動く、山 ♯.4
メンテナンスが終了した当日。
仰々しくも雄雄しい砦と壁が街道に沿って等間隔で建てられていた。
特に砦の外周にはそれまでこのゲームでは見たことも無かった設備というか武装が施されている。それらは三種類あり、一つがボウガンを大きくしたようなそれはバリスタと呼ばれるもので、撃ち出される弾丸も一般的な矢ではなく槍のように巨大な矢となっている。バリスタの隣にはバネ仕掛けの投石器、さらにはどこかの海賊船にでも付けられているかのような大砲と、まるでここは要塞かと思わせるような設備が所狭しと並べられていた。
並べられている攻撃手段は一目見た限りプレイヤーを相手にするものではない気がする。撃ち出されるであろう矢や石、砲弾の数々が命中すればプレイヤーはひとたまりもないはず。しかしその撃ち出した物の数々が巨大であるが故にプレイヤーが放つそれよりも遅くなるように設定されている。巨大な的を狙うにはそれでも問題ないのだが、プレイヤーという比較的小さな的を狙うには些か照準が甘いという代物だった。
これらの設備が備わっている砦も壁もその日はプレイヤーは外から眺めるだけで実際に中に入ることはできなかった。
まるで見えない壁に遮られているかのように進もうとしても進むことができず、周囲に出来た人だかりもあまり時間をかけずに消えてなくなってしまっていた。
俺たちがそれらに入ることを許されたのはイベント当日の午前十一時。
イベント開始時刻がこの日の正午だと事前に伝えられているのだから準備に使える時間を用意してくれるとは予想していたがそれがまさかこれ程直前になるとは。
当てが外れたと愚痴をこぼしている人もいるほどだ。
事前に連絡を付け俺たち四人が集まったのはヴォルフ大陸にある砦の一つの入口付近。
ログハウスで待ち合わせをすればいいとも思ったがまずは例の砦の外観を確認したいと考えこうして直接砦で待ち合わせをすることになったのだった。
「ここと似たようなものが他にも無数に存在しているのか」
砦の中に入り、砲身が窓から露出している大砲の一つに触れながらムラマサがしみじみと呟いていた。
ギルドホームだろうと個人所有の建物だろうとここまでの武装を施すことなく、というよりもそんなものを一つでも用意している方が稀。
城があり、モンスターという脅威が存在している以上それに対抗する術が存在していないわけがない。それがバリスタであり投石器であり大砲なのだ。人が自らの力で戦うのとは違うそれらの設備は誰であろうと一定のダメージを与えることが可能となり、プレイヤー程個人の力に優れているわけでもないNPCには最適の道具と成りえるのだ。
感心しているムラマサや珍しい設備を見て目を輝かせているセッカには悪いが、俺はこの設備には少しだけ懐疑的だった。プレイヤーならばこんなものに頼らずとも戦える。魔法であったり弓や銃系統の武器なら遠距離から問題なく戦うことができ、そして近接武器鹿持たないプレイヤーであっても当然それなりの経験を積めば中遠距離での攻撃手段を用意してあるはずだ。わざわざバリスタのような道具を用意されてなくともできることは十分以上にあるはずだ。
「大砲なんて初めて見ました」
「……普通そう」
「このバリスタってのも使ったこと無いですよ」
「オレも実際に使ったことは無いな。別のゲームでは見たことはあるけど」
「……そうなの?」
「そうなんですか?」
「まあそれは昔のゲームでコントローラーのボタンを押すだけだったからね。本当に撃つとなれば少なからず練習が必要なはずさ」
等間隔で並ぶバリスタの一つに触れながらそう告げたムラマサにヒカルとセッカの視線が集まる。
一度熱を帯びた彼女たちの会話というものは存外長くなることを知っている俺は三人での話が盛り上がっていくのを横目にそっとこの場から移動することを決めた。
連絡が取りたくなればフレンド通信でいつでもできるのだから問題ない。
石畳の廊下を進んでいくと時間と共に他のプレイヤーの姿をちらほら見かけるようになっていった。
「それにしても時間があまり残されていないというわりにはのんびりとした雰囲気だな」
新しいイベントだと意気込んでここにきているプレイヤーもいるにはいる。それはしっかりと戦闘準備を終えて磨き上げた装備品の数々を見ればわかることだろう。しかし大半が新しく出現した建物の見物に来ているだけでイベントに本格的に参戦するかどうかわからないプレイヤーたちであることも明らかだった。
