動く、山 ♯.20
グラン・リーズとプレイヤーの本格的な戦闘の様子は傍から見れば奇妙なものだった。
木々の生えた山のようなグラン・リーズに向かってアーツを、魔法を放ち、また巨大な体躯によって繰り出される攻撃は文字通り効果のないもののように見えてしまうのだ。
実際は確認できないほどの量のあるHPを削っているのだろうが、いつまで経っても、龍核・碧を破壊した後になってもグラン・リーズのHPバーは確認できるようにはならず、どの程度攻撃が効いているのか解らない戦いを強いられているのだった。
「私たちが攻撃する場所は残されているみたいですね」
「まあ、あの巨体だからな。それにプレイヤーの側だって常に攻撃をしていられるわけじゃないんだろうさ」
攻撃、それもアーツを伴った一撃を放つためにはMPが必要であり、それは基本的には有限のリソースなのだ。魔法を主としたプレイヤーであっても近接攻撃に重きを置いたプレイヤーであってもそれは変わらない。このたった一つの事実がグラン・リーズとの戦闘における自然なローテーションを生み出しているともいえるのだろう。
状況を見極め自分たちが攻撃できる隙を探すために立ち止まる。
入れ替わり立ち代わり攻撃を繰り出していくプレイヤーの殆どが勇猛果敢に駆けていくなか、その一端に僅かな穴を見つけた。
「あそこからなら行けそうだな」
剣銃を持っていない方の手で見つけた場所を指さした。
それは予想外にMPを消費してしまったプレイヤーが一足早く引いたことによってできた穴であり、次のプレイヤーが出てくるまでの僅かな時間しかそれは存在しないものだった。
「急ぐぞ」
休息と回復に努めるプレイヤーの隣を通り過ぎる。
既に俺の手には剣形態になった剣銃が、リンドウの手にはその刃が真っすぐになり銀色に輝くレイピアが刀身を露わに握られている。
この瞬間に至るまで障壁を失ったグラン・リーズが見せた攻撃らしい攻撃は三つ。
一つは体を揺らし胴体に生えた木々から木の葉を爆発物として撒き散らすもの。
二つ目はもっと原始的な攻撃だ。その巨体を活かしプレイヤーを踏み潰そうとするのだ。
そして三つ目。これが一番驚いた。砦を破壊するほどの威力を持ったブレスを自分の足元目掛けて放っていたのだ。常に自分を攻撃してくるプレイヤーが鬱陶しいのは理解できる。だが、それでも自分の足まで傷付けてしまう一撃を敵を屠る攻撃として放つなど想像もしていなかった。
三種類の攻撃はどれも警戒すべきものであるが、俺がその中で最も警戒しているのは二つ目。グラン・リーズ自身が巨体を活かして繰り出してくる原始的な攻撃。
残る二つはまだ予知できる。それがブレスであったり木の葉を撒き散らす一撃であるが故に予備動作がみられるからだ。
そのお陰で回避することも防御を固めることも困難ではあるが不可能ではない、そう思う。
だから警戒はそれが見受けられないもの、優先すべきはそれだ。
「ここまで近くに来るとグラン・リーズの大きさがより引き立ちますね」
「怖いか?」
「いいえ」
「心強いなッ」
緊張を解すための軽口を挟みつつ、俺はグラン・リーズの腹に目掛けて斬り付けていく。
種族は竜となっているものの一見すると亀のような外見のグラン・リーズの腹部は地面近くにある。自重に耐えうる四肢もプレイヤーにとっては格好の攻撃の的ではあるのだが、狙いやすい分別のプレイヤーが割り込む隙間が無いという状況になってしまっていた。
それ故に俺が選択したのは胴体、それも比較的狙い易い腹。
剣での攻撃が切り上げに限られてしまうという欠点もあるが、それが最善の策であることは疑いようはないはずだ。
「相変わらず与えたダメージ量が解らないってのはやり辛いな」
「そうですね。けどこれまでの戦いで確実にダメージは与えられているはずです」
「解っているさ。これは…そうだな。癖なんだろうさ」
「癖、ですか?」
