ep.15 『連れられて』
疫病鬼との戦闘は周囲に多大な汚染を撒き散らしながら続いている。
自分たちが繰り出した攻撃によってダメージを受ける度に黒い靄を撒き散らす疫病鬼はまるでわざと攻撃を受けているようにすら思えてくる。
そして疫病鬼の攻撃も単純なパンチの他にも腕の振り回しや体当たりなどシンプルなものが多く、一見して何処かのプロレスラーの動きをトレースしたのかと思ってしまうものばかりだった。それ以上に俺やハルよりも何倍も大きな体からくり出される攻撃は独特な圧力を伴っていて、黒い靄による状態異常の危険も合わせて接近することを躊躇してしまいそうになるほど。
そうなれば俺が選ぶ攻撃方法はたった一つ。接近して斬りかかるのではなく、銃形態によって離れた場所からの銃撃だ。
「ハル! 無理はしないでくれよ」
「問題無い」
「けど…!」
ただ、戦斧しか攻撃手段を持たないハルは絶えず接近することでしかダメージを与えられない。ハル自身それを理解しているのか余程致命的だと感じる状態異常を受けた時にしか下がろうとはしなかった。
「おおお、らぁ、<連爆斧>!」
アーツの発動は音声認識で行われる。そのため発動の度にしっかりと発音しなければならず、たった一回発しただけで繰り返し使えるというものでもない。だからハルが叫んだ台詞はたった一回のアーツ発動にしかならない。
だからこそハルは一回の発動で何度も爆発を引き起こすことの出来るアーツを発動させたのだろう。
真っ赤な爆風が疫病鬼の周りに漂う黒い靄までも吹き飛ばしていく。
爆発の合間に見える疫病鬼の素の体。それは周囲に広がる黒い染みと同じ色をしていた。
「チッ、一旦下がる! 前は任せた」
「任せろ!」
ちらりと見たハルのHPゲージの下にはドクロを模したアイコンが浮かんでいる。毒を受けた時に浮かぶものに酷似しているが、それは次の瞬間に別の形に変わった。
どうやら一度に複数の状態異常を受けたというわけではなく、複数の効果を持つたった一種類の状態異常を受けたらしい。
回復するその様子を見ること無く、俺は自分の目に映るHPゲージの状態だけを見てハルの現状を伺う。
プレイヤーが使う一般的な状態異常回復薬は受けた種類に合わせて使用することが多い。その方が作るのも買うのも安く簡単にできるからだ。しかし、ハルが使ったのはある程度の種類の状態異常を治すことのできる複合薬。俺もこのような場所に来ることが決まってなければ平然と使おうとは考えて無かった代物だ。
回復薬を使って状態異常を治したハルに一安心するのと時を同じくして俺はガン・ブレイズを剣形態へと変えた。
「はああっ」
向かってくる拳を潜るように回避してすれ違いざまにその腕を斬り裂く。
血の代わりの黒い靄が降り注ぐ中を駆け抜けると、疫病鬼を通り過ぎたその瞬間に急旋回して背後から攻撃を仕掛ける。
ガラ空きの背中を狙った攻撃は大きなダメージを与えることに成功したものの、疫病鬼の体勢を崩すまでは至らずに後ろにいる俺を狙ってか腕を振り回してきた。
「当たるかっ」
背後からの攻撃に対する迎撃は種類がそう多くない。これまでに幾度も経験してきたそれをまともに受けるわけないともう一歩前に出た。
「<インパクト・スラスト>」
そして頭の上を通り過ぎる腕を下からアーツを発動させて切り上げた。赤い軌跡を描き放たれた斬撃は疫病鬼の腕を深く斬り裂く。
だが、なおも流れ出すのは血ではなく黒い靄が凝固したコールタールのようなドロッとした液体だった。
「……! 一本目が消えたのかッ」
靄では無く粘性のある液体が流れるようになったのは変化。モンスターとの戦闘で変化が起こる時の大半は決まって相手のHPゲージが消失した時。
起こる変化はプレイヤーにとって歓迎すべきものなのかどうかは、変化が起こってから放たれるモンスターの最初の一撃で分かる。
威力が上がっているのか、そもそも行動パターンが変わっているのか、あるいは攻撃に何かが付与されているのか。
「――しまっ」
慌てて距離を取ろうとして俺は足元に広がる液体に足を取られてしまった。
滑って体勢を崩す俺の背後から疫病鬼の巨大な手が迫る。
「うぐっ……がっ……」
不自然に肥大化した開かれた巨大な腕は俺の体を無理矢理に掴んできた。
全身を万力によって押し潰されるかの如く、ミシミシと音を立てる自分の体は動かない。せいぜい動かせるのは指先くらい。だが、それではこの拘束を解くことなど到底出来はしない。
「ユウを放してもらうぞ。<豪斧>」
