キソウチカラ ♯.20
それがいるのは戦闘場の中心だった。
プレイヤーであることは間違いない。しかしどうも様子がおかしい。
腕の筋肉だけが異常に発達し、正気を失ったみたいに暴れまわっているのだ。
「なんだ、あれは……」
ムラマサが小さく呟いている。
しかし何か言い淀んでいるのはどうやらあそこにいる物を形容する言葉を見出すことができていないようだ。
それは俺も同じ。
あの場所に立っているのが何者なのか。そんな疑問が俺の頭を支配していた。
「あれは……合成獣です」
「合成獣? それは何なんだ?」
「複数の魔物を掛け合わせてできる人造の魔物。それが合成獣だと聞かされています」
それは俺の知る別のゲームなどに登場する名であり存在らしい。
だが、それらはモンスターのはず。
ならば、あそこにいるのは本当に合成獣なのだろうか。
「一つ教えてくれ。これまでにもプレイヤー…人が合成獣になったことはあるのか?」
「そのような事例があったとは聞かされていませんが、あれを見る限りはそうとしか思えません」
確たる肯定の材料となるが、同時に否定の材料ともなり得る。
不確定な事実だけが不気味に存在し続けている。
「ローズニクスさん。あなたはどうなさるのですか? 今はまだパワーアップする魔法を失敗し暴走させてしまった、と思われているらしいのですが、これ以上は誤魔化しきれない可能性が…」
なにやら協会の仲間と連絡を取っていたバーニがローズニクスに聞いていた。
「わかっています。対峙しているのはどなたなのですか?」
「ちょっと待ってください、確認してみます……解りました。シシガミさんのようです」
「シシガミ、か」
ムラマサが身を乗り出して戦闘場にいるであろうプレイヤーを探している。
俺もそれに倣いシシガミの姿を探してみると、戦闘場の隅の方で見つけることができた。
猪頭のプレイヤーがシシガミなのは間違いない。となるとその後ろにいるリスの意匠を色濃く残した獣人族のプレイヤーとその隣で気を失っているネズミのプレイヤーが同じパーティを組んでいる仲間なのだろう。一人足りないのは先に倒されてしまったらしい。
それに対して合成獣と化したプレイヤーがいるパーティには他の生存者はいない。戦闘の果て倒れてしまったのか、それとも合成獣と化したプレイヤーが味方をも倒してしまったのか。
「とりあえずはここで見ていればいいんじゃないかな」
「ムラマサさん? 何を言っているんですか!? 合成獣は危険なのですよ」
「だが、この獣闘祭を続けるのならこの戦闘には外野は手を出すことは出来ない。違うかい?」
「それはそうなのですが……いえ、皆さんの安全には代えられません。この試合は中止しましょう」
「えっと、それでいいんですか? それだとシストバーンって人の元の目的通りになってしまうんじゃ」
「仕方がありません。安全第一です」
異形となってしまったプレイヤーはここからでも危険であることが伝わってくる。
しかし、伝わってくるだけで自分たちの手でどうにかしないと危険な状況になってしまったと思えないのはあの場所にシシガミというプレイヤーがいるからだろう。
ムラマサと対峙していた時の印象が嘘ではないのならば、おそらくあの合成獣よりもシシガミの方が強いはずだ。
「安全という意味ならば問題ないはずだ」
「どういう意味ですか?」
「それだけシシガミというプレイヤーが強いということさ」
ここから見る限りリスのプレイヤーはシシガミのパーティにおける回復薬のようだ。それがいま最前線に立つシシガミを回復させているとなると尚更俺たちが手を出す意味がないことになる。
問題となるのは合成獣のプレイヤー。
合成獣の基本となっているのは多分あのプレイヤーが選択した動物――蜥蜴。そして異常に腕の筋肉を発達している原因はまた別の動物の特徴なのだろう。
故に合成獣。
故に異形。
シシガミの戦闘の行く末を見届けている観客もいずれこの異常に気付いてしまうだろう。
(シシガミ。時間はないかもしれないぞ)
※
HPが回復していくのを見届けつつ、シシガミは目の前のプレイヤーに全神経を向けていた。
あれが異形と化した瞬間は見ていた。
魔法、あるいは何らかのスキルが発動したライトエフェクトがしたかと思うと目の前のプレイヤーが苦しみ始めたのだ。
