秘鍵が封じるモノ ♯.20『一時の別れ』
お待たせしました。今週分の更新です。
イベント最終日。
俺は前日の決意とは裏腹にギルドホームの自室に引き籠もっていた。
嗅ぎ慣れた炉に灯る火の匂い、すり潰している薬草の匂い。現時点で俺に出来る生産作業がもたらす二つの匂いが充満する部屋でせっせと作っているのは、今日までに溜めに溜めた素材アイテムを用いたアイテム類。
炉に入れた鉱石から作り出すのは各種インゴット。すり潰した薬草から作るのはポーション。このどちらもが俺が普段から自身の生産によって使用したり作り出したりしているものだ。
ただ、この日はその数が尋常ではなかった。
自分が所持している素材アイテムの全てを使い尽くさんばかりの勢いで作成されているのだ。
「よし。次」
完成したインゴットを澄んだ水に入れ冷ますとそのまま壁際のテーブルの上に重ね、また別の鉱石を炉の中に入れる。
そのまま慣れた手つきですり潰した薬草からポーションを作り出し、木箱の中にある空の瓶に詰めていく。そうして出来上がったポーションもまた壁際のテーブルの下に置かれた空の木箱に規則正しく並べていった。
さっと薬研を濯ぎ綺麗にするとまた別の薬草をその中へと置き、そのまますり潰し始める。
「ねえー、いい加減休んだりしないのー?」
ギルドホームの自室に唯一いる俺以外の存在。左手の魔道手甲に融合するように取り付けられている『妖精の指輪』を介して勝手に現われる妖精リリィが顔にツマラナイという不満を隠すことも無く浮かべたまま声を掛けてきた。
「素材を結構溜め込んでいるからさ、もう少しやるつもりだよ。それに――」
いつもの調子でリリィに返答しようとして言葉に詰まる。
この先はまだ誰にも話してはいないこと。最初に話すなら誰、と決めているわけではないが、それでもリリィで良いのだろうかと一瞬逡巡してしまった。
「なによ?」
「あ、いや。そうだよな。リリィも俺の仲間なんだよな」
薬研を動かす手を止めた俺の顔の前で浮遊するリリィを見て微かな笑みが込み上げてきた。
キョトンとした表情のまま次の言葉を待つリリィに俺は徐に話し始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
事の始まりは昨日。特殊ボスモンスターとの戦闘を終えログアウトし現実へと戻った時のこと。俺は数時間のゲームプレイを終え感じた喉の渇きを潤すべく自室から出てキッチンに向かった。
時間は深夜十二時近く。
普段なら両親共々寝ている時間。
しかし、その日に限りリビングで何やら神妙な面持ちで話をしているようだった。
「あれ? まだ起きてたんだ?」
家のリビングとキッチンは繋がっている所謂ダイニングキッチンというヤツだ。
何か飲み物を欲するのならば必然的にリビングを、両親の前を通ることになる。
「悠斗こそ。まだ寝てなかったのか? それとも明日の予習でもしてたのか?」
よく見れば晩酌をしているわけでもない父さんが少しばかり不機嫌そうに聞いてきた。
「え? あ、いや、勉強はしてない、けど……」
馬鹿正直にもそう答えてしまったことに、一瞬やばいと思いもしたが、結局勉強していたなどと言っても見破られそうな気がする。
父さんは普段物静かな割にそう言うことを察するのが得意なのだ。
今よりも小さな頃、他愛もない嘘をついた時、それを見破られ怒られた事を思い出した。
「そうか……」
「えっと、水を飲んだら寝るつもりだよ。明日も学校あるしさ」
部屋から出てきた理由を正直に告げるも父さんは何故か釈然としていないように見えた。
よく分からないなと感じながらも当初の目的は果たすべく水道のレバーを上げると空のコップに水を注いだ。
「悠斗。ちょっと、こっちに座りなさい」
「え? 何で?」
水滴の付いたコップを持ったまま聞き返す俺を母さんが向かいの椅子に座るように促してきた。
「いいから。悠斗に話すことがあるの」
妙に重い空気を漂わせながらそう告げる母さんの様子と先程から神妙な面持ちを崩さない父さんを見比べて俺は一人嫌な予感を抱いていた。
