未知への旅路 ♯.9
「こ、怖かった」
甲板の上に帰って来てすぐにライオットが呟いていた。
「どうだった?」
膝を着いて荒く息をするライオットにギブリがしゃがみ込んで問い掛けている。
「彼らの言っていることは本当のようです。海の中を巨大な影がこちらの船目掛けて進行しています」
「避けることは出来そうか?」
「多分、無理だと思います。この船の進行方向を変えても相手は生物です、簡単に追い付かれてしまうでしょう。それに――」
「あのモンスターの襲撃がクエストの一部なら避けられない、だろ?」
俺は二人の会話に割って入った。
「俺たちもアンタらと似たクエストを受注しているんだ」
自分のコンソールにあるクエストの一覧を確認しながら告げる。するとライオットは大袈裟に頷いてみせた。
「成る程。君たちのいうことを信じよう」
「まだ信じてなかったのかよ」
「突然現れた人を無条件で信じられると思うか?」
「……無理かもな」
ニヤリと笑いギブリが問い掛け、俺も同じように微笑って答えた。
クリスの指示のもと甲板から他のNPCやプレイヤーの姿がなくなった。人の姿が無くなってみると思うことだが、この船の甲板は俺が最初に感じていたよりも広い。だからといってこれ以上の人数が武器を持って動き回るのはギブリの言うように難しいのだろう。
「……来たみたい」
クロスケがその鋭い眼光を海に向けるその近くでセッカが告げた。
俺たちはその声に促されるように甲板の端へと進み、身を乗り出して海を見下ろすと例の影がより色濃くなって迫って来ているのが見える。
次第に緊張感が増していく。
海を切り裂く水の音と共に僅かに姿を現した鮫の背びれの形状によく似たなにか。それを見てギブリがいった。
「やっぱり鮫か」
「やっぱり、って知っていたのか?」
「いや、そうだと思っただけだ。海に出てくるモンスターといえば鮫が定番だろう」
「……そうとは限らないと思いますけど」
ライオットがギブリ本人に聞こえるかどうかくらいの小さな声で呟いていた。
「何か言ったか?」
「いえ、なにも」
「出てきます!」
ヒカルの言葉の通りに海から一体の大型モンスターが飛び出してきた。
海水を撒き散らし、その姿を現したのは、
「って、鮫じゃないじゃん」
「どう見てもアレですよね」
「……気色悪い」
「セッカちゃん言い過ぎだよ」
「……だって――」
予想していた巨大な魚の姿から遠いその姿に俺たちは驚くのと同時にギブリの顔を見た。あれだけ自信たっぷりに鮫だと言っていたのだ。今はどんな顔をしているのだろうとイジワル心満載で顔を見つめてみたが、どうにも照れている素振りは感じない。
既に意識は戦闘へと切り替わっているようで真剣な面持ちで現れたばかりのモンスターを見つめている。
「……でかいタコなんだもん」
そう。セッカの言うようにモンスターは巨大なタコの姿をしていた。
ヌメヌメとした粘液を全身に纏わせ、関節など無い八本の脚がうねうねと蠢く。
でかい頭部の下にある巨大な二つの目には俺たちの姿が上下逆さまに映り込んでる。
「戦闘態勢!」
ギブリが叫ぶと同時に背中の大剣を抜いた。
露わになる大剣の刀身は蛇腹状。一つ一つが別のパーツとして繋がっているように見えるが実際はいくつもの金属板を重ねて作られているに違いない。強度は一枚の金属板から作り出した物より劣るが、その攻撃力は上のようだ。
ギブリの後ろでライオットが自分の武器を取り出していた。
それはまるで指揮者が使う指揮棒。
何も持っていないもう片方の手も同様に掲げるその姿はまさに指揮者のようだった。
「ううぅ、触りたくない」
短剣を構えるヒカルが顔を引き攣らせながら呟いた。
「……大丈夫。私は触らないから」
「俺も撃つだけだからな」
セッカは後方からの魔法支援。俺は銃形態で銃撃が可能。だから近付く必要はない。俺たちのパーティの中で近接戦闘をするしかないのはヒカルただ一人だ。
「駄目ですよ。ユウは一緒に攻撃してくださいね」
「アレにか?」
「アレにです」
「はあ。わかった」
そう言うと俺は剣銃を剣形態へと変形させた。
剣銃を構える俺にギブリが大剣を引きずって近付き問い掛けてきた。
「準備はいいな?」
「ああ」
「大丈夫です」
「……準備できた」
「よし。行くぞ」
セッカを残し、俺とヒカル、そしてギブリがタコモンスターに向かって走り出した。
とはいえ俺たちは船の上、更に狭い甲板の上でしか動けない。そしてタコモンスターも船の正面から動こうとはしない。
八本の脚を器用に動かして俺たちに攻撃を仕掛けてきた。
「うおっ!!」
鞭のようにしならせて脚を打ち付けてくる度にこちらの足場が揺れる。
船のエンジンは停まっているらしく動いてはいいないのがせめてもの救いのように思えるが、これでは満足に動き回ることなど出来はしない。
