秘鍵が封じるモノ ♯.10『迷宮、攻略、インターバル』
お待たせしました。今週分の更新です。
「あ~~~」
思わず出た間延びした俺の声が反響する。
三十分ほど前のこと。コボルドの群れが出現した階層から脱出して到達した灰が一面を埋め尽くしている階層にて突如現れた大穴に飲み込まれた俺たちが落ちて辿り着いたのは一軒の宿だった。
いや、建物の規模やソレが醸し出している雰囲気を考慮するならば民宿といったところだろうか。
当初、辿り着いたこの建物を迷宮内に出現した新手の罠、あるいは何かのコンセプトの階層なのだと思った俺たちだったが、警戒しつつ建物内を探索した結果、別の結論に行き着いた。
それはこの建物――あえて民宿と呼ぶが――その民宿が迷宮に挑んだプレイヤー宛がわれた休憩施設であるということ。
HMDを用いてプレイするゲームには推奨される連続プレイ時間というものがある。
大体が平均して2~3時間程度なのだが、この【ARMS・ONLINE】というタイトルも例に漏れず三時間連続でプレイした場合、警告文が強制的にコンソール上に出現するようになっていた。
何度目かのアップデートを経て追加されたこの警告を無視してプレイし続けることも可能だが、その後は一時間毎に再度同じ文が表示され、倍の六時間を超えた段階でその文が一度ログアウトし無い限り消せないようになっているのだった。
今日、この警告文が俺のコンソール上に出現したのはまだ一度。それもコボルドの群れと邂逅する前のことだった。つまり限界まではまだ二時間近く残されている。
だが、迷宮という閉鎖空間にいて尚且つその性質上、どこでも休息を取れるというわけではないということを予測していたのだろう。二度目の警告文が表示された時、戦闘中では無い限りは迷宮内のどこに居ようとも強制的に休憩場に送られるようになっていたらしい。
そのような事このイベントの解説ページのどこに書いてあったのだろうと疑問を口に出すとムラマサが苦笑混じりに自分の前に可視化表示させたコンソールを指差した。
イベントの内容を記した公式のページの下の方。
いつものようにイベントの簡単な注釈が載っているその僅か数行上にある一文。そは迷宮に挑んだプレイヤーは推奨プレイ時間を経過した際に休憩の出来るエリアに自動的に送られそこで一度休憩を挟むようになると書いてあったのだ。
出来ればもう少しわかりやすい場所に書いていてほしいと思わないわけでも無かったが、迷宮に挑まないプレイヤーには関係ない一文であり、挑むプレイヤーも自発的に推奨時間を守ればいいだけの話なのでそこまで大々的には書かれなかったのだろうと強引に納得した。
それにしたって不親切な感じは否めないが。
どちらにしても俺たちはこの民宿に送られてしまった以上は休憩を取らないわけにはいかず、おとなしくこの施設を利用することにしたのだ。
加えて言えばこの強制的な休憩はプレイヤーにとって全くのデメリットとなる話ではない。
休憩場に送られたタイミングで居た階層は探索を再開する際に階層をまるごとスキップすることが出来るらしい。それに休憩施設には体力回復の為なのだろう、調理済みの料理アイテムや装備品修復の素材アイテムが揃えられていて、残念ながら持ち出すことは出来ないが施設内で使用する分にはどれだけ使っても構わないという風になっていた。
当然、装備品の修復を可能にする生産スキルを覚えていない可能性も考慮して、素材アイテムを使用することで自動的に修復をしてくれる『魔道釜』なる設備が置れていた。
一般的に流通していないこの魔道釜だが、性能はNPCの鍛冶屋や防具屋に依頼したのと同じ結果を得られるだけに留まっている。
それに使用できる素材が用意された物だけに限定されていることからも今回のような閉鎖的な場所に挑む際のある種運営側が用意した救済措置程度にしかならないように調整されているようだ。
生産職のプレイヤーが行った場合は素材の善し悪しと生産スキルのスキルレベルが影響して結果が変わる。使用したプレイヤーの腕が良く素材の質も良かった場合、回復した装備品の耐久値に幾ばくかのボーナス値が加わる事もあるのだ。
このボーナス値も耐久度の減少を軽減するものから、一時的な能力上昇など多岐に亘るが、基本的には素材ではなく修理を行ったプレイヤーのスキルレベルによってランダム発生するようになっている。
一応このランダムボーナスを検証した人も居たらしいが、精々武器の生産に長けたプレイヤーならば武器、防具ならば防具、魔法の道具ならば魔法の道具にと傾向が偏る程度で内容は完全なランダムと結論付けられていた。
そういうことから今回も俺は自分の手で直す事を提案したが、手間や時間の関係から却下されてしまった。
