未知への旅路 ♯.10
「マジか……」
目の前に立ち込める黒煙を見つめながらギブリが呟いた。
吹き付ける潮風によって視界が開けた時にはもう船の甲板は大きく抉られていた。
「自爆するかぁ、フツウ!」
「素が出てますよ」
「そ、そうか」
照れながら咳ばらいをするギブリを横目に、ライオットは呆れたように視線を逸らし、
「そんなことよりもセッカたちはどこに行ったのですか?」
「どこって……まさか、いないのか!?」
「見ての通りです。幸いにも船の損傷は甲板だけで済み航行には問題なさそうですが……」
そこで言葉を区切るライオットを見てギブリは慌てて周囲を見渡した。三百六十度見まわしたところでギブリは一人苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「まさか爆発に巻き込まれたというのか?」
「それはないと思います。リーダーと似たような距離にいたヒカルとユウならまだしも、私の隣にいたセッカまで爆発に巻き込まれたというのは妙です。仮に巻き込まれているとするのなら私たちも無事では済まないはずですから」
「確かにそうだな。しかし、そうなのだとすれば、彼らにはいったい何が起きたというのだ」
不意に起こった予想外の状況にギブリは天を仰いだ。
せめて無事でいてくれ。そう願いを込めて。
俺が憶えているのは鼓膜を揺さぶるような轟音、それと全身を襲ったすさまじい衝撃だった。それが爆発音であり爆発の衝撃なのだと気付いた時には既に俺は海の中に落下してしまっていた。
船の破片なのだろうか。いくつもの木片と金属片が次々と雨のように降り注できた。
ゲーム中で水泳するとは思ってもいなかった。しかし、破片に当たるわけにもいかず、俺は必死に泳ぎ続けた。
(――っつ、二人はどこだ?)
呼吸を止めて目を開き、濁る海の中でヒカルとセッカの姿を必死に探した。
現実とは違い、ゲームの中ではいつまで息が続くのか分からない。
息苦しさや呼吸ができない苦しみなどは感じない。その代りなのだろうか、視界に見慣れないゲージが一つ出現していた。
HPともMPとも違う。色で表すなら水色。そのゲージが徐々に減少しているのだ。
(これは、もしかして酸素ゲージか)
確かめるためにも一度大きく息を吐きだしてみたいと思ったのだが、今は止めておいたほうがいいだろう。二人を見つけられていない上に、これがなくなった時どうなるのかはっきりとしていないのだ。下手な好奇心と探求心は控えるべきだ。
ゲージの残りに気を配りつつ、俺はより深く潜ってみた。
船の破片に妨げられてもまだ浅いところでは見通しがきいた。せいぜい数メートル程度だが、それでも泳ぎながら移動して探すことは可能だった。しかし、深度を増していくとそうもいかない。光が届かず、視界は徐々に暗闇に支配されていく。
あてもなくがむしゃらに探しているのでは当たり前のように二人の影すら見つけられない。
そうこうしている間に俺の酸素ゲージは半分を切り、その色を変化させていた。
(チッ、このままじゃ埒が明かない)
先ほどの悪魔ダコとの戦闘よりもやばい状況だ。
見つからない仲間に、確実に迫りくるタイムリミット。
これで焦るなというほうが無理な話だ。
けれど、焦ってしまえば全てが悪い方へと進んでしまう。
普段こういう時は深呼吸をするのだけど、当然海の中ではできるはずもない。それでも目を閉じ、目から入ってくるすべての情報を遮断することで少しばかり落ち着くことができた。
もう一度ゆっくり目を開く。
入ってくる情報に変化はないがそれでもさっきよりは幾分か冷静に思考することはできている。
(まずは光がいるな。何か光源になるようなものは)
自分のストレージにあるものを総ざらいしてもそこに光源に代わるものはありそうもなかった。
それもそのはず。このゲームの世界観では電気ではなく松明が一般的な明かりとして用いられている。俺が以前いた工房もギルドホームだってそうだ。壁に掛けられているのは電灯ではなく燭台。天井から吊られているのも最新のLED電灯ではなくシャンデリア。
電気の代わりになりそうなものといえばスキルによって出現する雷だろうか。しかしそんなものをこんな海のど真ん中で使ってしまえば俺自身が感電すること間違いなしだ。
(ま、俺が使えるってわけじゃないんだけどさ)
まったく、誰に対しての言い訳なのだか。
結局光源らしい光源を見つけられないまま俺は海の中を漂うこととなった。
見通せるのは手の届く範囲だけ。それでも必ず俺の手を握り返してくれる。見つけることができると信じていた。
信じていたのに、タイムリミットはいとも簡単に訪れた。
(ゲージが無くなるとこうなるんだな)
酸素ゲージが無くなった途端、今度は俺のHPバーが減り始めた。それもモンスターの攻撃を受けて一度に減るのではなく、毒の沼に足を踏み入れてしまった時のように、少しづつ減少し始めたのだ。
