動く、山 ♯.10
グラン・リーズに二つ目の砦を突破され戦場は三つ目の砦へと移る。
転送ポータルを使い町から三つ目の砦に向かう道中、ここにも戦闘の傷跡がいくつも残されていた。
この辺りにある傷跡は大きな爪で引っ搔いたような形のものばかり。それが木の幹にも大きな岩にも地面にも見渡す限り至るところに刻み付けられていた。
「こっちの砦でもモンスターとの戦闘があったんですね」
走りながらヒカルがいう。
それまでの二つの砦であったモンスターとの戦闘の時に付けられた傷とは形も大きさも違うが、その起因となったものは共通しているはずだ。
「同じイベントに参加しているんだ、例外は無いということなんだろうね」
真新しい傷跡を一瞥しムラマサが告げた。
「……でも、出てきたモンスターは違うみたい」
「傷跡から察するに大型の動物型モンスターのようだね」
「一匹もいないところを見ると討伐には成功したみたいだな」
大きな通りを抜け三つ目の砦が見えてきた。
形も大きさも前の二つと同じ砦がそこに聳え立っている。プレイヤーの活気が溢れているという点もさほど違いは無い。
先に破壊された二つの砦にいたプレイヤーの何人かは俺たちのように急いでこの砦へと集まってきているようでこの砦にいるプレイヤーの数は過去最大にまで膨れ上がっているように見えた。
駆け足で砦へと近付く俺たちを待っていたかのように手を振っている人がいる。
「皆さん、待ってました」
俺たちを砦の前で待ち構えていたのは先程の砦でも会った人物。ボールスだった。
「他の二人はどうしたんだい?」
「いま人を呼びに行ってもらってます。ここで皆さんを待っていたのもその人の指示でして」
「その人って、誰なんですか?」
「そろそろ来ても良い頃合いなんですが…って来たみたいですね。こっちです」
ボールスが手を振る先。そこにはリンドウ、餡子と並んでもう一人。見慣れない獣人族のプレイヤーが居た。
金色に輝く狐の耳と尻尾。
ムラマサとは違う感じの着物、袴に似た防具を纏い、その手にあるのは扇。
華奢な出で立ちと端正な顔つきの優男。それが二人と共にいるプレイヤーの第一印象だった。
「初めまして。僕は炎武の参謀役を任されている威綱と申します」
バサッと扇を広げ口元を隠しながら軽く頭を下げた。
「俺は――」
「知っていますよ。ユウさんですね。そしてあなた方がムラマサさん、ヒカルさん、セッカさん」
威綱が一人一人を指さし確認するように名を呼びあげていく。
「どうしました? どなたか間違っていましたか?」
「いいや、あっているよ」
「そうですか。よかった」
「それで、皆はどうしてオレたちを待っていたんだい?」
威綱の後ろに並ぶリンドウと餡子のもとに駆け寄るボールスを見ながらムラマサが問いかけていた。
三つ目の砦にグラン・リーズが到着するまでまだ暫く時間はあるとはいえ、ここまで和やかに自己紹介などをしている場合なのだろうか。
威綱が何をしたいのだろうかと扇に半分隠された顔を見つめていると、ふとその奥で威綱が笑ったような気がした。
「一つ相談したいことがありまして」
「相談? 俺たちにか?」
「ええ。勿論他の方々にも声を掛けさせて戴いてはいますが、彼女たちが皆さんを推すもので一度ご挨拶ついでにと思いましてね」
「はあ」
ぽかんとした顔をしているヒカルが空返事をしている。
俺は何を言ったらいいのか分からずに何の意味も無く曖昧な表情を浮かべているだけだった。
「単刀直入に聞きます。皆さんもグラン・リーズ登頂に挑戦してみませんか?」
威綱の問いかけを合図にしたように砦の正面の扉が開き、そこから大勢のプレイヤーが姿を現した。
「登頂って…まさかグラン・リーズに登るつもりなんですか?」
「その通りですよ、ヒカルさん。あのグラン・リーズの形を見て思いませんでしたか? あの胴体はまるで山のようだと」
確かにそう思わなにことは無かった。
何せあの外見だ。普通の龍種のモンスターと同一に考えたことはない、どちらかと言えば亀が近いと思う。巨大な甲羅のようなあの胴体に意味があるのだとすれば、と考えが過ったことも一度や二度ではない。
それでも俺たちプレイヤーにその恩恵が与えられるのだとしたらこのイベントが終わった後なのだろうとも思っていた。イベントクリアの報酬として戦うことを選んだ四皇の種類によって内容の違う何かが手に入るのだと。
「威綱、さんは…グラン・リーズが登頂可能だと思っているんだね?」
「呼び捨てにして貰っても構いませんよ」