今回の修理にボーナス値が付くことはないが、それでも耐久値が最大まで回復するのだからいいだろうという話になれば俺も納得するしかなく、装備の修理は魔道釜に任せこの民宿の探索を再開することにしたのだ。
その後見つけ出したのが赤と青、二色の暖簾が掛けられた一室。
微かに聞こえてくる水音と僅かに漂ってくる熱気が感じられるその部屋の正体は言わずもがな、風呂だ。
ゲーム内で風呂に入るのはどうなのだろう。
古今東西、数あるVRモノの漫画やアニメには総じてVRは風呂のように水に体を浸ける感覚の再現が不得手であるという一文があった。
だが、その感覚の再現も風呂に入るという毎日の行動以上に普段から水の中に身を置く事の多い人でなければ気づけない程度にまでなっているのだから、素直に技術の進歩はすごいと思う。
そんな風にここに至る経緯を思い出しながら体をお湯の中へと沈める俺の隣にいるのはアラドで、彼もいつもならゲーム内で風呂に入ろうなどという提案は鼻で笑って一蹴するのだろうが、どういうわけか今日は大人しく隣に並んで暖かい湯を楽しんでいるというわけだ。
俺とアラドの格好は同じ。風呂の脱衣所に準備されていた水着を着ている。それも体にフィットした競泳用などではなく海水浴に用いる物として一般的なトランクス型の水着だ。
全裸にならないのはやはりレイティングの問題なのだろう。
水着の着用がルールであってもプールという場所ではなくお風呂だという観点からか男女別が普通だし、体を洗える場所も存在している。
使われた形跡の無い固形石けんの他にも黄色いアヒルの形をしたボトルに入れられているシャンプーやリンスはどことなく生活感がにじみ出しているように思えた。
思えばプレイヤーが装備品を作る事が一般的なこのゲームで俗に言うビキニアーマーを着たプレイヤーや、やけに露出度の高い装備品を見る機会は少ない。
それ以上にドロップ装備ですらも前述のような装備品が出たという噂すらも耳にしない。
まるで運営側からそのような類いの装備品は認められないと言われているかのようで、それに対し不満を言う人も居たが、所詮少数でしかなく大きな話題や問題にすら上がらなかった。
結局のところゲームといっても実際に身につける感覚がある以上、普段使いが阻まれるようなデザインは流行しなかったというわけだ。
程よく体が温まり湯船から立ち上がった俺はアラドに「先に出る」とだけ告げ、浴場から出ることにした。
再び脱衣所に来た俺は修復している装備品の代わりなのだろう。用意されている浴衣のようなものに袖を通し何気なしにコンソールを呼び出した。
二度目の警告によってこの場所に転送させられた俺たちにはその時点で一時間のログアウトまでの猶予があった。
だがそれも民宿内の探索と、今のお風呂に使ったことで残すところ十分程度しか無くなっていた。
「やあ、遅かったね」
俺と同じように浴衣を着たムラマサが民宿のリビングルームとでも呼ぶべき広めの部屋の中でソファに腰掛け昔懐かしい瓶入りのコーヒー牛乳を飲んでいた。
ムラマサが着ている浴衣が僅かにピング色なのは性別ごとに色が割り当てられているからなのだろう。これも旅館なんかでは一般的なのだと思う。
「ふむ。そっちの浴衣は青色なんだね」
「みたいだな。それにこれは防具というよりは完全に服だ」
「それは利用したプレイヤーが装備品の修復を経てそのまま警告を無視してこの施設から出て行かないようにする足枷にしているのだろうさ。実際これは初期防具よりも性能が低い…というか防御力は皆無だ。一応施設内にある設備扱いで壊すことは出来ないみたいだけどね」
「試したのか?」
「いいや、まさか。さっき裾を過度に引っかけてしまってね。強引に引っ張る形になったんだけど、驚いたことにこの浴衣は全くの無傷だったんだ。この性能の低さで無傷ということは往々にして回答は一つしかない。違うかい?」
「確かにな」
ムラマサの隣のソファに座りふうっと息を吐き出した。
このリビングルームは冷房が効いているわけではないのに涼しいのはやはりゲームの性質上プレイヤーに無駄に不快な思いをさせない為の措置なのだろう。
お湯に浸かり火照った体がゆっくりを冷めていく心地良さに目を瞑っていると、
「喉は渇かないかい? ここは飲食物の注文の仕方が独特で中々に面白いよ」
「注文?」
思わず聞き返す俺にムラマサは目の前のテーブルに置かれたメニュー表を手渡してきた。
「その紙のメニューをタップすれば出現するのさ。勿論お代は所持金から引かれるけどね」
「…秘鍵じゃないのか?」
このイベントにおいて通貨となっているのは【AEMS・ONLINE】の共通通貨のCではなく秘鍵。
