輝きを求めて ♯.1
巨大な黒い翼が羽ばたく音が聞こえてくる。
風を切り、人の声もモンスターの咆哮も何もかもが届かない場所で俺は一人目的のモノがあるであろう場所を目指し進む。
「ちょぉっと、まったー。私もいるの忘れないでよね」
訂正。
翅の生えた水色の小さな妖精リリィも一緒だ。
さらには俺の下にいるダーク・オウルという種のモンスター、クロスケもいる。だから俺は一人ではない。リリィが言いたいのはそういうことなのだろう。
「ねぇねぇ、まだ着かないの?」
「残念ながら、まだだな。ったく、そんなに暇なら寝てればいいのに」
リリィの定位置となってしまっている外着にあるフードを親指で指しながら告げる。
「んー、眠くないから、ヤダ」
「そんなこと言われてもな、こんな場所で他にすることなんて」
こんな場所。それはクロスケの背の上であり、地上から遥か百数十メートル離れた空の上。
ゲームの世界の中でなければ呼吸をすること自体が困難で、専用の装備が無ければ目など開けてはいられないような場所を俺はクロスケの背に跨り高速で飛行しているのだ。
風の影響を受けていないのは俺だけでは無かった。俺よりも遥かに体躯の小さいリリィもまた同じように風の影響をものともしないでクロスケの背の上で立ち、俺に不満を漏らしてきている。
空にも地上と同様にモンスターは生息している。
見かける頻度の高いもので言えば鳥や昆虫を模したモンスター。珍しいもので言えば竜や有翼の獣などというモンスターがいる。一般的に前者は射撃武器を持つプレイヤーが戦うのに適したモンスターとして、後者はプレイヤーの行く手を阻む強大な壁として知られているのだった。
だから空を移動することができるのだとしても戦闘にならないで済むという保証はなく、反対にこうして俺が戦闘に遭遇しないで済んでいるのはクロスケがモンスターの気配を察知し事前に戦闘に巻き込まれないであろう航路を選んでいるからに過ぎない。加えてレベルを上げたクロスケが獲得した≪威嚇≫という名のパッシブスキルの効果によって召喚者である俺のレベルよりも遥かに低いレベルのモンスターは寄り付かなくなっていることも影響をもたらしていると言えよう。
クロスケの活躍と≪威嚇≫の効果を合わせた結果、こうして平穏無事な飛行が叶っているわけだが、リリィにはそれが些か不満なようだ。
「少し早いけど、地上に降りるか。そろそろオルクス大陸に着いた頃だろうしな」
俺のそんな一言にリリィは殊の外嬉しそうな顔を見せ、反対にクロスケは少しばかり残念そうに鳴くのであった。
「そうだよな。最近はこんな風に思いっきり飛ぶなんてことは出来てなかったもんな」
クロスケの首筋を撫でながら慰めるように言う俺を真似てリリィもそっとクロスケを撫でて俺の顔を見上げ訪ねてきた。
「どうするの?」
「俺はもう少し好きなように飛ばせてやりたいって思ってるんだけどな」
苦笑交じりでそう問いかけるとリリィはゆっくりと頷いた。
「いいのか?」
「うん」
「なら目的地に着くまでもうしばらくの間我慢してもらうことになるぞ」
「わかってる。クロスケのため、だもんね」
「そうだな。クロスケの為だ」
「だったらさー、私の為には何かしてくれないの?」
「何か、か。オルクス大陸の町に着いたらまっ先にリリィに何か美味しいものをプレゼントする、でどうだ?」
「よーし。それで手を打とうー」
「クロスケ、もう少し大きな町に着くまで飛んでくれるか?」
俺がそう尋ねるとクロスケが大きく鳴いて、その漆黒の翼を大きく羽ばたかせた。
激流の如く眼下を流れていく雲を見下ろしつつ、俺は久々のクロスケの本気の飛行に驚きを感じ始めていた。
元々ダーク・オウルというモンスターであるクロスケの飛行能力は高い。それは俺を含めたギルドメンバーの四人を背に乗せても何一つ問題なく飛び回れるくらいなのだから明白だ。それに加え俺の≪魔物使い≫スキルの熟練度の上昇とクロスケ自身の能力上昇が影響しているのだろう。
余程速く飛んでいたのか、それほど時間が経たずして雲の下に微かに見えてくる街並みを見つけた。
クロスケが満足するまで飛んでいようと思って敢えて黙っていたのだが、そんな俺の気遣いを知ってか知らずかクロスケが大きい声で鳴いた。
「もういいのか?」
満足したのかと問いかけるとクロスケは元気よく鳴いて答える。
