1月8日 4
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そんなわけで放課になった瞬間、俺はアマツの手を取って廊下に躍り出た。クラスの奴らの囃し立てる声が後ろから聞こえてきたが、強いて耐え忍ぶ。人の噂も七十五日と言うが、果たして変人の噂は何日で消えるのだろう。これからの学園生活を思うと涙腺が緩む思いだが、起こってしまったことはしょうがない。今は傷口を最小限にするため、アマツの手を引っ張り、生徒会棟へと急ぐ。入り口の重い大きなドアを開け、それを後ろ手にドシン、と閉めると、かつてないほどの安堵が込み上げてきた。ここならもう、安全だ。
「ふ……、果たしてそうかしら?」
何がだ。俺は一言も口に出していないのに、アマツは訳知り顔で言う。
「そんな血走った目で私を人気のないところに連れ込んでは、自ら私の言ったことを肯定しているようなものじゃない? 相変わらず、浅はかね」
くっそ! しかし俺はその感情を表に出さない。アマツに「ふふん♪」とやられるのが非常に嫌だからだ。俺は爽やかな笑顔を顔に貼り付ける。
「ふふん♪」
しかし駄目だった。どうしても血管が浮いてぴくぴくしてしまうのだ。もうちょっとでも面の皮が厚ければなんとかなったものを。これは二重の意味で。
「おやおやなんだいなんだい。神聖な生徒会棟で下卑た行為に及ぼうとしている輩がいるなぁと思ったら、案の定蒼司君じゃないか!」
「案の定じゃねぇよ」
前方から失礼な声がした。それは案の定会長のものだった。
「あら、生徒会長閣下。先ほどはお世話になって」
「世話?」
もしかして、というかこれも案の定だけれど。この女性用制服の出所は……。
「この制服やったの、会長ですか!」
「まぁね」
余計なことを……。俺はすんでのところで声には出さなかったが、強く思った。まぁこの人にアマツを紹介したのは他ならぬ俺なので、自業自得ではあるのだけど。でも余計なことをしやがって。
しかし会長は俺の怨嗟を込めた視線を誤解……いや分かっているだろうが、分かっていて最大限に楽しもうと目を輝かせた。
「ん? なんだいその物欲しそうな目は? あー皆まで言うな皆まで言うな。そうか、蒼司君も女子用制服が欲しいんだね? なんだそういうことなら早く言ってよ。夏服でも冬服でもソックスでもブラウスでも、なんでも実費で譲ってあげるさ!」
「いりませんよ!」
「ほう、やはり制服は使用済みでないと価値がない派なのか蒼司君。ふぅ、やれやれ。校内での窃盗はほどほどにしておいてくれよ?」
もう駄目だ。そういえばこの人も構ったら負けの人だった。ところでさっきの発言の一番のツッコミ所は「やはり」という部分だと思う。さっきからアンタは一体、俺をどういう人間だと捉えているんだ。
「そういえば、アマツは制服の対価はもう払ったとか言ってましたけど、本当なんですか?」
「……ああ、うん」
肯定する会長。ありゃ、本当だったんだ。制服一着と言えば高価なものだし、俺としては助かったと言えば助かったのだが……。
何か、会長には珍しく浮かない顔? だ。
心配になって問い直してみる。
「あの、本当に払ったんですか? 俺と会長の仲で、遠慮は無用ですよ?」
「失礼な奴ね。お前は私の保護者かなんかなの」
「似たようなもんだろ。後、お前には聞いてない」
けれど、どうなんですかと再び会長の方に向き直ると、会長はいつものニヤケ面に戻っていて、
「それはもうね、充分過ぎるほど払ってもらったさ。これで向こう十年は蒼司君をからかえるというものだ!」
と言った。
うぉ、その手があったか、と俺は暗澹たる思いに襲われた。情報を売るとはなんというITの申し子。確かにアマツに聞けば、俺の情報なら何でも手に入ってしまうだろう。もしかしてあんなことやこんなことまで話されてしまったかもしれない。まぁそれでも向こう十年は無理だが。多分というか絶対、途中で俺が死ぬ。あまりの恥辱に憤死する。
しかし頭を抱える俺とは対照的に、災の元凶は、しれっとした顔で、
「そうだわ、蒼司。私はお前の愛人三号であるところの、『荊原ゆうひ』なる女にも会って見たいのだけれど」
[荊原とはそんなんじゃねー上に何で三号なんだよ。お前の悪意ある放言で俺のキャラクターがガンガン汚れていってるよ!]
「じゃあ、V3?」
「仮面ライダーっぽく言っても違う!」
「ああなるほど、南極一号ね」
「それはもう人じゃない!」
今更ながら最低だった。文字通りの意味で最低という言葉が使えるのは対アマツの時だけだろう。こんな何処へ出しても恥ずかしい人間を、荊原と言わず、俺のことをかけらでも知ってる人間とひき合わせたくないと思うのは自然な感情だと思う。
「けれど私は、荊原ゆうひと会うまでは帰らないわよ?」
「……」
くそぉ。
長い付き合いな為か、コイツには俺の心が透けてみえるらしい。そう言われると、不特定多数の人間に被害を及ぼすよりは、荊原に犠牲になってもらった方がいいな、と非道にも俺は思い始めた。最悪、ヤツなら後でフォローもきくしな……。
「約束だぞ」
結局言うとおりになるしかないのは凄い癪なのだけれど、渋々俺は携帯電話を取り出した。だからコイツに頼るのは嫌だったんだ。
つづく。




