Re:スタート ♯.6
丸められて紐で閉じられた羊皮紙は俺の手の中。
そこに記されていた一文を思い出しながら見上げた先にあるのは入ってすぐに地下に続いている階段が覗く大きな入り口。
それは紛れもなく『ダンジョン』と呼ばれる場所の類だ。
「優先って言うワリにはけっこう人がいるみたいだな」
見回すとそこには千差万別の装備を纏ったプレイヤーたちがいた。
パーティを組んでいる人からソロで活動をしている人まで、それこそ初心者が多いウィザースターの町に比べると熟練したプレイヤーたちが多く見受けられた。
「ねー、これからどうするの?」
ダンジョンがあるために自然にその周りに出来ていったという由来のある町『アルハス』に来た途端に勝手に現れたリリィが問いかけてくる。
「とりあえずはこの町の探索じゃないか? 初めて来たんだし、色々と面白そうなものもありそうだしな」
正確には美味しそうだ。
ダンジョンに臨むプレイヤーが多いからだろうか、露店には肉の丸焼きやハンバーガーのような精の付く料理が軒を連ねている。
昨日はソルナたちと一緒に食事を摂ったせいか、今の俺にはそれらが放つ香ばしい匂いが一層魅惑的に思えたのだ。
「ふーん。まあいいけど。わたしの分も買ってくれるんだよね」
俺の顔の前に回り込みわざとらしい笑みを見せつけてくる。
ついでにクロスケまでもがガン・ブレイズから現れ自分の分もと鳴いてきた。
「わかってる。何から食べようか?」
露店目指して歩き出すと程なくしてダンジョンに挑む数名のプレイヤーとすれ違った。
仲良さそうにパーティを組んでダンジョンへと入って行く彼らに俺はほんの数日前の自分の姿を重ねた。俺も彼らのようにギルドメンバーたちとパーティを組み高難度のダンジョンに挑んだものだ。
その時の自分の顔もああだったのだろう。
先に待つ強敵や、まだ見ぬお宝に心を躍らせている顔。
心の中で彼らに頑張れと告げ俺は先を飛ぶリリィとクロスケを追った。
◇
人が多く居る場所には光と影が生まれる。
活気に溢れる商店が並ぶ表通りを光とするならば、誰も寄り付かないような裏通りが闇。それぞれの色というものがあれば、当然のようにそこに居る人にも同じように光と闇がある。
その闇の中の一つが、今まさに裏通りから抜けた先にある路地で一人のプレイヤーを囲んでいる集団。
「やっと追い詰めたぜぇ」
「ったく、散々逃げ回ってくれてよォ。手間を取らすなってんだ」
「……」
ガラの悪いプレイヤー集団の前に出た三名のプレイヤーがその見た目に反しない口振りで鼻息荒く詰め寄っている。
「あン?」
大勢のプレイヤーに囲まれているたった一人のプレイヤーは微塵も恐れている気配もなく、傍若無人にその他大勢のプレイヤーを睨みつけた。
赤に近い茶色の髪に、金属部の全く無い防具。
背中にはまるで血が滲んでいる包帯が巻かれているかのような柄を持つ黒い大剣。刃の部分は真っ直ぐで刃毀れ一つ無いにも拘らず、剣の腹には赤い血管のような亀裂模様が刻まれている。
そんな異様な出で立ちの大剣を背負うプレイヤーの少年はまるで自分の中に湧き出す苛立ちをぶつけるかのように、つま先でコツコツと地面を叩いていた。
「ゾロゾロと……」
それは限りなく小さく誰に向けたわけでもない声であり言葉だった。しかし、一人のプレイヤーに注意を払っているその他大勢のプレイヤーにとってはこの一言は他の誰でもなく、自分に向けて放たれた言葉だったと感じられたのだろう。
いきり立つプレイヤーたちの一人が腰から提げられている刀を抜いた。
「おい。チョーシに乗るなよ。ここは町の中でも唯一の戦闘可能区画なんだぞ」
刀の切っ先を少年に向けたプレイヤーが言うように、ここは町の中でも特別な場所だった。
裏路地にある廃墟の庭先。
子供の遊び場なんかではなくガラの悪い不良が屯するような場所のような雰囲気を持つ、ここは正確には町の施設ではなく、アルハスの町の周囲に無数に存在しているダンジョンの第一階層の一部。
その為に町の中にいるにもかかわらずに戦闘が可能となっているのだ。
