キソウチカラ ♯.32
事が起こった時、その場にシシガミが居合わせたのは完全な偶然でしかなかった。
突如空から舞い降りた合成獣がシストバーンだということはその変化の現場を目撃していない人には解らないことで、何よりも一目見たことのある人にだって直ぐには判別できない程にシストバーンの容姿が変異してしまっているのだ。
先に出現した合成獣に比べると上半身どころか全身余すことなく膨張したその様はエリアにいる何らかのボスモンスターのようにも見えるが、実際、それを種別すると何になるのかを知る人もいない。
人型のモンスターは数多く存在すれど、この場に現れたシストバーンのような見てくれをしたモンスターは一度しか目撃報告がないのだ。
その一度というのもシシガミが獣闘祭の本戦で戦ったプレイヤーが変貌した合成獣のことで実際に戦った経験があるプレイヤーは限られているし、この時のシストバーンはそれ以上の変貌を遂げているのだ。だからなのだろうか、町にいるプレイヤーやNPCはその時の合成獣とは同一の種だとは思われず突如現れたイレギュラーなモンスターだと思っているようだ。
だが、それがもたらす災いは確かに存在する。
客で賑わっていた出店はボロボロに壊れ、焼き立ての串焼きのような食べ物を売っていた店では火の手が上がっている。その原因はコンロ周りに使われているオブジェクトなのか現実にあるガスボンベと同じようなアイテムがシストバーンによる破砕に巻き込まれ、突発的な爆発を引き起こしているのだ。
明らかな緊急事態だと気付いてからの町の様子は騒然の一言だった。
逃げ惑う人やそれに巻き込まれて転ぶ人。それらの多くはNPCのようでプレイヤーはというと驚いたことに合成獣に向かっていく人の方が多いくらいだ。
この場に集まっているプレイヤーは獣闘祭に参加しても本戦に上がれなかった者や本戦に出られたとしても既に敗戦してしまっている者が殆ど。そのプレイヤーたちに共通していることがあるとすれば一様に自分の力にある程度の自信があるということ。
そのせいか突如現れた合成獣に向かって挑んでいく姿が多く見られた。
しかし、その意味が有ったのか無かったのかと問われれば首を傾げてしまう人が殆どだろう。
肥大してモンスターとなったシストバーンに彼らの攻撃は全くと言っていいくらい届いてはおらず、その反対に挑んで行ったプレイヤーの多くは傷つき倒れ、人によっては死亡してこの場から姿を消してしまっている。
そんなプレイヤーたちを気の毒そうに見ているプレイヤーたちがいる。
猛る猪の頭部を持つプレイヤー、シシガミ。リスの大きな尻尾を持つリンドウ、ネズミの耳を持つボールス、そして三毛猫の特徴を持つ餡子の四人。
この四人だけが無策に突撃することなく、一定の距離を保って現れた合成獣の挙動を観察しているのだ。
その理由は一度戦いその危険度を身をもって知っているからなのだが、当然それを知らないプレイヤーに突撃を止めろと言っても聞くわけがないのは重々承知している。ここに居る、それも戦いに挑んでいるプレイヤーたちは己の力に自信があり、苦戦しても負けることは無いと高を括っているのだから仕方ない。
実際の命が掛かっていないゲームだから仕方ないのだろうが、それでも死亡してしまうとそれから数時間はデスペナルティに苛まれることになるのだから、すぐに戦線復帰してくることはないのだ。
その為にNPCや戦わない、あるいはレベルが低いために戦えないプレイヤーの避難が遅れてしまっているのが現状だった。
せめて合成獣の動きを止められれば幾許か避難のための時間を稼げるのだろうが、生憎と果敢にも挑んで行ったプレイヤーは短い時間で倒されてしまっているのだった。
「ここは俺が時間を稼ぐ。皆はその間に避難を完了させよ」
「ハッ」
はっきりと頷いたのはボールスでリンドウはシシガミを心配するように、
「シシガミさん一人で大丈夫なのですか?」
「どうだろうな。出来るだけ時間を稼ぐつもりだが、保証できる確証はないな」
「わたしも残ります」
「ならぬ。俺を気遣うのならば一刻も早く避難を終わらせて合流してくるのだ」
「……わかりました」
渋々と言った様子で了承する餡子は意を決したように振り返り一人先に走り出してしまっていた。
「ちょっと待って餡子。すいません、出来るだけ早く戻ってきますから」
餡子を追いかけ走り出したリンドウの後をボールスも追う。
一人残ったシシガミは未だ狂ったように暴れる合成獣を睨み、
「さて、ここは俺が行かせてもらうぞ。≪猛進≫」
シシガミの両手が光に覆われ、同時にシシガミ自身の威圧感も増した。
