はじまりの町 ♯.20
「それじゃ、ばいばい」
もう一秒も待てないというようにマオは走って行ってしまった。
残された俺とリタはお互いの顔を見合わせ、耐えきれなくなったように吹きだした。
「今日はありがとね。マオのお願い聞いてくれて」
マオの姿が見えなくなった頃にリタが言ってきた。
「あれでよかったのか?」
俺がしたことと言えば自分の剣銃の強化と聞かれたことに応えただけ。特別なことなど何もしていないように思えて些か不安になってくる。
「残りの鉱石も貰ったちゃったし、これも……」
そう言って俺が取り出したのは自分が作ったものとは別の指輪。
細かな装飾と宝石を埋め込める窪みがあるそれはマオが俺の作ったものとの出来の違いを見せつけるためにと渡してきたものだった。
指輪の名称は『空白の指輪』。宝石が収められていない状態での名称だと言っていたのだからこの窪みになにか別の宝石を入れれば名称も変化するのだろう。
「気にしないで。ああゆう風に言ってたけど、それはマオなりのお礼だと思うよ」
「お礼ねえ」
たった一つの情報提供の対価としては 貰い過ぎな気がする。
いまだ腑に落ちない顔をしている俺にリタは困ったような顔をした。
「これからユウ君はどうするの?」
剣銃の強化のために使う鉱石を採りに行こうとしていたのだが、マオから鉱石を貰ったためにその必要はなくなった。
残っている鉱石をインゴット化させてみるという作業が残っているが、それもいま直ぐにすべきことではない。むしろ時間を掛けて一つ一つしっかりと検証すべきことだ。
「そうだな、俺は一度落ちるよ」
昼食を取るために外出した時以外は朝起きてからずっとログインしている。そろそろ本格的な休憩を挟むべき頃合いだ。
「リタはどうするんだ?」
「私はマオを追うかな。ユウ君の言ってたやつ私も試してみたいし」
「そっか。なら、ここでさよならだな」
「だね」
ゲームをプレイし続けるリタと一度ログアウトする俺。
現実と仮想に別れる以上、今日はもう会うことはないだろう。
「それじゃ、私も行くね」
南の森エリアに向かったマオを追うようにリタも歩き出した。
遠くなってゆく背中を見送り、俺は自分の工房のなかへと戻ることにした。
炉にくべられていた火は既に消え、開けっぱなしにしいていた窓から吹き抜ける風が心地いい。
「戸締り確認っと」
少しだけ勿体なく感じたが窓を閉め鍵を掛ける。
しっかりと鍵が掛けられた建物は個人の所有物であろうとなかろうと他人が勝手に入ることは出来ない。システム的な障害以前に倫理的に出来ないことと出来ることの区別はプレイヤー自身がつけるべきことだ。
作業机の上に細工と鍛冶の道具を置き、壁際に置かれた棚にインゴットを並べていく。
先程作り上げた『グリンリング』とマオから貰った『空白の指輪』は俺の左手の人差し指と中指にそれぞれ付けられていた。
「そろそろいいかな」
コンソールを出現させログアウトボタンを押す。
ユウは青い光を伴って自分の工房から、そして【ARMS・ONLINE】の世界から姿を消した。
自室のベッドで目を覚ました俺は昼の時ほど疲れを感じていない。むしろやりたかった剣銃の強化を果たして達成感すらある。
時計を見ると夕方の四時になっているみたいだが外はまだ明るく夜に近付いているとはとても思えない。
「アンタ、昨日から部屋にこもってなにしてるの?」
リビングに出た俺を待っていたのはソファに座り、ジトッとした視線を向けてくる姉の優衣だった。
「休みなんだから別にいいだろ」
冷蔵庫からミネラルウォータのボトルを取り出し、近くにあったコップに注ぎながら言う。
ソファの背もたれに身体を預けながら顔だけを向けてくる優衣は何か言いたげな表情だ。
「なんだよ」
ジッと見られ続けるというのはとても居心地が悪い。
これならまだ文句や小言を言われていたほうがマシだ。
「いやあ、なんでもないよー」
ニヤニヤと笑いながら言う優衣を見た瞬間、先程の考えは即座に訂正された。何も言われないのも腹立つが言われるのも同じくらい腹が立つ。
「ゲームしてたんだよ。なんか文句あるか?」
「何も言ってないけどぉ」
俺に向けられていた視線をそれまで見てたテレビに戻し、小さく呟いた。
「どんなゲームか知らないけど、ほどほどにしなさいよ」
俺をからかうような物言いから一転し、弟を心配する姉の雰囲気を醸し出しながら告げる。
