拡張するセカイ ♯.14
「うわぁ、本物のお姫様だあ」
ヒカルが目を輝かせている。
重苦しいとまではいかないものの俺たちの返答を待つ時間は独特の張り詰めた空気が漂い、その空気のせいでか俺は微かな息苦しさを禁じ得なかった。
そんな空気を一変させたのはこの少女の出現。
ヒカル曰くお姫様だ。
「話はまだ終わっとらん。レビィはもう少し外で待っとらんか」
「そんなっ、お爺様の言いつけ通りずっと待っていたのですよ」
「ならもう少しくらい待てんのか」
「待てません。だってもう夜ですから眠くて眠くて」
「寝ればよかろうに」
「嫌ですわ。どうせわたくしが眠っている間に皆さんを帰してしまうのでしょう」
「それは……」
「ですからわたくしはここに来たのです」
薄い胸を張り自慢げに話すレビィに前国王とカルヲはあからさまな溜め息を吐き出した。
「ああ、もう。わかった。レビィは何がしたいんじゃ」
「わたくしもお話がしたいのです。彼ら、そう。プレイヤーの皆様と」
呆れるように問い掛けた前国王に返ってきた言葉に俺は静かに驚いていた。
自分たちの口から出てくるのはとても自然な言葉がNPCの、それも王族と呼ばれる人の口から出たことが信じられない気持でいる。
「その言葉をどこから聞いたんですか?」
ベルグが瞬時に険しい顔付きに変わる。
「え? な、なんなの?」
「答えてください。何故アナタはその言葉を知っているのですか?」
ここに来るまで、僅かな期間といえど共に旅をした仲間の知らない一面を見た気がした。
ベルグがレビィに向けるその眼差しは険しいを通り越して恐怖すら感じさせるほど。これまでそんな目を向けられた経験など無かったのだろう。レビィは怯えきった顔をしてしまっている。
レビィを庇うようにヒカルが問い掛ける。
「ま、待ってください。いったいどうしたっていうのですか」
「……落ち着いて」
「ベルグ落ちつけって」
「俺は十分落ち着いている」
「なら、そう怖がらせるなよ」
「怖がらせてなどいないっ」
「いや、十分怖いって」
反射的に呟く俺に同調するように頷くヒカルとセッカの顔を見てベルグは面白いくらいに口をパクパクとさせていた。
「けど、確かに気になるな。俺がこれまで会った人の中にも俺たちをプレイヤーと呼ぶ人は一人としていなかった。というか、その言葉すら知らないみたいだったが」
「その通りだ。お主らをプレイヤーと呼ぶのはわしら王族、それもわしとレビィくらいのもんじゃからのう」
「理由を聞いてもいいですか?」
「構わんよ。といっても大した理由は無いがのう」
「そうなんですか?」
「まあの。わしは昔父が言っていたのを真似している内に癖になったに過ぎんし、レビィも同じじゃ。わしの真似をしているだけじゃ」
孫を可愛がる祖父そのままと言った風の視線をレビィに向ける前国王を見ていると、先程までよりも幾許かこの部屋に漂う空気が軽くなったように感じる。
「そ、そうよ。何か悪い?」
前国王の視線を受けバツが悪そうに顔を背けるが、レビィはどこか笑っているようにも見えた。だが俺はここに祖父と孫の心温まる触れ合いを見せられに来たわけじゃない。頬を膨らませるレビィに「別に」とだけ答えて、俺は前国王にもう一度問い掛けてみることにした。
「プレイヤーという言葉の意味を知っているわけではないのですね」
「そうじゃのう。お主らをさす言葉だとしか知らん。見た限りでは種族もバラバラのようじゃから、お主ら全体をさす言葉なのかの?」
「大体そのようなものです」
「では、これからはお主らのようなもののことをプレイヤーと呼ぶように統一させてみるのもいいかもしれんのう」
「それは辞めた方がいいかと思いますよ」
「ほう。それは何故じゃ?」
「俺達と似たような反応をするはずですから。前国王も余計な騒動は避けたいでしょう」
「確かに。今はそんなことをしていられる時期ではないからの」
そう微笑むと前国王は一瞬で表情を変えた。
「もう一度訪ねる。このわしに力を貸してはもらえんかの?」
厳格で凛とした雰囲気はまさに国王然としている。
最初にこの部屋で会った時、日常会話の話の種のように訊ねてきた時とは雲泥の差だ。
「わかりました」
と、俺は初めから決まっていた言葉を口にするかの如く自然に答えていた。
考えが変わったわけでも、何かをふっ切ったわけでもない。ただ、俺はこの時、この人の願いを無下に断ることはしたくないと思ってしまっていたのだ。