(まさか離婚する、とか言い出したりしないよな? いやいや、まさかだ。そんなこと無いよな。それとも父さん仕事をクビにでもなったのか? それならこの重い空気も納得するけど)
変に速くなる胸の鼓動に嫌な汗が背中を伝う。
「は、や、く」
「あ、はい」
せっかく注いだ水を飲むこと無く慌てて椅子に座る。
座ったのはリビングのテーブル。常日頃ご飯を食べている俺の席。
「悠斗。母さんから聞いたんだけどな」
「な、何?」
「お前、成績をかなり落としたんだってな」
「へ?」
予想とは違う話を切り出され、唖然とした顔になった。
「何よその顔。私たちが何も知らないとでも思ってるの」
「いや、そうじゃなくて」
「だったら何だ?」
「話したい事って成績のことだけ? 他には無いの?」
「何かまだ私達に隠してることがあるのかしら?」
「なにもないよ」
俺を疑うような視線を向ける母さんも隣に座り直した父さんの溜め息でとりあえず追求することは止めたようだ。
「それじゃ悠斗は何だと思ってたんだ?」
「え゛!?」
「怒らないから言ってみろ」
「てっきり父さんと母さんが離婚でもするのかと」
「は?」
「そんなワケないじゃ無いの」
「あるいは父さんが会社をクビにでもなったかと」
思いもよらない俺の一言に父さんも母さんも一様に呆れたという視線を向けてきた。
「そんなワケもないじゃない」
「よかった。安心したよ」
ようやく俺は自分の手の中にある水を一口飲んだ。
「で、えっと、成績のことだったっけ」
「そうだ。お前ここ最近ずっと落ち続きだったんだってな」
「あー、その、なんだ。反省はしてる、よ?」
自分のことだからこそ言われずとも解っている。父さんが言うように俺はこの最近のテストで徐々に点数を落としていた。
理由は分かっている。前みたいに勉強の時間を作れていないこと。それに加えて勉強に対するモチベーションの低下もあっただろう。そんな風に良いわけを考えてみても本当の所は単純に遊んでばかりいたの一言だ。
悪いことをした、なんて言うつもりもないが、自分のやるべき事を疎かにしたという意識はある。
だからこうして話を逸らしたくなるというわけだ。
まあ、成功するはずも無かったが。
「解ってるって。これからはちゃんと勉強もするからさ」
「まあ、お前がそう言うだろうとは思っていたさ。けどな――」
「あー、うん。そうなるよね」
残念なことに今の俺に信用は無い。元々はあったけど自分の行いでそれを損なってしまった。
自分を見る両親の厳しめの視線も当然のことと受け入れ、それと同時に自分をどうにかしようとする二人に感謝もした。
「来年はお前も受験だろう? それに俺と同じ大学に進みたいと言っていたじゃないか。残念だが今のお前の成績じゃあ難しいだろうな」
「うん。解ってる」
「なにもずっとなんて言うつもりは無いんだ。けどな、お前が望んだ道をお前が邪魔してどうするんだ」
「そう…だね」
「だから今回は親の立場から言わせてもらう。受験が終わるまでゲームは禁止だ」
ついに言われたと思う反面、やっぱりかと納得してしまう。
「直ぐに理解しろと言うつもりは無いのよ。何せ悠斗がやっているのって最近のVRゲームなんでしょう。今のVRゲームって私達の小さな頃と比べても全然違うじゃない。仮想空間に入り込んで遊ぶなんて私達の世代からすれば夢みたい話だもの。悠斗が夢中になるのも解るわ」
肩を落とす俺を前にテンションを上げていく母さんの姿を呆然と見つめる最中、母さんの隣に座る父さんが妙に得心を得た顔をして頷いている。
「私達だっていつかは遊んでみたいと思ってたのよ。そのために悠斗に先にプレイして貰ってたんですもの」
「はい?」
「だって、右も左も解らないままじゃ困るじゃ無い。それにがっつりプレイ出来るとも限らないし。だから悠斗がやりたいっていうからちょうど良いと思って。いつかは最低限の道案内だけでも頼もうと思ってたのよ」
「道案内、ねぇ」
ジトッとした視線を母さんに向ける。