ゆっくりと高度を下げ始めたことからもそのひと鳴きが満足した、と言っているように聞こえたのだった。
「わかった。あの街に降りてくれ」
この一言をきっかけにクロスケは急降下する。
慌ててその体に抱き着いた俺とリリィが急降下に耐えようと身構えた次の瞬間、突然の浮遊感に襲われるとクロスケが突風と砂埃を巻き上げながら街の正面にある壁の近くに着地した。
「よっと」
人の視線を感じつつもそれを無視してクロスケの背中から飛び降りた。
リリィもひらひらと俺の上を飛び回っている。
クロスケの体が薄い光に包まれたその刹那、ギルドホームにある精霊樹の枝に止まっているいつもの姿である小型のフクロウへとその姿を変えた。
小さくなったクロスケは俺の肩に止まり、俺の頭の上にはリリィが乗りかかるという傍から見ると奇妙な様相へとなったのだった。
「さー、約束だよー。私にお菓子くれるんだよね?」
「ああ、忘れてないから安心しろ。といっても街のどこに何があるのかが解らないからな。まずは街の中を散策してみるぞ」
「えー」
「リリィもどうせ食べるなら美味い方がいいだろ?」
「うぅ、わかった」
頭の上で騒ぎ出そうとするリリィを宥めながら俺は街の中に入るべく街の外門にある関所を目指す。
グラゴニス大陸やヴォルフ大陸と同じようにオルクス大陸でも主要そうな大きな街では必ずと言っていいほど関所があり、その前には行商をしているNPCや俺と同じように街に初めて訪れるプレイヤーが列を成していた。
プレイヤーに種族という概念が追加され短くはない時間が流れたことが影響しているのだろうか。NPCは全員魔人族であることはその外見の特徴からも伺えたのだが、プレイヤーには少数ではあるものの人族や獣人族もいるようだった。
どうやら念のためと思って用意してきた見た目の種族を変えるアイテム幻視薬を使うまでもないようだ。
「止まれ」
多分鬼の特徴を持っているのだろう体格の良い魔人族の男性NPCが関所を通ろうとするプレイヤーやNPCを呼び止めていく。その様子を見守りながら関所に並ぶ人の列に加わること数分、ようやく自分の番がやってきた。
「この街に訪れた目的は何だ?」
「ただの観光だ」
「そうか。通れ」
意外なほどすんなりと通してくれたNPCに少しばかり拍子抜けしながら俺はいそいそと関所を潜り街の中へと足を踏み入れた。
関所を抜けた先に広がっている街は赤いレンガの屋根の石造りの家屋が建ち並び、地面には大小様々な大きさの石が敷き詰められた石畳が広がっている。
街のメインストリートの両端には色々な種類の食べ物が売られている露店の他にも花や新聞などありとあらゆるものを売っている露店が並んでいた。
鼻孔を擽る香ばしい食べ物の香りと甘い花の香り。
それほどお腹が空いていない俺ですら好奇心が刺激されるのだ。元々何かを食べるつもりだったリリィは俺の比でないくらい興味を外に向けている。
「お菓子以外も食べてみるか?」
「いいのっ!?」
「まあ、折角だしな。クロスケも何か食べるだろ」
何気なくそう呟いた俺の肩からクロスケが勢いよく飛び出して行った。
「待ってえー」
「えっ!?」
混雑する人波の上を飛んでいくクロスケを追ってリリィも飛んで行ってしまった。
「おいっ、待てって」
飛んでいくクロスケとリリィを追うために慌てて駆け出したが、目の前を通り過ぎるプレイヤーやNPCのせいで思うように進めない。
何とか見失わないように人込みを掻き分けて進んでいくとクロスケとリリィが同じ露店の軒先でよだれを垂らす勢いで香ばしい香りを醸し出している肉汁溢れる串焼きを凝視していた。
「あの……これは君のですか?」
困ったような笑顔を浮かべた露店の店主が話しかけてきた。
「ああ、悪い。迷惑だったよな」
「いえ。珍しい物を見れたから別に構いませんけど」
いつの間にやらクロスケとリリィを一目見ようと野次馬が集まってきていた。
「何か、俺たちが邪魔になっているような気がするな」
「そんなことないですよ。それよりも買っていってくれませんか? こっちの二人は食べたそうにしていますけど」
「みたいだな。悪いけど三人分貰えるか?」
「まいどっ」
十分に焼けた串肉にこの店主のオリジナルのタレを付けて紙の袋に入れて手渡された。
「1800コインです」
「へえ、安いんだな」
「ここだけの話ですが、この肉は猪型のモンスターの肉ですからね。原材料は案外安いんです」
「モンスターの肉…」