「いいのか?」
ベルグが俺に問い掛ける。
「いいさ。多分、これが俺のしたいことなんだと思うから。ヒカルとセッカはどうするんだ?」
「私もいいですよ」
「……一緒に行くから」
この二人はどうしてこうも当然のように言葉に出せるのだろう、と、一度聞いてみたくもなったが、とりあえず今は素直に感謝しておくことにする。
「ベルグもいいんだよな?」
「先程も言っただろ。途中で降りるつもりはないとな」
「だったな」
俺たち四人の気持ちは固まったというのにカルヲはなんだか納得できていないようだ。それを見てベルグが小さな声で告げていた。
「言いたいことがあるのなら言った方がいいぞ」
「え?」
「そんな顔をしているみたいだが」
「あっと、その……さっきは悩んでいたように見えましたがどうして心変わりしたのかと」
「別に心変りしたわけじゃないだろうさ。ただ、そうだな。あいつは天の邪鬼で優柔不断なだけだ」
あまりにも不愉快な評価に俺は敢えて無視をした。
「あ、なんとなく解かります。いつもは色々考えてそうなのに、決めるのは苦手というか」
「……でも変に思い切りがいい」
「そうそう。ギルドだって私たちが何度も言ってようやく作る決心をしたみたいですけど、多分最初から作ろうと思っていたんですよ。絶対に」
「決めてもなかなか実行に移せない。……正に優柔不断」
突然始まるヒカルとセッカの俺批判を目の当たりにして前国王とレビィが目を丸くしている。正直なとこ聞いていて気持ちの良いものではないのだが、何処で止めればいいのか解からずに手も口も出せない。
そんな困惑する俺に助け船を出したのは意外なことにレビィだった。
その白い肌の手で口を隠しても解かるほど大きなあくびを噛み殺しているようで、その大きな目には涙が滲んでいた。
「お主らの了承も得られたことじゃし、レビィはもう部屋に戻らんか」
「でも明日になれば皆さんはここから」
「居なくなったりはしませんよ」
「ほんとう?」
「ああ。俺たちは前国王の依頼を受けはしましたが、何処に行けばいいのかまでは聞いていませんからね」
ヒカルがレビィを安心させるために言い切り、ベルグがその言葉を後押しする。
二人に言われたことでようやく安心、いや納得か。それをしたのかレビィはゆらゆらと立ち上がり、
「わかりました。部屋に戻ります」
と、言った。
「カルヲ、ついて行ってやってはくれんかの?」
「解かりました。ではこちらへ」
カルヲに手を引かれ部屋から出ていくレビィを見送り、前国王は残された俺たち四人の顔を正面から見てさらに告げた。
「もう夜も深い。お主らもこの城で体を休め、明朝カルヲと共に出るがよい」
「……解かりました」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
「俺は遠慮させてもらってもよろしいですか?」
「ん? 別に構わんが、何故じゃ?」
「一度行っておきたい所があるので。明日の朝には戻ってきますから」
「うむ。なら次に来る時も裏門を使うがいいぞ」
「わかりました」
そういい一礼をするとベルグは先に椅子から立ち上がっていたヒカルとセッカより先にこの部屋から出て行った。
「お主はどうするんじゃ?」
「俺もここにお世話になろうと思っているのですが、宜しいですか」
「無論じゃ。では部屋に案内するぞ」
「前国王自らですか?」
「ここに他の者はおらんからの。それにお主らの存在はなるべく隠したいからの」
「隠す? それは誰からですか?」
「無論、わしと敵対しておる勢力にじゃ」
穏やかではないフレーズが出てきたことに俺は一人静かに戦慄を覚えた。
それにも増して平然と、まるでそれが存在すること自体が当たり前なのだと言っているかのような前国王の態度に驚愕していた。
「さて、それじゃついて来るがいい」
年齢を感じさせない足取りで歩く前国王の後をついて行くようにして俺たちはこの部屋から出ていった。
案内された部屋は城の中でも客室に当たる場所、ではなく、使用人が使っている部屋の類のようだ。隣り合う二つの部屋に男女。つまり俺一人とヒカルとセッカの二人組がそれぞれ簡単な挨拶だけを交わし別れることになった。
ヒカルとセッカが二人とも案内された部屋の中に入ったのを見届け、俺は近くに立つ前国王に一つ訊ねてみることにした。
「もう少し貴方と話がしたいのですが、いいですか?」
