拡張するセカイ ♯.15
翌朝。
俺たちは昨日と最初に案内された時と同じ部屋に集合していた。
装備を整えたカルヲと俺、ヒカル、セッカ、ベルグの五人が並んで椅子に座り、その反対側に前国王とレビィが座っている。
中心のテーブルにはこの辺りの地図が広げられ、そこには赤いインクで複数の丸が書き込まれている。
「連中はこの辺りに潜伏しているものだと思われます」
カルヲが長い指揮棒のようなもので赤いインクで丸を付けられている場所を指しながら告げた。
「ふむ。となるとやはり連中の目的はここ王都ではなく――」
「はい。ウィザースターの町のようです」
自分のいる街が狙われているのではないと知りほっとするレビィとは対称的に前国王は苦い表情をしていた。
「あの町が連中に襲われたとなればお主らの仲間が黙ってはおらんじゃろうの」
「多分」
「だとすれば、やはり私たちがあの連中を止めるべきだということですね」
地図にある一点を見つめたまま、カルヲがいった。
「あの、一ついいですか?」
「何かな? お嬢さん」
「えっと、ヒカルです」
「ならばヒカルくん。何か気になることがあるのかね」
「私たちが追いかけるのは元々騎士団だった人なんですよね?」
「ええ。それ以外もいますが、確かに騎士団だったものも含まれています」
ヒカルの問いに最初に答えたのは前国王。それに次いでカルヲが答えた。
「だとしたら、私たちは勝てるのでしょうか?」
「ふむ。お主らは一度連中を退けたと聞いておるが」
「それは、その……」
「その話は半分が正しいです」
言い淀むヒカルに変わり、俺が前国王の質問に答えることにした。
「カルヲやベルグには話したことがあったと思うけど、俺たちはあの時、騎士団を自分たちの力だけで退けたわけじゃないんだ。俺たちがしたのは麻痺薬を使った奇襲。実際に俺が騎士団の一人と戦ったときは勝負にすらならなかった」
思い出す度に胸が痛む。
あの時の戦いの決着は今も納得が出来ていない。だから胸を張って勝ったとも言えないし、負けてしまったとも言い切れない。そんな中途半端な状態がどうにも気持ちの悪い思いを強いられてしまう原因となっていた。
「でも、今ならなんとかできると思う。いいや、そうじゃない。なんとかしなきゃいけないんだ。今度こそ、自分たちの力で。この手で」
技術論ではなく精神論でしかないと分かっていても俺にはそう言い切れるだけの確信があった。
強く握りしめた手から迸るほどの熱が伝わってくる。
「だからと言って無策に突撃するのはどうかと思うぞ」
拳を見つめる俺にベルグが釘を刺してきた。
「現実問題。お前たちがその騎士団とかいう連中に勝ち切れなかった時からそう時間は経っていない。装備という面だけを見てもあの時から変化はしていないはずだ。違うか?」
「ああ。だからベルグには力を貸して欲しい」
「何をしろと?」
「俺たちを騎士団と戦える状態にまで導いて欲しい。ベルグは最初から騎士団と渡りあえる何かを持っているはずだ。それを俺たちに教えてくれないか?」
この時、俺は騎士団という言葉の中にNPCという意味を込めて使っていた。
思い返せばマッドベアの時もそうだった。ベルグは俺たちプレイヤーの中でもただ一人、最初から攻撃を意味のあるものとして繰り出せていた。その原因は装備やスキルなんかではないはず。これは俺が僅か数日とはいえ師匠のもとで修業した時に感じた事だった。
一部のNPCや攻撃の効かない相手に攻撃を効果のあるものに変える何かがある。最初こそ直感だったそれが、今はこうして確かに存在する何かだと言い切れるほどになっていた。
「いいだろう」
ベルグが頷き、椅子から立ち上がる。
「前国王、鍛練場か何かをお貸しいただけませんか?」
「ふむ。それならこの先にある古い鍛練場を使うが良い」
