お父さんは大変です
エターリーフという国に、一人の美しい伯爵令嬢と、平民から騎士になった見目麗しい男性がいました。
ある時、伯爵令嬢は王家主催の夜会で、警備をしていた騎士に会い、一目惚れをしました。
伯爵令嬢は父である伯爵に、彼との婚姻を願い出ました。
けれど、かたや伯爵家の令嬢、かたや騎士とはいえ平民の身分。
身分差のありすぎる話に、伯爵はとんでもないと、伯爵令嬢の願いを遠ざけました。
しかし、伯爵令嬢は諦めませんでした。
騎士への熱い想いを胸に、父を何度も説得し続けました。
始めは頑として聞き入れなかった伯爵もやがて、その熱意に負け、そこまで想っているのなら、と、娘の願いを聞き届けました。
すぐに騎士の元へ縁談が届けられ、伯爵令嬢は騎士の元へと嫁ぎました。
こうして二人は結婚し、末長く幸せに暮らしました、めでたしめでたし…………とは、なりませんでした。
何故なら、この美しい伯爵令嬢は、実はとんでもなく我が儘で、傲慢な女性だったのです。
嫁ぎ先である騎士の、平民の一軒家に実家のメイドと料理人を連れて行き、家事や身の回りの世話はメイドに任せ、毎日の食事は料理人に作らせました。
実家の伯爵家で食していたものと、全く変わらないランクのものを、です。
その上令嬢は、何かにつけてドレスを新調し、宝飾品を買い揃えました。
騎士は堪らず、どうかやめて欲しい、と何度も令嬢に頭を下げましたが、全く聞いては貰えませんでした。
騎士がそれまで蓄えてきた貯蓄は、みるみるうちに底をつきました。
それでも、二人の間に娘が生まれたりと、幸せに思える出来事はありました。
けれどそれから一年が経った頃、騎士は突然、特務部隊という、出張の多い部署に異動になりました。
騎士は妻と幼い娘を残して度々出張する事に複雑な表情を浮かべながらも、仕事を全うしました。
騎士が家を空けるようになってまもなく、令嬢は家にとある男性を招き入れるようになりました。
男性は、騎士の元上司でした。
騎士が出張の多い部署に異動になったのは、以前の夜会で令嬢を見初めたこの元上司の謀だったのです。
騎士の留守中に、二人は逢瀬を重ねます。
そればかりか、令嬢は、騎士の財産がなくなると、騎士に内緒で借金をしてまで贅沢を続けたのです。
騎士と令嬢の子供である娘は、幼いながらも、なんとか母のそれらの行為をやめさせようとあの手この手で邪魔をしました。
けれど効果はなく、令嬢は娘を疎み、邪魔をする度に頬を叩いて、メイドに命じて部屋へ閉じ込めるようになりました。
"このままではとんでもない事になる"、と、そう思った娘は意を決して、父である騎士に全てを打ち明けました。
話を聞いた騎士は激怒し、令嬢に詰め寄り、激しい口論になりました。
結果、令嬢は騎士に一言、『離婚しましょう』と言い、家を出ていきました。
莫大な借金と、娘を、騎士に残して。
★ ☆ ★ ☆ ★
……以上が、この三年の我が家の出来事です。
父と母の出会いも交え、記しました。
そう、三年。
異世界に転生してから、もう三年が経ち、私は三歳になりました。
この三年、色々あって大変でしたが……お母さんが出て行ってしまったので、これからは少しは平穏になるでしょう。
それが良いのか悪いのかは、今は判断できませんが。
ともかく今は、目の前の問題をどうするかが先決です。
――私の視線の先には、リビングの椅子に体を丸めるように腰かけ、俯き、項垂れた父がいる。
母が出て行ったのが、そんなにショックだったんだろうか?
母はともかく、父にとってこの結婚は、伯爵家からの申し出が断れなかった為にしたものだと思ってたんだけど……違ったのかな?
こ、困った……こんな姿を見るのは初めてだよ。
こういう時、なんて言って励ましたらいいんだろう?
と、とにかく、何か言わなくちゃ……!
「……あ、あの、お父さん……だいじょうぶ……?」
私が発したその声は、小さな小さなものになってしまった。
それでもなんとか父には届いたようで、父はぴくりと肩を揺らした。
そして振り向き、私を見て立ち上がると、そのまま私に歩み寄り、膝をついて私に視線を合わせた。
「……ごめんな、プリム。幼いお前には、まだ母という存在が必要だろうに。……しかも俺は、お前の傍にはいてやれない。きっとまたすぐに次の仕事の命が下るだろう。そうなれば俺は、お前を一人置いて行かなければならない……っ」
父は掠れる声でそう言って、俯いてしまった。
「……だいじょうぶだよ、お父さん。私、いいこでちゃんと待てるよ。だから、げんきだして?」
私はそう言いながら懸命に手を伸ばして、父の頭を撫でた。
すると、父は僅かに顔を上げた。
その表情は、今にも泣きそうに歪んでいる。
……ああ、そんな顔、しなくていいのに。
もう随分前から母は私の事なんて放置してたから、"母という存在が必要"だなんて事、気にしなくていいし。
確かに父の出張は多いけど、そういう部署なんだから仕方ないって、ちゃんとわかってるし。
……寂しくないわけじゃ、決してないけど。
「おうちにいる時は、たくさんあそんでね? お父さん?」
「……プリム……。……ああ、わかった。約束するよ。プリムは、いい子だな。……お前のような娘ができただけでも、この結婚に、意味はあったな……」
父はそう言うと、私を思いきり抱き締めた。
そして父は、次の出張が決まり、私が父の友人に預けられるまで数日、毎日夕方には帰宅し、私と一緒に、いてくれた。