爆発を伴わない、俺のアーツのように純粋に威力を高めた一撃が俺を掴む疫病鬼の腕を叩きつける。
手首の骨を砕かれ力が入らなくなった疫病鬼は自然とその手を開いた。
「助かった」
「まったく。油断するなよ」
「分かってる。これは……」
「何だ?」
「…足が滑っただけだ!」
実際問題その通りなのだが、口に出すとあまりにも情けない自分の台詞に俺は恥ずかしさと苛立ちを隠せなかった。
痛そうに呻きながら徐々に萎む片腕を自ら掴む疫病鬼に向かって銃形態に変えたガン・ブレイズの引き金を引く。
炸裂する弾丸は弾かれることなく、疫病鬼の腕に命中する。
目に見える傷はつかないが、ダメージは通る。
オオオオオオオォォオオォォォォオオオオオオオオオオオオオォ
死者の嘆きのような怨みがましい声が響く。
そして疫病鬼の体の周りを漂っていた黒い靄が形を変えドロドロと流れ疫病鬼の体から滴り落ちていく。
疫病鬼の足元に出来上がった黒い液体の水溜まりは重力に逆らってその身体を上り始める。
「いいか。ぜったい手を出すなよ」
「でも、チャンスじゃないのか? 攻撃し放題だろ」
「いや、こういう状態だとダメージが通らない場合が多いんだ。それに無理矢理手を出した場合…」
「場合はどうなるんだ?」
「徒労に終わる」
「なんだそれ…」
指先から落ちる液体が、足先から再び上っていく。そんな奇妙な光景を俺とハルは息を呑んで見守っていた。
ゴボッと疫病鬼の身体を伝う黒い液体が泡立つ。
そして弾けた泡からまたしても黒い靄が立ち込み始め、疫病鬼は目から涙のようにその黒い液体を流し始めた。
「終わったのか?」
「みたいだな。さて、どうなった?」
戦斧の先を疫病鬼に向けたハルは緊張を含んだ声で問い掛ける。
当然返ってくるものはなく、疫病鬼は虚ろな目だけをこちらに向けてきた。
オオオオオオォォッォォォオオオ
口を開けたまま動き出した疫病鬼が腐敗し始めた腕を前に出した。
「掴まれるなよ、ユウ。さっきよりヤバいもんに掛かりそうだ」
「確かにな」
肉が溶け、骨が見えてきたその腕からは腐肉と一緒に黒い液体がベチャッと地面に落ちた。
嗅覚が現実通りに再現されたままでいれば周囲に漂い始めた腐臭に顔を顰めていたことだろう。だが、ある程度快適にプレイ出来るように制限される五感はある。鼓膜が破られるかのような轟音に晒される時や、視力を奪うような閃光を受けた時。そしてあからさまに嫌悪感を抱くような臭いを嗅いでしまいそうになる時だ。
本来実装時にそういう類いのものは制限されるが、何事にも例外や、突発的な事故は付きもの。強制的な五感の制限はその際の措置として今の残されている機能だった。
今回、疫病鬼から漂ってくる臭いを弱めたのはその機能によるもの。
それでも僅かながら臭いは感じる。
我慢できないほどじゃないが、決して長く嗅いでいたい臭いではなかった。
「ハル! 合わせてくれ」
迫る片手はだらっと手首から先が垂れたまま。それならと残るもう一方の手を狙い、確実に破壊するためにハルに助けを求めた。
「良いだろう。タイミングは任せるぞ」
「わかった」
ギリギリまで疫病鬼を引きつける俺とは違い、ハルはその直線上から外れ力を溜めるかの如く戦斧を腰低く構えた。
「今ッ! <インパクト・ブラスト>」
俺がアーツを撃ち出すのと同じタイミングでハルが戦斧をバット代わりに思いっきりフルスイングした。
「爆砕斧!」
指向性を与えられた爆発が疫病鬼を飲み込んでいく。
そしてその爆発の中を閃光が流星のように走り抜ける。
肩から先が跡形も無く吹き飛ばされた疫病鬼は天に向かって吠えた。
「……っ!」
空気を振るわせるその叫びが最後の攻防が始まるきっかけだと考え気を引き締めた俺の目の前で、突然疫病鬼の頭が吹き飛んだ。
コールタールのような脳髄を撒き散らし、物言わぬ置物になった疫病鬼の身体が崩壊していく。
腕が落ち、足が崩れ、地面に倒れ込み砂化していくその様子は一般的なモンスターの消滅の様子とは異なっている。けれど俺の警戒心をかき立てる原因はそれではなかった。疫病鬼の消失という結果を以てこの戦闘は終わりを迎えたはずなのに、どうしても戦闘態勢を解くことが出来ない。
「誰だッ!」
ハルが俺と同じように戦闘態勢を維持したまま叫ぶ。
消えていく疫病鬼の奥を睨み、じっとその時が来るのを待つ。
そして疫病鬼が完全に消滅した後、複数の足音が聞こえてきた。
「ねぇ」
突然聞こえてきた声にハッとして自分たちの後ろを振り返る。
するとそこには見慣れない装備を身に纏った一人の男が立っていた。
(なっ、いつからそこにいた?)