「不安ですか?」
「あ、いや、食べられるのは知っているし、食べたこともあるから大丈夫」
自身の料理スキルの熟練度を上げるためにも時間の合間を縫っては新しいレシピに挑戦してきた時に安価な食材として使ったこともあった。その上作った料理は自分たちで食べもした。食材専用のアイテムと遜色ない味をしているのも確認済みだ。
モンスターの肉ということだけで避ける人も一定数いるようだが、それ以上にゲームでしか味わえないモンスターの肉という食材に興味ありと食指を伸ばすプレイヤーもそれなりの数がいることが周知の事実となっていた。
それでも他の食材アイテムに比べモンスター産の食材アイテムが安価なのはその狩猟数が多いことが理由だった。料理スキルを習得する前は俺も手に入れたモンスター産の食材アイテムはNPCショップに投げ売りしていたのだから、おそらく他のプレイヤーも同じなのだろうと想像することが出来た。
「それよりもなんか皿は無いか?」
「皿? 何に使うんです?」
「クロスケやリリィは串を持って食べることが出来ないからさ」
「なるほど。だったらこれを使ってください。食材取り分け用の皿だけど洗ったばかりで綺麗ですから」
「ありがとう。助かるよ」
店主から空の皿を受け取り、串焼きから串を外して肉を皿に盛っていく。
ストレージにある木片の中から細く長いやつを一つ取り出し、それをリリィに渡した。
「はむっ……あ、美味しいっ」
満面の笑みを見せるリリィと顔を綻ばせながらくちばしで肉を摘み食べていくクロスケに倣い俺も自分用の串焼きに齧り付いた。
「ん、確かに美味いな」
「ありがとうございます」
味もさることながら特に焼き方が絶妙だ。
零れんばかりの肉汁を閉じ込めるかのようにこんがりと焼かれた肉の表面に万遍なく掛けられた特性のたれ。
ひとくち齧る度にしつこくない肉の油の美味さが口の中に広がっていく。
「猪以外の肉もあるのか?」
「ありますよ。牛や鳥、豚に熊。変わったところだと翼竜なんてのも」
「結構種類があるんだな」
「翼竜の肉はそれなりの値段がしますけど他はお手頃価格ですよ」
「そうだな。クロスケがいるし鳥の肉は外すとして、それ以外を全種類三本づつ貰うよ」
「翼竜もですか?」
「値段にもよるけど」
「一本5000コインです」
「お、おお。これの十倍か」
「どうします?」
「折角だから貰うことにするよ」
「まいどあり」
種類別に小さめの紙袋に収められていく串焼きは結局五袋にもなってしまった。
「全部で20400コイン、端数はおまけで20000コインでいいですよ」
「いいのか?」
「一度にこれだけ買っていってくれる人は珍しいですから。それとこれもおまけです」
そう言って先程食べた猪肉の串焼きが三本入った紙袋も渡してきた。
「本当にいいのか?」
「はい。どうやらいい宣伝になったみたいですし」
「宣伝?」
店主の視線の先を追うとクロスケとリリィを一目見るために集まっていた野次馬の誰かが「美味そう」と呟いているのが聞こえてきた。
「なるほどね。それならありがたく貰うことにするよ」
受け取った紙袋は全てストレージへと収めていく。
串焼きを出したままにするのとは違ってストレージの中に入れておけば品質が悪くなるのを遅らせることが出来る。いつまでの同じ状態で保存することは叶わないがそれでも少なくても数週間は持つはずだ。
「これからどうするんですか?」
「一応はもう少しこの街を散策してみるつもりなんだけど」
「そーだよ。まだ甘い物は買ってもらってないんだからね」
「まだ食うつもりなのか」
「約束したんだからねー」
「はぁ、どうやらそういうことらしい」
「は、はは。それならこの先の通りにある黄色い看板のプレイヤーショップが美味しいケーキを売っていますよ」
「ホントっ!? ねえ、ユウ、早く行こうよ」
「分かったから今度は先に行くなよ。クロスケもな」
串焼きを食べ終えたクロスケが返事も無いまま俺の肩に掴まる。
「皿ありがとうな」
「いえ。この街を楽しんでくださいね」
「ああ」
空になった皿を店主に手渡して、意気揚々と身を乗り出すリリィを頭に乗せて俺は店主に言われたケーキが美味しいというプレイヤーショップを探して歩き出した。
俺たちがいなくなった後の串焼きの露店に普段食事に興味を示さないプレイヤーまでもが押し寄せ、歴代最高の売り上げを記録したのはまた別の話だ。




