十二月十六日
二 十二月十六日
それから二日間は学校に行けなかった。
別に精神的ショックがどうこうというわけではなく、警察から捜査協力という名の下で拘留されていたからだ。
どうも当初俺は、犯人かそれに近いもの扱いされていたらしい。老若男女様々な種類の警官が、手練手管を用いて自白を勧めてきたりした。
しかしそのことを恨む気はない。というか、恨めない。そう思われても仕方ない要因が、俺の方にあるからだ。
まぁ、なかなかできない経験ではあるから頑張ろう。
そう覚悟を決めて、そろそろ警察署で過ごす日々にもなれはじめた頃、突然それは起こった。
捜査本部、解散。
俺は朝一番に出頭してそれを聞かされた時、今どういう顔をすればいいか分からなかった。喜ぶべきか悲しむべきか、少なくとも、笑ってはいけない場面だろうことは分かった。
そんな俺とは対照的に、顔なじみになった刑事は苦りきった顔で続ける。「こんなのは前代未聞のことだよ」と。暗に、お前一体何をしたんだという目で見られたが、当然一介の高校生である俺にそんな力はないし、知らないうちにそんな力を手に入れていたとしても使っていない……
はずだよな?
まぁ俺も、無限に学校を休めるわけではないので、助かりはしたけれど。
そんなこんなで事件発生から四日目の朝。休日を一日はさんで月曜日。
釈然としないながらも、晴れて無罪放免された俺は、久しぶりに徒歩で学校へ向かった。というより白状すれば、そうするしかなかったのだ。無断でバイク通学していたことがバレた俺は、学校にバイクを没収されてしまっていたのだった。私有財産って国でもおいそれと手出しできるものじゃなかったはずだが、奴らはどれほどの権力を持っているというのか……。
そんなことを憤然と思いながら俺はてくてくと地を歩く。バイク用にと完全に固められたいつもの登校スタイルは、徒歩では暑苦しかった。
思うに、最近の俺は全くツイてない。母親が大殺界がどうたらといっていたが、今度真剣に話を聞くべきかもしれない。ついでにご利益のある壺とか買って宗教にも入ったほうがいいのかもしれない。神に嫌われているなら全力で媚を売らないと――って、
――いかんいかん。
俺はいつの間にか丸まっていた背筋を伸ばし、前を向く。あまりネガティブな考えに支配されてはいけない。そう、人生山あれば谷ありというじゃないか。やまない雨はない。晴れない霧はない。幸運も不幸も、そう続くものではないはずだ。そろそろ神も自分の仕打ちを反省し、なにか幸せイベントでも設置してくれているだろう。そのはずだ。いや寧ろ、そうに違いないじゃないか。
例えば――。
俺はふと、校門の前で難しい顔をして佇む少女に、目を留める。
可憐だ。
光散るような――という古風な形容を思い起こしてしまうほどの、綺麗で長い黒髪。丸く大きな瞳は、純真さのなかに強い意思を感じさせるようだ。正直に申せばとても好みのおなごにござった。リボンの色からして一個下の学年――高校一年生――なのだろうが、その少女に幼さなさは微塵も感じられず、研がれた刃のように、冷たく美しい。
そう、例えばだ。
俺はこの一週間、それなりに運がなかった。だから――うん。彼女が俺に話しかけてくれるなんてご褒美で、報いられても良いのではないか。それくらいの幸せイベントはあってもいいんじゃないかな神様――と、自分でもよく分からない期待を胸に、俺はその美少女の前で立ち尽くす。悲しいことに、自分から話しかけるような勇気はない。
少し不自然に見えるだろうか。
急に自分の目の前で立ち止まった俺を、美少女は顔を上げて、怪訝そうに覗う。
彼女は俺の顔を見て、
瞬間、さっ、と顔色を変える。
――やばい!