「それは此度のイベントがどのようなものになるのかいま一つ理解していないからであろう」
気配もなく近づき、声を掛けてきたシシガミに対して俺は驚きを隠すことに必死にならざる得なかった。
シシガミはわざわざ装備を調整してきたという感じには見受けられなかったが、反面、いつもの調子で何時でも戦闘が始まっても対応できるという自信が全身から滲み出している。
「それぞれの大陸毎に四皇っていうモンスターの討伐速度を競うイベントなんじゃないのか?」
「その認識で間違ってはいない。むしろそれがこのイベントの最優先目標であることには疑うまでも無いだろう」
「だったら何が解らないことだっていうのさ」
「そもそも、その四皇という名のモンスターはどこから来るというのだ? このゲームではモンスターが突然現れるということは幽霊系のモンスターを除けば在り得ないこと。突然現れたように見えてもその実どこかに姿を隠していたというのが基本のはず」
「それに加え、こんな砦よりも巨大なモンスターが何処からくるのか解らないってことか」
「実際にモンスターの影でも見れば意識が変わるのだろう。しかし想像だけでは意識を先頭に向けるなんてことは出来るはずもない」
「シシガミでも…か?」
「そうだな。完全に気が抜けているとは言いたくは無いが、正直そこまで戦闘に意識が向けられているかと言われれば、な」
猪の顔が苦笑に歪む。
ヴォルフ大陸の大きな街道に沿って建てられた砦と壁は確実に四皇の進行を阻む目的で作られたのは事前の説明にも合った通り。しかし何処から現れ何処に行くのを阻もうとしているかという説明はされてなかった。
それ故にこの瞬間に至るまでどこが最初の戦闘の舞台になるのかということで簡単な賭け――無論実際に金銭を賭けるのではなくポーションなど誰でも手に入れることのできるアイテムを賭けて――が行われるくらいにまでなっているのだ。
「小規模な砦は無数にあるが大きな砦は五つ」
「その大きな砦というのがここ以外にもあって、そのどこかが最初の戦場になるわけだな」
ここに居るプレイヤーの数が思って程でないことに納得した俺はコンソールにマップを出現させるとそこにある砦の位置を大まかに確認した。
砦を示すアイコンが抽象的な塔の形で表示され、その中でも五つ一回り大きいそれがマップに記されている。その中の一つが明滅しているのはそこに俺がいるからだ。
「一番確率が高いのはここだ」
シシガミが指さしたのは街道の最も北にある砦。そこが別の大陸との境界線の近くでもあり街道にある砦でいうなら最も前線に作られたものとなる。
「それならシシガミはどうしてここに来たんだ?」
俺がこの砦にいるのは自分たちのログハウスから最も近いのがここだったという単純な理由。どこから順番に戦闘が始まるかなどはシシガミに言われるまで気にもしていなかった。
そういう意味ではこの砦が戦場になるのは二番目になるだろう。
街に近づくにつれて残り三つの砦があるがそこにもここと同様にプレイヤーが集まってきているはずなのだが、一番プレイヤーが集まっているのは最北端の砦であるはず。そう気付くと仮にという前提であっても一番最初に戦闘が始まる可能性が一番高いその最北端の砦に純粋な戦闘ギルド『炎武』のギルドマスターであるシシガミが居ないことは不自然に感じられた。
「最前線にはギルドメンバーが待機している。俺がここにいるのはそこにユウ達の姿が見受けられなかったからだ」
「俺たちが?」
「そうだ。先の戦いで実感したことだがそなたらの実力は前線においても通用する。相手が未知のモンスターなのだからできれば連絡を取って連携が取れるようにしておいた方がいいと判断したまでだ」
「それならリンドウたちにでも伝令を頼むか、そもそもフレンド通信してくれればよかったんじゃないか? わざわざシシガミが出向いてくる必要なんて」
「なに、気にしなくても良い。ちょっとした懸念があったのでな」
「懸念って何だよ。最北端の砦から戦闘が始まるって判断したのもシシガミなんだろ?」
「正確には炎武の参謀だ」
「それはリンドウたちじゃないんだな」
「ああ。まあ機会があれば紹介する」
「で、懸念ってのは?」
半目でそう問いかけるとシシガミはどこか気まずそうにしながら俺を指さした。
「俺?」
