十二月二十四日 ■ サンクゴッド! イッツクリスマス!
十二月二十四日
それから少しして、俺は晴れて退院することができた。随分長く感じたが、暦の上では一週間も経っていない。日常のルーティーンから外れた行動をしていると時間の経過を遅く感じるものだ。時という概念はえてして主観的なもので……ってまぁそんなことはいい。頭良いキャラを装っても、騙しきれる自信は全くないしな。
まぁ俺の主観時間はともかく、暦の上では今日はクリスマスだ。もちろん敬虔な仏教徒である俺には全く、金輪際、毛ほども関係ない平日だから別に良いのだが、今日は会長から学校に呼び出しを受けていた。なんでも生徒会の仕事がまだ終わってないので、手伝って欲しいとか。まぁそこは仏教徒――ウチの宗派はなんだったか、真言宗だったような気がするが――である俺にした所で、世間体的に今日くらいは予定があることにしておきたかったような気も微かに、本当に電子顕微鏡を持ち出すレベルで微かに思ったりしたが、会長にはこの間のバイクや病室の件があるので、嘘を吐いて断るのも悪い気がして……なんだ。
こうしてアベックが行き交う駅前通りを、バイクの排気音に怨嗟を込めて爆走し、学校に来てしまったというわけだ。
いやまぁリア充爆発しろなんて言う気はないさ、俺が今リア充じゃないのは誰あろう俺の性だしね。いわゆる自業自得。ここは素直に負けを認めたい。「待ってろ、来年には追いついてやる」と俺は歓楽街の方角に向けて呟く。冬場に乗るバイクは寒い。全身が凍えそうだった。たぶん今の冷えは、そういう物理的な寒さだけではないのだろうけれど。
今日は休みなので堂々と、本部校舎の裏側にある、教員用の駐車場に愛車を停め、生徒会棟の無駄に豪勢な扉を開く。するとこれまた、豪勢にだだっぴろいダンスホールのようなラウンジが目に飛び込んでくるわけだが、その視界の片隅で、何か奇妙なものが移りこんだ。
いつもは何もない空間に、いつのまにかソファーがおいてある。それだけなら別に奇妙というわけでもないが。近づいてみると、その上に誰かが、ノートパソンコンを膝で抱え込みながらだらしなくどっかりと座っているのだ。パソコンのせいで顔は判別できないが、その人物が女性であることは分かる。開けっぴろげに開かれたスカートから、縞模様のパンツが惜しげもなく晒されているから。
あーやっべ、どうしよう。幸福感というよりそんな、やってしまった感が俺を襲う。パンツっていうのはちらりと見えるのがいいのであって『これがパンツでござい!』なんて見世物的に出されると少し引いてしまうものだ。大体、漫画とかで言うと全然悪くないのに見た方が問答無用で平手打ちをくらうシチュエーションではないか、これは。
とりあえず見なかったことにしようと、俺は来た道を引き返すことにした。しかし、神から蛇蝎のごとく嫌われている大殺界まっさかりの俺に、無事に抜け出せるだけの運があろうはずもなく……。
気配を消すことに集中していた俺は、足先に何かをひっかけた感覚に気づくこともなく、そのまま歩を進めてしまった。
ガタン、と後方で何かが落ちるような音がする。
つい反射的に振り返ると……
そこには、驚きに目を丸くした階枝さんの姿があった。
それを見て、俺も負けず劣らず驚いた。
それもそうだろう。クールビューティーだと思っていた彼女がパンツ丸出しな上に、口には棒アイスをくわえこみながらソファにどっかり座っていたんだ。初めてきぐるみのなかに人が入ってるところを見た幼児くらい驚いた。驚きすぎて、そのまま二秒くらい固まっていた。
……二秒経過。そこで俺は気づいた。自分ばっかり被害者みたく口をあんぐりと開けているが、本当にショックを受けたのは階枝さんの方だということに。誰だって素の自分には少なからず嫌悪感を感じていて、それを見せたくはないはずだ。ましてやさして深い仲にあるわけでもない異性にそれを、しかもパンツまで見られたとしたら、その悲しみはチョモランマに匹敵するだろう。エベレストと呼んでもいい。
