に、俺、夏音さん、衣澄さん、如月さんという春樹以外の全員が目を丸くした。
「なんでそんなことを春樹が知っているんだ?」
「何でって、聞いたからさ」
「聞いた? 誰から?」
「それはもちろん――」
「――僕ですよ」
春樹の言葉の続きを喫茶店に入ってきた一人の男の子が告げた。
大人しそうな顔に、綺麗な黒の短髪。白いシャツと淡い青色のスポン。肩から提げられた鞄は僅かに膨らんでいる。
「えっと…」
「この姿だと初めましてですね。僕はグリモアです。そして現実の名前は赤間狭霧。春樹さんにその話をしたのは僕で、ここに皆さんを集めるようにお願いしたのも僕です」
「どうして? っていうか、俺たちに荒野に向かうように仕向けたのも君なのか?」
「いいえ。それは違います」
「そうだよな。あれは偶発的なものだったし」
「それも違います」
「どういうこと?」
「確かに、ユウさんたちが戦ったバルーンと言うモンスターの出現は偶発的なものです。ですが、そこに皆さんを討伐に向かわせたのは人為的なものです」
「だから、それはグリモア、あ、いや、狭霧くんが言ったんだよな」
「僕の呼び方はどちらでも結構ですよ」
「じゃあ、狭霧と」
「はい」
「それで、俺たちを向かわせたのは狭霧なんだよな」
あの時。俺たちを戦場に向かわせたのは猫の人とグリモア。それははっきりと覚えている。
しかし、今、目の前に立つ狭霧はそうではないと言う。
自らの記憶に疑問を抱かねばならないほど耄碌したつもりはない。けれど、狭霧は嘘を言っているという感じでもなかった。
「あれは僕ではありません。僕のキャラクターデータをコピーした別人です」
その一言に俺は絶句してしまう。
データで構成されているキャラクターとはいえ、運営側が誰かのデータをコピーしたというその事実はあってはならないものだと思うからだ。
表立った舞台で一時的に有名人に強力な能力を持つアカウントを与えることはあっても、それはそれを含めた演出。現実でそのようなことが行われているなど思いたくはない。
「細かな説明は省きますが、皆さんと縁があり、且つ、運営側に居る人物ということで僕のデータが使われたみたいなんです。尤も僕がそれを知ったのもこの騒動が起きてからなんですが」
「ってことは狭霧は本当に運営に務めているのか?」
「いえ、一時的にアルバイトしていたってだけですよ。こう見えて僕はまだ十九ですから」
「えっ!?」
自分よりも年上だと告げる狭霧にまたしても驚きつつ、次の言葉を待った。
「冗談です。本当は十六ですよ。アルバイトというのも社会勉強のつもりでほんの一月、知り合いに頼み込んで働かせてもらっただけですので」
「お、おお?」
「ともあれ、その縁もあって僕は今でも時折その人の手伝いみたいなことをしているんです」
「それがあの猫の人ってことか」
「ああ、違いますよ」
「はい!?」
「僕が手伝っているその人は根っからの技術者ですから、いちいちログインしてプレイヤーに接触したりしません。まあ、だからこそいち早くかの世界の異変に気付いたわけですが」
いくつもの疑問が頭の中を駆け巡る。
手近な椅子に腰掛けアイスティーを注文した狭霧はふと真剣な目を向けてきた。
「皆さんにお願いがあります」
「お願い?」
「はい。どうか僕に力を貸して頂けませんか?」
「どういう意味だ? 俺たちは今も異変を調査したりしてきたはずだ」
「知っています。それに、今まで行っていることと大きくは違わないはずです。ただ、ユウさんとハルさんはこれを見つけたと思うのですが」
そういって見せてきたのは一枚の紙。
何かの画像をプリントアウトしたそこには、俺と春樹にとっては見覚えのあるものが映っていた。
「これは僕が手伝っている人が見つけたものですが、おそらくお二人も同じもを手にしたのではないですか?」
それは一枚の金属板。
六つ描かれている紋様がすべて綺麗な形のまま保たれている状態のもので、それは俺たちが手に入れたものとは別であることを物語っていた。
「ここに描かれているのは、かの世界に存在する原初の存在達。僕達はそれをアーキタイプと呼んでいます」
咄嗟に思い浮かぶスクエアとバルーンの姿。
確かにそれらは他のモンスターよりも体を構成しているパーツが些か原初的だと思えてきた。