おそらくこの減少を止めるのは簡単なのだろう。
海面に顔を出し、呼吸をするだけでいい。
体の力を抜くだけで自然と体は浮上することができる。だからこそたいして難しいことではないと言い切れるのだが、この時の俺は自分のことよりもいまだ見つかっていない二人の仲間のことが気になってしょうがなかった。
探すことを止められず、仲間のことを諦められない。
最後の最後まで探し続けた結果、俺のHPバーは全損した。
このゲームではプレイヤーがHPを全損すると最後に立ち寄った街に強制的に戻されるようになっている。これがいわゆる死に戻りというやつだ。その際HPが全損するまでの過程には意味がない。ただ、全損したという結果だけが重視され、皆が平等に街に戻される。それは俺がいま海の中でHPを全損したのも同様だった。
現実の体に負担をかけないようにするためだろう。HPを全損しても気絶をするということはなく、実際は通常通り行う転送の時のように淡い光に包まれる感覚だけが訪れる。
次に目を開ける時には最後に立ち寄った街にいる。俺の場合は港町コラトになっているはずだがそこに戻されているはずだ。
そんなことを考えること十数秒。
全身を包んでいた光の感覚が消え、代わりに冷たい風が体を撫ぜている感覚が押し寄せてきた。
「――っつ、ここは――」
太陽の光を眩しく感じ、手を目の上まで持っていき影を作りながらそっと目を開ける。
視界に飛び込んでくる見慣れない景色と同時に自分の体に圧し掛かる妙な圧力に気が付いた。
「そういえばコレもあったな」
コレというのはHPを全損したときにあらわれるデスペナルティだ。一般的には一定時間パラメータの減少、およびアーツ使用不可がその内容となっている。
何度か手を開いたり握ったりを繰り返し、しばらく味わっていなかったその感覚を体に馴染ませた。
レベルが上がればその分HPの総量が上がり全損の危険性は下がる。さらには俺は自分で作り出せるポーションを常に一定量携帯していることもあって無茶な戦闘に挑んだりしない限りHPの全損は起こり得ないこととなっていた。
だから久しぶりといえば久しぶりの感覚だった。
「さて、二人を探すかな」
俺が港町コラトまで戻されているというのなら同じパーティを組んでいる二人も同じだろう。これから死に戻りされるにしても先に戻されているにしてもだ。
それにしても、と近くを見上げて思う。
俺が港町コラトで散策したのが船を探すために港だけだったのだが、この景色は本当にそうなのだろうか。
なんと称すればいいのか。俺が知る港町コラトとはどこか違って見えるのだ。
生えている木々にしてもそうだ。
葉が大きく、幹は長い。ヤシの木のように見えるこれらはどう考えても南国、もしくは気候の良い海沿いの町に生息している植物のようだった。
港町だからか?
海が近いからか?
「よかったぁぁぁ。無事だったんですねー」
ヤシの木に似た木に触れようと手の延ばしたその時だった、聞き馴染みのある声がしたのは。
「……良かった」
「二人とも、無事だったのか!?」
海の中で必死になって探していた二人が目を潤ませながら近寄ってきた。
「ユウが遅いから心配したんですよ」
「……なにしてたの?」
「何って……俺はいまここに送られてきたばかりでって、あぁそっか、俺の方がレベルが高いから死に戻りが遅かったってわけか」
ヒカルとセッカはほとんど同じレベルをしている。だからここに送られるのも似たようなタイミングだったのだ。だとしてもそれから俺が送られるまで二人が心配するほどの時間は掛かっていないはずだが。
それに、
「セッカはスキルで回復できるんだから俺よりも遅くなるんじゃないのか?」
「……回復しなかったから」
「どうして?」
「……私だけずっと海の中にいても仕方ないから。それよりも皆で街に戻された方がいい」
「なるほど」
「でもユウだけどうしてこんなに遅かったんですか?」
「レベル差によるHPの総量の差だと思うんだけど、ってか、こんなにってこともないだろ」
「……そうでもない」
セッカが見せてきた時計は俺が思っていたよりも進んでいた。
そんなに長い時間海の中にいたのかと驚きはしたものの、あの時は時間を気ににする余裕などあるはずもなく必死になって二人を探していただけだった。だから知らぬ間に時間が進んでいたとしてもおかしい話ではない。ないのだが、人が息を止めていられる時間からは逸脱しているのが気になった。
これじゃ浦島太郎のようだと自嘲する笑いが零れた。
「どうしたんです?」
「いや、なんでもないよ。ところでここは港町コラトなのか?」
最後に立ち寄った街という条件ならそうなるはずだが、どうも違和感が拭えない。
「え? 違いますよ」
そんな俺の違和感を証明するかの如く、ヒカルは差も当たり前だというように告げた。
「ここはヴォルフ大陸です」
奇しくも俺たちは当初の目的の大陸へと辿り着いていたらしい。