……四秒経過。何かフォローをしなければ。そう思って言葉を探すが、適した言葉が見つからない。階枝さんから口を開いてくれればいいのだが……という女々しい考えが浮かぶも、彼女は俺が振りむいた時と寸分変わらない姿で固まっている。なんとまばたきすらしていない。
……六秒経過。……ん? さすがにおかしくないかと俺は気づいた。どんなに激しく驚いたのであれ、六秒間も彫像のように固まり続けているなんてことがありうるだろうか。俺が見る限り階枝さんは未だにまばたき一つしていない。これはもしや……。
……八秒経過。あれ、俺もしかして時止めてるんじゃね? と思えてきた。そうでないと説明がつかないだろう。若い男女がパンツを見たり見られたりしている状況の中、無言のまま八秒間経過するなんてことは通常ありえない。キャーのび太さんのエッチなりなんなり声をあげた後、パチンとやられるのが筋だろう。まぁそんな漫画的展開はなくてもさすがにまばたきぐらいはするはずだ。つまりこれは、俺の隠されし力が遂に発現したと考えるのが妥当ではないか? DIOも部下に散弾銃撃たせるまでは自分の力に気づいていなかったし、俺の場合はそれがパンツをみることだったのだろう……ってイヤすぎる発現方法だなオイ。
……十秒経過。ンッン〜♪ 実に! スガスガしい気分だッ! 十秒も止めていられたぞッ! しかし時を止めていられるのも今は十秒が限界といったところか……。
力の限界というより、なんとなく場の限界を感じた俺は短く呟いた。
「そして時は動き出す……」
すっくとおもむろに階枝さんは立ち上がる。俺は動かない。………いや、これは、まさか……ッ!
動けない!?
「私が時を止めた……十秒の時点でな」
そう言ってオラァ! と階枝さんは小さく俺を小突く。相変わらずこの人の場の空気を読むスキルは凄いなぁ。ていうかキャラちげぇ。
「たはは~バレちったいねー」
階枝さんは舌を出してペロリと笑う。おいおいちょっと待て。
「もしかして階枝さん、それが素なんですか!」
「ん、そっだねー」
「ええええええええええ!」
今までのキャラを完全崩壊させるにあたってその軽さ、まるで重力を感じさせない!
「まぁいつかはバレちゃうとは思ってたけどねーたははー。それにしたってあんまりかっこ悪い幕切れだい。こりゃ会長に怒られるなー」
ぱくぱくと、陸に打ち上げられた肺魚みたいに――って肺魚なら陸に上がっても問題ない――とりあえず俺は息も吸えないほどに驚き、驚き通し――今度は十秒以上時が止まった後、なんとかといった具合で息を吹き返し(文字通りの意味で)震える声で問いかけた。
「……あの、やっぱり今までのキャラ作りは会長の指示で?」
「ああ、うん、モチ」
「敵は生徒会棟にあり!」
「『蒼司君の理想の女性像に化けて、いよいよゾッコンというところで織遠ちゃんの本性バラシたら面白くない!? ねぇコレ面白くない!?』なんて言ってたよ。悪戯を思いついた小学二年生みたいな顔で」
「てめぇの血は何色だぁああああああああ!」
またひとつ悲しみを背負った俺の叫びは、無駄に高い生徒会棟の天井に吸い込まれて消えてゆきました。めでたくなしめでたくなし。
○
「あっはっはー! なんだよ蒼司君あんなに不承不承てな感じで手伝いを引き受けてくれたのに生徒会長の僕より早く来てるなんてどういうことなんだいははーっ!」
暫く階枝さん(真)と話をしていたら、会長がやって来た。こんな朝早い時間に会長と会うのは初めてだったが、この人は朝からこんな壊れたファービー人形みたいなテンションなのか。
「いやいやいや皆まで言うな皆まで言うな、分かってるよ蒼司君。あれだろ、リビングでボケラとテレビを見ていたらクリスマスイブなのにこの子はなんの予定もないのかしらという不安と哀れみの視線でママに見られて止むにやまれず家を出たんだろハハハ! いや全く、周りと同じであることを至上命題とするこのホモジニアスな島国は僕らのようなアブノーマルには生き辛いね! その点僕が生まれ育った西海岸は……ってアレ?」
