秘鍵が封じるモノ ♯.5『白の世界』
お待たせしました。今週分の更新です。
迷宮の階層が一つ上がった先。そこに広がっていたのは――
「――雪?」
一面の銀世界だった。
灼銅の悪魔を討伐し、複数の秘鍵と共に回帰のカンテラを手に入れた俺たちはそのまま上の階層へと続く階段を上った。
ボスクラスのモンスターと戦ったため決して少なくはないダメージを受け減少したHPの回復はここに至るまでの道中で回復することにした。
武器防具の消耗具合だけが気掛かりだったが、それも怖れていたほどじゃなく一安心だ。
「んー、どうやら戻ることはできない仕様みたいだね」
「え? あ、道が…」
何気なく来た道を振り返るとそこにあったはずの階段が消えていた。
第一階層からグレーター・デーモンの居た第五階層までの間、基本的にはこれまでに通ってきた階層は全て自由に行き来することができていた。
だが、今は違う。
下の階層に続いていたはずの道は消え、俺たちは先に進むしか選択肢はなくなっていた。
「ハッ、別にイイじゃねェか。どうせこのまま進むンだからよ」
「確かにね。アラドの言う通りだね。この迷宮で手に入れることが出来るアイテムは殆どが秘鍵だ。先程手に入れた回帰のカンテラのようなアイテムがこの先ずっと、あるいはこれまでの階層内のどこかに無いとも限らないけど、それを探すよりはこのまま先に進んだ方が得策であることは間違いなさそうだ」
下の階層に続いていた道が消えたその場所で手早くそれぞれの意思を確かめたことで俺たちは自ずと歩き始めた。
シンっとした無音の階層に降り積もった雪を踏み締め歩く音が響く。
「んー、何も出てこないね」
暫くの間、適当に六階層の中を適当に歩き進めていると、不意にムラマサが苦笑気味に呟き立ち止まった。
「というよりも迷宮にありがちな迷路すらないんだな」
「そうだね。ここは道なんてものは一切ない一面の銀世界。んー、ここまで平穏だと冬の雪山にレジャーに来たみたいな感覚だね」
「ンないいもンじゃねェだろ」
吐き棄てるように言ったアラドは徐に足元の雪を掴み、握り潰した。
「それに、そろそろ何とかしねェとヤベェんじゃねェのか」
「分かっているとも。二人とも耐寒用の防具の準備はできているね?」
この迷宮に挑むことになるよりも前。
延いてはこのイベントが始まるよりも前。
俺たちギルド『黒い梟』のメンバーはアップデートによって追加された特殊な場所に足を踏み入れることもあるかも知れないと二つの極地点に対応した防具を作った。
一つは火山や砂漠のように異常なほどの熱気を防止するためのもの。
そしてもう一つが今回足を踏み入れることになった雪山のように、通常のフィールドには無い冷気を妨げるため。
それらの目的は共通して一つ。
モンスターやプレイヤーによる攻撃から受けるのではないダメージ、所謂環境ダメージを防止するため。
ムラマサの一言を受けて俺が自身のストレージから取り出したのは普段身に付けている防具の外着と同じリタ特製のディーブルーシリーズの特殊加工品。
寒冷地に対応させるために動物型のモンスターからドロップする毛皮を惜しむことなく使用した一品だ。
俺の動きを阻害しないようなデザインをしたそれは一見すると厚手のコート。内側の毛皮が外からの冷気の多くをカットしてくれる。
アラドが取り出し着用したのも俺が着ているのと同じようにコートだった。
これまた寒冷地仕様である証拠として動物の毛皮をふんだんに使用されている。
しかし、作ったのはリタではない。俺も知らないプレイヤーでアラドの装備の多くはその人が作っているとのことだ。
一際特徴的だったのはムラマサだ。
普段の防具が着物、なかでも袴をモチーフにした服だからだろう。防寒具はその上から羽織っても違和感がないようにマントのようなものだった。
それでは冷気を防ぎきることなどできやしないだろうと思ったものだが、ムラマサ曰く実際にそれで冷気によるダメージを防ぐことも、寒さによるバッドステータスまでも防ぐことが可能らしい。
だが、ここで俺たちが気をつけなければならないのは冷気によるダメージではなく、この場に立っているだけで負ってしまうバッドステータスの方だ。寒冷地で受けるバッドステータスは大体が似通っていてHPが減らない代わりにプレイヤーの動きを阻害するものばかり。
イメージとしては極寒の地で四肢を晒し、その指先から感覚を失っていくことだろうか。
現実ならば厚手の革手袋を付けたりしてそうならないように予防するのだろうが、このゲームの中の世界では対応した防具を装備するだけで事足りる。
