動く、山 ♯.11
塔の最上階に集まったプレイヤーが一人また一人と飛び降りていく。
グラン・リーズがこの塔に近づいてきたのは全員が塔のてっぺんから飛び移る準備を終えて間もない頃だ。
遂にその瞬間が訪れたと言って勇ましくも最初の一人に立候補したプレイヤーも居たのだが、やはり最初の一人というのが最も飛び降りることに対するハードルが高いのか、なかなかその一歩を踏み出せずにいた。
それもそうだろう。
十階建てのビルに相当する高さの最上階から命綱なしで飛び降りるのだ。怖くないわけがない。例えそれが接近しているグラン・リーズに飛び移るものだとしても。
とは言え、俺たちも何の策も無く飛び移ろうとしているわけではない。
この塔の中に唯一保管されていたアイテムである魔法が封じ込められた石『ジェム』が全員の手に握られているのだ。
手のひらくらいの大きさで、宝石のように透明であり薄く黄色く色づいている魔法の石。
親切なことにジェムが入れられていた木箱の上蓋にはこのジェムに封じ込められた魔法の種類と効果が記されていた。
魔法の種類は『衝撃』いわゆる風属性魔法の一つらしい。俺はその属性を使えないからリンドウが教えてくれた。
ジェムの効果は衝撃緩和。それも並大抵の効果では無いらしい。十階建てのビルから飛び降りた程度の衝撃ならば何事も無かったようにしてしまうということが説明文に記されている。
なかなか最初の一歩を踏み出せずにいるプレイヤーに痺れを切らして別のプレイヤーが先に飛び移ったことでジェムに封じ込まれた魔法が問題なく発動したことを証明したのだった。
次々とジェムの効果を発動させて安全に飛び移っていくプレイヤーたちと自分の手の中にあるジェムを交互に見る。
ジェムの発動の際に現れるライトエフェクトは球状に広がる閃光の走る光。
ちょうどプレイヤーを覆うように発現するそれは無事に着地した瞬間に搔き消えた。
「そろそろ私たちも行きましょうか」
「ああ、そうだな」
ジェムを握ったリンドウが告げてきた。
まだ数名のプレイヤーが塔のてっぺんには残っているものの、彼らは飛び降りることに対する恐怖心が拭いきれていないのか、飛び降りるという意思が感じられない。
俺としても多少の恐怖心を抱いたがクロスケの背に乗り飛行した経験がある俺からすればそう怖がることでもないのだろう。
そう考えるとごく僅かな恐怖心が春に溶ける雪のようにすっと消えていくのが解った。
「行くぞ」
意を決し塔の最上階からグラン・リーズを見ると、この場所は自分の想像以上に高いことを実感する。
足が竦みたった一歩が踏み出せなくなる気持ちも分からなくはない。
ここが現実ならば俺は確実に踏み出すことを躊躇い、そして止めてしまうかもしれない。可能性で言えば止めることを選んでしまう方が高い。
「先に行きます」
リンドウが何の躊躇いも無く塔から飛び降りた。
髪や防具の端々が風に揺れる。
グラン・リーズの山のような胴体に飛び移ったその瞬間、リンドウの体の周りに光が出現した。
その光はリンドウがグラン・リーズの背に着地するまで消えることは無いのだという話だったが、俺は光が消えた瞬間を目にすることはなかった。
奇妙な事にリンドウが、リンドウだけじゃない、他のプレイヤーも含めそれまでグラン・リーズの背に飛び移った全員が姿を消してしまったのだ。
グラン・リーズがプレイヤーよりはるかに巨大なのは火を見るよりも明らか。
だからといってプレイヤーが完全に見えなくなるほど小さくなったわけではないはずだ。プレイヤーが縮小するなど聞いたことがなかった。
そうなのだとすれば俺が考え得る可能性は一つしかない。
グラン・リーズの胴体でもある山が別種のエリアに設定されている場合だ。
確かめる方法は単純。
飛び降りてみるだけでいい。
ジェムを一つ握りしめ、俺は勢いを付けて塔のてっぺんから飛び出した。
「う、おおおおおおおおおっ」
全身で風を感じながら降下するというのは殊の外、怖い。
高い場所にも慣れ、ここがゲームの中という事実を理解していながらもこの怖さは消すことが出来ないみたいだ。
悲鳴一つ上げずに飛び移ったリンドウの心の強さに静かに感心してしまうほどに。
「ここでっ、使う!」
グラン・リーズの胴体に生えている木々の先端が近付いてくる。
ジェムを前へ突き出す。
しかし、何も起こらない。
「何でッ!」
落下の途中にもかかわらず、俺は思わずに叫んでいた。