本気の戦闘状態に入ったシシガミを初めて認識したのか合成獣は一瞬だけ動きを止め、シシガミのいる方を見た。
そしてその存在が目に入ったその刹那、合成獣の足元にある町の石畳の道が弾け飛んだ。
これが合成獣の突進によるものなのだと理解したものは驚きのあまり立ち止まりその勢いに巻き込まれ、そして気づけなかったプレイヤーはなす術なくそれに巻き込まれ姿を消してしまっていた。
近付いてくる尋常ならざる存在にシシガミは思わず全身を強張らせる。
それでもここで逃げるわけにはいかないのは後ろに仲間がいるから。瞬時に≪猛進≫を次の段階へと移らせると合成獣に向かい駆け出していた。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオ!」
絶叫と同時にもの凄い衝撃が周囲にまで広がった。
がっぷり四つ組み合う合成獣とシシガミは最初の頃こそ均衡していたものの、次第にシシガミの方が押され始めた。肥大した合成獣の体の大きさがシシガミを大きく凌駕しているがために、その地力に差が生じていたのだ。
それでもシシガミは一般的なプレイヤーが使うキャラクターに比べて筋肉質な肉体を持ち、その身長すらかなり高い方になるだろう。だからこそある程度は耐えることが出来ていたのだ。衝突したその瞬間に吹き飛ばされることは無くとも次第に押し込まれ始めるシシガミは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが直ぐに戦い方を変える判断をした。
正面から向かい打つというのが剛の戦い方だとすれば今度のは柔の戦い方。合成獣の勢いを利用して地面へと叩きつける。相撲でいう叩き込みによく似た技を繰り出したのだ。
シシガミの後ろで激しく全身を石畳に打ち付ける合成獣はその突然の衝撃に一度は動きを止める。
しかし、直ぐにまた立ち上がり、今度はシシガミのその攻撃すら警戒したようすでボロボロになった石畳を掴み投石のようにして投げてきた。
どれだけ勢いがあろうとも適当に投げられた石畳の破片など当たるはずもない。
簡単に避けられて悔しがるのかと思えば合成獣は変わらぬ様子で投石を続けている。何回か回避を続けたシシガミがそれを不審に思い周囲に警戒を向けるとその理由が解った。
合成獣が石畳の破片を投げている的はシシガミではなく、その後ろにいる未だにこの場に居続けているプレイヤーだった。
大きく舌打ちをしたシシガミが彼らの盾になるべく自ら投げられた石畳の破片に辺りに行く。≪猛進≫の効果をさらにもう一段階強めたとしてもそのHPの減少は避けられない。
痛みよりも衝撃に耐え続けていると不意に投石が止んだ。
何事かと思うよりも早く、とてつもない衝撃がシシガミを襲う。
足が地面を離れたその瞬間、シシガミの体は遥か後方へと吹き飛ばされて露店を破壊して止まった。
「――ぬぅ、これはキツイ」
苦痛に顔を歪ませながら体を起こす。
たった一度の攻撃が直撃しただけでそのHPは二割近く減らされていた。
「時間を稼ぐことすら困難だとは」
自分一人で勝つことは難しいと理解しつつもここの場で頼りになりそうな人に心当たりはなかった。普段共に戦っている仲間には避難を頼んだのだからまだ暫くは戻っては来ないはず、せめて先程連絡を入れた相手が来てくれることを願うばかりだが。
合成獣が現れてわりとすぐ、仲間と別れる前に連絡を入れていた人物はおそらくこの状況で最も頼りになるであろうプレイヤーだ。その時向こうも何か尋常ならざる事態に巻き込まれているようだったが、こちらも大変な事態になっているのだ。
シシガミを吹き飛ばした合成獣が再び破壊を始めていた。
まだHPは戦闘不能にまで減らされていないシシガミは再び合成獣に向かって行く。
再び自分と拮抗した力を見せたシシガミの出現に合成獣はその破壊の矛先を変えたがそれだけで町の破壊が収まるわけはない。
いわば破壊の余波とでもいうべき爆発がありとあらゆる場所で起こり、生き残っているプレイヤーに襲い掛かっているのだった。
「シシガミっ!」
「無事かい?」
待ちに待ったその人たちが来た。
爆発の奥、シシガミがいる場所とは向かい合って反対の方向から現れた四人がそれぞれの武器を持って駆け付けてくれたようだ。
「他のお仲間のみなさんはどこなんです?」
「NPCや逃げ遅れたプレイヤーの避難に当たっている。一先ずはそれまでに必要な時間を稼ぐことに集中すべきだろう」
「……わかった」
合成獣を挟んで簡単に状況を話し合い終えるとシシガミは三度合成獣に向かって攻撃を仕掛けていった。
「オレたちはどうするんだい?」