これ以降俺に対する興味は無くなったのか、話すことも視線を向けることも無くなった。
使ったコップを洗い、自室に戻った俺は普段勉強に使っている椅子に座った。再びHMDを付ける気にはなれず、ただ漠然と天井を眺めている。
脳裏に浮かぶのは【ARMS・ONLINE】の世界の景色ばかり。
高く聳える岩山や、何処までも続いているような草原。様々な緑色を持った森に石造りの建物が建ち並ぶ町。
現実では決して見ることの無い景色が目を閉じれば写真のように鮮明に浮かんでくる。
「ハマッた……のかなぁ」
これまでも俺は今時の子供という例に漏れず数々のゲームをやってきた。
据え置き機を使った物から携帯ゲーム、それにソーシャルゲームにアーケードゲーム。パソコンを使ったオンラインゲームに実際に人を集めて行うアナログゲームまで。クリアまでやったものもあればクリアすら出来なかったもの、クリアしてもなおやり続けたもの、少し触れただけで直ぐ辞めてしまったもの。
いくつものゲームを経験し、挫折し、突破した。
だがこのゲームはどうだ、と視線の先、ベッドの上に無造作に置かれたHMDを見る。
強化プラスチックのボディにネット回線に有線で繋げるためのコード。頭に触れる場所は柔らかいスポンジ状になっていて頭から滑り落ちないように、傷をつけないようになっている。
ゲームをプレイする機械からしてこれまでとは違う。
クリアすべきストーリーも、達成すべき定められた目標も、突破するべき壁も無い。
いや、無い、と俺が勝手に思っているだけなのだろう。
運営側が、他人が押し付けてくる目的や目標はこのゲームには無い。だからこそ自分でその目標を見つけなければならない。それが出来なければ俺はただ漠然とゲームをするしかない。
それで十分という人もいるだろう。なにか目標を持ったとしても持っていなくてもその結果は同じ。変わるのはその行程だけ。
それでも、どうせならば目標を持ってプレイしたい。
出来なかったことが出来るようになりたい。
もっと強く、もっと、もっと。
「面白いな、やっぱ」
俺は自然と笑っていた。
自問自答の果て、俺のなかに沸き起こったのはある種の向上心のようなものだった。
強くなっていくユウを想像するだけで心が躍る。
窓から覗く太陽に雲が被さり部屋が仄かに暗くなった。
夏の陽射しのなかで不意に訪れる影。陽が隠され感じる涼しさと静けさが押し寄せてくる。
「うおっ、びっくりした」
暗くなった部屋でいきなり携帯が光ったかと思うと、次の瞬間、ブブブっと震え出した。
画面に表示されている名前は春樹。意外な人物からの着信に慌てて携帯をとった。
「どうした?」
春樹なら今もゲームをし続けている。そう思っていた俺はこの突然の着信に疑問を抱いていた。
『今日はもうログインしないのか?』
ハルの第一声がこれだった。短く的確に用件を伝えるというのが大事だとは思うが、ここまで何の用で連絡を入れてきたか解かる一言はなかなかない。
「ああ、昨日と今日で結構やったからな。夜くらいは休むつもりだ」
『そっか、そうだよなあ』
「何かあったのか?」
俺よりも経験のある春樹が困るようなことなどそう起こらないような気もするが、聞こえてくる声は本気で悩んでいるように思えた。
『お前、どのくらいまで強くなった?』
「それはレベル的にか」
『そう、だな。その方が解りやすい、か。お前の今のレベルを教えてくれるか?」
「今の俺のレベルは8だ。悪いがあんまり変わってないぞ」
『そっか……うーん、どうするかなぁ』
うんうん唸って悩む春樹の声が携帯越しに聞こえてくる。
「なんなんだよ。おい春樹、いったいどうしたんだよ」
春樹は最初の一言に比べ、要領の得ない感じで話してる。
『単刀直入に言おう。悠斗、俺に力を貸してくれ』
「は? お前、本当にどうしたんだ?」
レベルを聞いて即時にそう言えなかったからには何か問題があるのだろう。それでも俺に声を掛けてきたからには何か明白な理由というものが存在するはずだ。
『俺は、俺たちは明日、次の町に行く』
携帯越しに告げられた言葉に俺は驚きのあまり聞き返していた。
「明日って言ったらゲーム始めてまだ三日目だぞ。町を出てくのはいくらなんでも早すぎやしないか?」
『町を出るんじゃない、次の町に行くってだけだ。それに、一度でも行ったことのある町ならポータルを使って行き来できるから大丈夫だ』
ゲームに登場する町というのは必ずと言っていいほど一つではない。