「別に構わんが、それは他の者がいる所では出来ないことじゃったのかの」
「まあ、そんなところです」
「ならばお主の部屋で話すとするかの」
「はい」
案内されたもう一つの部屋に俺と前国王が入っていった。
先程までいた部屋とは違い、ここは簡素なテーブルが一つとベッドが二つ、それと二人分の食器が収められた棚と大きめのクローゼットが置かれているだけ。王城にある一室としては幾分と淋しい作りであるとも思うが、一晩泊るくらいなら別段問題になることはない。
さらに言えばプレイヤーである俺は実際にこの部屋で休むことはしないだろう。肉体と精神を休ませようとするのならばログアウトして現実で休憩をとればいいだけなのだ。隣の部屋に入っていったヒカルとセッカも今頃はログアウトして、ゲーム内の時間で明日の朝になる頃まで現実で休憩をとっていることだろう。
部屋に入り、適当な椅子に座った前国王が訊ねてきた。
「それで、わしに話とはなにかの」
「まずは何か飲みませんか?」
「それは何かの?」
「俺が作った果実酒です」
俺はストレージに眠ったままだった自家製の果実酒を取り出した。これはポーションの試作を繰り返していた際に偶発的に作成できたものの一つだ。仮想空間であるゲーム内では実際のアルコールの入った飲み物というわけではなく、酒という名のついた言わばジュースのようなものだ。アルコール独特の苦さや味に面は忠実に再現されているものの酔うことはないので未成年である俺も当然のように飲むことは出来る。
部屋にある食器棚から対のワイングラスを取り、近くのテーブルに果実酒の入った瓶と共に置いた。
「どうですか?」
「貰おうかの」
前国王の前に置いたグラスに果実酒を注いでいく。
厳密に使った果実は何だったか憶えていないが、おそらくはブドウのような形だったはずだ。現実のブドウは紫色をしているがこの世界のブドウは黄色をしている。それを使って作った果実酒だからその液体の色も透明な黄色だった。
グラスに注がれた果実酒を一口飲み、前国王は満足気に息を吐き出した。
「ふむ。これはなかなか」
美味そうにもう一口飲む前国王の前に残りの果実酒が入った瓶を置き、俺は自分用に用意したグラスを片手に持ち、壁際に置かれたベッドに腰掛けた。
自分用に注いだ果実酒を飲むと一瞬だけ俺のHPバーが光る。これはHPが回復するときに見られる演出効果で例え現時点のHPが全快であっても同様の効果が発生した際には見られるものだった。
「これはお主が売っているものなのかの?」
「え?」
「職人でも無いお主らがこれほどの品を作り出せるとすれば、確かにわしらにとっては脅威なのかもしれんの」
「ああっと、これはポーションを作っている時に偶然できたもので、いわば失敗作のようなものですし」
「じゃが、もう一度同じものを作れと言われたら出来るのじゃろう」
「それは、まあ、そうですけど」
「そんな顔をするでない。わしは別に責めてはおらんよ。むしろわしらの在り方を変える時期なのかも知れんと思っての」
「在り方、ですか?」
「わしらは、というよりも特に貴族共はかの。彼らは従来のやり方に固執し過ぎなのじゃ。それではお主らとの開発競争に負けても仕方ないとは思わんかの」
「では前国王は俺たちと共栄していく必要があると?」
「その方が面白そうではないかの」
「まあ、そうは思いますけど、出来るのですか?」
「難しいじゃろうの。大掛かりな事ではなく些細なことだとしても変化には痛みが伴う。自分達の地位の安定のことしか考えられん貴族共は当然反発するじゃろう。っと、もう一杯貰うが良いかの?」
「あ、はい。お好きなだけどうぞ」
そう言うと前国王は自分で自分のグラスにもう一杯果実酒を注ぎ始めた。俺が最初に注いだ時よりも並々とグラスに注がれた果実酒を前国王はもう一度美味そうに飲んだ。
「で、お主の話とは何なんじゃ? わしにこれを呑ませるために呼び止めたわけではあるまいて」
果実酒に関する短い話をしていると俺の中にあった緊張は解けていた。前国王の話し方にも感じたことだがこの人は人の警戒心や緊張を解くのが巧い。それは長年国王という立場にいたから身に着いたものなのか、それとも生来持っていた物なのかわからないが、緊張を解いてくれたおかげで俺はようやく胸に痞えていたものを吐き出すことができそうだった。
「カルヲにも聞いたのですが、どうして俺たちだったのですか?」
