秘鍵が封じるモノ ♯.7『異常ナル鬼』
お待たせしました。今週分の更新です。
三人のプレイヤーを逃がし、ムラマサと二人で始まったゴブリンとの戦いは思いのほかスムーズに進んだ。
というのもゴブリンの動きが想定していたよりも遥かに遅かったのだ。ゴブリンが攻撃を仕掛ける間に俺は銃形態のガン・ブレイズによる射撃を二回。ムラマサは強く踏み込んだ水平斬りを余裕を持って放つことが出来る。
それだけに俺たちとゴブリンとの戦闘は一方的な展開になったのだ。
当然のようにダメージを受けることなく終了したかに思えてしまう戦いはこれもまた当然のように続いている。
ゴブリンに続いて俺たちが相手にする存在はこの短い戦闘の間もずっと物言わず高みの見物を決め込むかの如く身動ぎ一つとらなかった。
自分よりも頭三つほど大きい体の鬼。
手には一般的な鬼が持つ金棒の代わりに大太刀。
全身を覆うのは血で染まる強固な鎧。
裸足なのは鬼というモンスターであるが故だろう。
うっすらと開かれた眼は虚ろで何も映していなかったが、ゴブリンがその数を減らしていく毎に徐々に覚醒していく兆候が見受けられた。
ゴブリンの最後の一体が消滅すると遂にその時が訪れた。
鬼の瞳が強く見開かれ、暗く危険な光が宿る。
「ユウ、気を引き締めるんだ」
「ああ、分かってる。それよりもアラドは何してるんだ? この戦闘が始まってから見てないんだけど」
「彼にはもう一つの用事をお願いしたのさ。こればっかりはオレやユウよりも彼が適任だからね」
「適任?」
「この話は後だ。来るぞ!」
ムラマサが叫ぶ。
刹那、俺とムラマサの間に振り下ろされる大太刀が凄まじい衝撃波を生み、降り積もっている雪を舞い上がらせる。
「くっ、なんだこの威力!?」
「ゴブリンとは比べ物にならないね」
咄嗟に左右に分かれと跳んだ俺とムラマサはこの一撃に驚愕の声を上げた。
モンスターの一撃、それも他のモンスターを従えるほどとなれば確実に脅威であることは疑いようもない。
だが、奇妙なのは鬼の頭上に浮かぶHPバーが僅か一本だということ。これは通常HPバーを複数有するボスモンスターにしては異常だった。
この鬼がボスモンスターではない可能性も無いわけではないが、さきほどの一撃を鑑みるにそれは低いようにも思える。
「それに、名称が『鬼』ってのはどういうことなんだ?」
俺が知る鬼という名を冠するモンスターは今、目の前に立つそれとは大きく違っている。
一緒なのは強靭な肉体を持ち、額に鬼特有の二本角があることくらい。
武器の大太刀に関してはそれほど珍しいというわけでもない。確かに鬼のモンスターで言えば棍棒、というか金棒を持っている個体が多いが、それでも刀や剣を持っている個体も数多く確認されていた。
故にこの相手が特別ではないといえばそうだろう。
しかし、俺の感覚はこの相手を異常な存在だと絶えず警鐘を鳴らし続けている。
だから……。
「<ブースト・ハート>!!」
俺はすさかずに竜化へと至る強化を発動させた。
「ユウ?」
出現した竜の紋章を模る真紅の魔方陣が体を通り過ぎる。
全身を包む白き素体、その上に折り重なる赤き鎧。
右手には素体と同じく白く染まったガン・ブレイズ。左手は僅かに形を変え赤く染まった魔導手甲が備わっている。
これが俺が竜化した姿。
「追撃…来るぞ!」
一瞬とはいえ、変身直後は無防備を晒してしまう。その一瞬を逃さずに攻撃を仕掛けてきた鬼はさすがという他ない。
問題なのはそれが通常のモンスターが敢えて狙って繰り出す行動ではないということ。
「――ぐっ、重っ……」
