1月8日 3 ■ アマツ襲来
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とりあえずアマツを会長に押し付け、俺はクラスに向かった。今日は昨日行われなかった始業式をやるだけで放課になるらしい。ひとまずは安心……だが、まだ気は抜けない。一刻も早く学生としての職務を終え、アマツの手綱を握りにいかなくては。俺が知る限り究極にして絶無の変人である奴が、何をしでかすかわかったものではない。心境としては授業中、校庭に自分の飼い犬が入り込んできてしまった感覚が近いだろうか。いや、それは少しアマツをたとえるのに可愛いらしすぎ、そして温すぎるな。その感覚を六万倍くらいドス黒く、腐臭を漂わせるようなものに落とし込めば、今の俺の心境にやっと追いつく。とにかくこれは、未曾有のバイオハザードに陥る危険性を孕んだ緊急事態なのだ。
そんなわけで、始業式には全く身が入らず(まぁ入れる必要もないのだが)上の空でやり過ごした。後は教室に帰り、先生の話を聞くだけで放課だ。見たところ、これまで目だったトラブルは起きていないみたいだし、これはなんとかなるか、と思い始めた。列を成して教室へ帰り、席へ着く。担任が大仰そうに教壇へ登り、お定まりの年始の挨拶をする。その妙にゆったりと間延びした口調が、俺には嫌がらせのように感じられ、少しイライラした。この感覚は授業中に突然の下痢に襲われたそれと近いだろうか。それは近いというだけで、俺はもっと切迫しているのだけど。
なにせ、ここのところ外れを知らない俺の悪い方の勘が、ゆんゆんに反応しているのだ。
ああ、いつも後悔と言うものは後になってからやってくる。思えば、もう人が死なないなら、犯人なんてどうでもよかったじゃないか。人を殺さない犯人が学園にいるより、人ではない変人を学園に入れてしまうことの方が遥かに問題だ。まぁしかし、アマツは例え俺が学園へいれなくても、どうにかして侵入したのだろうから、一概に過去の自分の行動を責められるものでもない。けれどそれでも、最悪の状況の中で、取りうる最善の選択をしたとはとても言えないわけで、俺の胃はぎゅるぎゅると軋んでいた。今思えば、最初のホラー演出も俺の冷静な思考力を奪うための布石だったのだろうな……。
そうこうしているうちに、先生の話がまとめの部分に入った。例年より少し早い切り上げに、俺は賞賛の拍手を惜しまない。今すぐ立ち上がりたいくらいだ。それは二重の意味で。
しかしなんでだろう。俺の望みは、いつも後一歩の所で届かない。俺はまだ覚えている。六歳の誕生日、俺が両親に頼んだのは確かにゴジラの人形だったのに、両親が買ってきたのは『モゲラ』だった。ガメラですらない。ていうかそんな怪獣知らねーよ。ていうか日本人ならゴジラくらい知ってろよ。……今思えば、その時から俺は、心のどこかで悟っていた。この世は、残酷な神が支配しているのだ、と。
後、たった一、二分。文字数にすれば、百字に満たないくらいで話を切り上げようとしていた先生は、目を丸くしていた。それもそうだろう。突然ドアが開かれて、そこになにやら得体の知れない威圧感を発する長身の女生徒がいれば、だれだって驚かずにはいられない。ていうかせめて、後ろのドアから入ってきて欲しかった……。
「転入生である!」
開口一番、アマツは言う。『転入生』のところを『新撰組』に変えたなら、きっとこの妙な違和感はきっとなくなるのだろう。どこの世界にそんな堂々とした転入生がいるんだ。
初老の教師が、もごもごと口を開く。
「転入生? 私はそんな話は……」
「書面での通達は後ほどなされるわ。柔軟に対応して欲しいものね、教諭」
「そ、そういうわけにはいかないよ!」
さすが、うっすらと頭頂部が見え始めているベテラン教師は、そこらへんの青二才とは違う。アマツの謎のオーラに惑わされず、正論をもって断固対峙できた担任に、俺は尊敬の念を覚えた。願わくば、このまま追い返して欲しいものだが……。
しかし、アマツは俺のそんな儚い希望を嘲笑うかのように顔をほころばせ、中年の教諭の耳元に、すっと唇を寄せる。
アマツお前、何を話した。
絞られた音量は、こちらには聞こえてこない。ただ、一瞬にして顔面を蒼白に変えた教師の表情から、俺は敗北を悟った。案の定、つかつかと俺の方に近づいてくるアマツを、もはや教師は止めようとしない。返す返すも思う。何を話した、アマツ。
「あの、空いてる席……今ないから。私、準備室からもってくるね」
突然の闖入者に硬直するクラスの中、学級委員で世話焼きの高音が、立ち上がってアマツに声をかける。しかしそんな頭の下がる申し出を、アマツは尊大に手で制する。
「いえ、構わないわ。ほんのしばしの間だし、別に立っていてはいけないという法もないのでしょう?」
普通、皆座ってる中、自分だけ立ってるのって恥ずかしいものなんだがな。まぁそんな常識がアマツに通用するわけもない。高音には後で俺から感謝しておこう。
アマツはさも当然のごとく、つかつかと俺の席の傍らまでやってきて、馴れなれしく俺に口を聞いた。いや俺とアマツは馴れなれしているのであって、別にそう言う口調が悪いと言うわけではないのだが酷くやめて欲しかった。実際に体験して初めて分かったことだが、転入生と主人公が初めからなぜか知り合いというのは王道パターンだけれど、何かこれ、全然嬉しくない。恐ろしい居心地の悪さだ。
「ふ……なかなか悪くないわね、学園生活というのも」
無視したいが、アマツの機嫌を損ねるのは避けたい。俺は仕方なく、開き直ることに決めた。
「あーそうかい。これを機に社会復帰してくれると嬉しいね。ところで……」
俺はずっと気になっていた点を質問する。
「その制服は、どこから手に入れたんだ?」
「ああ、これ」
そう、どういうわけだかアマツは、この学園の女子制服をちゃっかり着用しているのだ。まぁ、それがなければさすがに追い出されるだろうが。
「お前の友人を名乗る謎の人物が譲ってくれたわ。安心なさい、対価は既に払ってあるわ」
対価……? こいつがこの制服分の金を持っているはずはないので、少し気になった。いったいコイツは俺の友人を名乗るA氏にいったい何を払ったのか。まぁ双方納得の上なら俺が気を揉む必要はないんだけど……なんか心配だ。こいつ貞操観念とか緩そうだしな。
けれど、アマツは俺の方へと、人を小ばかにしたような薄ら笑いを浮かべて言った。
わざと、周りに聞こえるような声で。
「ふ……安心しなさい。私の体は、お前だけのものよ」
……っ! コイツは!
どよどよと、アマツの先ほどの発言を聞いた級友達が騒ぎ出す。コイツにはTPOというものがないのか。いや、タチの悪いことに、コイツは分かっていてやっているのだ。TPOのなんたるかを熟知した上で、「TPO? なぁにそれ? 男性器の略称なの?」とか言っちゃう奴だ。つまり確信犯。この使い方は誤用だけれど。
俺は何も言えなかった。口じゃアマツに勝てないことは良く知ってるし、何を言おうと、火に油を注ぐ結果になってしまうことは容易に予想できる。ここは沈黙が正解なのだ。俺は悔しさと悲しさと未来への不安で目の前が真っ暗になった。
つづく