「……知ってンだよ」
瞬間、少年は大剣を抜き、目にも見えない速さで振り抜いた。
「あ、がああああああああああ」
痛覚が一定値で制限されている世界だと言っても不意に受けた想定外のダメージはそれだけの精神的ダメージを与えることが出来る。
加え宙に浮く自分の腕などという光景は現実では見る機会があるわけでもなく、ダメージがデジタル的な傷で表現されるこのゲーム世界においてその光景は控えめに言ってもショッキングな映像となっていた。
悲鳴を上げるプレイヤーを一瞥し、少年は大剣に付いた血を払うように勢いを付けて振った。
「来い。相手になってやるよ」
大剣を持っていない右手を動かして相手を誘うように手招きをした。
それが合図になったかのように、ダメージを受け蹲るプレイヤーを押し退けて、別のプレイヤーが津波となって押し寄せてきた。
飛び交う怒号。
襲い来る多種多様な武器。
それらがただ一人の少年目掛けて放たれているのは今や驚くようなことではない。
寧ろ驚くのは少年が全ての攻撃を完璧にいなしていることだろう。
大剣の切っ先や腹、それに柄を器用に操って的確に攻撃を防ぎ、カウンターのように一人一人に攻撃を命中させていく。
不自然だったのはそれだけの戦闘技術があるにも何故か一刀の下に斬り捨てることが出来ていないことだった。防御の薄い場所。鎧の無い関節や、剥き出しになっている腕や足を的確に狙い斬り飛ばしていく少年が与えるダメージは見た目よりも少なく、甚大な被害をもたらしているのはそれぞれの腕や足が消失してしまう部位欠損という名の状態異常の方だ。
「俺の…腕……腕があああああ」
「くそっ…これじゃ立てない……」
「痛てぇ…痛てぇよぉ」
「速く回復し――」
阿鼻叫喚とはまさにこの光景を表すのかと言わんばかりの状況のなか、少年は周りのプレイヤーが抱いているのとは違う類の苛立ちを感じ始めていた。
それは自分の想像通りの展開を作れていないことに対する苛立ちであり、自分の想定よりも遥かに下回っていた自分の力に対する苛立ち。
これまでの少年の力ならば大剣を振るい与えるダメージは部位欠損の状態異常なんかではない。腕を飛ばそうとすれば肩ごと吹き飛ばし、片足を狙えば自然と両足を斬り飛ばすだけの威力があった。
それらは必殺の威力を持ち、いとも簡単に他のプレイヤーのHPを奪っていたはずなのだ。
「よ、よし。回復したヤツから攻撃を――」
「……五月蠅ェよ」
叫ぶプレイヤーの頭部を大剣で叩き潰す。
トマトを包丁で叩き潰すというようなスプラッタな光景が繰り広げられるなどということは無く、FPSのヘッドショットのように一発で致死ダメージを受けたプレイヤーが回復の猶予も無く消滅するだけだった。
舞い散るプレイヤーの残滓たる光の粒子の中で少年は次の獲物を狙う獣のような瞳を残る別のプレイヤーへと向ける。
何かを言ったわけでもなく、ただ大剣の切っ先で地面を削っただけというのに、驚くほどの恐怖が他のプレイヤー達の心に充満し始めた。
恐怖は足を止め、動きを鈍らせる。
攻撃をするにしても回避するにしても一瞬の判断の遅れは致命的なモノ。
少年の振るう大剣はもはや彼らの目には死神の鎌のように見えているらしく、戦闘の意思が消え失せたプレイヤーは格好悪くも地面に尻をくっつけたまま後退っている。
一人が逃げ出せば、残るプレイヤーが蜘蛛の子を散らすように逃げ出すまで大して時間は必要ではなかった。
部位欠損を受けていないプレイヤーは必死に、部位欠損を受けたプレイヤーは残っている腕や足を使い武器を動かし、自分に向けて攻撃していた。
自分の手で刈り取られていく自分のHP。
それが限界に達した時にプレイヤーは死ぬ。
同じデスペナルティを受けるのも倒されたのと自分から死んだのではゲーム的な意味合いが違ったのは昔の話。今となっては自分のプライドを守る以上のことは無くなっている行為だった。
「おい…逃げるのか」
少年が大剣を向けて問いかけていたのは最初に少年を追い詰めたと言ったプレイヤー。