「ありがとうございます」
一礼をし、部屋から出て行こうとするベルグを前国王が呼び止めた。
「時に、その光景をわしらも見ることはできるかの?」
「見学をなさる御積りですか?」
「ダメかの? 彼らのようなものの鍛錬を見ることは滅多にないと思うのじゃがの。どうじゃ、カルヲも見てみたいとは思わんかの」
「それは、まあ、その。見てみたいとは思いますが――」
ちらりと横目でベルグの顔色を窺うカルヲを見て、前国王は俺に笑いかけ、ベルグは大袈裟に肩を落として見せた。
「見るだけならば別に構いませんよ」
「では、ありがたく見学させてもらうとするかの」
「はい。鍛練場には私が案内させてもらいますので」
「お願いします」
前国王とカルヲに連れられて俺たちは件の鍛練場へと向かった。
見えてきた鍛練場は古い木材で建てられており、時代と歴史を感じさせる。過去にこの王城、ひいては騎士団に属していた人達はここで汗水流して鍛練していたのだろう。
格闘技の道場に入る時の作法として一礼をしたベルグとカルヲを真似て俺たちも一礼をして鍛練場の中に足を踏み入れた。
鍛練場は確かに古い、が汚いという印象は全くと言っていいほど受けなかった。
「今も誰かが掃除しているんですか?」
「えっと、僭越ながら私が」
「ここの残存もカルヲきっての頼みじゃったからの」
「正直、騎士団の団長の要請を受けたのもそれが理由でしたから」
「わしにそれを言うのか」
「今更隠し立てするようなことではないですから」
肩を窄めるカルヲのその様は見た目よりも幼く思える。まるで実の親と対峙している娘のような。
「あのう、鍛練というものはいつになったら始めるのですか」
レビィは一人話の輪から外されたような感覚に苛まれたのだろうか、頬を膨らませながら手持無沙汰を全力全身で表現していた。
「お姫様を待たせてはいけないな。始めようか」
「ああ」
鍛練場の真ん中へと進むベルグと俺は二メートル程度距離を開けて向かい合う。それは俺とベルグが師匠のもとで修行と称して剣を交えていた時と同様の距離だった。
「最初に言っておくことがある」
拳を握りいつものファイティングポーズをとるベルグが告げる。
「俺とお前達に大した違いは無いぞ」
「だったらどうして、ベルグさんの攻撃は通用して私たちの攻撃は効かなかったんですか?」
「それはマッドベアに関して、でいいんだよな」
「そうです」
「あの時は単純だ。使う武器とアーツの差だな。リーチが短く軽い攻撃を何度も行うダガーという武器と魔法職。マッドベアは防御がひたすら高いモンスターだ。軽い攻撃は通用しないのは自然なことだ。それを補うためのスキルやアーツなのだが、見た所ヒカルはそれをまだ習得していないようだな」
「……はい」
「だったらこれからはそれを身に付けることを第一目標にしてみたらどうだ? どうせ強くなろうとするのなら目標があった方がいいだろ」
「そう、ですね。やってみます」
「セッカは魔法も近接戦も出来るみたいだが、今のままではどっちつかずという印象だな。魔法を特化させろ、とか近接を特化させろとか口を出すつもりはないが、この先もそのスタイルで続けるつもりならどちらか一つでも自信を持って戦える、という武器を身に付ける必要があるぞ」
「……わかった。考えとく」
「で、最後はお前だ。ユウ」
思わず息を呑む。
俺は何を言われるのか戦々恐々となりながらも、マッドベアとの戦闘を思い返していた。あの時、確かに最初は全くダメダメだったけど最後にはそれなりに戦えるようになっていた。
自己弁護のような台詞が浮かんでくるが俺はそれを口に出すことは無かった。
あの時も近くにいたベルグにはそんなこと承知の上なのだろう。承知の上で俺に足りないものを考えてくれているのだ。
「お前は割り切るまでに時間が掛かり過ぎだ」