驚愕も焦燥も感じさせないように努めながら男を見る。
俺が見慣れないと感じた装備の一つが防具。それはどこかの軍服の礼装のようであり、防御力を有しているようには到底見えなかった。
けれど、このゲームにおいて防具の見た目と性能ほど乖離しているものはない。
服のような見た目の防具が頑丈な鎧以上の硬さを誇っていることも無いわけではなかった。
「ねぇってばぁ。聞こえてるぅ?」
スライムみたいにねっとりとした視線が俺とハルを舐め回す。
一瞬身動ぎしたものの、直ぐに視線を別の方へと向ける。疫病鬼が消えた場所の奥からぞろぞろと姿を現わした。
後ろにいる男と同じ礼装を纏っている女が二人とその上から豪華なマントを羽織った男が一人。そしてその更に奥にもう一人。儚げな雰囲気を漂わせている背の低い少女がそこに立っていた。
「君は……」
中でも俺たちの目を一番引いたのはその少女の存在だ。
会ったこともない人たちの中にいる唯一見知った人物のはずなのに、どうしてだろう。俺にはこの少女が自分の知る人と同一人物だとは思えなかった。
「さっき、疫病鬼を倒したのはあなたたちですか?」
「そうだよぉ」
警戒心を緩めずに問い掛けるハルに後ろに立っていた男がにやりと嗤って肯定する。
「ねぇ、とどめを横取りされたのはぁ、どんな感じがするぅ」
敢えてこちらの神経を逆撫でするような物言いに俺たちは表情を渋くする。
「戻ってこい」
マントを羽織った男が厳格そうな声で男を制する。その男が「はぁい」と間延びした返事をして他の人たちの中へと戻っていく。この時の移動速度を見慣れない人が見れば瞬間移動したみたいな速さだったことに内心驚きを隠せず、息を呑んだ。
「余計な手出しだったかな」
抑揚のない重低音の声が響く。
礼節を重んじるような物言いも不思議なくらい堂に入っているが、そこから受けるのは何故か高圧的な印象ばかり。黙ってしまった俺たちにマントを羽織った男が厳しい視線を向けてくる。
その視線の意味が解らずにいた俺は男に懐疑の視線を向けた。
「いや、ここが普通のエリアなら問題あるかも知れないけど、ここは特別だからな。無事に終えたのならば文句を言うつもりはない。だが」
ハルはそこで一度言葉を句切り、より鋭い視線を送る。
「目的は話して貰うぞ」
戦斧を持つ手に力が入る。
そんな微妙な挙動を見て、マントの男の前に礼服を着た二人の女が同じ剣を抜き立ち塞がった。
「落ち着け。そう敵対心を剥き出しにしていれば話も出来ない。違うか」
恭しく頭を下げる二人の女は剣を収め一歩後ろに下がった。
「私が聞きたいことはただ一つ。お前達がこの世界を脅かす存在なのかどうか」
芝居がかった物言いに何と返せば良いのか解らなくなる。
言葉を選んでいる為に無言になる俺とハルを見てマントの男は目を伏せ、静かに息を吐き出した。
「答えないか。ならばこの世界の者に聞くとしよう。答えてくれ、シルマ。この者達こそがこの世界を壊した張本人なのか?」
『そう。この人達が世界を崩壊させたのは間違いない』
「ならば、私達の敵、ということかな」
『違う。この人達は………世界の敵』
シルマと呼ばれた少女が告げた言葉に俺とハルはあからさまに動揺した。
言っている意味が分からないということは勿論、何故そんなことをこの場で確認するのかという目的すらも解らないからだ。
いや、違う。本当は解りかけていた。ただ、信じたくない。そう思ったんだ。
「では、この世界を守ろうとする一人として私はお前達を倒そう」
マントの男がどこからともなく大剣を抜き放った。
昔懐かしいRPGの主人公のような出で立ちの男の抜刀を合図に先程俺たちの背後に現れた男が両手に短刀を逆手に持って襲いかかってきた。
「ぐっ」
「良くぅ反応したなぁ」
咄嗟にハルが俺と背中を合わせて、男が持つ二本の短刀を戦斧の柄で受け止めていた。
「何をっ……」
「ミレディエル、ファムエル、行け」
「ハッ」
「ハッ」
二人の女が再び剣を持ち飛び掛かってくる。
慌ててガン・ブレイズを使いそれぞれの剣を受け流す。
そうして自分も戦闘行為を行ったからだろう。俺の目にはこの四人の名前とHPゲージが映った。
今、攻撃を仕掛けてきた礼服を着た二人の女。赤い髪のほうがミレディエルで茶髪のほうがファムエル。そしてハルと対峙している男がカバック。マントを羽織り後ろでどっしり構えているのがアブナザックと言うようだ。
通常時では滅多に行われなくなった突然の対人戦が自分たちの意思に反して始まってしまう。
すぐさま普段とは違うピンッと張りつめた嫌な緊張感が漂い始める。このエリアに立つ以上、敗北は自身の消滅を招き兼ねない。それは互いに命では無く存在を削り合う、そんな死闘がもたらす緊張感だと理解するのに時間はいらなかった。
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