会長はそこで言葉を切って、怪訝な表情を浮かべる。
「なんか蒼司君、普段とちがくない?」
「あははー実はですね会長」
階枝さんが――もう隠す気はないのだろう――素の口調のまま二人でしていた悪ふざけがバレてしまったことを会長に告げた。会長はそれを聞いて全身の力が抜けてしまったようにへなへなと膝をつく。そしてそのまま、あろうことか上半身を投げ出し、床に額をつけた。
土下座――したことはあっても、されるのは初めてだ。根が小心者な俺は途端に申し訳ない気持ちで一杯になる。
「ちょっと会長、そんなことしないでくださいよ俺は――」
「くっそぉおおおおおお真実を知った瞬間の蒼司君の顔見れなかったぁあああああっ!」
「ってそっちかよ!」
土下座ではなく、あまりの悔しさに膝から力が抜けただけらしい。はぁ、なんかさすがに怒ろうと思っていたけど、力が抜けてしまった。
俺はジーザス! ジーザス! 言いながら悔しさのあまり床を叩く会長を、駄々をこねるわが子を見る親のような達観した心境で眺めることができた。うん、その人明日誕生日だからそんな責めないであげて。
「あははーすいませんでしたよ会長―。というかね、そんなおふざけはともかく真面目な話があるんですが」
会長はさっきまでの嘆きが嘘のようにぱっと身を起こして階枝さんの方を向いた。やっぱ殴るかこいつ。
「ん、もしかしてアレ?」
「そ、あれー。意外にもなかなか手が込んでて、少なくとも私にはどうにもできないかな。本気で潰す気なら、クラッキング以外の方法を考えた方がいいかも」
「んーそうかー。じゃあもう少し様子を見るしかないかねぇ」
「二人ともなんの話してるんですか?」
急に蚊帳の外に置かれたようで寂しくなった俺は、首を突っ込んでみた。会長はこともなげに答える。
「あー蒼司君、学校裏サイトって知ってる?」
「……知ってますけど」
確か、その学校の学生限定に開かれている匿名掲示板のことだったか。一時期イジメの温床とかいって、ワイドショーで取り上げられていたのを覚えている。
「おーそれなら話は早い。何を隠そう、その学校裏サイトがウチの学園にもあるらしくてね。何か問題が起きる前に生徒会で潰しちゃおうと思って、織遠ちゃんにハッキングしてもらったんだけど、なんか頑丈にできてるらしくてね、うまくいかないって話さ」
サラりと簡潔に会長は言う。だが待ってほしい。
「あの俺、パソコンのことは良く知らないんですけど、確かハッキングって悪いことだったような気がするんですけど……」
階枝さんはやれやれとでもいいたげな、肩をすくめるジェスチャーをした。
「あーそこらへん素人さんはよく混同してるよねー。いい蒼司君? ハッキングっていうのはPCやソフトを解析するくらいの意味合いで、別に悪い言葉じゃないんさ。だから君の認識は訂正入れといた方がいいねー」
へぇーと、会長と俺は感心した。あーなんだ勘違いか良かった良かった――
「まぁでも私がやったのはクラッキングで、それは普通に犯罪だけどね、あははー」
「結局ダメじゃん!」
「まぁまぁ」
会長は俺の肩にポンと手を置く。
「毒をもって毒を制す――それが我が愛しき学園生のためならば、僕はこの手がいくら汚れようと構わない! 犯罪者と糾弾され、この身が昏い牢獄に繋がれようと僕は――笑って見せる」
なんだよ。そう言われるとなんかかっこよく感じちゃうじゃないか。ものは言いようだなオイ。
「まぁ手ぇ汚してんのは会長じゃなくて私なんだけどねー」
「結局ダメじゃん!」
さすが階枝さん、いいオチをつけるなぁ、と俺は感心した。
○
「まぁそんなわけで、今日のお仕事なくなっちゃいました」
「え、今日の生徒会の仕事ってその、裏サイト撲滅のことだったんですか? なんでそんなのに俺を呼んだんですか。自慢じゃないですけど、俺はハッキング……じゃなかったクラッキングどころか、通常の操作ですらおぼつかないですよ」