「知っていると思うけど、剣銃という武器は照準を合わせた相手は攻撃を当てる前に相手のHPバーが見えるんだ。だから俺の戦いは常に最初から相手のHPが見えていたんだ」
「それで見えないのが不安というわけなんですね」
「そういうことだ」
何度も何度もグラン・リーズの腹に斬り付けていく。≪ガン・ブレイズ≫のスキルにあるアーツは使うことなく≪ブースト・アタッカー≫のみを発動させて。
攻撃力を増した斬撃によって傷ついていくグラン・リーズの腹部だったが、与えたはずの傷は即座に塞がり、無傷の状態へと戻ってしまう。
これでは本当にダメージを与えられていないのではないかと疑いたくもなる。
「チッ」
手応えはあるのに、確実な保証は何一つ得られない。
そんな状況に思わず不満が出そうになる。
「落ち着いてください。確実にダメージは与えられているんですから」
「解っているさ。けど!」
これまでどんなモンスターであっても減少するHPバーによってそれが確実に勝利に向かっているという実感があった。その反対に回復しているのならばHPバーが増えるという現象を目撃することになるだけ、状況を分析するのにこれ以上の無い情報だったのだ。
「せめて、せめて何か判断する要因があればいいのですけど」
「そうだな。グラン・リーズの表情なんてのは解るはずもないし」
「…ですね」
「後は……って、だめだ何も浮かばない」
生憎と動物と接した経験なんてものはクロスケと小さなころに飼っていた犬くらいだ。竜はともかく、亀のような爬虫類なんて飼っていた経験なんてあるはずもない。
これといった策も浮かばないまま、無我夢中に攻撃を繰り返した。
どれくらいそれを繰り返しただろう。
アーツを使わなかったためにグラン・リーズの攻撃を回避する以外でその近くから離れることはなく、自分のダメージを回復するのもそう難しいことではなかった。
「う、うぉおおおおおおおおおおおお!」
自分の中の不安ごと斬り裂いていくかのように一点に留まり連続して剣を振るう。
「ユ、ユウさん?」
突如見せた猛攻に戸惑いの声を漏らすリンドウの近くで俺は一心不乱に剣銃を振り続けた。
それがこの戦闘を終わりに近づける。そう信じて。
「ユウさん、上っ!」
リンドウが戸惑いの表情を浮かべた次の瞬間、今度は慌てて俺の名を呼んだ。
集中して攻撃しているとはいえどリンドウの声は真っすぐ俺に届く。
上に向かって斬り付けて生じた反動を利用した連撃を無理矢理に止める。
剣銃の剣先が地面を削り一筋の曲線が描かれた。
先にグラン・リーズの腹の下から逃げるように走り出したリンドウを追いかけるように俺も全速力で駆けだした。
リンドウに呼ばれなければ気付くのが遅れてしまっただろう。
頭から突っ込むようなジャンプをして、腹這いに地面に突っ伏した俺とリンドウのすぐ後ろでグラン・リーズが四肢の力を失ってしまったかのように垂直に倒れ込んだ。
巻き上がる砂埃を背中で受けつつ、腕で顔を覆うようにして振り返る。
初めてグラン・リーズが大きくよろめいた瞬間だった。
「やっぱり攻撃が効いているんですよ」
嬉しそうな顔をしてそう叫ぶリンドウと同じように喜びを露わにする他のプレイヤーの声も聞こえてくる。
それはおそらくグラン・リーズを覆っていた障壁が消えた時よりも大きな歓声だったのだろう。
歓声が止み、次に聞こえてきたのはプレイヤーが自身をを鼓舞するための叫び声だった。
「行きましょう、ユウさん。今がチャンスですよ」
今度も俺より先に駆け出したリンドウはグラン・リーズの腹ではなく、地面により近くなった胴体、それも背中に近い場所を突いていた。
グラン・リーズが起き上がるまで。それが俺たちプレイヤーに与えられた時間だ。
限られている。そう思えば思うほど、感じれば感じるほど、俺の足は自分の意思に反して動こうとはしなかった。
「動け……」
