キソウチカラ ♯.3
喧嘩という割には物事は静かに進行していた。
誰かを罵倒する声が轟くわけでも、武器同士が打ち合う音が聞こえてくるわけでもない。どちらかといえば野次馬の話し声の方が大きいくらいだ。
「あんたら本当に知らないのか?」
「何をだ?」
「だからシシガミのことをだよ」
「知らない。有名人なのか?」
目の前のプレイヤーの驚きようからすればシシガミはそれなりに有名なのだろうが、俺たちはこの大陸に来て日は浅い。それにもまして普段は山奥に引きこもっているときた。町で何かが起こったとしてもそれが耳に入ってくるとは限らない。
「大陸一の戦闘系ギルド『炎武』のギルドマスターさ」
相も変わらず俺たちは知らないというように首を振った。
「本当か? あんたら初心者……には見えないけど」
「人付き合いが苦手なのさ」
軽口を叩きながら騒動の中心へと進んでいくと、静かに睨みあう二人のプレイヤーの姿が見えてきた。
そのうちの一人の姿を目の当たりにして思わず呟いていた。
「シシガミのシシって猪のシシなのか」
てっきりライオンの獅子なのだとばかり思っていた。
着ぐるみのようなデフォルメした猪の頭部ではなく、本物の動物の猪の頭を付けた男が初めて動きを見せた。
威嚇するように両手につけた手甲を大げさに打ち合わせてみせたのだ。
「戦闘系は手甲を選ぶなんてジンクスがあるのか?」
別のプレイヤーの顔を思い浮かべながら呟いた。
そんな俺の隣でヒカルが目を凝らしながら訊ねてくる。
「あの……一ついいですか?」
「……なに?」
「あれって、ムラマサさんじゃないですか?」
「何!?」
人込みに紛れてもう一人の顔が確認できないでいた俺はヒカル言葉に促され、慌てて身を乗り出した。
「どうしてあいつがここにいるんだ?」
服装は新しくなっているものの、あの顔は間違いなくムラマサだった。
しかも姿は人族のまま。獣人族ばかりがいる町の中では驚くほど浮いている。『幻視薬』を完成させていなければ俺たちもああなっていたのかと思うと背中に冷や汗が流れるのを感じていた。
「お、始まるみたいだぞ」
プレイヤーが言うようにムラマサとシシガミの戦闘が始まった……わけではなかった。
シシガミが両手を構え、ムラマサが刀を握る腰を落とす。
しかし、たったそれだけで一触即発の雰囲気は消え、シシガミは豪快に笑って見せたのだ。
「どういうことだよ。なんでシシガミともあろうものが戦わないんだ?」
「まさか怖気づいたとでもいうのか」
信じられないものを見たと言わんばかりに騒ぎ出すプレイヤーたちの横で俺は人知れずほっと胸を撫で下ろしていた。
「なにがともあれ大事にならないのはよかった」
「何ぃ」
プレイヤーの一人が今にも掴みかかってきそうなまでの剣幕で俺を見てくる。
「俺に突っかかってきても意味はないだろ。言いたいことがあるのなら本人に言ったらどうなんだ?」
「そ、そんなことできるわけないだろ」
「どうして?」
「シシガミがおれを知っているはずがない」
「そうなのか?」
「当然だろ。あっちは炎武のギルドマスター、こっちはしがない一般プレイヤーなんだ。面識なんてあるわけがないさ」
憧れを抱くだけで自分からは近づいて行かない。
そんな風に考えることが普通なのかと思うとなんとも言えない気持ちになってしまう。
「それじゃあな」
「え?」
「おれたちは行くわ。これ以上ここにいても面白そうなものは拝めそうにないからさ」
去っていくプレイヤーの後ろ姿を見送って、俺は騒動の中心になっていた二人のうちの一人、ムラマサの姿を探した。
時間など殆ど経っていないというのにムラマサの姿も、シシガミという猪頭のプレイヤーの姿すら忽然と消えてしまっていた。
「あれは本当にムラマサさんだったんですかね」
「っていうか、二人はムラマサを知っているのか?」
「……ユウこそ、ムラマサと知り合いなの」
「昔のイベントでちょっとな。二人はどこで知り合ったんだ?」
「知り合いってわけじゃないんですけど」
「……ムラマサは有名人だから」
「有名人? シシガミって人みたいにか?」