「そうかい? なら、威綱はあれほどの巨体に登る方法を見つけたというのかな?」
「正確には僕が見つけた訳じゃありませんが」
「……だったら誰?」
「シシガミです。どうやら一度の戦闘でその可能性と方法を思いついたようで」
相も変わらずその口元は扇に隠されたままだが、俺には威綱がどこか嬉しそうな顔をしているように見えた。
その表情の意味を計りかねているとすぐ近くにいるヒカルが小さく安堵の息を吐き呟いていた。
「良かった。シシガミさんも無事だったんですね」
「今シシガミが何処にいるのかは解らないのかい?」
「残念ながら。先の連絡もグラン・リーズに登れる可能性があるとだけでしたから」
「……そう」
「ああ、そういえば皆さんもシシガミと同じ砦に居られたとか」
「砦の自爆を境に別れてしまってね。あの後連絡が出来なかったことが気がかりだったんだ。無事ならば良かった」
思った通りシシガミは俺たちとは違う形でこのイベントを攻略しようとしているらしい。直接戦い討伐に臨む俺たちがグラン・リーズを追いかけるように砦を転々とするのとは違い、シシガミはどこかに留まりグラン・リーズの動きを分析しようとしているのかもしれない。
「それで、皆さんはどうしますか?」
「……威綱さんたちはどうするの?」
「僕たちの中でグラン・リーズ登頂に挑むのは……」
「私です」
ちらりと後ろを振り返った威綱に代わり前に出たのはリンドウただ一人。
「……一人、だけなの?」
「私の武器なら木々が密集した場所でも小回りが利きますし、ボールスも餡子も予測される状況に的確な戦い方をするとは言い切れませんから」
鍛冶鎚を使う餡子と錫杖を持つボールスではその環境上上手く立ち回れないということなのだろう。
モンスターがいるのかいないのかすら解らない場所に行こうとしているのだ。そこで他人のことを気にしていられる余裕があるかどうかも不確かなまま。
少なくとも自衛が出来るというのが登頂に参加する最低条件となるはずなのだ。
そういう意味でいうのなら魔法を主に使うボールスはその攻撃範囲や魔法の発動までのタイムラグがあることからも一人で戦うというのには向かないともいえる。状態異常攻撃を操る餡子も相手に効くそれを見つけられるまでは不利な戦いを強いられる可能性もある。
少ない選択肢の中で選ばれたのがレイピアという武器を使うリンドウだったという訳だ。
「それならオレたちの中でも同じことが言えるのかもしれないね。魔法を使うセッカや短剣を使うヒカルよりも剣銃を使うユウの方が向いている。もちろん自分が行きたいと言うのならばそれを否定したりはしないけれどね」
「……私はいい。もう少し大砲を撃ってみたいから」
「セッカちゃんが行かないんなら私も止めておきます」
「ムラマサ自身はどうなんだ? 全く興味がない、わけじゃないんだろ?」
「確かに。モンスターに登るなんて経験は滅多にできるわけじゃないだろうね」
「だったら…」
「でも今回は遠慮しておくよ」
「……どうして?」
「その役目は生産スキルを持っているユウに任せた方がいいと思うからさ。どうだい、ユウ。オレたちを代表してその役目を任されてみてはくれないかい?」
三人の、いや、威綱たちのものも含め七人の視線が俺に集まった。
「わかった。俺もリンドウと一緒に行くことにするよ」
俺たちの中にもグラン・リーズに登ることを決めた人がいたことに対するものなのか、それとも全員に断られなかったことに対する安堵なのか、リンドウが嬉しそうに顔を綻ばせ俺の手を掴む。
「では私について来てください」
ムラマサたちを置き去りにして俺はリンドウに手を引かれるまま移動することとなった。
砦に来るときに通った道を逆走するように同じ道を戻りながら進む道中、俺はリンドウに問いかけた。
「何処に行くんだ?」
「グラン・リーズに登るための作戦基地です」
返ってきた答えに一つの疑問符を頭に浮かべたまま歩いていると暫くして先程通ったのとは違う道に出た。大通りではなく木々に囲まれ草花が生い茂る獣道を駆け足で進んでいると俺たちよりも先に砦を立ったプレイヤーたちの後ろ姿が見えてくる。
俺とリンドウもその集団に合流し進むこと数分。道中差し当たる問題は無く砦とは違う形の建造物が姿を現した。
「あれは、砦じゃないんだよな?」
「はい。砦ではなく塔です」
それは天高く、とまではいえないが十分な高さのある石造りの塔。十階建てのビルに相当する高さの塔の入口は砦とは違い常に開かれたまま。