手までもが強張ってしまったかのように剣銃の柄をきつく握りしめ、本来あるべきはずの必要な緩みを持てずにいた。
「動けよ……」
自分に何が起こっているのか解らず、俺は遠くなるリンドウの背中を見つめていた。
ただ、困惑と苛立ちを抱いて。
「動けぇ! 俺ぇ!」
自分を鼓舞するかのように叫んでみても、俺の体は俺の言うことを聞こうとはしない。
強張っている腕を、足を動かすことだけに集中する。
錆びついた蛇口がゆっくりと回り始める時のように、ぎこちなく俺の体が動き始める。
これで俺も戦える。それが脳裏を過ったその時、マリオネットの操り糸が切れてしまったみたいに俺は膝から崩れ落ちてしまった。
手を離れ滑り落ちた剣銃が地面に転がった。
視線を地面の上にある剣銃へと送る。
まるで何者かが俺に戦うことを禁じているかのように見えてしまい、知らぬうちに奥歯を噛みしめていた。
「……ユウ、任せて」
聞き馴染みのある声がしたかと思うと、俺の体は優しい光に包まれていた。
「これ、は…?」
「無事かい?」
「セッカ、それにムラマサも、どうしてここに」
「私もいます」
「ヒカルも来たのか」
「当然です。仲間なんですから一緒に戦いましょうよ」
「一緒に、か」
心強い仲間の顔を見渡しているとふと一人グラン・リーズに向かってしまったリンドウのことが気になってきた。
俺の元には仲間が来た。しかし、共に戦うはずの俺はここで跪いているのだ。
今更何を言っても変わらないことなのかもしれないが、俺はリンドウを一人にしてしまった。一人で戦うことを強制させてしまった。
どれだけ自分を責めようと、ここで悔しさを噛みしめていようと先に行ったリンドウの無事を知る術は俺にはない。
「大丈夫です。リンドウさんの元にはリンドウさんの仲間が行きましたから」
微塵も心配していない、というような笑顔でヒカルが告げた。
「驚くなかれ、ボールスと餡子の他にシシガミも行ったのだよ」
「シシガミが!?」
「そうだ。彼もここが正念場だと踏んだのだろう」
「……もう、大丈夫」
セッカがそう言うと俺の体を覆っていた光が消えた。
「……動けそう?」
「ああ。問題無さそうだ。助かったよ、ありがとうセッカ」
手を開いたり閉じたり、軽くジャンプしたりして体が思い通りに動くことを確認する。
さっきまでの不調が嘘のように軽やかに体を動かすことが出来るようになっていた。
「何だったんだ、一体?」
「……それは威圧」
「威圧?」
「掛けた相手に対して攻撃をすることが躊躇われるようになる、大雑把に言えばそういう類の状態異常の一つさ。そして、それを掛けた相手というのが」
「グラン・リーズ」
「正解。どうやら倒れる直前に放っていたらしい」
「ユウの他にも数名同じ状態異常に掛かっている人を見かけましたから間違いないと思いますよ」
「……自力で解こうとしていたのはユウだけだったけど」
「確かにね。大概は仲間のヒーラーが治癒するか、状態異常が自然に解けるのを待っていたみたいだからね」
「……はい。落とし物」
セッカが剣銃を拾い手渡してきた。
「いや、確かに落とし物ではあるんだけどさ」
「……何?」
「そんな電車に傘を忘れてきたみたいに……あ、いや、別にいいけど」
セッカの手から剣銃を受け取り、それを戦闘終了時にする動きのように適当に振ってみる。返ってきた感触からも完全に状態異常は消え去り、元の状態に戻ったと判断できるだろう。
「そろそろ行こうか。オレの勘だけどそろそろ決着がつくはずだ」
獰猛な笑みを浮かべながらムラマサがいった。
「そうなのか? HPバーが見えないからどうにも実感が沸き難いんだよな」
「ん? ユウはこういったゲーム初めてなのかい」
「VRMMO自体これが初めてなんだけど」
「そうじゃないさ。敵のHPの残量が視認できないゲームのことさ」
「ああ、そういえば昔は結構ありましたよね。相手のHPが見えないシステムのヤツ」