「あら? これにはお父さんも賛成してたのよ。私達だって昔はかなりのゲーム好きだったんだもの」
「父さんもか」
黙って頷く父さんの姿にどっと力が抜けていくのを感じた。
「はあ、解ったよ。でも、その前に何日かだけゲームしてもいいかな? 向こうにも友達はいるからさ、一言くらいは言っておきたくて」
「そうよね。挨拶は大事だもんね」
「それなら後二日だ。二日もあれば十分だろう」
「えっと、向こうの都合もあるし」
「二日、だ」
「解った」
有無を言わさない父さんの迫力に押し切られるように頷く。
それから両親に見送られるようにして自室に戻り眠りについた。リビングではさっきまでとは打って変わって楽しげに会話する両親の声が響いていた。
もしかすると俺の知らない所で両親仲良くあの世界を訪れているかも知れない。そんな風に思いながら一時の別れを皆にどう言い出すか考え続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「と、言うわけで俺は少しの間このゲームが出来ない事になったんだ」
リリィに説明した後、粗方の生産作業を終わらせた俺はギルドの皆をホームの一階にあるホールに集め告げた。
「えっと、マジか?」
「ああ。大マジだ」
「……ん。残念」
ぎょっとした顔をするハルの近くにいたセッカが目線を伏せながら言った。
「んー、そうは言ってもユウの自業自得な面もあるね」
と言ったのはムラマサ。
彼女を先頭にボルテックやライラという俺のギルドの大人組は皆、仕方ないといった表情を浮かべていた。
「まあ、それには返す言葉も無いけど」
「何時まで止めるんですか?」
「あー、はっきりと解ったわけじゃないけど、少なくとも受験が終わるまでかなぁ。実際進学は俺が望んだ事だし、自分のせいで失敗するのも嫌だしさ」
「というかだね。それはおそらくハルやヒカルたちも同じなんじゃないかい?」
なにやらしたり顔でボルテックが言う。
「ここにいる中にも受験を控えている人たちはいるんじゃないかい? そうで無くとも成績に影響があった人もね」
「うー、なんかボルテック嫌味っぽい」
「まあそう言うんじゃ無いよ、アイリ。リントは解ってるみたいだけど」
ハッとしたように振り返るアイリの後ろに座るリントはその蜥蜴の顔に神妙な雰囲気を醸し出していた。
「え? 僕ッスか? そうッスね。最近姉ちゃんもテストの点が悪くなったって言ってたじゃないッスか」
「あらまぁ、そう言えばフーカちゃんも似たようなこと言ってなかったかしら?」
「うえっ、わたし!?」
「んー、これはまさに由々しき事態だね」
苦笑交じりで微笑むムラマサに同意を示したライラとボルテックが何かを示し合わせたかのように視線を交わす。
「うん。ではオレたちも暫くは根を詰めた活動は控えようじゃないか。勿論それぞれがそれぞれに遊ぶことは構わないよ。ただ、今までのように全員で集中して何かをするのは止めておこう」
「いや、待ってくれ。俺個人の事情に皆を巻き込むつもりは無いぞ」
「解っているとも。けどねギルドの大人組とすれば同じギルドの仲間には現実も疎かにはして欲しくないのさ」
少しばかり居心地が悪くなったホール内で俺を責めるかのような視線が二つ。
一つは成績が悪くなった事を暴露されたアイリ。もう一つは同じようなことをライラに指摘されたフーカ。
二人には悪いが俺を責めるなと言いたい。
「ってかヒカルやセッカは大丈夫なのか? それにハルも」
「私は大丈夫ですよ。元々成績良かったんで」
「……私が教えてるから、当然」
「あー、成る程」
「俺も問題ないぞ。というかゲームを思い存分にするなら成績くらい良くないと文句言われるだろ」
「ごもっともだな。今の俺には耳が痛いぞ」
心配ないと公言する三人に俺は肩を竦めた。
「まあ、そういうわけでさ、一つ相談があるんだけど」
この相談こそが皆を集めた本来の目的。この目的のためにログインしてからの時間の大半を費やし生産作業に勤しんだものだ。
「大人組の誰かギルドマスターを代わってくれないか?」