「……ちょっと違うけど、大体同じ」
「大体ってどういうことなんだ?」
「シシガミって人は大きなギルドのギルドマスターだから有名なんですよね」
「……ムラマサは本人が有名なの」
「なんで?」
「珍しいスキルを使うから、らしいんですけど、見たことは無いんですよね」
ムラマサが使う珍しいスキルというのはおそわくあの剣術スキルのことだろう。
確かにこれまでのプレイで他のプレイヤーが同じスキルを使うのは見たことがなかった。そもそも知らないプレイヤーと一緒に戦闘をするという機会自体が皆無に近かったためにそれを確かめること自体できているかと問われれば、答えに詰まってしまうのは否めないのだが。
「……もしかして、ムラマサって人を仲間に誘うの?」
「そうなんですか!?」
「駄目かな? 知らない人に声をかけるよりは俺としては幾分かハードルが低いんだけど」
知らない人に声をかけ続ける苦行を避ける口実としてはなかなかのものだろう。
「それにさ、ムラマサなら十分戦力としてもあてになるし、あの外見の問題だって俺たちならなんとかできるだろう」
「そうですね」
さっきの騒動の原因が仮にあの姿にあるとするのならば、それを解消できるのは俺たちだけだということになる。
余計な心配かも知れないが、この大陸で活動していくのならばあの姿のままでは少しばかりやり難いと感じていることだろう。ムラマサが知り合いだから、ということもあってか、俺はどうにか手助けをしたい。そう思っているのだ。
「……それじゃ、探してみる?」
「ああ。まだそう遠くに入っていないはずだから手分けして探そう」
「見つけたら連絡してくださいね」
「……うん」
「わかった」
広い町の中、たった一人を探すことは困難。
それでも、と俺たちは思い思いに町に散って行った。
ヒカルとセッカはそれぞれ左右に分かれ、俺はより町の中心部に行くのではなく、路地裏のちょっと寂びれた街道を目指した。
人目を避けるなら人気の少ない路地裏を使うと思ったからだ。
そうはいってもラハムは大きな町。路地裏と言えどもそこに行きかう人の数はそれなりにいた。
「仕方ない。先に買い物をすませるとするか」
「何を買うのー?」
背中のフードの中から顔だけを出したリリィが俺の独り言に反応した。
「静かだったから帰ったとばかり思ってたけど、いたのか」
「居るよー。何か騒がしそうだったから隠れてただけ。で、何かあったの」
「昔の知り合いがいたんだ」
「へぇ」
「興味なし、か」
「うーん、私も知っている人?」
「どうだったかな? ムラマサって名前だけど、憶えているか?」
「ううん。知らなーい」
フードから飛び出してきてリリィが歩き続ける俺の肩に座る。
その様が一瞬だけ他のプレイヤーの注意を引いたようだが、すぐに向けられる視線は霧散した。
「なんかしたのか?」
「ちょっとねー。最近使えるようになったんだー」
リリィは説明をするつもりはないようだが、俺が推測する限り認識を操作する魔法、あるいはスキル。
俺自体は変わらずに認識されていると感じることからも、これはリリィだけを認識の外に追いやるというものなのだろう。
「でさ、何を買うつもりなの?」
「それはだな……あった、ここだ」
立ち止まったのは古びた看板を掲げた一軒の店。
NPCショップではなくプレイヤーショップであるこの店は素材屋と呼ばれている類の店だった。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けて店の中に足を踏み入れた俺を迎えてくれたのはプレイヤーではなくNPC。
NPCはこの店の看板にあるものと同じ文字が記されたエプロンを身に着けているのだからおそらくは店主が雇っているのだろう。
「食材は売っていますか?」
初めて会うNPCだから俺は口調を普段のものから畏まったものに変えた。
最近はラクゥたちのようにいきなり攻撃を仕掛けてきたりしない限り俺は口調を変えるということを覚えた。本来ならば基本的なことなのかもしれないが、元々あまり人と関わらずに遊ぼうと考えていた時に比べれば進歩したことだろう。