「あははー。自慢じゃないけどって前につけて本当に自慢じゃないことを言うっていうのは新しいねー」
階枝さんに笑われて赤面していた俺に、会長は急に真面目な顔になって向き直る。
「いやいや蒼司君。君には君だけにしかできない仕事がちゃんとあるんだ。もう少し自信を持ちなさい」
「え、そんな真顔で褒めないでくださいよやだなー会長は」
凡人の悲しい習性で、あまり褒められ慣れてないので少し持ち上げられるとテレ臭くなってしまう。俺はへへっと鼻をこすった。
階枝さんが、なんの気なしに発言する。
「? 会長―蒼司君にしかできない仕事ってなんなんですかー?」
「まさかの時のための人身御供だよははは!」
………………。
待て、まだ俺の被害妄想な可能性もある。もしくは聞き間違いかも。決断は慎重にいきたい。俺は短期記憶をリセットして明るい表情を作って、
「あのーすいません。ちょっとシミュレーションしません? お題はもしもクラッキングを聞きつけて警察が突入してきたら! 俺が刑事役やるんで、そうだな、そこの柱を俺だと思ってシミュレーションしてください。いいですか?」
「「いいよー」」
「それじゃあいきますね…………ゴラァ! ここでハッ……じゃなくてクラッキングしてたことは分かってんだよガキども! 大人しくお縄につきやがれってんだべらんめぇ!」
「はいっ! 刑事さん、はいっ!」
「なんだ? そこの生徒会長みたいなボウズ」
「はいっ! 僕達はクラッキングなんてやっていません! 死んだ祖母に誓います!」
「馬鹿ヤローてめぇのばぁちゃんまだ生きてんだろ……じゃなくて、ごまかしたって無駄だ、ネタは上がってんだぞゴラァ!」
「でも僕達本当にやってないもんねー?」
「ねー」
「あん……? そこまでにしておけボウズ共。確かにそこのパソコンでクラッキングしたって証拠が……」
そこで、会長の瞳がキラリと光った。
「はっはー焦らないでくださいよ刑事さん。僕達がクラッキングしたってことは否定しましたが、そのパソコンがクラッキングに使われたってことまで否定した覚えはありませんよ?」
「……するってぇとなにかい、つまりお前達ではない誰かがそのパソコンでクラッキングしたと、そう言いたいわけだな? なら誰がやったんでい!」
「「あいつです!」」
二人とも双子の兄弟のように、息を合わせてずびしと柱を指差す。
「コイツが真犯人か! 観念しやがれい! ……あ? 僕はパソコンなんて使えない? しゃらくせぇ! 話は署でたっぷり聴いてやろううってんだよっ! オラ立て! ……っておい」
ホントに人身御供じゃねぇか! 聴き間違いでも妄想でもなかったよ! もうこれイジメとして裁判所に泣きついていいかな。
「ははは! ほんの冗談だって蒼司君。そう親に捨てられたストリートチルドレンみたいなすれた目で僕を見ないでくれよははは、穴が開いちゃうだろ」
しかし、今度と言う今度は俺も断固とした表情で、
「いーや。やられた方がイジメと感じたらイジメなんです。さすがに仏の俺も怒りました。次は法廷でお会いしましょう」
「もう、しょうがないなぁそう司君はぁ」
そう言って会長はポケットをまさぐりはじめた。言い方が某ネコ型ロボットっぽいのは気のせいなのだろうか。
「本当は今日手伝ってもらった御礼にと用意したんだけどね、まぁいいか。ハイ! そう司君!」
「なんで人の名前をさっきからのび太君みたいな表記にしてるんですか。そろそろ怒りますよ、俺じゃなくて藤子プロが」
会長が差し出してきたのはチケット状の紙だった。某ネコ型ロボットを意識しているなら取り出した瞬間にそのものの名前を叫んで欲しい。これで肩たたき券とかおこめ券だったらどういうリアクションを取ればいいのかと戦々恐々としながら受け取ると、それは。
「遊園地のチケットぉ!? しかも、ご丁寧に今日の指定券じゃないですか!」
