はじまりの町 ♯.25
初めて足を踏み入れることになった東のエリアは海と見間違ってしまうほどの大きな湖を有した場所だった。
名付けるのなら湖畔エリアだろうか。
「あー、のどかだなあ」
澄んだ色の水に太陽を反射して映す湖を見ながらハルが言った。
天気は快晴。
体を通る空気は森エリアとはまた違った感じに身に沁みる。
「ど、こ、が、のどかだー」
湖の近く、青々と茂った草が敷き詰められたフィールドでフーカが叫んだ。
ハルを除く三人は山と見間違うほどの巨体を誇る亀――『霊亀』との戦闘の真っ直中だった。
「攻撃が来るよっ。みんな防御して!」
ライラから初めて聞くような大声が発せられる。
次の瞬間、霊亀はゆっくりを体を起こしそのまま両前足を地面に叩き付けた。
地震の如き揺れが俺たちを襲う。
直接霊亀に触れていないのに俺たちのHPは一様に削られていた。
俺たち四人が東の湖畔エリアに着いたのは今から十分ほど前のこと。
綺麗な景色に心奪われそうになる俺を現実に引き止めたのはハルのとある一言だった。
「霊亀はでかいだけで強さ自体はこれまでのやつより弱いから、さっさと倒すぞ」
でかいだけ、そう評するハルの言葉を額面通りに受け取るならこれまでのボスモンスターより手こずることはなさそうだ。
クエストで倒すべきボスモンスターの最後の一体。
いよいよ終わりに近づいてきたという事実に俺は肩を撫で下ろすのと同時に微かな寂しさを感じていた。
「霊亀は湖の端にいるはずだ」
いつ出くわして戦闘になってもいいように四人で固まって移動する。
広大な湖を時計回りに進んでいくと、大体三分の一進んだ辺りで微かに動く山のようなものが目に入ってきた。
よく目を凝らさないと分からないが、山の下の方に動物のものと思わせる頭と足が微かに見える。
「あれが霊亀か?」
見えてきた霊亀は確かに驚くほど大きい。あの巨体を誇るモンスターがハルの言うようにこれまで戦ったボスモンスターよりも弱いというのだろうか。
「あ、あれ?」
不思議なことにハルは疑問を口にしながら首を傾げている。
「ね、ねえ。ハルくん。わたしたちが戦うのって本当に『霊亀』なのよね?」
ポカンと口を開けて見上げているフーカの隣でライラがハルに問い掛けた。
「そのつもりなんだけど……」
妙に歯切れが悪い物言いに俺は何とも云い難い不思議な感覚を感じ取っていた。
いまから別のボスモンスターに狙いを変えるのもいい。それともこのまま霊亀と戦ってもいい。初めて目にする霊亀に俺が戸惑うのは分かる。だが、何故二人がこんなにも戸惑っているのかが分からない。
「俺が確かめてみようか?」
「え?」
剣銃の銃形態で相手を捉え、一度でも対象にターゲットアイコンを出現させることで対象の名前とHPバーが俺の視界に表示されるということは話していない。
だからなのだろうか。
剣銃を構え、今にも引き金を引くような動きを見せた俺をハルは大声で止めてきた。
「待てっ!」
しかし、その大声の方が良く無かった。
霊亀はこちらに気付き、臨戦態勢をとるようにゆっくりと身を起こした。
「だめ、来るよ」
フーカが顔を引き攣らせて叫ぶ。
大きな角笛を吹き鳴らしたような重低音が響き渡り、湖に大きな波紋が広がった。
「だあっ! もう。行くぞ、みんな」
不意に始まってしまった戦闘。
ハルは意を決し、巨大な山のようなボスモンスター『霊亀』に飛び掛かっていった。
霊亀の動きはこれまで対峙したどのモンスターよりも遅い。攻撃方法も手足を振り回すか俺たちを踏み潰そうとするかの二パターンだけ。しかし、その全ての攻撃が範囲攻撃のように、俺たち全員を一度に襲ってきていた。
「回復、急いで」
揺れる視界から回復しようと首を振る俺にライラの声が届く。
気が付けば先程のスタンプ攻撃で俺は僅かな間だがスタン状態に陥っていたみたいだ。
「皆は……」
ストレージからHPポーションを取り出し口に咥える。
流れ込んでくる液体を飲みながら他の三人の様子を窺った。
視界の左端に並ぶHPバーは四本残っている。誰一人として欠けること無く今の一撃に耐えきったみたいだ。
三人を探す俺の目に真っ先に飛び込んで来たのは霊亀に向け十数本の氷の矢を撃ち込むライラの姿。霊亀から一番離れた場所にいた彼女は四人のなかで最も受けたダメージが少なく、回復を試みる三人のカバーに回っているようだ。