当然俺の顔色も青くなった。なにか俺、やってしまったのだろうか? せっかく学園に帰って来られたのに、今度は痴漢で警察署にご厄介になるなんて。俺の脳裏に、少し顔なじみになった刑事の苦りきった顔が浮かぶ。恥ずかしながら、帰ってまいりました――。
しかし、そんな俺の想像とは裏腹に、
「あなた――まさか三篠蒼司」
美少女は俺の名前を言った。なぜか名前を知られていて驚いたり、不吉な空想が杞憂に終わって安堵したりと、心中では複雑な感情のうねりがあったが、表情には出さない。やっぱりクールガイがかっこういいと思うんだ。俺はあくまで余裕ぶりつつ、
「そうだけど、年上を呼び捨てにするのは感心しないな、一年生」
キザい台詞を吐く俺。うん、自覚はあるんだ。
けれど美少女はそれを馬鹿にするでもなく、あ、すいません――と素直に一礼した。おいおい性格もいいのかよ。この時点で俺は心の中の婚姻届を八割方記入し終えた。
「えーじゃあ、三篠、さん。でいいスかね。う、なんかこれ『みさささん』ってさが三連続もして言いにくいな」
あーそれは、よく言われる。
俺は精一杯の笑顔で、
「じゃあ普通に三篠先輩、でいいんじゃないか」
と大分作りこんだいい声で言った。すると、
「いえ、やっぱりこの呼びにくさが小気味いいんで、三篠さんでいきます。すいませんみささしゃん――あれおかしいな。小学校のころ話し方教室には通ったはずなのに。みさしゃしゃん、みさしせん、みさしゅしん、みそおでん……うーむ意識すると余計こじれるますね、みそおでん君先輩」
「……」
何だこいつ。
なんか、ここまで喋っただけで、俺の胸の高鳴りは八割方いずこかへと飛んでいってしまったのであった。
やばいな、こいつ。
男心と秋の空というか。やっぱり人間、外見より中身で勝負したい。産まれついたときから変人に囲まれて育ったためか、なんとなく俺には分かってしまうんだな。
一級変態判定士ことこの俺、三篠蒼司が断言しよう。
この女は、マトモじゃない!
ていうか先輩って付けるなら噛む要素激減してるはずだろ。だれがみそおでん君だ。わざとだろ。
「でですね、みさしゅせん――」
「あ、ああ、なに? 何のよう?」
「いや、立ち話も何じゃないスか――なんで、」
語尾に「ス」をつける小物臭い喋り方をしているくせに、有無を言わせない高圧的な目付きで女は俺を見やり、
「ちょっと顔、貸してくださいよ」
そう言った。わーいおんなのこからおさそいだー。これはぎゃくなんってやつかなーうひゃーい。
とは当然、微塵も思わず。俺は自分の変態判定スキルに一層の自信を持った。
やっぱりコイツ、関わったらまずい奴だった!
確信した俺の大脳辺緑系(適当)は迅速に撤退命令を出した。こういう変人に関わるとロクなことにならないのは、嫌というほど知っている。俺は辺緑系からの指令に答えるイエス、サーの掛け声も小気味よく、変人を無視して校門を通ろうと、足を動かす。そうしたら、急に、首に巻いていたマフラーを思い切り掴まれ、引っ張られる。
「申し訳ない気もしますが、逃がしません」
ぐぇっ、とカエルみたいな情けない声が、俺の喉から漏れた。
普通そこまでするだろうか。
初対面の人間が去るのを、マフラーをがっしり掴んで止めるなんて。ナンパ師や悪徳セールスマンよりタチが悪い。
そう、俺は気づいていなかった。
人間ツイてないときはどこまでも不幸が連続するものなのだということを。
犬の散歩よろしく、マフラーを引っ張られて連れて行かれたため、周囲には悲しいカエルの歌が響き渡ったという。
○
「自分、荊原って言います」
「聞いてないぞ」
「……私の名前を知りたくないと? ちなみに下の名前はゆうひです」
「いらん。別に俺は名前さえ知れればその相手を殺せるノートとか持ってないんでね。お前の名前を知っても特に、何の得もないんだ」
「ふーん。意外と冷たいんスね三篠さん。頼れる先輩との噂でしたが」
「誰でも彼でもに優しくできるほど、生憎人間できてないんでな。悪いが、見知らぬ男のマフラーを掴んで学校サボらせて、あまつさえこんなところに連れてくる奴には、敵意しか抱けない」
こんなところ――もう二度ととはいかないまでも、あと一月は遠慮しておきたい場所だった。精神的ショックはあまり受けていないといっても、居て気持ちのいい場所ではない。
そう、俺は荊原とかいう女に強引に連れられ、四日前に死体を発見したあの公園へと連れてこられていたのだ。
「俺がここで、死体を発見したってことは知ってるよな」
荊原は鷹揚に頷いた。
「もちろん。みんな今その話で持ちきりスからね。生徒で知らない奴はたぶんいないんじゃないかな。なんせ、友達いない私でも知ってるくらいスから」
予想してなかったわけではないが、やはりそうか。恐らくあのまま学校に行っていたら俺は質問責めにあっていただろう……っていうか今こいつ友達いないって言ったか。ちょっと可哀想じゃねーかなんて思ってしまうのは、俺の甘いところだ。
「あー……友達が居ない件については力になれると思う。ただ、一体どういう了見なんだ? そのことを知っていながら、俺をここに呼び出すってのは」
