頭のおかしな彼女
「勇者さまー!」
初めは誰のことを言っているのかわからなかった。
「勇者さまー!」
まただ。先ほどと同じ声。車道を挟み、向かいの歩道から、かん高い声で叫んでいる。
人通りの少なくない街中で、大声で、そんな馬鹿みたいなことを2度も繰り返す人間に関わって利があるはずがない。勇人はその声に気づかないふりをして歩き続けようとしたのだが、やはりどうしても気になってしまい、ふいにその声のした方を横目で見つめた。
驚いた。マントのように体を覆う青の衣装。見たことのないほど大きな帽子。胸と頭に携えた黄色い十字架。夕日に透き通る水色の髪の毛。勇人にはその姿がなんだかわかった。そう。それは彼が寝る間も惜しんで費やしたゲームの登場人物、まるで、DQの僧侶のような……
コスプレイヤーがそこにいた。
しかもこちらを向いて手を振っている。
「勇者さまーー!」
こちらの視線に気づいたのか、コスプレイヤーはより一層目を輝かせて腕をぶんぶんと横に振る。
もしかしたら知り合いかもしれないのだが、コスプレが趣味で人目もはばからず大声で話すような女性に、まるで心当たりはなかった。なぜ彼女が勇者様なんて言いながら俺に向かって手を振っているのか、勇人は自身を取り巻く現状に混乱し、しばらく呆然とした。
勇人は急激に恥ずかしくなった。周りの視線が自分を突き刺すのを一身に感じたからだ。あのコスプレイヤーと知り合いだと思われている。勇人は無為に注目を浴びるのを嫌がって、足早にその場を去ろうとした。
(なんなんだ、あれ。わけがわからない)
(やばい、絶対にやばい)
(頭のおかしな人だ。絶対に関わっちゃいけない人種って奴だ)
先ほどのコスプレイヤー、頭のおかしな彼女は、自分に目線をくれたはずの彼が、その場を去ろうとしているのを見て動揺した。
「は、早く追わないと……」
と思い彼のいる側の道へ向かうため、道を隔たる柵に手を置いた。視界の端からものすごい速度でやってくる色とりどりの箱に気づき、
「絶対に危ないよね……」
と、柵から手を放した。
周囲を見渡し、先の危険な道を超えるようにかかった青色の橋が彼女の目に入る。
「勇者さまー!」
背後から先ほどの声がするのを勇人は聞いた。
勇人は声に気づかないふりをして黙々と歩き続ける。
後ろからの駆け寄ってくるような足音。
勇人は歩く速度を速めた。
「ゆーうーしゃーさーまー!」
勇人は走り出した。
「はっ!?」
声の主が驚く。
「ま、待ってくださいよー! 勇者さまー!」
逃げながら勇人は思う。
(絶対やばい。捕まったら死ぬ!)
うつむいて住宅街をあるく勇人の姿。夕日が彼の影を長くする。
(今日は散々だったな……)
(ラノベは奴らにとられたままで、変な女に絡まれるし)
ふと立ち止まる。考え込む。
(ちょっと、かわいかったかも……)
溜息をつき、足を踏み出す。
(別にあの時逃げたりしなくたって)
(ちょっとくらい相手になってやったりしてさ……)
(例え誰かと勘違いして俺に声をかけたのだとしても)
(ちょっと頭がおかしくても)
(あんなかわいい子と知り合いになれたなら……)
先ほどのコスプレイヤーが横道から現れた。
勇人はあ然とした。
コスプレイヤーも目を丸くした。
そして、勇人との再会に感動したように、目に涙をためて「み、見つけた」と言い、
すぐさま勇人に飛びついた。
「勇者さまー!」