とりあえず俺たちはこの環境下でも問題無く活動することが出来るようになったというわけだ。
「にしても、静かすぎないか? 他のプレイヤーの姿も疎らだしさ」
「んー、オレたちの進みが早く他のプレイヤーたちがまだ下の階層にいる可能性も無くはないけど。そうだねこの静けさは何か別の理由がありそうだ」
「どんな理由さ?」
「例えば俺たちが手に入れた回帰のカンテラのようなアイテムを他のプレイヤーも同様に手に入れたとして、それを使い一度迷宮の外に戻ったかもしれないということさ」
ムラマサの一言に俺はなるほどと頷いた。
そして立ち止まり話をしていた俺たちの背を押すように、一陣の風が吹き降り積もった白雪を舞い上がらせた。
「…綺麗だね」
舞い散るダイヤモンドダストを眺めている最中、突然背後で小さく乾いた爆発音が轟いた。
「何だ!?」
「遅ェ。口より先に手を動かせ」
咄嗟に腰の刀に手を伸ばすムラマサの横でアラドが爆発のあった地点に蹴りを放っていた。
雪の中から飛び出してきたのは雪のように真っ白い毛皮で覆われた小型のオオカミ。『スノゥ・ウルフ』という種のモンスターだ。
草原や森、山などに出現するオオカミ型のモンスターと同様の雪山に出現するモンスターでその強さも他のオオカミ型のモンスターと基本的に変わらない。
つまりは脅威度としてスノゥ・ウルフはそう高くはない。
今の俺たちならば容易く倒すことの出来る相手だ。
「ハッ、雑魚のクセにワラワラと出てきやがって」
雪の上を滑りながら霧散していくスノゥ・ウルフの奥からまた別のスノゥ・ウルフが姿を現した。
白い体毛が迷彩色のように雪に紛れいま一つその姿を確認し難いものの、攻撃を繰り出す瞬間ならば容易く対応できる。
アラドはいつの間にか抜いていた大剣を使い迫るスノゥ・ウルフを両断していく。
それでも次々と現れるスノゥ・ウルフの全てをアラドが一人で討伐しきれるわけも無く、アラドより後ろにいた俺とムラマサにも当然のように牙を剥いた。
しかし、だ。
所詮は雑魚モンスターといわれている小型のオオカミ型のモンスターの系譜に連なるスノゥ・ウルフだ。
上位種やボスモンスタークラスでもないモンスターが息吹攻撃を使うわけでもなく、また基本的なモンスターであるが故に状態異常を引き起こすような攻撃を使うわけでもない。
純粋な攻撃のみを使うスノゥ・ウルフに対して俺たちが気を付けるのはその体色のせいで目標を見失ったり、不意の攻撃に対処が遅れたちすることがないようにするくらいのものだ。
だから、冷静に対処していけば恐れることなど何も無い。
斬り伏せられていくスノゥ・ウルフが霧散するのと同じくして俺たちが動き回ることで巻き上がる粉雪が風に流されていく。
そんな最中、風を切り、舞い散っている粉雪を貫いて無骨な石斧が飛来した。
スノゥ・ウルフとの戦闘は大きなダメージどころか小さなダメージすら受けることなくやり過ごせたかのように思えた戦闘はこの時を持って急展開を迎えた。
「何もンだ?」
石斧が飛んで来た方を睨むアラドは雪面に突き刺さっている石斧を一瞥し威圧するかのように告げていた。
件の石斧はあからさまにプレイヤーが持つような武器ではない。
それこそ多少知能のあるゴブリンのようなモンスターが使うような代物だ。
「んー、他のモンスターの姿は無いようだね。ユウ、アラド警戒を怠るな」
「分かってンだ―――チッ、またかッ」
一段と警戒心を強めたムラマサの一言のあと、またしても石斧が飛んで来た。
しかも、今度は複数。
くるくると回転しながら迫る石斧を俺たちはそれぞれの武器を使い打ち落としていく。
「何度繰り返そうと無駄だ! 誰だか知らないが姿を現せッ!」
刹那、ムラマサの刀が振るわれる。
石斧のお返しだと言わんばかりに放たれたのは横一文字の風の刃。
舞っている粉雪を吹き飛ばし、僅かに盛り上がっていた雪をも消し飛ばしたその先に広がる靄のそのさらに奥。
そこに立っていたのは見知らぬ三人のプレイヤー。
「あン?」
「君たちは……?」
満身創痍というような出で立ちの三人はその瞳に涙を滲ませながらも先程俺たちに向かって飛んで来たのと同じような石斧がいくつも足下に転がっていた。
そして、彼らの周りには額に歪な形をした角を持つ巨大なモンスター、さらにその巨大なモンスターに従うようにして複数の小型モンスターが醜い笑みを浮かべている。
「鬼…それにゴブリンの群れ、か」
ムラマサが呟くよりも早く、俺は駆け出していた。
満身創痍のプレイヤーを助けるために。