アイテムには使用方法というものがある。
ポーションならば飲む、掛ける。インゴットならば伸ばしたり広げたりというように。
それならばジェムというアイテムの使用方法はなんだろうか。
木箱の上蓋に書かれていたのはその性能だけであり、使用方法は記されてはいなかった。他のプレイヤーが平然と使用していたから失念していたが、俺はジェムの使い方というものを知らないのだ。
昔のマンガよろしくジェムを目の前に突き出してみたが反応はない。これまでと変わらず手の中に存在し続けている。
刻一刻と地面が近付いていく。
数秒先に待ち受ける悲惨な自分の姿に顔を引き攣らせつつ俺はジェムの使い方を考えた。
発動と声に出せばいいのかと考えつけば、
「発動っ!」
と叫んでみたり。
コンソールに使用するかどうかの確認が表示されているかと考えつけば、目の前にコンソールを出現させてみたり。
石という形をしていることから直ぐに思い当たればよかった。
でなければこんなにギリギリになってから浮遊感に包まれることはなかったのだから。
「はぁはぁはぁ、投げればよかったのか」
ジェムの正しい使い方。
それがまさか目標に向かって投げることだったなんて。
このジェムに封じ込められた魔法の特性から使用者の近くにあることで意味を成すと思い込んでいたのが気付くことが送れた原因だった。
俺の手を離れ真下へと投げ込まれたジェムは地面にぶつかる事無く空中で何かに弾かれるように砕け散り、その刹那、俺の周囲に衝撃を緩和するための力場を作り出したのだ。
浮遊感に包まれたまま体勢を整えるとそのまま地面に着地した。
グラン・リーズの胴体であるにもかかわらずここが地面だと感じたのは足元に広がっているのが土の地面だったからだ。
青々とした苔が生え、背の低い草が辺り一面に広がっている。
木々は天高く育ち、先が見えないほど。
驚いたことにグラン・リーズが歩いているはずなのに揺れを感じることもない。
「やっと来たんですね」
「リンドウか。悪い、待たせたみたいだな」
「大丈夫です。そんなに時間は経っていませんから」
先にこの場所に来ていたリンドウが笑顔を見せたことに一安心して、俺は再び周囲を見渡した。
本当にここがモンスターの胴体の上であるのかと疑ってしまいたくなるほど広大な自然が広がっている。
「それで、俺たちがここに来た目的はなんなんだ?」
「あれ? 説明していませんでしたっけ」
「いや、まったく。飛び移れるかもしれないからやってみようってだけじゃないんだろ」
「勿論ですよ。ここに来た目的は、一言でいえば探索です」
「探索? ここで?」
「その通りです。グラン・リーズを外から観察した結果、その胴体は一つのエリアのようだということが分かりました。エリアならばそこには当然アイテムが、この場合は素材アイテムがあるはずなのです。そこで私たちがここを探索して何か限定のアイテムがないかどうか確かめようということになって。まあそれだけじゃ無いんですけど」
「他にも目的があるのか?」
「外からの攻撃が効き難いのはユウさんも知っての通りです。ならば近づいて、それも直接胴体に取り付けるくらい近くから攻撃を加えた場合どうなるのかということも検証するように言われています。ですが、この様子だと」
「難しいかもしれないな」
見渡す限りの自然。
そこにモンスターの面影など微塵も無く、まして移動の際に生じるであろう揺れすら感じないこの場所で俺たちは一体どこに向けて攻撃を加えればいいというのだろう。
「と、とりあえずは素材アイテムの探索に集中しましょう」
「そうだな。ムラマサじゃないが、こんな場所に来る機会なんか滅多にないことだろうしな」
俺はリンドウと並びここに見慣れない、真新しいアイテムはないものかと求め歩き出した。
普通の探索の時と同様にコンソールに今いる地点のマップを表示させようとするが、困ったことに表示されたのは暗い画面にNODATAの一文のみ。
自分が何処に立っているのか、どこに向かおうとしているのかを地図で知ることは出来ないということのようだ。
それでも地面は剥き出しになった土肌が道のようになっており、それに従い進んでいく。
一本道、とまではいかないがこの道から外れなければ迷子になってしまうことだけは避けられそうなのが救いか。
キョロキョロと辺りを見回しつつ進む俺にリンドウが問いかけて来た。