グラン・リーズに登ることを選んだプレイヤーの集団が躊躇うことも無く塔の中へと入って行く。人気の飲食店に出来る行列のようになかなか進まない列に痺れを切らすことなく自分の番を待っているとここまで来るのと同じくらいの時間をかけてようやく目の前に並ぶプレイヤーが塔の中へと消えた。
「行きますよ」
奇しくも俺たちが立っているのは集団の最後尾あたり。
後ろに極々僅かなプレイヤーたちを残して俺たちは塔の中へと入った。
塔の中は本来明かりも何もなく真っ暗だったのだろう。そう思わせる暗闇の中に点々と先に入ったプレイヤーの誰かが残した松明だけが温かみのある光を灯している。
「何もないんだな」
「そうですね。ここには大砲とかは置かれてはいないようです」
「知っていたのか?」
「半分、といったところでしょうか。実際に自分の目で見るのは私も初めてなんですが、一応シシガミから話だけは聴いていたので」
「…そっか」
内部を見回す限り塔の中にあるのは階段だけ。素材が石のせいだろうか。若干の冷たさがこの塔からは感じられた。
「この塔はグラン・リーズと戦うためではなく登るためだけに作られたようなものらしいですよ」
「誰が作ったんだ?」
「さあ?」
「知らないのか」
「この塔も砦と同じようにこのイベントの為に新しく作られた施設みたいですから」
「となると、四皇に登ることは運営側も予測していたってことか」
「そうなるのかも知れませんね」
「別の大陸にも似たような塔があるのかは…」
俺の問いにリンドウは困ったような笑顔を浮かべた。
「知らないわな」
「申し訳ないです」
「いいさ。どっちにしても知ったところで行くわけじゃないからな」
ならば何故問うたと自分につっこみを入れたい気分に駆られたがそれはどうにか堪えることができた。
この塔の本来の役目が何なのかはまだ解らないが、それでもシシガミが突拍子もなくグラン・リーズに登るなどと言い出したわけではないことが分かっただけでも十分だ。
「これだけでかい塔ならこれまでに気付いていてもいいような気がするんだよな」
「気付かなかったんですか?」
「まあ、不思議なことにな。リンドウは知っていたのか? シシガミに言われる前にこの塔の存在を」
「どうでしょう? 気にしたことも無かったですけど、そうですね、気付かなかったと思います。ユウさんはどうなんですか?」
「見たことも無かったくらいだからな」
不自然極まりないと自分でも思うが、最北端の砦の中から外を見渡した時にも見つけられなかったのだから仕方ない。
仮に上から見下ろした時には発見できないようになっているのだとして、最初の戦いの時は俺は地上にいた。その時も見つけられなかったのは何故だとしか言いようがない。
何か自分に情報が入る前は塔のことに気付かないように阻害されているのだとしたら、その方法が気になってくる。これ程の巨大な建造物をも隠してしまう迷彩のような技術があるのだとすれば、それに俺が思い当たるのはギルド『黒い梟』のギルドホームがある迷いの森という場所だろうか。あの場所もシステム的な要因で終着点である精霊樹のある場所が隠されていた。辿り着く方法は正規の手段で森を攻略することだけ。
もしこの塔という建物がそれと酷似したシステムに隠されていたのだとすれば、この状況になるまで俺が知らなかったのも無理はない、のかもしれない。そうだとするならばこれより先にそれを知り得たシシガミという存在に矛盾が出てしまうわけだが。
答えの出ない疑問から思考を切り替えて俺は目の前に広がっている光景に対しての疑問をリンドウに告げた。
「というよりもあの数のプレイヤーが一度に登って、この塔は大丈夫なのか?」
塔に来たプレイヤーの数は二十七人。
お世辞にも頑丈そうとは言えない石造りの塔にそれだけの数のプレイヤーがフル装備で闊歩している。そこには全身を鎧で覆ったプレイヤーまでもいるのだ。これが現実ならば風化している箇所さえ確認できる塔の内部とその階段はプレイヤーたちの重さに耐えきれなくなってしまうかもしれないと思ってしまうのだ。
「大丈夫ですよ。見てくれはこうでも塔自体は頑丈ですから。それにたった二十七人程度で壊れることはあり得ませんから」
「ならいいけど…それでどうやってグラン・リーズに登るつもりなんだ? まさかこの塔のてっぺんから飛び移るってわけじゃないだろうし」
「あ、その、言い難いんですけど。そのまさかです。だから私たちは塔に来たんですよ」
困り顔を見せるリンドウの言葉に驚いた俺は平然と階段を上っていく他のプレイヤーを見つめ、次にリンドウの顔を見つめて、
「マジ?」
と呟いていた。