迷宮突破 ♯.1
樹上の町に到達してから一週間。俺は思うように【ARMS・ONLINE】にログインする事ができなかった。
理由は単純、時間が無かったからだ。
学生の身分ではある以上避けられない季節ごとの恒例行事、期末試験。
うちの家族は俺がゲームをすることに何一つ抵抗感を持っていないが、それでもゲームをしていたせいで成績が落ちたとなると文句の一つでも言われてしまうかもしれない。
それが原因でゲームをすることを止められてもしたら目も当てられなことになる。
半ば一夜漬けに近い形で勉強して乗り切った俺は試験日程の全てを終えてようやく一息いれることが出来た。
試験開けの休日。
溜まりに溜まったフラストレーションを発散させるには、それまで我慢していたことをするのが一番。
机の横の棚に置いてあるHMDを装着し電源を入れ、ベッドに横たわり、静かに瞼を閉じる。
意識が現実の身体を離れ、もう一つの自分の身体へと入っていく。
「おー、懐かしき我が工房」
最後にログアウトした場所である自分が所有している工房に戻って来た俺は感慨深く呟いた。
変わらない内装に、変わらない自分。
まるで自分だけの時が止まっていたかのような錯覚に襲われた俺はいてもたってもいられず工房の扉を開けて慌てて町に飛び出した。
町の様子は俺の知るそれとあまり変わっていないように見える。
行き交う人の数や装備はこの一週間でそれなりに多種多様なものになったようだが、プレイヤー達が見せる表情は一週間前となんら変わらない。これから冒険に向かうもの、反対に冒険から帰って来たもの。皆が皆ゲームを楽しんでいるということが見ているだけで伝わってくるかのようだ。
「さて、まずはこれをどうにかするのが先だな」
変わらぬ町の雰囲気に落ち着きを取り戻した俺は自分がするべきことを思い出していた。
ストレージから取り出した二つの指輪と腕輪。
マオから貰った『空白の指輪』にはオーガと戦う前に手に入った黄色い宝石を取り付けていたのだが、あまり納得できる性能にはならなかった。幸い、とでもいうべきか指輪に取りつけられた宝石はそれまで取り付けていた宝石を破棄しなければならないというデメリットはあるものの脱着が可能になっている。
露店の主から渡された『無銘の腕輪』はどのような強化が出来るのか検証すらできていない。指輪と同じように宝石を付ければいいのか、それとも彫刻を施す必要があるのか。
一度手を付けた腕輪を修復する技術は俺にはない。
慎重に何が正解なのか見極めることが大事だ。
「ん?」
不意に町の建物の壁に何かのビラが貼られていることに気が付いた。自分の工房や一部の建物にはビラが貼られていないことからどうやらこのビラが貼られているのはNPCの建物か誰の所有物にもなっていない建物に限られているようだ。
「フレンド通信? ハルからか」
ビラを取ろうとした瞬間、俺だけに聞こえるアラーム音が鳴り響いた。
『ユウ? やっとログインしてきたかー』
「どうしたんだよ。泣きそうな声をして」
『話がある。今、時間あるか?』
「別に大丈夫だけど……どうしたんだ?」
『直接会って話すよ。とりあえずお前の工房に行くから、五分くらい待ってろ』
言うだけ言って通信を切った。
とりあえずハルが来るまでの時間つぶしに、と壁に貼り付けられたビラを剥がして工房に戻っていった。
これからしようとしていたことは二つのアクセサリの強化。それは検証と試作を繰り返す時間の掛かる作業に他ならない。
ハルが訪れることになり次の機会に見送ることが決定した。
「おまたせっ」
工房の扉を勢い良く開けて現れたハルは俺の知らない鎧を身に着けている。今ハルが身に着けている鎧はオーガと戦ったときの細身の鎧ではなく、各所が蛇腹になっている和風の鎧。それまでも騎士のようなイメージから鎧武者に一変していた。
「随分早いじゃないか」