それは商業ギルドが催した露店街にも言えるようにプレイヤーが独自に開催した物に限られるのかも知れにが、それでも他の大陸やギルド間において同様のものが開催されているらしいことからも明らかだろう。
「んー、おそらく運営側は秘鍵が通貨のようにやりとりされることを想定してはいなかったはずなんだ。勿論、個人間でのやりとりは想定していただろうけど、商業ギルドの露店のように大規模な物になるとは思っていなかったはずさ。それに、この迷宮内では秘鍵のほうがCよりも価値は低いだろう。何せ迷宮に出現するモンスターを狩ればそれこそいくらでも手に入るのだからね」
「あー、まあ、そうなるのか?」
「それに本来ここは休憩施設なのさ。元々長居をするように作られてはいないのだろう。というかそうで無ければここの休息に嵌まって長居するプレイヤーが出てきてしまうだろう? それでは迷宮の攻略にはならない。だから現状稼ぐことが難しいリソースを使ってのみ利用出来るようになっているんじゃないかな。それなら懐具合が心配なプレイヤーは長居する事が出来ないし、そもそもここに送られるのは警告を二度に渡って無視しようとしたプレイヤーなんだ。そんな人たちはここでの足止めを歓迎するはずがない」
ムラマサの言いたいことは分かるがそれにしてはと眉を顰める。
「何か腑に落ちないことがあるかな」
「それにしてはずいぶんとしっかり作られていると思ってさ。強引な休息を取らせるだけなら、それこそ最低限の設備と広さがあればいい。お風呂とかこのメニューとかは過剰だと思わないか?」
「んー、それについては仮説でしかないのだけどね。おそらくこの施設は元々リゾート施設として作られているんじゃないかな? それを今回は急遽休憩施設として解放したとか」
「何のために?」
「んー、宣伝…かな」
顎に手をやり考え出てきた一言に俺は目を丸くした。
「この先、ゲーム内でリゾート施設のようなものが出てくるとする。その利用方法が現実と同じようにお金を払って遊びに行くのでもいいし、ギルドハウスのように各人で購入出来るようにするのでもいい。けどその時、突然の出現では使い心地が分からない。付属する施設が固定なのだとすれば、例えばお風呂に入った感覚が現実のように再現されているのかどうかはお風呂が付属する施設を利用する場合大きな問題になるだろう」
「そうだな」
「けれどそこに以前ゲーム内でお風呂に入ったが現実と遜色ない感覚だった。少なくとも悪い物では無かったという話が自発的にプレイヤー間で出たとなれば問題はある程度解消されたも同然だ。このゲームは攻略に勤しむプレイヤーがいる反面、純粋にVRの空間を楽しんでいるプレイヤーもいる。どちらのプレイヤーもCを手に入れる為には多かれ少なかれ戦闘するだろう。けれどその使い方は大きく違う。前者なら攻略に役立つアイテムとか自身の強化に重点を置くだろうけど、後者ならば自身の強化はそこそこにこのゲーム内で遊ぶことに使う。けれど、現在ギルドハウスやプレイヤーハウスの大半は攻略をメインにしているプレイヤーが使う事に適しているものが多い」
「まあ、そうなるだろうけどさ。言うほどか?」
「実際プレイヤーハウスを倉庫代わりにしている人も少なくはないんだ。実際持ち歩けるアイテムの数は多くともその全てを使う訳じゃない、空きが少なければ戦闘で獲得した素材を持って帰れないかもしれない。何より余剰なアイテムを持っていては使いたいときに使いたいアイテムを一覧から探すこと自体手間が掛かる」
「あー、まあ、そうかもな」
「オレたちの場合、ギルドハウスがあるし、ユウが生産職も兼ねている事もあって大きな倉庫があるけど、ギルドだと倉庫は共有化されていることもあって中々自由にアイテムを保存しておくってことはないのさ」
思えばリタのいる商業ギルドなんかはその傾向が強いのだろう。
ギルドの倉庫にあるアイテムは基本商品だと以前言っていたことからも個人で保有するアイテムを保存しておくための何かを個人で持っている可能性は限りなく高い。
「その傾向もあってプレイヤーハウスは今や個人の倉庫と化しているってわけさ。一応、貸倉庫なる物を運営が用意しているらしいけど、そこもそれなりにコストが掛かる。ならば内装はシンプルでもプレイヤーハウスを手に入れようとするプレイヤーが後を絶たない」
「あー、なんとなく分かった。そのせいで攻略をあまりしないプレイヤーはプレイヤーハウスを手に入れ辛くなっているってことか」
「その通り。中でもプレイヤー間で売買されるプレイヤーハウスの値段の高騰が顕著でね。現実問題プレイヤーハウスは実際にゲーム内に建つ訳だからそれなりの広さが欲しいとなると些か手に入りづらい。そして金銭的な問題も戦闘に長けているか商売に長けているプレイヤーのほうが有利なのは当然だ。まあ商売に長けているのなら既にプレイヤーハウスを持っている可能性の方が高いんだけどね」