「昔って…まあオレが子供の頃に流行ったのだけどさ」
「……そういう時ってどうやって戦況を見極めていたの?」
「何度も同じ戦闘を繰り返しプレイできるようなゲームなら慣れだね。そうでないなら経過した時間かな」
「判断基準は時間なのか?」
「基本的に何も攻撃しないなんてことはないだろう。それにああいうゲームには大概制限時間が設けられているものなんだ。だから残りの時間から逆算して大体どの程度までダメージを与えられているのか推し量るってわけさ」
ムラマサの説明を参考にこれまで破壊されてきた砦の数。そして、オルクス大陸での戦闘が先に終わったことを考慮すると、確かにこのイベントにおけるグラン・リーズとの戦闘は終わりに近づいているようだ。
「わかってくれたかい?」
「そうだな。ムラマサの言うことを信じられるくらいには理解したよ」
「だったら早く行きましょうよ」
「……先に討伐されるかも」
「よーし、みんな、いっけー」
いつの間にか姿を消していたリリィが現れた。
「お前が仕切るのかよ」
「イケナイ?」
「別にいいさ。リリィも同じギルドの仲間だからね」
「さっすがムラマサ、話が分かる。それに比べてユウはあ」
「あー、わかった。どうせ戦闘が始まればどっかに隠れるんだろう」
「当たり前じゃない。私は戦えないんだから」
どことなく締まらない雰囲気のなかを俺たちは揃って駆け出した。
倒れ込んでいたグラン・リーズが徐々に起き上がろうともがき始めるがまだプレイヤーが攻撃するには十分な時間は残されている。
今度は俺の足を止めるものは何もない。
「≪ブースト・ブラスター≫! そんでもって≪インパクト・ブラスト≫!!」
グラン・リーズとの距離が近くなり過ぎない程度の場所で立ち止まり、銃形態へと変形させた剣銃の引き金を引く。
撃ち出されるビームのような光弾がグラン・リーズの背中を穿つ。
与えたダメージの程は推測するしかないのは変わらないが、それでも俺の気持ちは以前ほど後ろ向きでは無かった。仮に回復されていたとしても、プレイヤーたちが繰り出している攻撃は確実にそれを上回る勢いでグラン・リーズのHPを削っている。そう信じることが出来たからだ。
無数のプレイヤーの攻撃に晒されるグラン・リーズの体の上で巻き起こる爆発に次ぐ爆発。それらはグラン・リーズと戦っているプレイヤーが放つ渾身のアーツであり、攻撃の際に現れるライトエフェクトの多種多様な色の光を伴っていて場違いなほど綺麗な輝きを放っていた。
魔法、砲撃、斬撃。ありとあらゆる攻撃を受けてもなお平然としたグラン・リーズがゆっくりと体を起こす。
よろめくことも無く、しっかりと起き上がったグラン・リーズが、これまたゆっくりと口を開けた。
ブレス攻撃の予兆だと感付いたプレイヤーが騒めき始める。
「皆、警戒を!」
シシガミの声が聞こえてきた。声に反応して武器を収め防御姿勢を取るプレイヤーたちの頭上で一際大きい光が一際大きい音を伴って放たれたのだ。
この光と音がブレスなのだと気付かないプレイヤーはこの場にはいない。
俺は砦を穿つ一撃が頭の上を通り過ぎていく様を想像したが、それが現実になることは無かった。その代りとでもいうのだろうか。光は地面と水平に砦を貫くのではなく、空に向かって垂直に真っすぐ一筋の光が雲を散らして伸びていったのだった。
放たれたブレスが空を貫き点々と消え去ったその瞬間、プレイヤーの勝利が現実へと昇華する。
グラン・リーズの体の端から生気が失われていき、枯れた木のように変化していく。
四肢が崩れ、頭部が落ち、残されたのは巨大な胴体のみ。
プレイヤーの勝利を告げるファンファーレはヴォルフ大陸の討伐順位を決定付けるアナウンスとして各自のコンソールへと届けられた。
俺たちの順位は二位。
奇しくも俺たちの直後に別の一報が届いた。それはグラゴニス大陸において『グラン・グランデ』が討伐に成功したとのことだった。