振り下ろされた大太刀を剣形態のガン・ブレイズで受け止める。
刃同士がぶつかり合う。
舞う雪を吹き飛ばす衝撃を発生させながらも、実際は俺や鬼が受けたダメージはゼロ。
違いの攻撃の威力が低いとは思わない。ならば偶然にも威力が拮抗し打ち消し合ったか。いや、それも違うだろう。
体格差によって徐々に鬼に押し込まれ雪原にめり込んでいくということはまるっきり同じ威力で攻撃したというわけでもないはず。
だとすれば別の要因があるはず。
「それは…あの大太刀か」
こういう時は生産の心得があってよかったと心底思う。
一見すると無骨な大太刀でもよく目を凝らして見るとそうでは無い。こういう風に言うとアレだが、モンスターが持つにしては随分とプレイヤー寄り。
外見こそモンスターが使うような武器でもその練度が桁違い。
刀身の長さや幅、持ち手の太さなどありとあらゆる点からもあの鬼のみが使うことに特化して作られているような印象を受ける。
「このオレを無視しないでくれるかい」
そして鬼が俺と押し合っているということは必然的にムラマサが自由になっているということ。
鬼の巨体に隠れるように動き、背後から斬り付けた。
鎧に包まれた鬼の体を傷つけるには至らないものの鎧には明確な傷跡が刻まれていた。
鬼は強引に大太刀を振り回し俺を離すと叫びを上げそのままの勢いを利用して背後にいるムラマサを追い払った。
ムラマサはその攻撃をも華麗に回避すると雪の上を滑るように移動し、刀を鬼に向けた。
そうなれば今度は俺の番。
竜化し上昇したパラメータを十全に生かし鬼に接近するや否や、ガン・ブレイズを振るう。
大太刀に比べリーチの短いガン・ブレイズだからこそ連撃の速度は上回る。
例え鎧の上からしか攻撃できなくとも全くの無傷とはいくはずもなく、俺の連続攻撃に加えてムラマサの繰り出す強力な斬撃によって鬼の頭上に浮かぶHPバーはみるみる削られていく。
こうして鬼を間に対峙していると今更だが、竜化するまでもなかっただろうと言いたげなムラマサと目が合った。
確かに鬼の強さはこの階層に来る前に戦ったグレーター・デーモンよりも弱い。
だが、今もなお俺はこの鬼相手に説明できない脅威を感じているのだ。
「んー、妙…だね」
俺が感じている違和感をムラマサも感じているのか、顔を顰め呟き鬼に攻撃を加えながらも徐々に距離を取り始めていた。
「とはいえ、こちらからの行動でどうにかなるような気もしない。オレたちはまだ条件を満たしていない? いや、違う気がする」
俺ほどではないにしてもムラマサも自分の感覚を基準に戦況を判断する節がある。明白な判断基準がある時は別だが、無い時は特に戦闘中なんかは直感に従い行動する。
アラドは俺やムラマサよりも解りやすい。その信条を言ってしまえば倒せる時に倒すだろう。その先に何かが待ち受けているという直感があっても、倒せそうならば、言い換えると勝てそうならば無視をする。
そしてこの二つは決してどちらが優れているという話ではない。
俺やムラマサはその先を気にするあまり直前の戦闘に敗北する危険が高まる。反面アラドは敗北する危険は低いがその先に対面する機会を失ってしまうかもしれない。
しかし、このどちらももしかするとの話だ。
負けないかもしれないし、その先に何も無いかもしれない。
だからこそ俺たちはその境界を正しく見極める必要があるのだ。
「戦闘時間の経過でもない、HPの減少でもない。となれば……」
ぶつぶつと呟くムラマサの前で鬼が咆える。
刹那、巻き上がる雪が俺たちの視界を奪った。
「――うわっぷ、これは…」