それからは速かった。
蜥蜴の意匠のある獣人族としての特徴の上から別の意匠が他人の手によって加えられたかのような変化が起こったのだ。
装備している外着と内着を内側から破り棄てるように破壊し、剥き出しになった体は人のものとは思えないほどに膨張している。
もはやプレイヤーとは思えないほどの変貌。
それでもこうして敵意を向けてくるのだからタチが悪い。
体力を回復させつつシシガミは人知れず舌打ちをしていた。
「審判が止めないということはこの戦闘は有効ということだな」
「そのようですね」
回復を行っているリスの獣人族プレイヤーがシシガミの呟きに答えている。
「では、倒すまでは終わらぬのだな」
「おそらくは」
「しかし、審判の様子を見る限りこの事態に対応しきれていないだけかもしれません」
時間が経って気絶のバッドステータスが解けたようでネズミのプレイヤーも会話に参加していた。
ネズミのプレイヤーは戦闘はまだ無理らしく地面に座り込んでいるが、シシガミもリスのプレイヤーもそれに何かを言うことはなかった。
「何がともあれ俺が倒さなければならぬのは変わらぬ」
「解りました」
「申し訳ない、自分はまだ動けそうにないです」
「構わぬ。ボールスはそのまま休んでおけ。リンドウも回復助かった」
「いえ、お気を付けて」
「頑張ってください。大将」
拳を握ることもなく自然体のまま合成獣の前に進んでいくシシガミの背中をリンドウとボールスは頼もしくもあり心配も含まれる眼差しで見送った。
「ご、ガあああああああああああああああああッ」
合成獣の叫びは完全にプレイヤーのものではなくなっていた。
「来るがよい。この拳で粉砕してくれるわ。≪猛進≫」
アーツ名を小さく呟いた途端、薄い光の膜が手甲を覆い、それと同時に凄まじい圧迫感がシシガミから放たれた。
両の拳を前に構えるその様はどこかの格闘ゲームに出てくるキャラクターのようだ。
相手がプレイヤーならばそれに臆することもあっただろう。実際に合成獣が現れるまではシシガミの存在というたった一つの事実が相手側のパーティに冷静な判断力を失わせる原因となっていたのだから。
しかしそれも相手がプレイヤーの場合に限る。
合成獣となり半ばモンスターと化した存在にシシガミの放つプレッシャーは殆ど意味を持たないものとなってしまっていたのだった。
だとしても、少しは効果があったのだろう。
それも悪い意味でだ。
生存本能のようなものを刺激したらしく合成獣が本物の獣さながら襲い掛かってきたのだ。
「ぬうぅぅぅ!」
シシガミが合成獣と組み合う。
どれほど強いとしてもシシガミはあくまでプレイヤー。モンスター、それも筋力が特化された存在と組み合って勝てるはずはない。
それでも均衡を保てているのは両の拳に宿る光のおかげだった。
この光は≪拳闘≫スキルにあるアーツの一つ。身体強化の効果を持つ≪猛進≫の発動を示した光だ。
「どうやらまだ俺の方が劣っているようだな」
少しづつ後ろに押されている現実を純然たる事実として口にするシシガミは少しだけ口角を上げる。
「なれば次の段階だ」
シシガミの拳に宿る光の色が変わる。
これまでが淡い白なのだとすれば、今度の色は黄色。
光の色が変わると同時にそれまで一方的に押されていたシシガミが徐々に押し返し始めた。
「これで同等か」
一歩二歩と前へ進むシシガミの言葉通り、最初の地点に戻ったことで再び均衡が戻ってしまった。
余程自分の力に自信があったのか合成獣は獣のような唸りを上げて悔しがっているがある意味でそれはシシガミも同じだった。
自分の力。この場合は≪拳闘≫というスキルとこれまでに鍛え上げたシシガミというキャラクターだが、それらにはシシガミ自身それなりの自信というものがあった。
無論、自分一人で何でもできるなんては考えていない。
ただ、他のプレイヤーよりも強いプレイヤーであることは自他共に認めることだった。それが巨大戦闘系ギルド『炎武』のギルドマスターでありシシガミというプレイヤーだ。
だからこそ合成獣と拮抗しているこの状況は歓迎するべきものではない。
絶対的な強者である必要はない。ないが、仲間を支える支柱であるのがシシガミのプレイヤーとしての矜持であり在り方だ。