正方形が蛇のように連なっていたスクエアも、球体が人型を成していたバルーンも、似たようなフォルムのモンスターは存在するが、そのどれもが動物、あるいは鉱物的な意匠が加えられている。
だからそれが施されない二体は原初的であると言えるのかもしれない。
「アーキタイプは運営がモンスターを作り出すときの雛型であり、骨組みでもあります。しかし、かの世界はそれを原初の存在として認識してしまった。更に言えばそれらを守護者として認識してしまった」
「守護者?」
「端的に言えば世界を脅かす存在に対抗するためのセキュリティです」
その時俺は思い出してしまった。自分たちが世界を崩壊させてしまったということを。そしてその危険を削ぐために自分たちと別のプレイヤーが戦ったことを。
「だったら、俺たちは間違ったことをしているのか」
「氷海エリアを崩壊させてしまったことですか? そうですね。あれは結果的にそうなっただけで、アーキタイプが出現した以上、一般のプレイヤーは足を踏み入れることが出来ないようにエリアが隔離あるいは封鎖される予定でしたので問題無いかと」
「そうなのか? だったら何で……」
自分たちは襲われたのか。
あそこまで敵意を向けられなければならなかったのか。そんな疑問が浮かんできた。
「それは、かの世界に生じた二つの意思によるものです。一つは何があろうとも『世界』を守ろうとする意思。お二人に他のプレイヤーを嗾けたのはそちらです。そしてもう一つが『世界』に変革をもたらそうとする意思」
「変革?」
「あの世界は急激に進歩してきました。初め何もない場所にゲームの舞台が作られ、そこにいくつものNPCやモンスターが置かれた。なかには世界を自ら統治するようにプログラミングされたものもあります。そして外の世界から異邦人が訪れた。それが皆さんプレイヤーです。プレイヤーに与えられた権限はただ一つ『自由』です。言い換えるならば自己責任と言っても良いそれは、それぞれの意思によってあらゆることを世界にもたらしました。それまで存在していなかった歌が生まれ、失われるはずだった命を救い、繋がるはずだった系譜を止めてしまったこと。
そして様々な発展を遂げたあの世界にセントラルエリアという完全な存外の場が作られた。そこにあるものは本来かの世界にはなかったもの。今はまだそこからゲームエリアへの浸食はありませんが、いつか今以上の人間がそこを使うとなれば必ずセントラルエリアは拡大していくことでしょう」
淡々と話す狭霧は到底自分よりも年下とは思えない何かがあった。
「それはまさに変革と呼ぶに相応しいと僕達は考えています。けれど、変革には痛みが付きもの。現在のバランスが崩れてしまうかもしれない。そうしたらかの世界が崩壊するかもしれない。そう危惧しているのが皆さんにプレイヤーを送り込んだ『世界の意思』です」
「だったら! 俺たちはなにもすべきでは無かったってのか」
「『停滞した世界はゆっくりと終焉を迎える』」
突然戯曲の一説のような台詞を口にした狭霧に俺は戸惑いの視線を向けた。
「僕が手伝っている技術者の言葉です。ゆっくりとした終焉を回避するために世界もまたゆっくりと変化しなくてはならないと」
何となく言いたいことは解る、気がする。
代わり映えしない日常は退屈だ。自分でゲームという遊び場を封印した時も俺は受験に向けた勉強の日々だった。それは一日一日が大事で、少なくとも停滞はしていなかった。
もし、何もすること無くただ時間だけが流れていたのだとすれば、多分俺は心が死んでしまう。そんな気がした。
「故に僕達が目を付けたのは変革を望む意思です。どうにかそれに接触しようとして最近になってようやく成功したのも束の間、あるいはそれを見計らったようにかの世界からプレイヤーは弾き出されてしまった」
「それが例の強制ログアウト」
「はい。公式にもあるようにセントラルエリアは別のサーバを使い、ゲームエリアとは違うシステムで運営されているので無事でしたが、このままでは再びゲームエリアにログインするのは不可能かもしれません」
「そんな――っ」
「その場合のために今はゲームエリアのコピーを作っていますが、それが成功するとはとても思えない。これも例の技術者の言葉です」
「どうして?」
「言い方は悪いですが、このゲームのシステムは未だブラックボックスの部分が多いんです。何せ最初に開発した人はこのゲームが発表されるより前に失踪してしまっているのですから」