フーカは俺と同じようにHPポーションの瓶を咥えてはいるが、回復を待つのではなく反撃をするために果敢にも霊亀に向かって走っている。
問題はハルだ。
霊亀の攻撃が来る前からハルの言動はどこかおかしかった。
まるで霊亀の存在を忘れてしまっているかのようで俺やフーカと違って霊亀の近くにいながらも迫りくる攻撃を防御する素振りすら見せなかった。
「ハル!」
心配になり名前を呼ぶが返ってくる言葉はない。HPバーが残っているのだから死んでしまったわけではないのだろうが、なぜ姿を見せないのであろう。
疑問と不安に駆られながら、俺は霊亀に再び剣銃を向けた。
名前と同時に現れたHPバーは二本。それはこれまでのボスモンスターと同じ。しかし、その総量はこれまでと同じとは思えない。
絶え間なく振り注ぐ氷の矢をまともに受けながらもそのHPバーはごく僅かしか減らない。それどころか、攻撃が当たっているという感触すら感じていないかのような雰囲気だ。
「くっ、また。避けてユウさん」
HPが回復しきってこれからまた攻撃を仕掛けようかというまさにその時。霊亀は俺に目掛けて巨大な前足を振り子のようにぶつけてきた。
「うおっ」
これまでのようにギリギリで避けていたのでは攻撃の余波を浴びダメージを負ってしまう。かといって大きく避けていたのではいつまで経っても攻撃に転じることは出来ない。
戦ってきたどのボスモンスターとも違う立ち回りが要求されていることは確かだ。
「ユウくん!?」
離れた場所から攻撃をしているライラが俺を呼ぶ。
大きく避けたつもりが霊亀の攻撃の余波を受け、HPの四分の一ほどを失った。
「大丈夫だ。それより――」
もう一度辺りを見渡す。
現状霊亀と戦っているのは俺とフーカとライラの三人。
ハルの姿がどこにも見当たらない。
「どこに行ったんだ?」
俺の知るハルは戦場を放りだすほど無責任な奴には思えない。
だとすれば、やはり先程の妙な状態が今も続いているということだろうか。
「探してる余裕はない、か」
出来ることなら四人全員が揃って戦いたい。勝率を上げるためにもその方が良いのは明白。けれど、その為に俺まで戦線を離脱するのは本末転倒というものだ。
離れた所からの攻撃はライラが、近付いての攻撃はフーカが。俺はその時々に合わせ二つの形態を使い分ける必要がある。
基本的には銃形態で、中間地点から霊亀の注意を二人から逸らすのが俺の役目だ。
「チッ、埒が明かない」
攻撃を避ける必要にがあることから固定砲台として強力な魔法を使えないライラと回避を中心とした立ち回りを強いられるフーカ、それに俺の銃撃が与えるダメージも少なく、このままでは俺とライラのMPの方が先に尽きてしまうだろう。
一向に好転しない戦況から抜け出せないまま、ジリ貧の戦闘を繰り広げている。
先の見えない戦闘に、目には見えない疲労が蓄積されていく。
「どうする?」
こういう時、ハルならばどうするのだろう。
どこかに起死回生のきっかけのようなものが隠されていないのか。
霊亀のHPは僅かながら確実に減っている。このまま攻撃を続けていけばいつかは勝てるのだろうが、そんな根気比べをする気にはなれない。
痛感させられるのは決め手が掛けているという現実だった。
「悩んでても仕方ない……けど」
攻撃の手は休めない。
状況を好転させる方法だと信じているからではない、それしかできないと分かっているから。
離れた場所からの銃撃ではダメージを与えられないと判断した俺は即座に剣銃を剣形態に変形させた。硬い鱗のような表皮に覆われた霊亀には思ったほど刃が通らない。
「あっ!」
不意に魔法を撃ち続けていたライラが声を上げた。
その声に誘われるようにフーカが戦っている方を見ると、足を止め、肩で息をしながら呆然と立ち尽くしている。
「危ないっ」
咄嗟に声が出た。
霊亀がゆっくりと足を上げ、フーカを踏み潰そうとしている。
助けたいと思うが、思ったように身体が動かない。
驚愕し手を伸ばしたその瞬間、地面が揺れ、地響きが衝撃となって伝わってきた。
俺の脳裏にはフーカが霊亀に潰されHPを全損しているイメージが過ぎった。