今いる町の近くのエリアでレベルを上げながら装備を強化して次の町に行き、そしてまた次の町でも同じことを繰り返す。この繰り返しで自分の行動範囲を広げ、自分のキャラクターをより強くしていくというのがRPGの基本だ。
俺も昨日、南の森エリアでレベルが上げづらくなったと感じて北の岩山エリアに行くことにした。その結果、一つだけだが再びレベルを上げることが出来た。
春樹がしようとしていることもこの延長線上にある。
俺もいずれは次の町に行き、新たなエリアに向かうことになることは重々理解していた。
『まだ、じゃない。もう三日なんだ。トッププレイヤーがいる攻略組は昨日の内に次の町に着いたっていうし、俺もβの頃は二日で次の町に行くことが出来た。何も知らない頃なのにだ』
「別に焦る必要なんてないだろ。ゆっくり進めていけばいいんじゃないのか?」
なにもトッププレイヤーたちのように進める必要はないと考える俺は春樹が焦る気持ちが理解できないでいる。
『そう、だけど……』
春樹は感じている焦燥感を上手く言葉に出来ないでいるようで言い淀んでしまっている。
「なにか理由があるのか?」
無言になってしまった会話を進めるためにと俺はゆっくり問いかけた。
『え?』
「春樹がそこまで言うんだ。早く行きたい理由ってのがあるんだろ」
『次の町には腕の良い木工職人がいるんだ』
木工と聞いて俺には縁の無い場所という印象を受けたが、春樹からするとそうではないことに気付いた。
鍛冶を必要とする鉄製の武器や鎧、それを使っている春樹やフーカは良いとして、魔法使いであるライラの武器は木で出来た杖だ。レベルが上がり装備を強化していたライラだったが杖だけはあまり以前と変わった印象が無かった。
思い起こせば杖の持ち手や先に金属で補整を加えていただけのような気がする。
「ライラのため、か」
『そう……だ。ライラは別にまだいいって言ってたけど俺やフーカが武器の強化するときにさ、少しだけだけど羨ましそうに見てるんだ』
俺が知るライラはそういう時にも微笑んで仲間の強化を喜んでいるような印象がある。
だからこそまわりは彼女の力になってあげたいと思うのだろう。
「俺のレベル、どのくらい足りていないんだ?」
たった一回。
それが俺がライラと共に戦った回数だ。
でも、それで十分なようにも思えた。
現実のように顔を合わせ、言葉を交わす。
その場所がゲームのなかというだけで特別なことなどなにもない。
『手伝ってくれるのか』
「仲間のため、なんだろ?」
『あ、ああ』
「いいから教えろ。どこまでレベルを上げればいい?」
『レベル10以上になれば十分だ』
最低ラインがレベル10。今から二つもレベルを上げるのは大変かもしれないがやるしかない。
「期限は? いつまでに上げればいいんだ?」
『明日。伸ばせても明日の昼までだな』
「……早いな」
明日が三連休の最後の日。
学生の身分である俺たちが集中してゲームが出来るのは休日の間だけ。学校が始まれば今のように長時間ログイン出来なくなってしまう。
その前に次の町に進み、短い時間でも強化などが出来る施設を全て使えるようにしたいということだ。
「わかった。何とかする」
今日はもうログインする事はないと思っていたがどうやらそういう訳にはいかないようだ。
少なくてもあと二つ。ユウのレベルを上げる必要が出てきた。
『明日の説明、今しても大丈夫か?』
「あー、いや、止めとく。今はレベル上げに集中したいから」
『そうか。わかった』
「あ、でも何か用意するものがあるなら言ってくれ」
次の町に行くだけ。言葉にすれば簡単なことでも実際にするには難しいことなのだろう。でなければわざわざ春樹が俺を誘ったりはしないはずだ。
『自分が使う分のポーションだけは用意してくれると助かる。後のことは任せてくれ』
「ああ。明日は朝から待機しておくから準備が出来たら連絡くれ」
『了解。あ、悠斗。引き受けてくれてありがとな』
「気にするな」
通話が切れ携帯を机の上に置くと壁に掛けられている時計を見た。
時計の針が指す時間は夕方の五時十分。
夕食まで後一時間も無い。今からログインしたのでは満足にレベル上げは出来ないだろう。それならば今は身体を休め、夕食後に再びログインしてからじっくりやったほうがいい。
そう決めてからベッドに横たわると自然と瞼が重くなっていく。
家族に夕食が出来たと呼ばれるまで、俺は眠ってしまっていた。