「割り切る?」
「というか、考え過ぎなんだよ、お前は」
「考え過ぎ……」
オウム返ししか出来ない俺にベルグは小さな溜め息をついた。
「だから、それなんだよ。割り切ったらそれなりの動きをするのに、考え過ぎて自分の動きを止めてしまっている」
「わ、わかった。それで俺の攻撃を相手に届かせるにはどうすればいいんだ? 精神論でどうにかなるわけじゃないんだろ」
これはゲーム。デジタルな世界での出来事だ。思い一つでどうにかなるというのなら、それは現実となんら変わらない。
「お前の場合はその精神論ってヤツだ」
「は?」
「単純にビビってるんだよ、お前は。NPCを攻撃することや、勝てるかどうか分からない相手に攻撃を仕掛けることや――負けることに」
それは今まで敢えて俺が考えようとしてこなかったことだ。
連戦連勝とはならないのは自然なこと。なのに俺は偶然にもこれまで大半の戦闘で勝利を手にしてきた。レベルが40を超え、初心者から脱却してからはその傾向が顕著だろう。
その反動なのだろうか。負けることを怖れていなかった最初のころに比べ、打算的になったとも言える。勝てる戦闘は確実に勝ちを狙い、負けるかもしれない戦闘は極力避ける。それをくり返したことで無意識に逃げ癖がついてしまったというのだろうか。
「ビビってるから攻撃をする時に思いっ切り踏み込めていない。踏み込めていないから攻撃に威力が出ない。威力が出ないから勝てない。勝てないからまた消極的になる。これの繰り返しなんだよ、今のお前の状況は」
信じられないというように目を丸くして驚いている俺にベルグは厳しい眼差しを向けてきた。
「だからここらでその現状を打破しておこう」
「どうやって?」
「簡単だ。負けることを怖れているのなら、一度コテンパンに、負けろ」
有無を言わさずにベルグがその拳を俺に向けて放ってきた。
防御が間に合わず的確に鳩尾に入る拳が鈍い痛みを生じさせる。
「……っつぅ」
「まだだ。全力で行くぞ」
「ちょっ、待てっ」
「待たんっ」
再びベルグの拳が襲いかかる。
顔を狙って打ち出される一撃はギリギリのところで回避することに成功し、するどい風切り音を伴いながら空を切った。
思いきり振り抜き伸ばしきられた腕を掻い潜り、俺は剣銃をベルグを薙ぎ払った。
「ふっ、当たらんな」
予め俺の攻撃を予測していたかのように軽々と避けてみせるベルグは先程の自分と同じように攻撃後の隙を俺に見つけ、素早く拳を打ち込んできた。
脇腹を鈍い痛みが襲う。
最初の一撃と今の一撃によって俺のHPはガクッと削られいる。
「おっ、まえ、いつもは手を抜いていただろ」
「修行の試合で全力は出さないさ」
「――くっ、このっ」
痛みは一瞬。直ぐに無かったものになる。それが原因で動きに精彩を欠くことは無い。
だからこの攻撃を仕掛けている俺の動きはいつも通り。そのはずなのにベルグには一撃たりとて命中しない。
これはまるでギルド会館で騎士団と戦っていた時のよう。
不意に過ぎる過去の景色が一瞬だが確かに俺の意識をこの場から逸らせてしまった。
「どこを見ているっ」
再び腹を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
「――あっ、が、はっ」
意識の外から来た痛みに思わず膝をついてしまう。
腹を押さえ痛みに堪えている俺はいつの間にか正面から消えているベルグを探し辺りを見渡した。
「こっちだ」
声がしたのは俺の後ろ。
今度は後頭部を硬いハンマーで殴られたような衝撃が襲う。
目眩を起こし、鍛練場の床に倒れ込む。
未だ消えずに残る意識は必死にベルグの姿を探している。
他の攻撃同様に数秒もすれば痛みを消え、HPが減少したという事実だけが残ることだろう。だが、このままでは同じことをくり返すだけ。
