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1月17日 5 慟哭

 ○


 夜の帳は下りた。低血圧の皇帝もお目覚めの時間だ。俺は彰に電話して協力を仰ぐことにした。思えばいつも何かあると彰に頼っている気がするが、なりふりかまっていられない。使える物は使う。過程がどうであれ、目的を全てに優先させる。何が何でも、荊原を助けてみせる。

 電話を入れると、皇帝は二つ返事で俺の陳情を受け入れてくれた。もちろん、夜の皇帝は甘くはない、代償は当然払うことになったが……今は。

 今はそんなこと、どうでもいい。

 俺も一旦家まで帰り、バイクを使って市内を捜索する。季節は冬だ。一週間もの間、どこか宿泊施設を利用していないわけがない。そう思った俺は、ホテルや漫画喫茶、カラオケを虱潰しに回った。一人身の女子高生が目に付かないわけがない、目撃情報ぐらいは出ると思っていたけれど、結果は期待を裏切った。

 全く、一つたりとも、そんな情報は出なかった。

 おかしい……というか、ありえない。

 それでは一週間もの間、どうやって過ごしたというんだ。男じゃあるまいし、公園や橋の下で野宿というわけにもいかないだろう。第一、身の危険とかいう問題ではなく、この寒さでは凍死する可能性もある。

 俺が途方にくれていると、彰達別働隊からの報告が届いた。

 彰達は俺には調べられないディープな隠れ家を調べてくれている。例えば家出少女を匿うアングラネットの書き込み、クラブやラブホテル、住み込みでも働ける風俗店など、形振りさえ構わなければ、女はその体一つでいつまでも潜伏できるとは皇帝の談だ。まさかとは思うが、可能性の一つとして調べてもらっていた。

 しかしそんな闇の世界でも、荊原の痕跡は全く残されていなかったという。

 分からない。これは一体、どういうことなんだ。

 そんな弱音を電話口で漏らした俺に、皇帝は甲高い笑い声を上げながら言った。

「分からない? ハハハッじゃあねぇだろソーちゃん! お前の中ではちゃんと答えが出てるハズだぜぇ? ハッ! お前のクソッタレ無意識が耳に栓してんなら、仕方ねぇからこの俺が代弁してやるよ。いいか、あの女はもう――」

 プツッと、そこで電話が切れた。いや、俺が切ったのか。何てことをしているんだ、俺は。皇帝からの電話を途中で切るなんて。

 休みも無く走り通しで、体が凍りついたように冷たい。指先の感覚などとうになくなっていたけれど、それでもどうやら震えているらしいことは分かった。

 いや指だけじゃない。全身が、震えていた。

 寒い……。

 急に気分が悪くなって、俺は往来の真ん中で膝をつく。目を回しているようだった。世界が自分とは関係なしに、踊りまわっている感覚。

 世界に、弄ばれていうような感覚。

 気分が悪い。周りの目などもう考えられない。俺は道の中央で蹲った。えた液体が喉元までせり上がってきた。もう、ただひたすらに気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い――。

「ぬぁーにやってんスか蒼司センパァイ!」

 無理やり肩を担いで立たされた。ここは繁華街の中心部で、彰の仲間がたむろしていても不思議じゃない。この喋り方は、望月君か。

「全く、いきなり通りで寝っころがり始めるんだもんなぁ、今度は何喰ってんスかセンパイ? センパイのトビ方ヤベェから、今度から喰うならハコか家ん中にしないとマズイっすよ!? 俺がたまたま通りかかって無かったらどうなってたことかって……ん?」

 望月君は不意に言葉を切らす。

「センパイ、携帯鳴ってますよ?」

 嘔吐感に支配された頭の中で、なんとか目だけを開ける。もしかしたら、新しい情報が手に入ったのかもしれない、荊原が見つかったという可能性もある! 俺は固く握り締めていた拳を解き、中の携帯を見た。

 すると。

 淀んでいた頭が、一瞬でクリアになる。まるで深海から浮上したかのように、いきなり体に力が戻った。

「お前、心配したんだぞ!」

「はは……」

 液晶に表示された発信先は、

 荊原、ゆうひだった。

 望月くんを振り払い、貪るように両手で携帯を抱えた。

「荊原、お前今どこにいる! 大丈夫なのか!」

「……蒼司さん」

 質問には答えず、荊原はただ俺の名前を呼んだ。

 そしていつもの調子で、彼女は言った。

「自分は、もうダメです。はぁ、下手こいちゃいました。いやぁ惜しいとこまではいったんですけどね、残念です」

「バカ! お前、なに言って……」

 荊原は俺に有無を言わさず、一方的に話す。

「この電話は、たださよならを言うために掛けただけなんです。今からではもう間に合いません。どうか、助けようとか、それと、これは自惚れかも知れませんが、私の仇を打とうなんてことは思わないように。それでは私と同じ末路を辿ることになります。――いいですか?」

 いいから今どこにいるんだ! と叫ぶ俺を無視して、荊原は続ける。

「放課後殺人クラブをどうにかするなんてことは、絶対にできません」

「そんなことはどうでもいい!」

「これ以上、放課後殺人クラブを知ってはいけません。約束ですよ。ああコレ、私の一生のお願いです」

 ――バカ、と俺が怒鳴る。いつもと同じようなやりとりだけれど、俺の声に余裕は微塵もなかった。

「待ってろ、助けてやる! 絶対絶対、お前は俺が助けてやるッ!」

 喉をすり潰して出しているんじゃないかと思えるほどの、悲鳴じみた声。

 そんな俺とは対照的に――。

「ふふっ」

 荊原の微かな微笑が、電話口から漏れた。

「それを聞けただけでも、私は生きていて良かったと思いました。ふふ、幸せ者だなぁ、私は。ああそう、最後なんで恥ずかしいのを堪えて言っちゃいますが」

「縁起でもないことを――」

 人の話を聞かない。こいつは、いつもそうだ。

「自分、蒼司さんのこと、好きでした。あ、いつもの天然で誤魔化すのはなしスよ? これは友達とかに使う軽い奴じゃなくて、どこまでも純真で、強欲で、大きな――『好き』……ですから」

 自分の言いたいことだけ言って、

「ふふっ、なんか恥ずかしくなってきたんで、もうさよならしますね。もしそんなものがあるのなら、来世では可愛がってください――ありがとうございました。最後に声が聞けて、良かった――」

 言いたいことだけ、言って……、

 すぐ、そうやって、自分勝手に、お前は、いつも、

 俺だってお前に言いいたいこと、あったのに……っ!

「くっそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 何処へ行くべきなのかはわからない。それでも俺の足は、壊れそうなくらいに激しく動いていた。



 ○


 1月18日 未明


 …………。

 ついに彼女を見つけた。

 彼女は冬の海を真っ青な表情で漂っていた。



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