決して少なくはないダメージを受けてはいるが、未だ腕も足もその手に持たれた刀身が茨のような剣も無事のまま。
それだというのに目の前で尻持ちを着いているプレイヤーの顔は恐怖で引き攣り「ごめんなさい」と意味のない謝罪を繰り返しているだけだった。
「テメェラが挑んできたンだろうがッ」
少年の苛立ちの原因の一つが今なら勝てると大手を振ってプレイヤーたちが徒党を組み、自分を狙ってきたことだった。襲ってくることに関しては今更何も思うことなど無いが、このタイミングを見計らったかのように――事実ずっと機会を窺っていたのだろうが――攻撃してきたのが気に食わない。
第二に襲ってきたプレイヤーの中にいた何人かが前に襲って来た時から殆ど成長していなかったこと。それは元のままでも今の少年になら勝てると思われたも同然だったのだから。
「……ハァ」
つまらなくなったと言わんばかりに少年は大剣を背負い直し大きな溜め息を吐いたのだが、妙なことに誰一人としていなくなった廃墟の庭先のようなダンジョンから離れようとはしなかった。
じっと立ち尽くしたまま廃墟に続く道の先を見つめている。
「出て来いよ」
おもむろに呟いた少年の視線の先からまた別の少年が姿を現した。
全身を黒に近い藍色に染め、自分の周りに人ではない二つの存在を漂わせている少年。
「相も解らずPKなんてことをやってるのか」
現れた藍色の少年が心底呆れたというように告げる。
「オマエこそ。なんでこんなトコにいやがる」
「お互い様だな」
不敵に笑い合い、互いの顔を見る二人の少年はほぼ同時にお互いの名前を呼ぶ。
赤に近い茶髪の少年が「ユウ」と呼び、
黒に近い藍色の少年が「アラド」と呼んだ。
◇
俺がそこに向かうきっかけは、活気に溢れるアルハスの町の中でも異質に聞こえてきたからだった。
聞こえてきたのは複数の男たちの悲鳴と戦闘音。
まず疑問に思ったのは何故町の中だというのに戦闘音がするのかということ。
そして、それを耳にしたにもかかわらずこの町の住人となっているNPCやプレイヤーには一切の動揺が見受けられなかったこと。
疑問に思い自分の手にあるハンバーガーを売っていたプレイヤーに訊ねてみると、この町の成り立ちと、町の中には唯一とでも呼ぶべき戦闘が可能となっている場所があることを聞いた。
この町には俺が目的としてきた以外にも多数のダンジョンに繋がる道と入り口がある、云わばダンジョン都市とでも呼ぶべき町。
普通のダンジョンの入り口があれば、中には珍しい形をしたダンジョンもある。唯一の戦闘可能区画となっている町の一角はまさにそのダンジョンが付随している場所なのだ。
件のダンジョンには入り口は無く、町から繋がっているそこが第一階層となっているらしい。その為にその場に足を踏み入れた瞬間に町の中にいるという認定が外れ、戦闘が可能になる仕組みなのだといっていた。
何も知らない初心者が迷い込んだりしたのかとも思ったが、聞こえてきた音と声は明らかに違う種類のものに思えた。
いうならば以前に迷宮の攻略を主としたイベントに臨んだ時に耳にした類のような。
引き寄せられるようにその場所に向かった俺が目にしたのは圧倒的とすら思える一人の少年プレイヤーの戦いぶりだった。
戦闘が一段落した後、俺はその少年に誘われるようにしてその場所に近づいて行った。
そして、少年が俺の名を呼び、俺もその少年の名を呼んだ。
「で、もう一回聞くけどさ、アラドはここで何をしてるんだ?」
「そういうオマエこそ――」
案の定というかなんと言うか。
またもさっきと同じ展開になりそうになった二人を止めようと前に出たのはリリィとアラドの後ろから現れた半透明の少女。
ゲームの中で初めて目にする幽霊然とした存在がにこやかに笑い、軽やかに手を振ってきた。
「何だそれ……」
幽霊に対して恐怖を抱くよりも先に戸惑いを抱いた俺が呟いたその言葉に答えたのは信じられないことにその幽霊だった。
『わたしはアラドの精霊さんなのですよ』
幽霊改め精霊の口が動くことなく発せられたその声と言葉は俺の脳裏に直接届くという奇妙な体験と経験を俺にもたらしたのだった。