「だからここみたいな建物ってわけか」
「うん。付属する施設のせいで攻略組のプレイヤーにとってはあまり使い勝手のいい代物じゃないだろうからね」
「ん? それはどういうことだ?」
「純粋に倉庫として使うに容量が少ないってことさ」
にやりと笑いコーヒー牛乳を飲み干す。
空になった瓶をテーブルに置き玩びながら、
「倉庫として欲するのなら容量は大事だからね。値段は適正価格でもそこに難があるのなら攻略組はあまり手を出さないだろうってことさ。それでも欲するプレイヤーはいるだろうけど、その場合…」
「目的は付属の方ってことか」
「運営の考えとしてはそんなところだろうさ」
瓶から手を離すこと数秒、ムラマサの前で瓶が砕けて消えた。
「とはいえ、そう上手くいくかどうかは分からないけどね」
「…だろうな。どう考えても転売されて高騰するような気がしてならない」
「だから土地や建物の値段を固定するっていう話になってンだろ」
「アラド。やっと来たのか」
「悪ィかよ」
「いや。以外と長風呂なんだと思ってね」
「あア? 別にイイじゃねェか。温泉好きなンだよ」
「ふむ、温泉。確かに言い得て妙だね」
確かにあの浴場は露天ではないが、それなりに広くお湯も掛け流しだった。浴槽も石造りだったしイメージするなら戦闘の大浴場というよりは温泉であることは納得できる。
「それよりも値段の固定って?」
「あン? 知らねェのか?」
「ちょっと前に話題になっただろう。プレイヤーハウスの高騰のせいで買えないプレイヤーが多すぎて問題だと運営に訴えたって」
「や、だって俺はほら、ギルドハウスがあるし、もう建物関連は関係ないかなぁって」
「つまり見てねェンだろ」
「…はい」
「悪いけどオレも価格の固定については初耳だ。それは確定した情報なのかい?」
そういうムラマサの顔を驚きの眼差しで見た。
「何でも土地売買で儲けていたヤツの所から出た話だってンだから信憑性は高ェだろ。何せ儲けるだけなら黙ってりゃあいいンだからよ」
「確かに。それにもしかすると値段の高騰に対する意見はその土地売買をしていたプレイヤーから出たのかも知れないね」
「え?」
と驚く俺の前でムラマサは小さく鼻を鳴らした。
「アラドも同意見みたいだね」
「まァな。ヤツを知ってるなら大抵そう言うだろうさ」
「知り合いなのか?」
「ああ。前にちょっとな。まあお前らが知ってるかどうかは分からねェけど」
「オレは知らないね。『黒い梟』に加入した段階で個人のプレイヤーハウスは必要なくなったから」
「あン? どういう意味だ?」
「ああ、俺のギルドは構成員が少ないからさ。ギルドハウスでそれぞれ個人の部屋があるんだよ。それが簡易版のプレイヤーハウスみたいになっているってことだな。まあ、そのせいでギルドハウスの機能を追加出来ていないんだけど」
ギルドハウスはそれぞれ思い思いにカスタマイズ出来るようになっている。
例えば戦闘系のギルドならば建物内に修練場のようなものを用意したり、生産系のギルドならばあまり巨大な物は出来ないがギルドハウスの近くにギルド専用の採取場のようなものなどを追加したりと。
俺のギルドにも畑があるが、あれは俺とNPCたちによって作られたお手製のものだ。
だからこそ俺はギルドハウスが拡張出来るとなればその都度、各人の部屋の広さなどの向上に当てていた。後はギルドメンバーが増えたときの為に蓄えているが、今のところその予定はない。
「で、結局、価格の固定はされるのか?」
「多分な」
「だったらその土地売買で儲けていたっていうプレイヤーはどうするんだ? 一気に廃業なんじゃないのか?」
「確か、賃貸にシフトするって言ってたな」
「なるほど。その人も色々と考えてはいるみたいだね」
得心したと言わんばかりに頷くムラマサの前でアラドが徐にコンソールを出現させた。
「そろそろ時間みてェだな」
「え? もう、か」
「んー、十分程度ならあっという間だって事だね」
アラドに続き俺とムラマサもそれぞれ自身のコンソールを呼び出した。
見るのは例の警告文が載っているページ。
そこにはでかでかとしたデジタル時計の文字盤があり、次の警告までのカウントダウンが記されている。
程なくして三度警告文が表示された。
「さて、これ以上は明日に回した方が賢明だろう。明日ログインしてくる時間は今日と同じくらいでいいかな?」
「ああ」
「それで構わねェよ」
「よし。では今日はこれで解散!」
その一言の後、俺たちは順々にログアウトしていった。