はじまりの町 ♯.28
集合時間になるまで俺は当初の目論見通り草原のエリアで新たに得たスキルの練習を重ねた。
近くにいる雑魚モンスターを相手に、攻撃強化と防御強化の練習。移動の時には常に速度強化を掛けることにした。
通常の戦闘とは違い、大幅な減少をみせるMPは≪基礎能力強化≫の使用による結果だ。
実際に戦ってみて攻撃と防御の強化の程を確かめることが出来た。攻撃強化では与えるダメージ増え、防御効果では受けるダメージを減らすことが出来た。期待以上の効果という訳ではないが、それでも戦闘がかなり楽になったと感じていた。
「そろそろ時間だな」
もっと練習がしたい。正直そう思わなくもなかったのだが、MPの回復に必要な時間を計算するとこれ以上戦闘をする訳にはいかない。
待ち合わせのなんでも屋に行き、次なるクエストに挑む時間だ。
町に戻って来てなんでも屋に向かうと既にそこにはハル達三人が揃っていた。
「よお、早いじゃないか」
「ハル。新しい鎧あったんだな」
「まあな」
言葉通りにハルは鎧を新しくしたようだ。
今ハルが纏っているのは昼まで着用していた鎧よりかなり細身で単純な防御力が低下しているような印象だ。その代わり、なのだろうか。動きやすさは上昇しているみたいだ。
「皆こそ早いな。約束の時間までまだ三十分近くあるぞ」
遅刻するのは好きじゃない。俺はなんでも屋に先に着いてMPの回復とハル達を同時に待っているつもりだった。
「なんか落ち着かなくて」
フーカが照れくさそうに頬を掻いた。
「わたしも同じかな。ご飯食べてるあいだもずっと、ゲームのこと考えちゃって」
「アタシもアタシも」
ライラもフーカと同じようにクエストが気になって仕方がなかったのだという。
「ユウくんも防具新しくしたんだね」
新たな防具を纏ったユウを見てライラは嬉しそうな顔をした。
初心者装備からの脱却はその人がゲームを続けるかどうかのボーダーラインのようなものなのだと、俺は後になってハルから聞かされるのだった。
「ああ。少し派手なんだがな、性能は問題ないぞ」
リタが作り出したこの防具を俺は信頼している。いまはただ防御力が高いだけなのだが近い将来、必ずそれ以上の性能を引き出して見せる。
「そんなことないよ。ユウくんにとっても似合ってるよ」
ライラが微笑む。その後ろでフーカとハルも同じように笑みを向けてくる。
「ありがとう」
素直に礼が言えた。
「どうする? もう行くか?」
時間は早いが揃ってしまったのならここでじっとしている理由はない。なんでも屋の扉を指差してハルが聞いてきた。
「アタシは準備出来てるよ」
「いつでもいいわ」
二人はそれぞれ消費したアイテムの補充とHPとMPの回復を終えている。これからクエストに挑むことに何の異論もなさそうだ。
「ユウは?」
「ああ。俺も大丈夫だ」
スキルの練習で消費したMPはまだ回復しきっていない。だが、俺一人の事情で三人を待たせるのは気が引ける。一気に回復するためにMPポーションを使用してしまってもいいだろう。
「よし。行くぞ」
三人に了承を得たハルはなんでも屋の扉を開けた。
三度目になる来店ではもうこの景色も見慣れたものになっていた。店舗の奥から顔を覗かせる女性NPCに掛ける言葉も簡単なものになってしまっているようだ。
「クエストを受注したい」
「あいよ」
表示されるクエスト一覧から、次の町に向かうための最後の難関、街道を塞いでいるボスモンスター討伐のクエストを選択する。
『街道を塞ぐ悪鬼』――新規クエストを一件、受注しました。
システムメッセージが表示される。これで準備は整った。
「絶対勝つぞ!」
ハルが叫ぶ。
それに俺たちは三者三様に応えて見せた。
最後のクエストの舞台となる街道は西の草原エリアを抜けた先にある。
普段は荷馬車や行商人が行き来するこの街道にどこかから現れたモンスターが住み着いてしまい、それを討伐するというのが今回のクエストの概要だ。
草原を進む俺は次第に高まる緊張感に身体を強張らせていた。
三体のボスモンスターとの戦闘から変わった事は二つ。新たな防具と新たなスキル。その両方がこれから戦うであろうボスモンスターに対抗するために身に付けたもの。しかし、結局有効打となりえる技の習得には至らなかった。
攻撃をするその度に強化を掛ければ多少はダメージが増えるだろうが、それではMPが持たない。強化の効果を最大限生かすことがこの戦いで俺に課せられた課題だ。
「この先だ」
街道と草原エリアを隔てる壁のようなものはない。人の手で補正された道が続いているだけなのだ。
立ち止まったハルが発した言葉はこの先がクエストの戦闘区域なのだと告げている。
先を見る限り平和そのもの。行き交うNPCや他のプレイヤーの姿は稀に見られるが、ボスモンスターと戦っている他のプレイヤーは誰一人としていない。それどころか雑魚モンスターと戦っている姿すら見つけられない。
「準備はいいな?」
緊張感が高まってくる。
それぞれが自分の武器に手を触れ、臨戦態勢をとった。
「行くぞ」
街道に足を一歩踏み入れた途端、近くの雰囲気が一転した。
晴れ渡っていた空は暗くなり、吹き付けていた爽やかな風も生暖かく変わった。
「なんだ?」
「来るよ」
一変した街道に戸惑う俺にフーカの言葉が突き刺さる。
暗くなった街道に一際黒い影が伸びてくる。それはまるで人のよう。二足歩行し手には武器を持つ。身体のサイズが異様なほど大きい以外、プレイヤーが操るキャラクターに似ていた。