五分待ってと言ったハルがここに来るまで要した時間は僅か二分。
ゲームの中だというのに息が上がっているということは全速力で走って来たのだろう。
一体何があったのかとなにかを話し出すのを待っていると、いきなりハルが泣き付いてきた。
「な……なんだ!?」
訳が分からない。
泣き付いてくる理由も分からなければ、抱きついてくる理由も分からないのだ。
「ユウ、聞いてくれよー」
「聞く。聞いてやるから離れろ」
くっついてくるハルを引き剥がすことに集中するあまり忘れていたが、ハルは俺に何か話があると言ってここに来たのだ。未だにその話がなんなのかとっかかりすら話して貰っていない。
どうにか宥めて近くの椅子に座らせるとようやく本題を話し始めた。
「もう少し先に【ARMS・ONLINE】初の公式イベントが開催されるんだ」
そう告げるハルの視線の先にあったのは先程壁から剥がして持って来た一枚のビラ。
視線に促されるようにビラを手に取り一読してみると、そこにはハルの話にあったイベントの告知が書かれていた。
「だいたい一週間後、か。参加はパーティ単位。参加条件は無し。ハルはいつものメンバーで参加するんだろ?」
ビラに書かれている文字を読み上げながら何気なしに尋ねた途端、ハルがまた涙目になった。
「だからどうしたんだよ」
「なあ、ユウはそのイベント一緒に参加する人いるのか?」
「俺はそのイベントのことをたった今知ったんだぞ。いるわけないだろ」
この一週間、俺はログインしないだけではなくゲームに関する情報を調べることも絶っていた。それは何か特別なことがあったのなら直ぐにログインしてその真偽を確かめたくなると思ったから。事実、俺がログインしていない間にイベントの開催告知がなされていた。それを知ってしまったら俺は確実にここに来てしまっていたことだろう。
「そうだ。もしよかったらハルのパーティに入れてくれないか?」
俺がこのゲームでほぼ唯一ともいえるパーティ戦闘を経験したことがあるのはハルとライラとフーカの三人との組み合わせだけ。
他にも人と一緒に戦ったことが無いわけでもないが、それがパーティを組んで戦ったのかと問われると疑問を浮かべてしまう。
「ハル?」
涙目になるどころか今にも泣き出してしまいそうだ。
理由を尋ねられる前にハルはゆっくりと話し始めた。
「実は……フーカとライラは今回別のパーティを作って参加するんだ」
「そうなのか」
こういうMMORPGでは決まったパーティで進行すること同じくらいその時々で別のパーティを組むことは珍しくない。
時間が合わなかったりして違うメンバーを仲間に引き入れること自体はよくあることなのだ。
「ヒドいと思わないか? 俺に何の相談も無しにいきなり次のイベントは女の子だけのパーティでやりたいからハルは別行動ねって言ったんだぞ」
「別に、二人が他の誰と組もうといいだろう」
「でも……」
どうやら一人だけ仲間外れにされたと思っているようだ。
「女の子だけのパーティでやりたいって言ったんだろ。それなら仕方ないだろうが」
「うぅ……」
「ったく、ハルも新しいパーティを組んでみればいいんじゃないか?」
淋しそうに背中を丸めるハルに思い付いたことを言ってみた。
二人が新たな仲間を見つけたのならハルも同じように新たな仲間を見つければいい。βの頃からの知り合いや俺の知らない人達との交流もあるはずなのだ。そこで新しいパーティを組むことは難しくないはずだ。
「だったら、ユウが一緒に組んでくれ」
「は?」
「新しく組むならユウも一緒が良い。一緒に新しいパーティを作ろう」
イベントに参加するパーティにあてが無い俺はこの提案を断るつもりはない。
パーティを組む際の最大人数は四人。俺とハルを除外しても残りの二人はこれから探す必要がある。
「他のメンバーに心当たりはあるのか?」
自慢じゃないがこのゲームでの俺の交友関係は狭い。
