ep.02 『決断と落下』
お待たせしました。今週の更新です。
遊びの時間は終わる。
この猫の言葉の意味が分からずに頭上に疑問符を浮かべているのは俺だけではないのだろう。故に生じる迷いは俺たちに返す言葉を失わせていた。
それでも、と思う。不思議と猫の言葉を自分たちには関係ないと無視することはできないように感じられた。まるで自分たちがこの事態に立ち向かうことこそが当然であるかのような感覚。それを認知してしまったその時に俺の返事は決まったも同然。しかしそれを口に出すことは幾ばくか憚られた。
「少し良いですか?」
徐にボルテックが立ち上がり、ここにいるプレイヤー全員の顔を見渡した。
「この話を受ける受けないはあくまでも個人の意思によって決めて貰いたい。この方はギルド単位で声を掛けているみたいだが、私はこのギルドにおいてことこの問題に対してはギルドマスターとしても個人としても何も強制するつもりはありません。貴方もそれで構いませんよね?」
強い口調と堅い意思を秘めた視線で猫を見下ろし告げる。告げられた猫はさも当然と言うように、
「ええ。この話を断ったとしても今後のゲームプレイ、アイ・ウェアの使用に対しても何の不利益を生じないことを確約しましょう。勿論、他言無用は条件とさせて頂きますが」
「当然だね」
猫の注釈に頷いたのはムラマサだった。
「ではより詳しい話を――」
「いや、それには及ばない。その話を聞く前にオレはあなたの申し出を受けようと思う」
「え?」
再び猫が語り始めようとしたその刹那、ムラマサを筆頭にこの場にいる殆どのプレイヤーが猫の申し出を受け入れていた。
「皆さんもそれでいいのですか?」
「ああ」
代表しハルが頷く。
「となると現時点で決められていないのは貴方と貴女ですね」
猫が言ったのは俺とキョウコさんだ。
ある意味この場にいる中で最も場違いだと感じているのは初心者であるキョウコさんなのかも知れない。それに今の俺はキョウコさんと二人でパーティを組んでいる。そこに目的もあれば約束も存在する。一人でキョウコさんを見捨てるわけにはいかない。
皆の視線が俺に集まる。
その視線から察するにどういうわけかキョウコさんの意思の決定は俺の決断の後であるというように思われているらしい。
「正直、俺個人としては断るつもりはない。けど」
「私のことは気にしなくても大丈夫よ」
「そういうわけにはいきません。運営の側に行くということはキョウコさんが望んでいたプレイヤーの体験というものが出来なくなるんですから」
「だからこそよ!」
「はい?」
「こんな経験普通のプレイヤーだったら味わえないでしょう。それに私のレベルっていうの? それが低いのは問題ないってさっきこの猫の人が言ってたじゃない」
「ええ、その通りです。こちら側の情報が正しければ貴女と貴方はバックアップの役割になるはずですので」
「ほらね!」
「こんなことを言っては何ですが、あなた方二人は他の人たちよりも数段安全な場所にいることになると思います」
「と、いうことはオレたちは危険な場所に行くってことかい?」
「はい。そうなります」
はっきりとした猫の言葉に俺たちは一様に息をのんだ。
「基準や条件を話したからこそこちら側の目的を話さないのはフェアじゃありませんよね。それを聞いてから断っても――」
「大丈夫。オレたちはそんなに柔じゃ無いさ」
「では。あなた方には今回の異常の元ともいえるダンジョンの攻略とモンスターの討伐をお願いしたいのです」
「それは――」
「運営側のデバッカーの仕事だとおっしゃりたいと思うのですが、残念なことにデバッカーでは無理なのです」
「どういう意味ですか?」
「デバッカーが使うキャラクターはバグを潰すために普通のプレイヤーが用いるキャラクターとは違います。キャラクターのデータを外部から操作します。ですが、件のダンジョンやモンスターがいる場所ではその操作が無効化されたのです。データを操作して上昇させたパラメータは総じて操作する前、この場合は初期値にまで戻されてしまいました。デバッカー達が使っている武器も同様です。唯一例外だったのは元からプレイヤーだったデバッカーが悪戯に用いた個人所有のキャラクターだけでした」
「つまり……どういうことよ?」
アイリが納得したような顔でリントに聞いていた。
「つまり、キャラクターや武器、防具に至るまでありとあらゆる物が外部からの操作は受け付けず、ゲーム内で培った力のみが有効とされたんです」
「なるほど。だからオレたちのようなプレイヤーに声をかけたってわけだね」
「はい。付け加えるのならそのデバッカーは最初の仕事の数時間前にゲーム内で例の雨を受けていました。こちら側の不手際を晒すようで遺憾なのですが、デバッグ作業で個人のキャラクターを使う人は少なくありません。運営としての仕事を担う以上は一般のプレイヤーのようにイベントに興じることも出来なくなりますからね」
「それはどうして?」
「不正を疑われないようにするための措置、とでも。そのようなことはされていないのは当たり前ですが、妙に勘ぐって来る方もいますので」