「というよりかはユウ、ムラマサ、セッカ、ヒカルの四人だ」
意味が解らないというように俺は首を傾げてみせるとシシガミは少しだけ目を伏せて、
「これは俺の勘なのだがな。ユウたちは他のプレイヤーよりも変わった出来事に遭遇している気がするのだ」
「気のせい…じゃないのか?」
「ふっ、ボールスにもそう言われた。だから俺が一人でここに来たのだ」
仲間に否定されてもなの懸念は払拭することができなかったというわけらしい。
自分の勘に基づいて行動する当たりシシガミはどこまでいってもいちプレイヤーであるという感覚が根強く残っているようだ。
「残念だけどその懸念は間違いだったみたいだぞ。こうしてここは平和そのものだし……」
自分の言葉が何かのフラグを立てたことに気付くのにはそれほど時間は必要なかった。
それは最北端の砦を超えてではなく、山と山の合間からゆっくりと姿を現したのだ。
「どうだ? 俺の勘も中々だろう」
「何か納得できないものがあるんだけど」
俺の呟きは山の合間から現れたそれの鳴き声によって搔き消されてしまった。
耳を襲う重低音の絶叫がそれの鳴き声だったとすればなのだが。
『ユウ。聞こえますか?』
「ヒカルか? ああ、聞こえている。どうやらイベントが始まったみたいだな」
『そうみたいですね。それで今どこにいるんですか? ムラマサさんが合流しようって言ってますけど』
「わかった。ヒカルたちはさっきの所にいるんだな?」
『はい。ずっと話をしていて動いてませんから』
「それならすぐに……」
ふと気づいたように俺はシシガミを見つめた。
そして俺の意図が伝わったかのようにシシガミは口角を上げ頷いてみせるのだった。
『どうかしました?』
「いや、何でもない。すぐにそっちに行くから待っててくれ。ついでに一人助っ人を連れて行くことになるからセッカたちに話しておいてくれるか?」
『助っ人ですか?』
「ああ」
『えっと、解りました。待っていますから急いでくださいね。こっちはなんか変なことになりそうなんです』
詳しいことは後で聞くとだけ伝え俺はシシガミと共に駆け出していた。
ヒカルの言っていたことが気になるとはいえまずは確実に近づいてくる相手に対処することの方が先決だ。
全力で走ること僅か数分で俺は元の場所に戻っていた。
それほど離れていないと思っていたがシシガミと会って歩きながら話をしていたせいで意外と遠くまで来てしまっていたらしく、途中それの接近に慄くプレイヤーを幾度となく目撃してきた。
「待たせたか?」
「……ユウ、遅い。大変なの」
「あれか……」
それは迎撃するためのバリスタと投石器と大砲を取り合って言い争っているプレイヤーたちの姿。
個人所有ではない設備でもプレイヤーが使えるとなれば使うべき。それが今回のイベントの為に作られたものとなれば尚更だ。しかし、予め用意されたということは数がここにいるプレイヤーに合わせたものでは無いことは明らか。その為に自分たちが使いたい設備の位置や種類を巡って口論が始まってしまっているのだろう。
「言い争ってても意味なんかないのに」
「自分が一番活躍したいと思うのは当然のことだ」
「シシガミ? どうしてここに?」
「あー、それはもう俺がさっき聞いた。何でも自分の勘に従って行動した結果だとさ」
「成程ね。ユウのいるこっちが最初の戦場になる可能性が高いと思ったわけだ」
「ん? ムラマサも気付いていたのか?」
「薄々はね。ユウが一般的なプレイヤーの遊び方とは違うというのは前々から気付いていたけど、最近はその傾向が強くなったからね。間が悪いというかなんというか。少し変わった騒動に出会う確率が高いと思ったんだよ。あくまで体感ではだけどね」
「やっぱり納得がいかない」
「諦めなよ。こういうのには出会わない人はとことん出会わないし、出会う人は自分の意思とは無関係に出会うものだからさ」
「それよりも、あの揉め事をどうにかする方が先なんじゃないのか!」
「まあ、ユウの言うことも解るのだけどね。オレたちが何かを言っても彼らが素直に聞くと思うかい? それこそ名の知れたカリスマ性のあるプレイヤーでも居ない限り……ああ、居たな」
「む。これがムラマサの言う変わった騒動というやつなのか」
「ユウの近くにいることを選んだのはシシガミ自身なんだ。諦めるしかないのさ」
「解った。しかし俺の話を聞かない者は少なからずいるぞ」