「シシガミに協力するのは決まっているんだけどさ、どう戦うかは決めかねているな」
「……なんで悩むの?」
「俺たちはアレの正体を知っているから…なんだけど……ってか、アレの名前が変わっていないか?」
「名前ですか? そういえばシストバーンじゃないですね」
「……『キメラ・バーサーク』」
「もう完全にモンスターになってしまったんですね」
ヒカルの呟きにユウたちは一様に残念そうな視線を合成獣となったシストバーンに向けていた。
そこに込められているのは憐れみか、それとも同情か。
「とりあえずオレは先行してシシガミの攻撃に加わることにしよう」
「でしたら私はシストバーンさん…じゃなくてキメラ・バーサークの注意を引き付けます」
「……回復は任せて」
「これはもう試合じゃない。アイテムの使用に躊躇するんじゃないぞ」
「判っているとも」
「……私の回復は要らないの?」
「そうじゃないよ。MP回復薬もガンガン使えってことですよね?」
「そうだね。オレたちも自分で回復できるところはした方がいいってだけの話さ」
「ヨシッ。行くぞ、皆っ」
四人はそれぞれの役割に適した速度で走り出した。
先行するムラマサが一番早く、次いでユウとヒカル、回復の為に全体を見渡せる位置で立ち止まったセッカはメイスを胸の前で構えている。
合成獣となったシストバーン改めキメラ・バーサークの横をすり抜け正面に出たムラマサは先に戦っていたシシガミに並び、後方ではヒカルがキメラ・バーサークの動きの隙を突いて攻撃をしユウが剣銃の銃形態で射撃を行っている。
基本的な戦闘の形としてはそれでいいのだろう。
問題なのはその攻撃が大して効いている様子がないこと。
このままではどれくらい攻撃を加えれば倒すことができるのか分かったもんじゃない。途方も無い戦闘を覚悟したその刹那、ようやくとでもいうべき現象が巻き起こった。
≪レイドバトル≫
≪参加可能パーティ数2 討伐対象モンスター『キメラ・バーサーク』≫
≪参加しますか? YESorNO≫
続けざまに表示される三行の文字列。
シシガミは迷うことなく、隣にいるユウたちも仲間と顔を見合わせてからYESのボタンを押した。
こうして初めてキメラ・バーサークの頭上に五本ものHPバーが出現する。
町の中という非戦闘区域であるはずの場所での小規模レイド戦の幕が上がった。
「お待たせしました。シシガミさん」
レイドバトルが始まってすぐ、リンドウ、ボールス、餡子の三人はシシガミに合流した。
NPCと逃げ遅れたプレイヤーの避難を粗方終えたのと、突如目の前に現れたレイドバトル開始の知らせに慌てて戻ってきたのだが、そこにユウたちいたのには安心感を得たのは錯覚ではないだろう。
「こちらの動きはいつも通りだ」
「了解しました」
三人を代表してボールスが答えると、残るリンドウと餡子もまた慣れた様子でそれぞれ自分の最も動きやすい距離を取った。
唯一シシガミはムラマサと並びレイド戦の中心となっているが、ここになって殊のほか大人しい印象を周囲に与えたのはユウだった。
セッカは的確なタイミングを見計らいレイド戦に参加しているシシガミのパーティにまで及ぶ回復を行い、ヒカルですらキメラ・バーサークの注意を引こうと持ち得る技の限りを尽くしているというのにユウは一歩下がった場所から射撃を加えているだけなのだ。
できれば戦闘の主軸になって欲しい。そう思ってかユウに注目を送るのはリンドウ。彼女と同じようにボールスもユウに視線を送っているがボールスはユウの口元が微かに動いているのに気が付いていた。
それはまるで誰かと話しているようだ。
それが今のユウを見て抱くボールスの感想だった。
※
シストバーンが合成獣になりその名称をキメラ・バーサークに改めたその時に始まった小規模レイド戦。
二つのパーティが戦いを初めてからは他のプレイヤーやNPCは半分以上安全を確保されたも同然だった。これから先、自分たちにその矛先が向けられるのは二つのパーティが敗れた時。
そして安心感を得られたからか、次のチャンスがあると知ったからか、それとも戦っているのが獣闘祭の決勝進出を果たしている二組だと知っているからか、周りのプレイヤーからはあまり目立った反感は出てこなかった。
負けたら終わりのトーナメントを勝ち抜き、一時的でも自分たちより強いことを証明された八人だからこそ簡単に負けることは無いだろう。負けたとしてもその時はキメラ・バーサークにも多大なダメージを与えているはずだというのが未だここから去ろうとしないプレイヤーたちの認識であることは容易く想像することができた。