「うん。理解したわ」
どこか呆れたように肩をすくめるアイリが椅子に体を沈めた。
「それで「遊びは終わり」と言ったんですね」
「はい。申し訳ありませんがこの話を受けた場合、少なくとも順位を競うようなイベントには参加したとしても正当に順位付けされることは無くなります。そうでは無いイベントに関しても時と場合、イベントの内容によっては同様の措置が取られると思っていてください」
普通のゲームは出来なくなると言われたも同然の宣言に俺は不安げにキョウコさんを見た。
キョウコさんはこのゲームを楽しむために始めた。目的がプレイヤーの感覚を味わうことだとしてもそれは変わらないはず。加えて言えばこの場にいる誰もがそうだ。皆が遊ぶためにここに来た。だが、今度はそれに支障が出てくると言われた。それも運営の猫(人)から公式に。
だが、躊躇する人が出てくるかと思った俺の予想を反し、頼もしきギルドメンバーたちは皆、仕方ないかと言うような表情を浮かべている。
「いいのですか? 我々が言うことでもないと思うのですが、この話は本来プレイヤーにとっては受け入れられないようなものだと思うのですが?」
「んー、もしかして、貴方はこのゲームをプレイしていないのではないですか?」
「え、まあ、自分はあくまでも運営なので、そんなには」
「では、もしかしたらですけどその自身のキャラクターを使ったというデバッカーの人はこのように言っては居ませんでしたか? 「このゲームを続けているプレイヤーであればこのような事態には手を貸してくれるだろう」と」
「え、ええ。似たようなことは言っていましたね。何でも「正しく遊んでいるのならば、そしてその果てに強者となったのならばこの世界は見捨てられないだろう」と。正直自分はその意味が分からなかったのですが、その口ぶりだと皆さんは分かっているみたいですね」
「その方が言った意味を正しく理解しているかどうかは分かりませんが、今回の異常はオレたちの手を借りなければならないほど切迫していると理解してもいいのかな」
「そう、ですね。本来なら異常が発生したエリアは丸ごと封鎖して、修復できないようならば切り捨てるべきなのですが」
「できないのですか?」
「ええ。どういうわけかこのゲームの根幹であるシステムはこの異常を正常と認識しているみたいで。なので我々はその周囲を強引に封鎖することでした対処は出来ていないんです」
ライラの疑問に猫は辟易した様子で返す。
「かろうじて異常の元ともいえるダンジョンやモンスターをどうにか出来ればいつもの状態に戻ることは確認されているのですが」
「もし、このまま異常を放っておいた場合どうなるんです?」
「はっきりとしたことは分かっていませんが、もしその異常がセントラルまで及べば、このゲームは勿論、最悪の場合はアイ・ウェアを用いたVR空間そのものを封鎖しなければならなくなります。そしてその場合余程のことがなければ再開することは難しくなるでしょうね」
「わかった。俺としてもここが無くなるのは避けたい。俺たちがそのダンジョンとかモンスターをどうにかすれば、あんたたちがこの事態を収束する為の時間を稼げるってことなんですよね」
「ええ。それは間違い無く」
「ならば俺もその話を受けようと思います。それで、この問題が片付いたら俺たちを普通のプレイヤーに戻して貰えると嬉しいんですけど」
「はは、そうですね。それもここで約束しましょう」
「それなら何の憂いもないね」
微笑みながらムラマサが俺の肩を叩く。
「ああ。皆に比べると今の俺は弱いかも知れないけど、またよろしく頼むよ」
「勿論さ。それにこのゲームの強さは単純な数字が問題じゃないからね」
「?」
「結局はスキルや道具の使い方だっていうことさ」
ギルド黒い梟の全員が猫の申し出を受けたことで事態はさらに次の段階に進む。その口火を切ったのは猫でも俺たちのなかの誰かでもなく、ここにいるもう一人の人物。猫を抱えて現れた子供だった。
『話、終わった?』
無感情で淡々とした声が響く。
「ああ。終わったよ」
猫が驚くほど優しい声色で子供に返事をすると、
『なら始める』
再び淡々とした物言いで子供がそう告げてきた。
「え!?」
「さて、いきなりで申し訳ないですけど、ここで最後の試験が始まります。ですがこれは皆さんにとってはチュートリアルみたいな物に過ぎず必ずクリアできると信じていますので――」
猫の言葉の全てを聞き終える前に、俺たちは皆が集まっているギルドホームの一室の床に空いた真っ黒い大穴に吸い込まれるように落ちて行った。
一瞬、それこそほんの一瞬だ。俺がこの穴を見て思い浮かべたのはギルドホームに置かれている転送ポータルだ。繋がったポータル同士を経由することで別の場所へを移動することの出来るそれと同様ならばこの穴の先は何処か別の場所に繋がっているはずだ。
視界の全てが暗い闇に包まれていく最中、俺は突然の出来事に身構えながら腰のホルダーへと自然と手を伸ばしていた。