「なれば、もう一段階上るとしよう」
自分で自分に架した重圧と責務。
それらが糧となりシシガミはもう一歩先に進む。
拳に宿る光が黄色から橙色に変わった。
「さあ、終わりにしようか。お主もそのような醜態これ以上晒したくはないだろう」
※
シシガミの拳が放つ光を見つめる俺はそれがちょっと前まで使っていた≪強化術≫に近いと感じていた。
強化部位を覆うライトエフェクトもスキル効果が機能している間はずっと効果が現れていることも似ている。しかし、俺の≪強化術≫はシシガミのスキルのように効果を増していくなんてことはなかった。
≪強化術≫はあくまで一定の強化を自身に施すもの。その種類や持続時間に違いはあれど基本は同じ。だからこそシシガミの拳の光が強くなったのを目の当たりにして驚き、息を呑んだ。
「何だかあれってユウのスキルと似てますよね?」
俺が考えていたことと同じことをヒカルも考えていたらしい。
そして答えを知っているであろう俺に問いかけてきたのだ。
「…似てるけど違う。俺が使っているのとは別物だと思う」
俺はヒカルの問いに答えることに一瞬迷った。
ここには俺たち以外にバーニとローズニクスがいる。そのことが自分のスキルのことを話すかどうか迷わせていたのだ。
それと同時にけれど、という思いもあった。
いつかは敵対するかもしれない。けれどそのいつかは今じゃない、そう感じていたからだ。
「俺が使うのは決められた数値分だけ自分を強化するスキルだ。でもあのシシガミのは違う。シシガミは一回目の強化の段階からさらにもう一段階上の強化をしてみせていた。それも二回もだ。俺の持つスキルではあんなことは出来ない」
念のためにとスキル名は伏せて話しているが、勘の鋭いプレイヤーならば俺の口振りからでもいくつかの当たりをつけることができるだろう。
それなのにバーニは何も言うつもりはないという顔を向けてきた。
見て見ぬふりををするつもりなのか、それとも単純に解っていないのか、どちらにしても下手に訊ねて墓穴を掘っては意味がない。
バーニが知らないふりをするのならばそれに便乗することにして、俺は再びシシガミと合成獣との戦いに集中することにしよう。
※
一度目の発動後二回目となる≪猛進≫の効果を拳に宿したシシガミはがっちりと組み合う合成獣を押し返し始めた。
このまま戦闘場から落としてしまえば場外となり試合という形では勝利を収めることができるだろう。しかしそれでは合成獣をこの場所で野放しにしてしまうことになる。HPを全損させたとして元に戻る保証はないが、何もしないよりはマシなはずとシシガミは両腕に込められた力をほんの少しだけ緩め自分から均衡を破ることにした。
急に力の掛かり具合がが変われば当然予期していない方がバランスを崩す。合成獣が微かによろめくとその隙を的確に突いてシシガミが蹴りを放つ。
マンガの様に水平に飛んでいく合成獣が器用にも空中で回転し体制を整えると、両手両足を地面に突き立てて何とか戦闘場の上に踏み止まっていた。
「ただの蹴りではダメージは僅かのようだな」
想定通りという顔をして、たいして驚いていないシシガミがこれまでとは違う構えを取った。
「≪戦技・猪突≫」
橙色の光が拳だけではなくシシガミの腕を伝い全身へと広がる。
その時間僅か数秒。
合成獣が完全に体制を取り戻し突っ込んでくるまでの間にはシシガミがアーツを発動し終えるまでの十分すぎる時間が与えられていた。
一歩ごと地面を破壊し前に進む合成獣を迎え撃つシシガミはさながら巨大な猪のよう。
左右から戦闘場の中央を目指し駆け、同時にぶつかり合う両者に勝敗をつけるのは単純な力。
もの凄い衝撃と轟音が発生し、両者がぶつかり合った地点では二人の姿を隠すかのような砂埃が巻き上がった。
コロシアムが持つ自己修復機能によって砂埃と戦闘場の破損が修復されたその場所で立っていたのはシシガミ一人。
合成獣となったプレイヤーはHPを全損させて消滅してしまっていたのだった。
「これは……?」
不思議なのはその場所に小さな壊れたアクセサリが落ちていたこと。
PKは勿論の事、今回のようなイベントにおけるPVPでは相手を倒したとしても何かが手に入ることはないはずだが、それは確かにこの場所に残されていた。
まるで、何かの忘れ形見のように。