知らない事実が次々と狭霧の口からもたらされる。
「その場に残されていたメモには完成後は自由にしてくれて構わないとあったそうです。そこで残る製作チームがゲームを完成へと導いた。しかし、当初運営していた会社はご存じの通り解散して今では複数の企業が合同で運営しています。噂では二つに分かれたかの世界の意思と同様に運営している企業の意見もまた分かたれたと聞いています」
「二つに?」
「はい。ゲームを根本として変わらず維持しようとする側と全てのエリアをセントラルエリアのように商業向けにしようとしている側に」
「狭霧とその技術者はどっちなんだ?」
「僕達は前者です。まあ、技術者はその方が面白そうというだけで決めたらしいですが、僕は単純にこのゲームが好きですからね。ないよりはあった方がいいのは当然です」
最初アルバイトだったはずの狭霧がいつしか問題の渦中にいる。
しかし、当の狭霧はそんなこと微塵も気にしていないようにすら見えた。
「そこで大事になってくるのが世界の意思です。明確に異なる目的が存在している以上、それは無視できません。何せ、一度消してしまったら再現することは殆ど不可能なんですから。なので、企業は自ら時計の針を進めることにしたんです。具体的に言えば、前者は出来る限りのバランスの維持を、後者は危険性の排除をというように。
ですが、今は後者側の方が優勢なんです。プレイヤーを弾き出した世界は今も稼働しています。ただ、その様子は歪なほど平穏そのものだったらしいですが」
「見た人がいるのか!? 今の世界の様子を」
「ええ。運営が作ったセキュリティホールを使い、かの世界に赴いた極少数のプレイヤーからの報告です」
それが誰なのかは知らない。けれど、未だ無事だという一言に安心したのも本当だ。
「ただ、それでもこの状況を打破するには至りませんでした」
「何故、と聞いてもいいかしら?」
「当然の疑問ですね。それに、これは皆さんにこの話を持ち掛けた理由でもあるのです」
「かの世界。それもゲームエリアと呼ばれている場所にはとあるアーキタイプが出現していたらしいのです」
「ちょっと待て。いくら常外のモンスターだとしてもそんなことが出来るのか?」
「そこがちょっと入り組んだ所でして、アーキタイプの出現により二つの世界の意思はそれぞれ違う理由から同じ措置を施したと推測されるのです」
手を組み、より真摯な眼差しをこちらに向けてくる。
「変革を望む意思は危険を遠ざけるため。そして停滞を望む意思はこれ以上の変化を起こさないために、プレイヤーを世界から弾きだした」
「そのアーキタイプが原因だっていうなら、それをどうにかしないことにはログイン不可の状態は解除されることはないのか?」
「おそらく」
「わかった。どうにかして俺をゲームエリアに入れてくれ。そのアーキタイプってのを討伐してやるさ」
真っ先に身を乗り出したのは春樹だった。
しかし、意欲を前面に出す春樹に狭霧は微妙な顔をしている。
「どうした?」
「いえ、皆さんにはアーキタイプの討伐よりも前にお願いしたいことがあるのです」
「お願い?」
「先程話しましたよね。先んじてゲームエリアに赴いたプレイヤーがいる、と」
「ああ。中が無事っていうのもその人たちからの報告なんだろ」
「はい。ただ、それは全員の報告ではなかったんです」
「ってことは、まだ中に残っている人も居るってことか?」
「はい。全員が無事だとするなら十二名。その中には僕の兄さんもいます」
全員が息を呑んだ。
狭霧の兄という人物に心当たりがあるからだ。
「お願いします。どうか兄を、【アラド】を助けだしてくれませんか?」
喫茶店の一席で、立ち上がった狭霧が勢いよく頭を下げた。
それに対し、俺たちは揃って力強く頷いた。
いつもとは違う現実世界のお話でした。
いよいよ作者的にも普通のゲームを題材にしたものから逸脱し始めた気がします。ですが、それがこの章の目的。そして逸脱するからこそちょっと違う感じになればいいかと思っています。
そして次回は想像通りにゲームの中のお話に戻ります。
いろいろ現実ではあり得ないような人間関係や技術云々は全てすっ飛ばして話は進みますが、ここをリアルにすると、リアルってと自問自答しそうなのでこのくらいの塩梅にしました。
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