それも最近はそれなりの数の人と関わって来た成果なのかもしれない。
「こちらです」
とNPCに案内された先にはどこぞのスーパーのように食材が所狭しと並べられている。
多いのは野菜と果物。肉や魚などは乾燥させた保存食しか並んではおらず、値段の他の食材に比べると割高となっていた。
「何を作るの?」
「別にすぐ何かを作るわけじゃないけどさ、そろそろストックが無くなって来たから補充だな」
ログハウスの畑で作っているのは薬草類ばかりで食材は作っていない。
それは、薬草類と食材となる植物とは単純に栽培に使う肥料や栽培の方法が違うから。どちらの方が難しいということはないが、専門的にしなければ良質なものが作れないのは世の常。ちょっとかじった程度の知識と腕で試すよりもちゃんとしたプレイヤーが作ったものをそのプレイヤーショップで買った方がマシなのだ。
この店にも俺は何度か足を運んでみたことはある。
とはいえまだ一度も店主のプレイヤーと会ったことは無いのだけど。
ゲームのアイテムとして存在している野菜には一つ一つの品質に差はなく、全て均一の品質となっている。そのために腕の悪いプレイヤーが作ると全てのものが質の悪いものとなり、反対に腕のいいプレイヤーが作ると全てが一級品となる。
そういう意味ではこの店に並んでいる食材は質がいいと言えるだろう。
安心して食材を吟味していくなか、俺は食材アイテムに最初の頃との違いが現れだしていることをひしひしと感じていた。
以前はファンタジーの世界観を演出するためなのか食材アイテムの色が現実とかけ離れていて紫色のリンゴなんかも存在していた。それが最近はプレイヤーが作っているものに限り現実のそれに酷似した色と形になっている。
どうやら実際に食べられるとなり、様々な料理アイテムが出回り出したころにそれなりの量の意見が運営側に投げかけられたらしい。現実とかけ離れているだけならまだしも、食べたいと思えないような色は避けてほしいと。
その結果、俺たちが現実でよく見る色と形をした食材も出回りだした。
NPCショップで売っているものは今も以前の色と形のままだが、それらはプレイヤーショップよりも安価で性能自体もあまり変わらないとして一部のプレイヤーには重宝されているらしい。
「ありがとうございました」
棚に並ぶ食材をかなりの量購入して料金を払う。
持てないくらいの量を買っても実際にはストレージに収まるだけで、実際に持ち運ぶことに困るわけではない。
また外に出し続けていない限り劣化することもないために一度にかなりの数を買うことに対する弊害もない。本当ならその時その時の流通価格を調べ安いものを買うのが節約に繋がるのだろうが、一度気にしすぎで辟易してからというものどうせ使う消耗品だと割り切って値段は気にしないことにした。
「行くぞ」
「ちょっと待ってよー」
店内を物色していたリリィを呼んで俺はドアを開けると再び路上へと出る。
フードのなかに収まったリリィの重さを感じつつ歩き出した。
「っていうかさ、ユウは知り合いなら連絡してみたらどうなの?」
「あ!! そうだな」
「もしかして忘れてたの?」
「まさか。先に買い物をすませたかっただけだ」
「ホントかなぁ」
軽く咳ばらいをしつつ俺は自身のフレンド一覧を開いた。
そこに並ぶ名前の中から『ムラマサ』を探し触れると別のウインドウを出現させた。
フレンド通信とトレード申請、そしてその下にあるフレンド解除。三つの項目の中から一番上を選択すると俺にだけ聞こえるコール音が鳴り始めた。
このコール音も自由に変更できるらしいが、俺は面倒で弄ってはいない。
一般的な電話の呼び出し音が鳴り続ける。
『ユウか。久しいな』
十回ほどコール音が鳴るとムラマサが出た。
「ああ、久しぶりだな。いきなりで悪いけど、聞いてもいいか?」
『何だ。別にいいぞ』
「今ムラマサはヴォルフ大陸にいるのか?」
『そうだな』
「一度会って話せないか?」
『勿論だとも』
「よかった。それで今どこにいるんだ?」
「ユウの後ろさ」
驚く俺の後ろにムラマサが穏やかに微笑みながら立っていた。