俺は呆れながら戦慄するという器用な感情の波に飲まれた。会長はん、アンタほんまもんの鬼やで。今日が何の日か知らないわけがなかろうに、こんなものを渡すとは……。行って来いというのか、一人で。きゃっきゃっうふふと聖なる夜を楽しむカップルたちに、一場の笑いを提供してこいと。てか今日の分の遊園地のチケットってそこそこ入手困難なはずなのに、ホントこの人は人をイジる為なら労を惜しまないな。
「ははは、僕も部外者にタダ働きさせるわけにはいかないからね、いやぁコレとるの苦労したよ! 存分に楽しんできてくれたまえ」
「はぁ……俺はあなたの鬼畜外道っぷりに呆れて物も言えませんよ。ある意味最強の拷問ですよね、クリスマスイブに一人遊園地。特殊部隊員でも泣きながら秘密を自白するんじゃないかな」
そっと、会長の首に俺は手をかける。
そしてぎりぎりと万力のように力を込めた。
「ちょーちょー絞まってる絞まってる!」
「だーいじょうぶですって会長なら地獄でも上手くやっていけますから」
「ははは早まっちゃいけないようぞうし君、ぐぇぇ……いいかい、チケットは二枚ある……二枚だ……」
「二枚?」俺はぱっと手を離す。
「はぁーはぁーはぁー川の向こうで死んだおばあちゃんが手招きしてるところまで見えたじゃないか」
「だからアンタのばぁちゃん生きてるだろうって。そんなことより、なんで二枚なんです? 返答によってはすぐにその謎のババァと再会させてあげますが」
ふぅ、やれやれ、と会長は外人みたいに首を振る。
「なんだい女の子誘うとこまで僕にやれって言うのかい? もうしょうがないなぁそう司君はぁ」
「だから人の名前を某メガネ少年みたいな表記にしないでください。そして『もうしょうがないなぁ』の部分を必要以上にダミ声にしないでください。今の某ネコ型ロボットはキレイな声ですから」
「僕は未だに、今の友蔵の声に慣れないんだよね」
「あーどうしてもシロッコのイメージが強い……ってうるせーばかやろー番組違うわ先に進めろ」
再びぎりぎりと会長の首を絞める。言葉でツッコんでも調子に乗るだけの会長には意外にいいやりかたなのかもしれない。
「呼んである! 呼んであるから!」
「呼んである?」俺はぱっと手を離した。
「それは誰をですか?」
「はぁーはぁー全く、ツッコむならせめてはたくとかにしてよね。僕が首絞めプレイにハマっちゃったらどう責任とってくれるんだい」
「うっさい。俺も我慢の限界なんです。そりゃツッコミもバーリトゥードスタイルになりますよ……って嫌な嫌がり方だなオイ。痛いからとかじゃないんだ」
いやツッコんだら思う壺だ。俺は強いて、話を進めた。
「で、誰を呼んだんですか? あんたはこの茶番に、いったいどんなオチを用意したんです」
「ふふふ、それはね……」
会長の目が怪しく光った。俺はどんな結末にも耐えられるよう覚悟を決める。
そんな張り詰めた空気の中――
「あー会長―、ゆうひちゃんが校内に入ったって、今守衛室から連絡が来たよー」
階枝さんの緩い声が、会長が溜めに溜めたオチをあっさりとバラす。「そりゃねぇよ……」と呟きながら再び床にくずおれる会長だが、流石にマリワナ海溝に匹敵すると言われる俺の慈悲深さも底をついていた。ざまぁみろ。
「でもオチ荊原って、会長にしてはヒネりがありませんね」
「……失敬な。というかこれはね、別にいつものおふざけと言うわけじゃないのさ。あんまりにも君たち二人の仲が日進月歩で遅々として進まないから、じれったくなってしまってね」
はぁ。人心掌握術には悪魔のように長けている会長には珍しく、勘違いしているようだった。俺と荊原の仲はそんなんじゃないというのに。あと日進月歩を悪い意味に使っている人は初めて見た。
しかし……どうしようか。