連絡先を知っているプレイヤーの数は片手で数えきれるほどだ。
「うーん。無い」
「ハルは昔からの知り合いとかいないのか?」
「いるにはいるが、皆自分のパーティを作ってるからなぁ。いまさら別のパーティに行こうって人はいないと思うぞ」
「そっか」
ハルの言いたいことはよくわかる。
仮に俺がフルメンバーのパーティを組んでいて、次のイベントに挑もうと考えているのなら、こんな一週間前になっていきなり声を掛けてこられても断ってしまうことは間違いない。
しかしこれでは二人でイベントに参加することになってしまう。
困った顔をして向き合っているとそこに新たな連絡が入った事を告げるアラームが鳴り響いた。今度は音声通信ではなくテキストがそのまま送られてきたようだ。
送られてきたテキストに目を通した俺の顔はみるみる笑顔に変わっていく。
「ハル、朗報だ」
興奮冷めやらぬ様子で立ち上がって告げる。
「残りのメンバーが見つかった」
直ちに返信する。
送る言葉は決まっていた。
俺が綴る文字は『OK』の二文字以外ありえない。
「行くぞ。残りのメンバーを紹介する」
椅子から立ち上がり工房から出ていく俺に続いてハルも歩き出しる。
目的の場所はすぐそこ。
この道を真っ直ぐ進むだけでいい。
始まりを告げようとしている新たな冒険の予感に自然と俺の足取りは軽くなっていた。
「待ってたよ。ユウ君」
俺たちが辿り着いた場所は今や立派なプレイヤーショップと化しているリタの店。
扉を開けた先で店主であるリタともう一人、見覚えのある幼女。マオが並んでカウンターに座っていた。
「遅いっ。待ちくたびれたぞ、まったく……」
「意外だな。そんなに俺が来るのが待ち遠しかったのか?」
「んなっ! そ、そんなわけないだろうが。私は早くイベントの相談がしたかっただけだっ」
必死に俺の言葉否定するマオはその見た目も相まって可愛らしかった。
「もう。ユウ君もマオをからかっていないで紹介してよ。彼なんでしょ? 私たちのパーティ最後の一人っていうのは」
「そうだな。アイツがハル。俺のリアルの友達で、ガッチガチの戦闘職プレイヤーだ」
初めて会う二人に借りてきた猫状態のハルがぺこりと頭を下げた。
長年友達をやっているが、春樹がこんなにも人見知りをするとは知らなかった。俺よりもMMOの経験がある春樹はそれなりの対人スキルというものを持っていると思い込んでいた。これでは顔見知り程度の相手とパーティを組もうという考えが出てこなくてもしかたないのかもなと考えてしまい、それを必死に隠そうとする春樹に思わず微笑ってしまいそうになる。
「それで、こっちがリタ。俺の生産職の先輩で、見ての通り防具屋を営んでいる」
「よろしくね」
流石商店の主と感心してしまうくらいの屈託のない笑顔を見せて挨拶をする。
「で、こっちがマオ。見ての通りの幼女だ」
「誰が幼女だっ!」
「冗談だ。マオはアクセサリを作っている生産職で、この指輪はこいつが作った」
そう言って俺の指にはめられている『空白の指輪』を見せた。
「なんだ。まだ何も宝石を入れてないのか」
「まあな。一度適当な付けてみたがどうもしっくりこなくてな。結局外してこの通りだ」
「どんな石を使ったんだ?」
「それは……」
と生産職談議に花が咲こうかという矢先、リタの静止する声が飛んできた。
「ちょっと二人とも。ハル君が困ってるよ」
思い出したようにハルの顔を見ると、どういうわけか口を開けたり閉じたりを繰り返している。
「防具屋のリタにアクセサリ作りのマオ……」
ハルは小さな声で今教えたばかりの二人の名前を繰り返している。
「ど、どうした?」
とうとう人見知りが限界を超えて壊れてしまったかと心配したが、次の瞬間俺の心配は全くの的外れだったと思い知らされた。
「頼みがある。俺に防具を作ってくれ!!」
今にも襲い掛かりそうな勢いでハルが告げた。