「どうして、か。理由を聞いても納得出来なかったのかの」
「納得、というより、理解ができなかったんです。あの時、あの場所には俺たち以外にも人はいた。そこには俺たちよりも強い人だっていたはずです。なのに――」
「じゃが、実際に解決に乗り出したのはお主らではないのかの?」
「それはそうなんですけど。もう少し時間が経てば俺たち以外の人も解決に乗り出したはずです。だから俺たちである必要などないんです」
「ふむ。じゃが乗り出さなかったかも知れんぞ」
グラスをテーブルに置き自分の顎髭を触りながら前国王はニヤリと笑って見せた。
「それにわしが重視しているのはお主らが解決させたという事実ではない」
「では、なんなのですか?」
「お主らが解決に真っ先に乗り出したということのほうじゃ」
はっきりと告げると前国王は正面から俺の目を見てきた。
視線を合わせるだけではない。位や立場の差すら関係無いというように一人の人間として俺の正面に立っている前国王は初めて見せる鋭い眼差しを向けてくる。
「偶然、と言われればそれまでじゃが、わしはそれこそが天命なのじゃと思っておる。依頼を断ったもう一組にも言えることじゃ。お主は断らなかった。そのたった一つのことこそが何よりも大事なのじゃよ」
そういうもの、なのだろうか。
断られてしまえば次の心当たりに当たる。至極当然なことのようにも思えるが断った人は自らチャンスをふいにしたということだとはっきりと告げられた気になった。
俺たちは断らなかったからここにいる。その事実が自分たちの選択の結果なのだと改めて気付かされた。
そう考えれば確かにそうだ。
クエストも出現しない。イベントでもない。なのに進んでいる物語の中にいるというのはとても不思議なことのように思えていた。イレギュラーな事態だということは間違いなのだろうが、この事態そのものが間違いであるとまでは言い切れない。
何よりここに至るまでの道程は俺にとっては掛け替えのない未知の冒険でもあった。
本来行くことの無かったような場所でのマッドベアとの戦闘。
王城から秘宝を盗み出したとされる一段との邂逅。
そして王城に住み、俺の前の前にいる前国王との対話。
そのどれもがこれまでのゲームプレイでは決して起こり得ないものだったと思うから。
「俺は貴方の依頼を完遂することが出来ると思いますか?」
この時、俺の中では依頼を受けたことや、ここに来たことに対する疑問は綺麗さっぱり無くなってしまっていた。
疑問を投げ出したというわけでもなく、自分の選択による結果を受け入れるという覚悟のようなものが僅かながら生じ始めていたのだ。
「どうかの。わしは出来るからお主を選んだわけではないからの」
前国王から返ってきた言葉に少しばかりの落胆を感じたのは、俺には出来ると言い切って欲しいと無意識のうちに望んでいたから。しかし、前国王は俺の望みなど知るはずもなく、また無責任に成功を保証するような言葉を言える立場でもないのだと、俺は鋭い眼光に晒されながら気付かされた。
「じゃが、お主なら、いやお主らなら出来るとわしは信じてはおるぞ」
それは立場など関係無く、個人として前国王の口から出た言葉。同時に俺の背中を押す激励の言葉のように思えた。
未来など誰にも見通せるわけではない。
ならば信じることこそその人に対する唯一の信頼の証明なのだと前国王は信じているのだろう。
「さて。これの残りも貰ってもいいかの?」
「あ、はい。どうぞ」
嬉しそうに残り半分ほどになっている果実酒の瓶を手に前国王は椅子から立ち上がった。
「明日は頼んだぞ。では今夜はゆっくりと体を休ませるがよいぞ」
短い言葉を言い残し前国王はこの部屋から出ていった。
閉まる扉を見つめながら俺は知らぬうちに強く握りしめていた自分の拳を見た。それは、なんだか懐かしい感覚のように思えた。強力なレイドボスに挑む時や、イベントを始める時に感じるワクワク感とでも呼べばいいのか。
早鐘を打つ心臓の鼓動が妙に心地よく感じるこの感覚は、最近、特に騎士団とギルド会館で戦ってからというもの感じていなかった感覚だった。
この感覚が消えないうちに俺は本当の意味で体を休ませる為、コンソールにあるログアウトボタンを押した。
ユウが淡い光に包まれ消えていく。
するとそれまで一人のプレイヤーと一人のNPCが対話していた部屋には完全に人の気配が無くなった。