クリスマスイブの遊園地と言えばカップルが行く物と相場は決まっている。知り合いも一人や二人は行っているだろうし、もし目撃されて勘違いされたら荊原が可哀想だ。アイツの場合、性格があれでも容姿はそこそこだから、隠れファンもいそうだし、彼氏持ちと勘違いされればモテナイ女子の嫉妬を買うかもしれない。どちらもこれから友達を作るには障害になるだろう。
やっぱり、会長には悪いが俺の分のチケットで階枝さんにでも行ってもらうかな……。
そう思って、会長に断りを入れようと口を開きかけたとき――。
ガコン、と音がして、生徒会棟の大きな扉が開いた。
「え――?」
荊原が来ることは事前に分かっていた。それでも俺は、驚きを隠しきれない。
荊原、それはそのはずだった。
ただ、脳がそう判断しても眼が拒絶するというか……。
まるで、別人だ。
ぴったりと、そのしなやかな体に吸い付く鮮烈な赤いドレスを纏い、いつもはだらしなく垂れ下げられている長髪は、後ろでキレイに纏められている。それだけでも大分印象が違うのに、そのうえ化粧もしているようだ。元々白い肌は陶磁のように滑らかに輝いているし、唇はほんのりと質感のあるピンクに彩られている。
綺麗だ。素直にそう思う。今の荊原には、迂闊に近づいてはならないような、そんな、神秘性みたいなものまで感じる。何か言うべきなのだろうが、声が出なかった。
多分会長も階枝さんも同じ心情だったのだろう、荊原がその姿を現してから丸々一分くらい、誰も喋らず、皆石化の魔法でもかけられてしまったかのように、ただ荊原を見つめていた。
それを、荊原がどう解釈したのか。いつものように定まらない視線ではあるが、おずおずとその肉感ある唇を震わせ、口を開けた。
「きょ、今日は――お誘い頂き、ありがとうございます、三篠さん」
声だけはいつもと変わらなかったのに救われたのか、俺はやっと呪縛から解放され、口を開くことができた。
「あ、あうあうあ」
訂正、やっぱりまだ抜けきってないようだ。
というか、俺は誘った覚えがないのだが、どういう感じで話が通っているのだろう。気になる、そこはかとなく不安だ。俺の戸惑いを察したのか、会長が手でちょいちょいと俺を呼ぶ。どうやら、内緒話がしたいらしい。
「いや驚いたね彼女、殆ど別人じゃない。磨けば光るとは思ってたけど、とんだ原石だったわけだ。羨ましいぞこのこの」
「なんだこの人全然俺の戸惑い察してないじゃん……ってああこっちの話です。それよりなんなんですか、なんか俺が誘ったことになってるんですけど」
会長は白い歯を見せてうけるように豪快に笑った。
「ははは! 僕が君の名を騙ったに決まってるじゃ……ってまてまて、首は絞めないで。まぁ逆に考えてみてよ、君の名前で今日、他ならぬ今日誘って彼女が、しかもあんなに気合をいれて来るってことはもう、九分九厘勝ったようなものじゃないか。ふふふ、いいねぇ――」
会長は俺にもう一枚のチケットを握らせて、俺の背中をとん、と押す。不意打ちで体勢を崩された俺は、たたらを踏んで二三歩荊原の方へ足を踏み出してしまう。俺に反論される前に逃げただけの癖に、なんてかっこよく演出するんだこの人は。
――でも。
「それは僕からのクリスマスプレゼントさ、精一杯楽しんでくるがいいさ、ブラザー!」
「会長――」
「いいから、前を向けって。女性を待たせるものじゃないぜ?」
「……うっす」
いいと言われてしまったので、俺は心の中で呟く。まぁなんだ。ありがとう――ブラザー。
荊原が、普段とはまるきり違う格好に自分自身落ち着かないのだろう。おずおずと口を開いた。
「三篠さん――」
「話は後、とりあえずは外に出よう」
遮って、彼女の手を取る。荊原はわたわたと焦りだした。
「わ、わ、どうしてそんなに急ぐんですか!」
そんなことは、決まっている。一秒でも早く、お前と二人きりになりたい。
なんて、そんな歯の浮くような台詞が浮かぶも当然のごとく口には出せない。経験値が圧倒的に足りないのだった。
代わりに、照れ隠しに笑って俺は、こう誤魔化した。
「会長と階枝さんが、ニヨニヨしながら見てるからさ」