「それでも、何もしないよりはいいさ。多分時間はそんなにないはずだからね」
ちらり窓の外に目線を送るとそれが先程よりも近づいてきている気がする。
「こちらの攻撃が届くようになるまで目算で約十分。それまでにどうにか纏めて来てくれることを祈っているよ」
ムラマサに見送られシシガミは言い争っているプレイヤーたちの中へと入って行った。
残された俺たちは窓の外に見える規格外の大きさのモンスターに注意を向ける。
一目見るとそれはまるで山がゆっくりと移動しているかのよう。
亀のように甲羅があり、その甲羅には緑豊かな自然が生い茂っている。甲羅の下から首と手足、そして尻尾が見える。
イベント告知の動画や画像で見たものとは若干の差異が確認されたものの、大まかな形に違いはない。
四足歩行の巨大な龍。それがこの四皇の一体『グラン・リーズ』今回のイベントで討伐すべき相手の姿だった。
※
集まっているプレイヤー達が取り合っている中で一番人気があるのはバリスタだった。次点が大砲、そして一番人気が無いのは投石器。
それらの順位は計らずも使いやすい順になっていた。
ユウ達に言われるまでもなくシシガミはその言い争いの中に入って行く必要があると感じていた。この砦を任せたはずの炎武のメンバーがそれに参戦しているから仕方なくといった理由ではあるのだが。
「何をしている」
言い争っているプレイヤー達の中から一人を捕まえるとおもむろに声を掛ける。
突然肩を掴まれ一瞬嫌悪感を露わにしたもののそれがシシガミだと解るとすぐに温和な雰囲気に戻った。
「あ、シシガミさん。どうしてここに?」
「それは個人的な理由からだが。そなたらは何故こんな言い争いをしてるのだ」
「はい、その、これらを誰が使うのかで揉めてまして」
「だからそれが何故だと…いや、そうか」
ここで初めて気が付いた。プレイヤーたちの多くが使う設備の種類ではなく、それが置かれている場所で揉めていることを。
グラン・リーズが進路を変えず、まっすぐ歩いてきていることから攻撃がより当たりやすい場所というのが自ずと決まってくるのだろう。それが偶然にもユウ達が集まっていた場所の近くであったのもまたユウの持つ奇妙な運の賜物なのだろうか。
射撃武器、それも大型のバリスタ等の射線は基本的に直線を描く。それ故に最も攻撃が当てやすい場所が正面となり、同時に最も危険場所も正面となる。
これが現実ならば迫り来るモンスターの正面に立つのは恐怖でしかない。だが、ゲームでしかないこの世界では正面に立つことでは現実のそれに比べるとそこまでの恐怖感を煽ることは出来なかったようだ。
自分達が活躍したいから危険すら織り込み済みで戦いの最前線に立つ。
シシガミにとってもそれは解らなくもない感情ではあるが、あそこまで醜態をさらす必要はない。そう考えてしまうのだ。
いい場所を取れなくても攻撃が出来ないというわけではない。
要は戦い方。
それがシシガミの考え方だった。
「時間が無いことから、ここは俺が指示を出す。それでいいな」
「俺たちはそれで構いませんけど…」
「あそこにいるプレイヤーに知り合いがいる者は?」
シシガミの存在に気付いたらしく同じ砦にいる他のギルドメンバーも綺麗に整列していた。
一人一人の顔を見渡していくと少数ではあるが手を挙げる人が現れた。
「では、その知り合いに声を掛けこちらに協力してくれるように要請をだしてくれ」
「解りました」
整列しているギルドメンバーの中から数名が離れるとシシガミの指示通りになおも言い争いをしているプレイヤーに声を掛け始めた。
「それで俺たちは何をすればいいんでしょうか?」
「まずはあの言い争いを収束させるのが一番なのだが、間に合わない場合は離れた場所から順に使える設備に人を送れ」
「間に合わない、というのは?」
「気付いていないのか? グラン・リーズが近付いてきている」
「それは、解っていますけど」
「こちら側の攻撃の有効範囲内に入るということだ」
「でしたら、やはり俺たちがあの場所にいた方が」
「使えないのならばそれに固執しても意味は無い。それにあの場所を誇示するのならばそれ相応の実力があるということだろう。それならば任せても問題ないはずだ」
「ではここの指揮はシシガミさんがなさるのですか?」
「全くもって遺憾ながらな」
程なくして最初の号砲が轟く。
それがこのイベントの開始を告げる鐘の音となったのだった。