「あれが……」
ズシンっと大きな音を立てて現れたモンスターは重低音の叫びを上げる。
地面が揺れたと勘違いしてしまいそうになるくらいの声が戦闘開始を告げた。
剣銃でモンスターの名前を確認する前に、モンスターの振るう剣が俺たちの前を横切った。
一斉に下がって回避し、今度こそ、と銃形態の剣銃を向ける。
モンスターの上に表示される名前と三本のHPバー。HPの総量だけを見てもこれまでのボスモンスターとは一線を画している。
『オーガ』
どんなゲームでも必ずといっていいほど目にする名前のモンスターはクエストタイトルにもあった通り鬼の姿をしている。
肩まで無造作に伸びた髪に尖った耳。鋭い牙に筋肉の鎧に覆われた身体。
持っている武器は巨大な包丁を彷彿させる石で出来た剣。
ユウの二倍以上ある身長はそれだけで脅威を感じさせる。
「ライラは魔法で攻撃。残りは俺に続け!」
いつもと同じように指示を出し、真っ先に掛けて行く。
構えた斧を振り抜き、横薙ぎに斬り裂いた。
「なんでっ!?」
フーカが驚いた声を出した。
単純な攻撃力が三人のなかで一番高いハルの一撃はオーガのHPを僅かたりとも削ることが出来なかったのだ。
というか、HPを削る削らない以前に斧の刃がまったくといっていいほど通らず、跳ね返されてしまっている。
「クッ、これならどう?」
ライラが空中に氷の矢を出現させる。
一拍ほどの間を置かず氷の矢が降り注ぐ。
これまでのボスモンスターならこの魔法で必ずと言っていいほどダメージを与えていた。
ガラスが割れる音とよく似ている氷の砕ける音が鳴り響く。
「駄目なの……」
悔しそうに呟く。
それもそのはず。舞い散る氷の欠片の奥でオーガは傷一つ負うことなく持っている剣を振り上げた。
「避けてっ、お姉ちゃん」
咄嗟に飛び出したフーカがライラを抱えたまま転がった。
それまでライラが立っていた地面はオーガの剣によって大きく抉られている。
こちらの攻撃は通用しないのに、オーガの攻撃は俺たちのHPを簡単に削ってしまう。酷く抉られた地面を目の当たりしたことで、その脅威を身を持って理解してしまった。
「ありがとう。フーカちゃん」
間一髪、オーガの攻撃を避けることができたライラが視線を変えずに感謝を伝えてる。
「どうするの?」
「……どうしよっか」
フーカの問いに返せる答えをライラは持っていない。
オーガを挟んで反対側に立つハルもまた同じなのだろう。がむしゃらに斧で斬りつけているがその度、跳ね返されてしまっている。
無駄のように思える攻撃を繰り返すことしか出来ていないハルはどこか悔しそうに唇を噛んでいる。
「教えてくれ。オーガってのはβの頃もあんなに強かったのか?」
銃形態の剣銃でなんど狙撃してみても手応えは何一つ返ってこない。
俺とハルにライラ、三人の攻撃が全く通用しない。この感じではフーカも同様なのだろう。
攻略のため足掛かり一つ掴めない。
なにか突破口が見出せないものかと考えた時、ふと頭を過ぎったのは俺が知らない過去のこと。つまり攻略したと言っていたβ時代の話に何か見出せるかもしれない。
「倒したことがあるんだろ? 教えろ、早く!」
「βの頃はあこそまで強く無かったんだよ。攻撃も普通に通ったし、魔法も効果あった……」
「戦った感想はコカトリスとか他のボスと似たり寄ったりって感じだったのよ。だからわたしたちも簡単に勝てるつもりだった」
βの経験があったからこそボスとの連戦クエストを優位に進めることができた。それは相手に対する情報をこちらが持っていて効果的な攻撃を繰り出すことが出来た。製品版になって多少の誤差が生じたのは予想外だったが、それはあくまで誤差の範囲内。戦ってみても勝てないと思うほどではなかった。
しかし、今回はそのβの経験というものが裏目に出た。
製品版のオーガに対する情報収集を怠ってしまったのだ。
「けど、勝って次の町に行った人もいるのだろう。だったら、少しは情報が出回っているんじゃないのか?」
調べなかったことを悔やんでいても仕方ない。残されている可能性を手繰り寄せることに集中すべきだ。
「ハルが言ってたぞ。トッププレイヤー達は先に到達してると。だから自分も先に進みたいのだと」
本当の目的は別にあることは知っている。けれど、それを本人を前にして他人の口から告げることは出来ない。
「ゴメン」
突然フーカが謝った。
その一言で顔を俯かせるフーカに代わり、ライラが言葉を続ける。
「それは、嘘なの」
「何?」
ハルの言葉を疑わなかった。それもある種の失敗なのだろう。そもそもライラの為という本心を隠して相談してきたのだ。俺を説得するための言葉をあらかじめ用意していたとしてもおかしくは無い。
「どうしても勝てなかった。トッププレイヤーもオーガに負けたっていう話は聞いていたの。でも、どうしても先に行きたい。誰よりも早く、一番先に」
フーカもハルの本心を知っていたのだ。この調子では何も言われていなくてもライラは気付いているのかもしれない。
「全く。無茶ばっかりだな」
果敢に攻め続けるハルを見て俺は小さく呟いていた。
勝てる確証もない戦いに挑むことになったきっかけでもあるハルには俺よりも強い思いというものがあるのだろう。
「でも……」
重々しくライラが口を開いた。
「ああ。俺たちは勝てない」
信じたくはない。
けれど、それは、避けることのできない事実。