漁夫の利とでもいうべきそれを狙う彼らを狡いという人もいるだろうが、戦闘に参加できないプレイヤーやこの獣闘祭という祭りに遊びに来ているだけのプレイヤーにとっては倒してくれる可能性があれば誰でもいいというのが正直な気持ちなのだろう。この世界で生きるNPCにとっては言わずもがな。
「……ユウどうしたの?」
「あ、いや。なんでもない。大丈夫だ」
いつの間にか隣に来たセッカが俺を案じる言葉を投げかけてきた。
ぼーっと思考に耽ってしてしまっていたのは否めないが、ここまで意識が戦闘から離れた事はこと戦闘中に限っては滅多にない事だった。
引き金を引く指が止まらなかったのは最早無意識下で攻撃を行っていただけに過ぎない。だからこそ弾丸が命中する場所はバラバラで、当然のように確実に効果の高い場所に当てているわけではなかった。それでは攻撃が効いていないと感じてしまうのは無理がないことだ。
気を引き締め直す必要がある。このレイド戦が始まってからというもの不思議と俺は集中することができていなかった。
その理由が何なのか。自分に向けた疑問に対する答えを見つけるために時間が欲しい所だが、戦闘中に出来ることではない。
そもそも問いの解らない疑問に対する答えが見つかることなどありえないことなのだ。
「あれだけの図体だ。狙う場所は防御の薄い場所になるんだろうけど」
それが判らない。
全身余すことなく鎧の様な筋肉に覆われているキメラ・バーサークはその関節ですら丸太くらいの太さがあるのだ。小さな弾丸の一撃など殆ど効果がないのも当然だ。
今のところキメラ・バーサークが警戒している攻撃は二つ。ムラマサの属性を乗せた刀による一撃か何らかの強化を施したシシガミの攻撃だけ。ヒカルの攻撃は直接的なダメージを与えることには未だ成功していないようだが状態異常、秀でて麻痺の攻撃はある程度効果があるようで、それを中心にした攻撃はキメラ・バーサークの動きをほんの僅かだが止める効果を発揮していた。それでも警戒を促すには至っていないみたいだが。
麻痺という状態異常にしては短すぎる拘束時間だと言わざるえないがそれでも効果があるのは喜ばしいこと。
シシガミの仲間であるボールス、リンドウ、餡子の三人も現状を理解しているようで今のところシシガミの援護に徹しているようだ。
「目を狙うにも動きが速すぎる。やっぱり剣じゃないと戦力にはならないか」
冷静に現状を分析するとそれが答えなのだ。
いつも通りの戦闘方法をとるなら俺が変えるべきは二つ。
今や一連の動作となったそれを行えば俺は完全な前衛職と化す。
親指が剣銃のスイッチに触れるかどうかというその刹那、俺にフレンド通信が入った。
(また、通信か。今度は誰だ――って、これは)
一応、という意味合いを含め追加した相手からの連絡なのだが、普通は戦闘中にフレンド通信に出ることは無いとしてもこの相手からとなれば出らざるを得ない。
ある意味この騒動の発端となった人物――シラユキからの通信だった。
『久方ぶりです。ご無事でしょうか』
相も変わららず淡々とした物言いは紛うことなきシラユキ本人のもの。何故このタイミングで通信を、などと問い掛けるのは野暮なのだろう。
キメラ・バーサークに関係しているのは間違いないのだから。
「何の用だ?」
それでもこう問いかけてしまうのは、それ以外の返答を持ち合わせていないから。
『聞きたいことが御在りなのでしょう』
「答えてくれるっていうのか、アンタが?」
『勿論です。その為に連絡をしたのですから』
「だったら教えてくれ。アンタたちは…いや、アンタは何の目的があってこんなことをしでかしたんだ?」
此度の騒動で最初から今に至るまで続いていた疑問をぶつけてみた。
シストバーンとローズニクスの目的は立場が違えど同じ。
ローズニクスに手を貸しているバーニたちの目的は知っている。
知らないのは唯一、シラユキたちの目的だけ。
『目的、ですか? そうですね、実験とでも言っておきましょうか』
「実験…だと?」
『合成獣化を促すもの、と言えば解りますでしょう』
「これがアンタの目的だというのか!?」
『冗談です』
「は?」
『合成獣化はあくまでも副産物。いえ、どちらかと言えば失敗作なのです』
淡々と話しているために俺はその語彙に冗談が込められていることに気付かなかった。
そして、次に告げらた言葉も意味にも。
『そもそもあなたは合成獣化が正規のスキルや現象だとお思いなのですか?』
「違うっていうのか?」
『いいえ、違いません』
「なら――」
『ですが、正規の手段であるわけではないのです』
きっぱりと言い切るシラユキに、俺は無言のまま息を呑むことしかできなかった。