「どうですか? 何か見つかりましたか?」
「さっぱりだな。リンドウはどうなんだ?」
「私も何も見当たりません。ユウさんくらいの生産スキルの持ち主でも見つけられないとすると、ここには何もないってことなんでしょうか」
「どうだろうな。俺も生産スキルの種類はそれなりに持っているが全部を均等に育てられているわけじゃない。リンドウの方がレベルの高いものがあると思うぞ」
ここに来る人選として武器の特性だけでリンドウが選ばれたわけではないというのはどことなく気付いていた。
実際、塔から飛び降りたプレイヤーの多くは生産スキルを身に付けた戦闘主体のプレイヤーであり、反対に俺が飛び出した時に塔に残っていたプレイヤーの多くは特定の生産スキルに長けた生産職のプレイヤーであるように見受けられた。
戦闘に不慣れだからなのだろうか。最後まで躊躇してしまってこちらに来ることが出来なかった人もいることだろう。
「そうなると彼らが来なかったのが勿体なく思えてきますね」
「確かにそう思うけどさ。強制できるわけでもないし、強制するようなことでもないさ」
「解ってますよ。言ってみただけです」
肩を窄め首を横に振るリンドウは紅潮する顔を隠すためにか一歩俺の前に出た。
短く二度、軽いパンッという音が響く。
「少しこの道を外れてみませんか?」
自分の顔を自分で叩き気合を入れ直したのだろう。振り向いたリンドウが提案してきた。
紅潮した顔を隠すために前に出たのだとすればその意図は半分だけ成功したらしい。照れによる紅潮は消え代わりに先程自分の顔を叩いたことによる赤みが頬全体に広がっている。どうやら自分で思っていたよりも強く叩いてしまったようだ。
俺が答えを出すまでの短い間、それこそ後ろ向きで歩いている間に紅潮した顔は元に戻る。
「そう、だな。このまま進んでどこに行き着くのかも気になるが、それよりもこの森の中に入った方が何かある可能性は高いかもしれないな」
森、と言ったのは広がっている光景に大木が増えてきたからだ。
ここに飛び降りた時のように先の尖った木が多かった先程までとは違い、今は青々と枝葉が横に広がった大木の方が多い。
太陽の光すら遮ってしまう大木のせいで仄かに薄暗い道なき道の先に待ち受ける物とこのまま進んだ先に待ち受ける物を天秤にかけた時、俺は前者を選んだということだ。
多分、この場所、このエリアとなっているグラン・リーズの胴体にゴールがあるとすれば後者の方なのだろう。しかし、ゴールがそのまま目的地である保証もない以上そこを目指す明確な理由もないというわけだ。
「行きましょう。ここなら幸いにも目印になりそうな大石がありますし」
リンドウが指さす先にある大きな石。それは苔の覆われ緑色になってしまっている物だった。
「それに、こうしておけば再びここに戻ってくることができた時に判りやすいですから」
ガリガリと落ちていた小石で目の前の巨石に覆われた苔の一部を削っていく。
最初矢印でも刻むのかと思えばどうやらそれは違うらしい。直線しか使わないはずの矢印ではなく、丸や四角を織り交ぜた若干複雑そうなエンブレムが刻みつけられたのだ。
「それは、何なんだ?」
「これは私が作った魔方陣です。私の持つスキルは≪刺青師≫ですから」
「刺青か。その割にはキャラクターにはそれらしいものは一つもないようだけど?」
「それはそうですよ。私が刺青を刻むのはキャラクターではなくて武器や防具、後は個人所有の施設の壁や柱になんですから。それに私の魔方陣には簡単な効果を付与させる機能があるんですよ」
「へえ。どんな機能があるんだ?」
ガリガリと削りながら話すリンドウの背中を見つめつつ、俺は興味深いというように問いかけていた。
今リンドウに振り返られれば俺の目はさぞ輝いていたことだろう。ここがゲームであるからなのだろう。それが誇張表現なのではなく目に見えて目を輝かすといった現象が現れることがこれまでの経験で知っていた。
何よりも俺は殊未知の技術というものに強い興味を示す傾向があるようだ。
未知の鍛冶技術や未知のインゴットなどを前にした時によく見られることなのだと前にリタに言われたことを思い出していた。
「これに特別な機能は付けないつもりです。せいぜい私が近付いた時に発光して目印になるようにですかね」
「他にもあるんだろう?」
「そうですね。私が刻み付ける対象に関係したものが多いですけど、これまでに一番多く刻み付けたのは『耐久性上昇』でしょうか」