目は開かれているというのに、現実を受け入れられないとでもいうように、目の前で起こったことの結末を確認することができない。
「オラァァ、≪豪爆斧≫!!」
霊亀の足がフーカを踏み潰す刹那、揺れと地響きのなかをぶった切るような大声が轟いた。
衝撃は次の瞬間に爆発となり、霊亀の足が別の場所に着地している。
「フーカ、無事か?」
鎧を脱ぎ捨て、シャツとパンツ姿になったハルがそこに立っていた。
「ハル? どこ行ってたの、心配したんだよ」
「詳しい説明は後だ。フーカ早く回復しろ」
全身から水滴を滴らせるハルがそう言うとフーカは慌ててストレージからポーションを取り出し飲み始めた。
「回復しきるまで下がってろ。ユウ!」
「わかってる」
その突然の出現にも動じず、俺は即座にハルの隣に並んだ。
斧を構えるハルの意図はなんとなく伝わってくる。
「行くぞ」
時間稼ぎなどするつもりはない。
事態を好転させるには自ら一歩踏み出すしかないと理解しているのだ。
こうして剣形態の剣銃で斬りつけてみて初めて気付いたのだが、霊亀には剣を使った通常攻撃などほとんど効果が無いようなものだった。僅かながらもHPを減らし続けていたフーカは攻撃の際に技を使用していたのだろう。
「喰らえっ≪豪爆斧≫」
ハルが使って見せた新たな技はいままで使用していた技よりも強い爆発を生み出す斬撃。
狙いは甲羅ではなく露出している足の部分。鱗のような表皮があれど甲羅を攻撃するよりは幾分かダメージの通りはいいはずだ。
「ユウ。俺が攻撃した場所を狙え」
不意にそう告げられ俺は意味も分からないまま言われたとおりの場所を攻撃する。
通常攻撃は通らない。俺ですら短い時間の間に思い知らされた事実をハルが知らない訳はない、そう思いながらもできうる限り最高の攻撃を繰り出してみせた。
手に返ってくるのはそれまでと同じく鈍い手応え、そんな俺の予想はいとも簡単に覆された。
斬るとまではいかなくても削り斬るという感触が返ってきた。突然の違いに驚く俺が見たものは焼け焦げた霊亀の表皮。ハルが新たに使用した技はこれまで以上の爆発を生むのと同時に、当たった場所に一定の防御力低下をもたらす追加効果があるのだろう。
「いけるな?」
「ああ、任せろ」
霊亀と戦って初めて感じた確かな手応えに俺は僅かに高揚していた。霊亀のHPはまだかなり残っている。それでもこの時は必ず勝てるという予感があった。
「ライラ聞こえてるな。時間は俺たちが稼ぐ、でかい魔法をお見舞いしてやれ」
技を使いダメージと防御力低下を与えているハルが指示を送る。
その指示を受けた時から降り注いでいた氷の矢は止み、代わりにライラの体に青い光が宿り始めた。
「フーカ、一緒に行くぞ」
「うん」
回復を終えたフーカが近付いてくるのを見てハルが告げる。
HPを削るダメージを与えるのは俺とフーカ、その為の地盤作りがハルの役目だ。
爆発が起こった場所を的確に攻撃していく。一撃一撃確実に減少する霊亀のHPは繰り返し攻撃を受けることにより、ついに残り半分となった。
「みんな、当たらないでね。≪アイス・ピラー≫」
地面から湧き上がる氷の柱が霊亀の手足を貫き、天高く伸びていく。氷の柱に貫かれ動きを止める霊亀にハルが何度目かになる≪豪爆斧≫を叩き込んでいた。
瞬時に巻き起こる爆発は氷の柱と霊亀の表皮を砕き、大きなダメージを与えた、
「これで決める。≪デュアル・ライトニング≫」
フーカが繰り出す光を纏う二連の斬撃は砕かれた霊亀の足を斬り裂き、残っているHPを凄まじい勢いで削っていく。
「はああああああああ!」
HPがゼロになるかどうかというタイミングで、氷の柱で浮かされていた霊亀が地面に落ちてきた。ハルとフーカは攻撃のために霊亀に近付き過ぎている。これでは落下してくる霊亀が地面に当たる場所にいるのと同じだ。
俺は剣銃を構えて駆け出していた。
HPバーの減りを速める方法は一つしかない。更なるダメージを与えることだ。
剣先を垂直に構え、力一杯跳躍する。
剣銃が霊亀の腹に突き刺さり、地面に激突する刹那、光の粒となって霧散した。
「勝った、勝ったぞ。皆っ」
感無量という顔をしてハルが喜びの声を上げる。
これでクエストのクリア条件である東西南北、四体のボスモンスターの討伐は達成された。