そしてもう一つ、タコモンスターの攻撃が甲板に当たる度に撒き散らされる粘液が滑るのだ。
ただでさえ制限のある足場が攻撃の度に揺れ、更には粘液が残り移動を邪魔する。どうやらギブリが言っていたようにこの限られた人数で挑んで正解だったようだ。
「大丈夫か!」
「なんとか、な。しかし、これは――」
不安定な場所での戦闘は特段珍しくもないがこれほど難しいと感じる場所での戦闘は初めてだ。
「駄目です。思うように動けません」
短剣という武器の性質上、俺やギブリよりも動き回ることになるヒカルが苦々しげに告げてきた。
「思ってたよりも手こずるかもしれないな。あの、悪魔ダコを倒すのは」
開始早々苦戦を強いられている俺たちを見ながらギブリが呟いた。
「悪魔ダコ?」
不意に出てきた単語をヒカルが繰り返していた。
「あのモンスターの名前だ。そこに書いてあるだろう?」
ギブリがそう言うと俺は目を凝らしタコモンスターを見つめた。
あまりにも巨大なせいで頭の上に浮かんでいるであろうHPバーは見えないだろうと思い、いつもの行程を省いていたがどうやらそれは俺のミスだったらしい。
剣銃の切っ先を向け意識を集中させるとその胴体、というよりは目の上の辺りにだろうか、しっかりとHPバーは浮かびあがり、それに伴いタコモンスターの名称も浮かんでくる。
『悪魔ダコ』
先程のギブリが告げた通りの名称があまりにも短絡的に思えてきて、笑いが堪えられなかった。
「何を笑っているんだ?」
「あ、いや、このゲームのモンスターの名前が単純なのはいつも通りなんだけどさ、今回はあまりにも直接的で」
「そうか? このモンスターの名称は常にこんなもんだろう」
「いや、こんなのは初めて見た」
俺の知るモンスターの名称といえば、クロスケの種類名でもあるダーク・オウルを筆頭に二つの英単語をくっつけたものというイメージがあった。
しかし、目も前の『悪魔ダコ』は明らかに日本語。それも口伝で何世代も伝わっていく物のように単調なものだ。
「ということは大陸ごとに違うのかもな」
「どういうことです?」
「君たちは気付いていないかもしれないが、既にこの船は中央大陸の海域を出て西方大陸の海域にまで来ている。悪魔ダコが攻撃を仕掛けてきたのだってヴォルフの海域に来てからだ」
地図上以外では明確な線引きがなされていないために気付かなかった。
「ヴォルフではモンスターの名前は漢字プラス動物名なんだ」
「もしかしてギブリさんはヴォルフから来たんですか?」
「言ってなかったか?」
と、ギブリは被っていたニット帽を外すとその下には確かに獣耳――丸みを帯びたあれはおそらくクマ耳か――が付いていた。
「おれ達の場合この船の護衛はクエストではなくて仕事なんだよ」
「仕事?」
「ああ。ギルドのな」
それが俺からしたら寝耳に水な話だった。
てっきりギブリもクエストでこの船に乗っているのだとばかり思っていたのだから。
「おれ達はヴォルフにあるガネックスって町でなんでも屋みたいなことをしているんだ。で、今回の仕事がこの船の護衛だったってわけだ」
「それはクエストとは違うのか?」
「ほとんどは一緒だけど、違うのはおれ達を指名して来るってくらいだな。ほら、クエストっていうのは誰が受けるか分からないものだろ? だから実力が伴わない人が来るかもしれない、そうなると失敗してしまう可能性がある。それを危惧した人がおれ達みたいなのに依頼するんだよ。で、おれ達はそれをこなすってわけだ。成功すれば良い評判が広がり、失敗すればその分悪い評判が広がる。だからおれ達みたいなのは必死になるのさ。なにせ死活問題だからな」
蛇腹の大剣を構えながらギブリが片目を瞑りウインクした。
「船の中にいるのもそういう感じのプレイヤーなのか?」
「さあな。おれはおれの仲間以外のことは知らないが、殆どは君たちみたいにクエストを受けてきたんだろうさ」
「それにしても随分と聞きわけの良い人ばかりなんですね」
ちらりと船の中に続くドアを見てヒカルが呟いた。
「どういうことだ?」
「だって、ギブリさんの仲間以外もいるのなら、その人たちもギブリさんの指示を聞いているってことなんでしょう? 普通は自分も戦う、とか、勝手に決めるな、とか言いそうじゃないですか」
「確かに」
「確かに、そうだな」
不意に告げられたヒカルの言葉に俺とギブリは真剣な面持ちで顔を向かい合わせた。
そうだ。知りもしない一人のプレイヤーの指示を聞く必要はないと言い出す人がいないはずがないのだ。ギルド会館の騒動の時の自分たちのように。
それがこうも静かに指示を聞いているのはどういうことだ。
「もしかして、船内で何かあったんでしょうか?」