「なるほどね。施設や装備がメインならそれも納得できるってことか」
「その通りです。っと出来ましたよ」
立ち上がったリンドウの奥にある巨石にはいくつもの図形が重なった幾何学模様が刻まれている。
どことなくそれが俺の使う≪ブースト・アタッカー≫や≪ブースト・ブラスター≫の時に現れる魔方陣と共通した雰囲気があることに気付き興味深く眺めていると、
「あの…」
「何だ?」
「そろそろ行きませんか?」
「あ、悪い。なかなか珍しい物だったんでな」
「そうなんですか?」
「ああ。魔方陣っていうのをプレイヤーの手で他の物に刻み付けることが出来るとは思ってなかった。しかもそのスキル名が≪刺青師≫だとはな。リンドウの使い方から察すると呪い師とかの方が適当だと思うんだけど」
「まあ、私の使い方は例外のようですから」
「ってことは本来はやっぱりキャラクターの体に直接魔方陣を刻むのが普通なんだな」
「それに適した効果の方が多いですから」
「リンドウはそれを使おうって思わないのか?」
「はい。思いません」
「どうしてと聞いてもいいか? ってなんだか今更な気がするな」
「そうですね。今更と言えば今更ですね」
はにかむように笑うリンドウに俺はさぞ申し訳なさそうな顔を向けているのだろう。一度それに気付いてしまえば俺はその顔を元に戻すことが出来ずにいると、
「大丈夫ですよ。ユウさんなら」
と言ってくれた。
「私がこのスキルをプレイヤーに使わないのは単純に面倒だからです」
「面倒? 確かにこの石や施設の壁なんかに刻むよりは細かな作業になると思うけどさ、それは装備でも同じなんじゃないのか? 剣みたいな武器だと多分刀身というよりはその柄の中に隠されている場所に刻んだりするんだろう」
「良く判りますね。その通りですよ」
「だったら、こういっては何だけどさ、刻み付ける場所としては一般的なプレイヤーの腕や足の方が広いんじゃないか? それに防具の場合だってその背中部分に刻むなら体と大差ないだろ」
「まあ、それはそうなんですけどね」
どこか言い辛そうにするリンドウに俺は慌てて、
「言い難いなら言わなくてもいいよ」
と言っていた。
しかしリンドウは首を横に振り言葉を続けた。
「本当に単純なことなんです。私も昔はそれを試みたことがあったんです。けど、自分にそれをする勇気は無かった。だから他のプレイヤー…ううん、友達に頼み込んで練習させて貰ったんです。けど…」
「失敗したのか?」
「いえ。効果を付与することは出来ました。けどその時の私の≪刺青師≫のレベルは1でごく僅かな効果を付与させるためにすら大きな魔方陣を刻むしかなかったんです」
それっきりリンドウが言葉を呑み込んでしまったから正確な所は解らないが、おそらくその友達はその魔方陣が気に入らなかったのだろう。もしかするとそこまで大きなものになると思っていなかったのかもしれない。それにレベルが初期値であることからそれを消す手段を持っていなかったのかもしれない。
自身のスキルのレベルが上がるまで友達に嫌と言われた魔方陣を刻み込んだままというのはかなりの重圧になっていたことだろう。
リンドウの様子から察するにその友達が一時的にしても困窮的にしてもこのゲームから離れてしまったのかもしれない。
魔方陣を消す機会を完全に失っているのかもとすら思えるのだ。
それならばキャラクターに魔方陣を刻むという行為自体を嫌煙しても無理はないのだろう。例えそれが≪刺青師≫スキルの本来の使い方であったとしても。
今も同じスキルを使っているのだってもしかするといつその友人が目の前に現れてもいいようにと考えてのことかもしれない。
邪推に過ぎないのかもとも思うが、その可能性が僅かでもあってリンドウも口を噤んでしまっ手はこれ以上の追及はすべきことではないのだろう。
「これが目印になるならそれでいいさ」
重くなった空気を変えるためにわざとらしくも明るく振る舞う。
そんな俺の意図に気付いたのかリンドウも自分の懸念を振り払うように、
「私が一緒に居ないと意味は無いんですよ」
と大袈裟なくらい明るく告げた。
互いを気遣うような無理な自分たちの振る舞いに込み上げてくる笑いを堪えられず俺とリンドウはモンスターの胴体の上にいるということすら忘れてしまったかのように声を上げて笑いあった。
一頻り笑った後、俺たちは暗い森の中へと歩を進めた。