巻き上がる雪が鎧に覆われた顔に掛かった。
咄嗟にそれを左手で拭い目を凝らすと舞い上がる雪が竜巻のように空へと伸びた。
「<鬼術・氷舞い>」
雪の竜巻に乗って大粒の氷の粒が舞う。
それがムラマサの使ったアーツなのは理解できるが、それを使った意図が掴めない。
攻撃の為のアーツならばそれでいい。例え相手に効果が弱い攻撃であっても全くの無駄にはならないだろうから。
けれど、先程のアーツは違う。
言ってしまえば相手の攻撃をより強力になるように手助けしているようなものだ。
「ユウ、頑張って避けてくれ!」
「えっ!?」
鬼を挟んだ向こう側から聞こえるムラマサの言葉に戸惑いを覚えながらも、俺は竜巻に乗って降り注ぐ氷の粒を回避する。
まるで自傷行為にも等しいアーツの使用に文句を言おうとした矢先、再びムラマサの<鬼術・氷舞い>という声が聞こえてきた。
またしても雪の竜巻に加わる無数の氷の塊が舞い上がり、その後には降り注ぐ。
一度目の使用の時よりも氷の粒が大きいのは既に竜巻に残っていた氷の粒に融合し巨大化したから。
雨のようにというよりも砲撃のように降り注ぐ氷の塊は三度発動されたムラマサのアーツ<鬼術・氷舞い>によってさらに肥大化する。
最初は小石くらいだった降ってくる氷の粒も徐々にその大きさを変え、今ではこぶし大に膨れ上がっている。
「ムラマサ! いい加減にしろ!」
竜巻に包まれ、なお且つムラマサが使ったアーツの影響下にある鬼に近づいていけるはずも無く、俺は一旦攻撃の手を止め氷の塊を回避しながら竜巻を見つめているムラマサの下へと駆け寄った。
「大丈夫。そろそろ頃合いのはずさ」
「はあ?」
戦闘を中断しざるを得ない状況へと運びながらも何かしらの確信を得た物言いをするムラマサに俺はその視線を追った。
ムラマサが見つめる竜巻は今もその勢いを衰えることなく轟々とした風の音が広がっている。
「ユウ、悪いけどこのままオレに付き合って貰えるかい?」
「はぁ……それって結構、今更だと思うぞ」
「そうかい? 勝てそうなこの戦闘をここまで引き延ばしたのはオレの勝手な判断だ。一緒に戦ってくれるのならば嬉しいけれど、無理に付き合えと言える筋合いでもない」
「あのな、正直、ムラマサがやろうとしていることはまだ解らないけどさ、本当に駄目だっていうなら強引にでも止めてるから。それに、ムラマサは俺が竜化したことも考慮してその判断に至ったんだろ?」
表情が隠れる鎧の奥で俺は笑ってみせた。
「ではもう暫く付き合ってくれるかな。恐らくこれからの戦闘が本番となるはずだ」
ムラマサが腰に提げた二本目の刀を引き抜き構えたその瞬間、轟々と巻き上がっていた雪の、今や雪と氷の竜巻が掻き消え、その中から一つの人影が姿を現した。
雪のように白い肌。
腰まで伸びた白銀の髪。
すらりと伸びた手足のプロポーション抜群の大人の女性を彷彿とさせるシルエット。
瞳が閉じられたままでも分かる。現実ではありえない、まるで絵画から飛び出してきたような美貌。
纏うは要所要所のみが曇った透き通る氷のドレス。
そして、額にあるのは白く透明な二本の角。
加えて例の無骨な大太刀がすぐ傍の地面に突き刺さっていることからも疑うこともない。
あの美しさを体現したかのような女性は俺たちが戦っていた鬼、そのものだ。
息を呑み、それぞれ武器を持つ手に力が込められる。
ムラマサの持つ刀がカチャっと音を立てるその刹那、鬼はカッと目を開き、手を前に出して、
『ちょっと待つのじゃ。妾に攻撃の意は無いのじゃ』
俺たちにそう言ってのけたのだった。