突破口を見つけなければと、必死に考えを巡らせる俺に、ベルグの言葉が突き刺さる。
「また頭で考えているのか? さっき言ったところだろう。だからお前はダメなのだと」
冷たく言い放ちながらもベルグは床に突っ伏したままの俺を足蹴にした。
転がり鍛練場の壁にぶつかる俺はようやく見失っていたベルグの姿を見つけた。
「どうした? こんなもんじゃないのだろう。必死に考えたことを実行に移してみろよ」
考えたことなど何も無い。
ただ、どうにかしなければいけないと思っただけだ。
次第に消えていく痛みとは別の痛みが俺の胸を締め付ける。
無力感に苛まれ、剣銃を握るその手から力が失われようとしていた。
「それともお前はここまでなのか?」
俺を突き放すような言葉。
ここで何も出来なければ俺はそれまでなのかもしれない。
ただ前のように遊ぶだけならこのままでもいいのだろう。けれど、自分で選んだ道を進みたいのならば今のままでは駄目だ。
考えて、考えて、悩んで、苦悩して、そして何も見つからなくて、それでも残ったのは単純な意地だったのかもしれない。
負けたくないと、一人諦めたくはないという気持ちだけが俺そうな俺の心を繋ぎ止めていた。
「だ、れ、が、終わるかぁ!」
こんなもの奮起とは言えない。
こんなもの、活路を見つけたとも言えない。
でも、俺は確かに立ち上がった。確かに自分の足と、意志で。
「行くぞ。ユウ」
「来いっ」
突破口なんてない。攻撃を当てる方法も、勝つ為の方法も思い付いていない。でも、このまま膝を折っていたのでは何も変わらない。
いつだってそうだ。
活路は常に前に向かって進むなかで見つけてきた。
ベルグの戦闘スタイルが変わった。
これまでのように強力な一撃を当てることを重視したものから、軽めの一撃を何度も何度も打ち出すものに。
身を固め、防御に徹しながらも俺は微かな既視感を抱いていた。軽い攻撃を反撃の隙を与えずにくりだすのその動きはヒカルのそれとよく似ている。
敢えてそうしているか、軽めの攻撃を繰り出す方法として模索している間に行き着いたのかはわからないが、この既視感は現状俺に残された唯一の突破口のように思えた。
一撃が軽くなった分だけ俺のHPが減る速度が落ちる。
耐えに耐え続け、見つけ出した一瞬の隙に剣銃を突き出した。
攻撃の終わりには必ず隙が生まれるのは自分自身が証明済み。対処するには予めそのタイミングで攻撃が来ると予測しなければならない。けど、今の俺がベルグの虚を突けるとは思えない。だから解かりきっているタイミングであろうが関係ないと出来うる最速の攻撃を仕掛けるしか、方法はないのだ。
「ほう」
驚いたようにベルグが呟いた。
その胸には深々と剣銃の刃が突き刺さっている。
このまま剣銃を押し込めばベルグに大きなダメージを与えられる。そう思った正にその瞬間だった。自分の手が傷つくことを厭わずに剣銃の刃を掴み、敢えて自分から体の奥へと押し込んだ。
「悪くは無い、が、一対一の戦闘でこれは悪手だぞ」
そう言うと、ベルグは左手で剣銃を握り締めたまま、俺に向かって全力の拳を叩き込んできた。
「……あっ」
少し離れた場所でセッカが声を漏らしていた。
ああ、やっぱり負けたのか。
剣銃を掴まれた時に気付いた。俺はベルグによってあの攻撃を誘導されていたのだと。
最初から有無言わさずに叩き伏せるのではなく、突破口をあえて残し、そこを攻撃させるように仕向ける。しかも本人には気付かれないようにだ。指導者としての腕前を見せつけられた上に、プレイヤーとしての技量の差まで見せつけられた気分だった。
しかし、終わってみれば一つ一つ納得の出来る攻撃と行動だったものだと感心していると、視界の左上で明滅する俺のHPバーが消滅する。
そして、鍛練場から俺の姿が消えた。