返答しだいでは、俺も怒る。というか、怒らなければいけないだろう。たまたま俺が精神的にタフだったからよかったものの、マトモな人間なら死体を発見したなんてことは、トラウマになっていてもおかしくない。そんな人間を発見現場へと強引に連れて行くなんてこと、遊びでやっているんだとしたら酷く悪趣味だ。
しかし荊原は、そんな俺の怒気に全く感づいていない様子で、淡々(たんたん)と言った。
「発見時の死体の状況について、聞きたくて」
はぁ? と俺は思った。多分口にも出たと思う。何を言ってるんだ、コイツは。
「だから、三篠さんが死体を発見した時の周囲の状況、死体の状態について数学の論証より正確に、年季の入ったマニアが自分の好きなものをはぁはぁ語るより懇切丁寧に、この私に解説してほしい、と言っているんです」
いや、さっきはそこまで言ってなかった気がするけど。しかし問題点はそこではなく。
「なんでそんなことを。お前死体愛好家とかなのか? 変人だし」
「いや違います。あと変人でもないですから、私」
「だって友達いないんだろ?」
「いや……つーか友達とかぶっちゃけいらなくないスか? なんかいると利点とかあるんスか? そんなもの足を引っ張るだけで表層的で卒業したらもう二度と連絡とらなくなって人間って……悲しい生き物だななんて夜中にふと思っちゃったりしちゃうだけじゃないですかいなくちゃ悪いんですか!」
本当に友達なんていらないと思ってる奴はそんな必死で抗弁したりしないぞ、と言おうと思ったのだが、良心がしくしくと痛んだので止めておいた。なんか、不憫な奴だ。
でもまぁそのことは今脇に置いておいて。
「訳を聞かせてくれ。お前が死体について知りたい理由」
「……」
荊原は、わざとらしく目線を泳がせる。
「まだ三篠さんとは友好ポイントが足りないんで、それは教えられないス」
茶化すように言う。
でも、ここだけは俺も退けない。
「あーそうか、なら俺も友好ポイントが足りないから教えられないな。うーん惜しいなぁ。お前が理由さえ話せばちょうど溜まるんだがなぁ」
「……なかなか、嫌な奴ですね三篠さん」
「ふ……、まぁ嫌な奴であることは認めなくもないが、俺は卑怯な人間じゃあないぞ? ちゃんと理由を話して、それに納得できれば、俺が知ってる全てを教えてやる」
荊原はそれでも少し迷うような表情をした。俺という人間を計るように目を合わせる。
何が分かるわけでもないだろうが、丸々三十秒くらいそうして間をとった後荊原は、
「分かりました」
とか細く呟いた。
その憂いの中に強い意志を秘めたような瞳は俺を……ほんのちょっとだけ、再びときめかせたような気がした。
○
「――この事件の捜査本部が、発生からたった三日で解散したことは三篠さん、知っていますか?」
ああ、勿論、と俺は頷く。恐らく、民間人としては俺が初めにそれを知っただろう。
「通常、重犯罪の捜査本部が、事件解決や時効以外の理由で解散することはありません。特に今回の件は殺人事件です。最近新しく法が改正され、殺人事件について時効は適用されなくなりました。だから捜査本部は解決されない限り、一生でも残るはずなんです。それがたった三日で解散した理由、三篠さんは分かりますか?」
正直、見当もつかない。俺は首を振って荊原に答えた。
「私はその答えを知っています」
荊原はとんでもないことを言い出した。
「いいですか? 警察は犯行が『放課後殺人クラブ』によるものだと断定した瞬間、捜査を打ち切るんです」
「放課後、殺人クラブ……」
その名前には覚えがある。たしか、死体の側に置いてあった紙に記されていた名前がそれだ。だから、犯行がその、放課後殺人クラブという団体の仕業、というのはまだ頷ける。……が。
「そんなの、ありえないだろ」
警察の捜査を止めるなんてことは、誰にもできっこない。政治家だって捕まるんだぞ? 俺は小馬鹿にした口調でいった。
けれど、荊原は真面目な顔で首を振る。
「そこにどんなからくりがあるのかは、私にも分かりません。けれど、これは確固とした事実なんです。少なくとも、地方警察、所轄の県警まではこの件について、なにを話しても無駄でした……無駄、だったんです……」
「お前……」
荊原に、ついさっきまでのどこか飄々(ひょうひょう)とした感じはなかった。固く拳を握りこむ姿は、悔しさに張り裂けんばかりだ。そんな荊原の真剣な様子を見ていると、俺も揺らいでしまう。
まさか本当にあるのか。
夜な夜な惨たらしい手段で人を殺し、
しかも絶対に警察は捕まえない、
そんな悪夢のような犯罪者集団、
『放課後殺人クラブ』
まさか、
まさかまさかまさか。
「理由を聞きたい、そう三篠さんは言いましたね。私の理由は、放課後殺人クラブを壊滅させたいという――いや――違いますね」
荊原は自嘲の笑みを浮かべる。
そして。
その強い決意を帯びた瞳が、広がる。
「私はどうしても、姉の仇を取りたい。五年前、放課後殺人クラブに殺された姉――あさひの仇を」
それが私の理由です、と。荊原ゆうひは、冷たい笑いに禍々(まがまが)しいまでの意思を宿らせ、言い放った。
つづく。