「どうだかな。どちらにしても俺たちが悪魔ダコを倒さない限り船に危機があるのは間違いないんだ。船の中のことはクリスに任せるしかないさ。そうだろ?」
「その通りだ。何か起きているのだとしてもここまでその騒ぎが聞こえてこないのは無事なのだと思うことにしよう。でなければ――」
ギブリの台詞の途中で悪魔ダコが脚の一本を叩きつけてきた。
「ぼーっとしない! 気を抜いているのなら回復しませんよ!」
慌てて回避する俺たちにライオットが怒ったように叫んだ。
淡い回復の光が身を包み込む。
それまでの攻防で受けていた小さなダメージの蓄積の全てが消えた。
「分かっている。油断はしていないぞ」
「ならいいですけど」
「助かった!」
「ありがとうございます」
ギブリだけでなく俺たちも一緒に回復してくれたライオットに礼を言って俺は再び悪魔ダコに向き合った。
「あなたの仲間も一緒に回復したけど良かったかな?」
「……問題無い。あと私はセッカって呼んで」
「わかったわ。ならわたしはライオって呼んでね」
「……ん、わかった」
同じ回復職の仲というやつだろうか。いつの間にか並んで立っているライオットとセッカは自然と協力することができているらしい。
「負けていられないな」
セッカの適応力を羨ましく思いつつ、俺はギブリを含めた前衛三人の動きをシミュレーションした。
足場が不安定だからヒカルがヘイトを集めるという戦いは出来ない。なら、ヒカルにはアーツを使い悪魔ダコに状態異常が付与できるかどうかを試してもらう方がいいだろう。そして攻撃の中心に置くべきはギブリだ。あの大剣の単純な攻撃力は三人の中で一番。回避に失敗しても回復できるのだから思いっきりやって貰っていいはずだ。
となれば俺の役割はその間を埋める事。
攻撃と攻撃の狭間にできる隙を潰すために剣形態と銃形態を切り替えながら攻撃する。
悪魔ダコのヘイトが一番集まるのは俺になるだろうが、大丈夫。回復アイテムも十分過ぎるほど持ってきている。
「二人とも聞いてくれ――」
俺はヒカルとギブリに自分の考えを伝えた。
ヒカルは戦闘における俺の指示を聞くことに慣れているがギブリはどうなのだろう。おそらく彼のギルドの中では誰かの指示を受けるという立場ではなく誰かに指示を送るというのが彼の役割のはずだ。となれば素直に聞くことができないかもしれない。そう思った俺の不安をギブリはいとも簡単に拭い去ってしまった。
驚くほど早く俺の言うことを理解し、驚くほど素直にその作戦を受け入れたのだ。
「行くぞ!」
「はいっ!」
「おおう!」
三方向に分かれ、俺たちは悪魔ダコに攻撃を再開した。
振り回される脚は俺とヒカルが必死になって弾き、その合間にできる隙を見つけてはギブリが蛇腹状の刃の大剣を振り降ろした。
攻撃の後に生まれる技後硬直は俺が銃撃で悪魔ダコの注意を引きつけることで相殺できる。
次第に募るヘイトのおかげで悪魔ダコの攻撃が俺に集中すると、反対に出来る大きな攻撃のチャンスにギブリはその場で立ち止まり旋風を巻き起こす勢いで大剣を振り回していた。
「セッカ、ライオット、回復をっ!」
ガリガリと削られているHPを見ながら俺は叫んだ。
そしてすぐさま俺たち三人の体を覆う光が減少していたHPを万遍なく回復させた。
「このまま押し切るぞ」
一旦距離を取ったギブリが言った。
元々悪魔ダコのHPバーは一本。ボスモンスターの割には少ないな、と感じていたそれに対する疑問の答えは先程ギブリが一度目の攻撃を当てた直ぐ後にわかった。
徐々にではあるが常に悪魔ダコのHPバーが回復していたのだ。
自動回復能力を持つモンスターというのは初めて相手にしているということもあり、最初は戸惑いもしたが、結局は回復しきる前に倒しきればいいのだと割り切ることにした。
焦る必要はない。
ギブリが視線で俺にそう告げているように思い、俺もヒカルに同様のことを言った。
悪魔ダコとの戦闘は順調に進んでいく。
途中、HPを五分の一まで追い込んだ時はもうすぐ終わるのだと喜びもしたが、次に見せた行動に虚をつかれた。
勝手に切り落とされた自身の脚の一本を自分で捕食し始めたのだ。
あまりも様相に見入ってしまっている俺たちの目の前で脚を捕食し終えた悪魔ダコが自身のHPを全快させていた。
実質HPバーが八本あるもの同じ。しかし回復するためには脚を犠牲にする必要がある。それは攻撃の手を失っていくのと同じことだった。
二本目、三本目、四本目の脚を捕食し回復する悪魔ダコを俺たちもセッカとライオットの回復を受けながら攻撃していく。
そして、最後の一本の脚を捕食し、最後のHPを回復させたその時だった。
今までに見せなかった変化が悪魔ダコに現れたのは。
「気を付けろ――」
ギブリの言葉は俺たちに届かない。
その声を掻き消すかの如く、悪魔ダコが自爆したのだった。




