十二月十八日 一
四 十二月十八日
二年近く通った学園内であっても、未だにそこを歩いているとなにやらドキドキしてしまうような場所があった。思えばこの学園に入りたてのころはどこを歩いてもこんな風に、新鮮な刺激を受けていたものだ。懐かしい。
普段なら出入りすることのない、中等部棟の二階を歩きながら俺はそんなことを思っていた。しかし俺は違うから分からないのだけれど、中等部からエスカレーターで高等部に上がった学園生は、変わらない景色に嫌気がさしたりはしないのだろうか。制服は違うけれど、校舎内は殆ど同じだぞ、これ。何かもったいないような気がする。
「先輩、どうかなされましたか?」
物珍しさにきょろきょろと辺りを見回していると、中等部の案内を頼んだ少年が尋ねてきた。スキンヘッドに改造制服というバリバリのやんちゃファッションであるが、見た目に反してえらくできた子だ。名前は確か、岡部君と言ったか。俺が覚えていてもなんにもならないが、一応名前を覚えておこう。
「三篠さん、自分達、めちゃくちゃ見られてないスか」
よせというのに付いてきた荊原が言う。確かに、昼休みでごった返す廊下のなか、穴があいちゃうくらいに視線が俺達に集中していた。
「まぁ高等部の先輩が中等部に来ることなんて滅多にないからな。珍しいんだろ」
一個上の先輩にあってもビビルくらいだから、高等部が来たらそれはもう大変なことだろう。学校の中での年の違いは、軍隊の階級くらいの重みがあるものだ。視線を集めてしまうのは、当然のこと。そう、俺は思っていたが、
なぜか荊原の発言を聞き、岡部君は血相を変えた。
「すいませんッ!」
折り目正しく、岡部君は俺達に向かって頭を下げる。分度器を当てたくなるくらい、綺麗な九十度で。
「すぐ言って聞かせますんで……ゴラァッ! 先輩方を無作法にねめつけてんじゃねぇぞテメェらッ!」
号砲のような声が耳をつんざく。
遠まきに俺達を見ていた中等部生達は、その一喝で蜘蛛の子を散らすように逃げていった。いや、あの、荊原もそんなつもりで言ったのじゃないと思うのだが……。
そんな俺の心中も虚しく、岡部君はまた俺達に向けてきっちり九十度腰を折って謝る。
「申し訳ありませんでした。不肖、この岡部塔矢、先輩方に恥をかかせてしまい、面目しだいもございません。この件はいかようにも彰さんにお伝えください……」
「いや……あのそんなんじゃないんだってば……いいから顔上げて――」
無理にでも顔を上げさせようとする俺を、嘲笑うかのように荊原は、
「二度目は無いぞ、塔矢」
「ハッ、肝に銘じておきます。返す返すも申し訳ありません!」
よろしい、面を上げよと尊大にいつもは語尾にスをつけたりつけなかったりする小物がのたまう。なんというか、こいつの行動だけは読めない。こんなところでギャグをやるキャラだっただろうか……ってまぁそんなキャラだったな。とりあえず俺はその偉そうな後頭部にパンチ(小)を二発ほど入れておいた。小パンは連射がきくのだ。
すると荊原はきっと俺を睨んで、
「痛いですよ、三篠さん」
「う……なんだその目は」
もしかして、さっきのはギャグでもなんでもなく、素の口調だったのか? それはさすがにないと信じたい所だった。普段の荊原は実はあれで気を使って変人度を抑えているとしたら、もう地球はおしまいだ。
しかし荊原は、尚も偉そうな口調で岡部君を問いただすのだった。
「ところで塔矢、重要証人とやらはちゃんと確保できているんだろうな? こんなところまでわざわざ足を運んで、なんの収穫もありませんでしたじゃ許されない」
足を揃えて、訓練された兵隊のように岡部くんは荊原に向き合い、
「ハッ、もちろん。先輩のご指定どおり、殺された『中尾冬馬』と親しくしていた友人……といってもこの中尾とか言う奴、えらくダチが少ないケチな野郎だったようで、二人しかいませんでしたが――それをふん縛ってあります」
「……訂正を」
「はい?」
「友達が少ないからといってケチな奴と決め付けるのは早計だ。訂正しろ塔矢」
「はぁ……なんかすみません」
実は友達いないこと、滅茶苦茶コンプレックスなんじゃないかこいつ。というか、その言葉遣いは本当になんなんだ。いや――今一番ツッコむべき所はそこじゃない。悔しいが。
俺は二人の会話に慌てて割って入る。
「ちょっと待って岡部君、君今、ふんじばってるって言ってなかった?」
「はい、正確には『ふんじばっている』ではなく『ふん縛っている』と言いましたが、確かに」
「何もちがわねーよ!?」
少なくとも、話している限りは。いやそんなことはどうでもいいとして、問題は……
最悪の事態を予想して、俺の額に冷や汗が浮かんだ。
「あの……『ふん縛っている』っていうのはもちろん、なんというか、比喩的な意味で、だよね? まさか本当に、縄でぐるぐるしてないよね?」
岡部君は少し考えるように面を落とし、
「いえ、そのままの意味で、です。正確に言えば、拘束には手錠と猿ぐつわを使いましたが」
「うわわわわわ」
驚きすぎて、変な声が出た。もうなんかそれ、フツーに犯罪じゃん。暴行罪とか監禁罪とかそういうアレじゃん。犯罪者を捕まえようとして、自分が犯罪犯してたら世話無いぜ!
俺は一度深呼吸してから、岡部君に言った。
「すぐ……連れてって。今ならまだ、間に合うかもしれないから」
岡部君は眉を寄せ暫し考えこむ様子だったがすぐに、よく分からないですけど分かりました、と言って先を急いでくれた。どっちなんだ岡部。