十二月十四日
一 十二月十四日
『神はあなたを見ている』
なんて妖しげな張り紙が、田舎の街中にはえてして張られているものだ。俺はその張り紙を笑って通り過ぎたり時には破り取ったりもちろん普段は気にも留めずいるわけなのだけれど、何かしでかした時には、必ずこの言葉が頭によぎる。あーこんなことするんじゃなかった、という益体のない後悔と共に。たぶん、自分で意識している以上に『神』という言葉、というか概念は、俺の中に深く根を下ろしているのだろう。
最初はなんてことない浮浪者かと思った。
都会ほどでないにしろ、不景気の影響か、この街にも近頃そういうお方達が増えていて、俺もあーなったらどうしようと内心密かに戦慄したり、時には臭いのでいらいらしたりしていた。
まぁそういうお方達に関わってもあまり楽しくないだろうから、普段なら声なんてかけないんだけれど、今日はなんだ、魔が差したというか。というか倒れている人に声をかけるのはどちらかといえば善行だろうから、この場合魔が差したとはいえないような気もするが、生憎俺の語彙力は平均的高校二年生相当のそれであって、他に適切な表現を知らない。まぁ夏なら公園の広い空の下、野外生活を満喫していてもなんら文句はないのだが(臭いには目をつぶれば。ていうか鼻か)生憎今は冬だ。こんな野ざらしの場所で寝てればフツーに死ねる。そりゃ若干薄情の気がある俺にしたところで、声をかけずにはいかないわけで。
まぁ魔が差した……と言いたくなる俺の心情も察してくれ。とにかく、そんなことをしなければ。
今冷たくなった死体を目の当たりになんて、してなかったのに。
うつ伏せに寝ていた男に声をかけても、反応がなかったので、おいおい酔っ払ってんのかと思ってひっくり返してみると、男は顔中を紫色に腫らしていた。いや、男というより少年なのだろう。顔は殴られすぎて原型を留めていないけれど、近くで見ると、男が着ていたのはうちの学園の、中等部の制服だと気づいた。この時までは、俺はなぜか、この男が死んでいるなどと、露ほども思っていなかった。意識を戻そうと思い二三度頬を叩くも、ピクリとも動かない。この時点でやっといやーはははと無性に笑えてきた。冗談はやめてくれ、と。あまりに驚くべき事態に直面すると、一瞬、いったい今見ている映像が現実のものなのかフィクションのものなのか分からなくなるのだということを、初めて知った瞬間だった。俺は笑いながら男の脈を取る。傍から見ると怖い光景だなオイ。何も感じられなかった。あれ、おかしい。手袋でもつけたままやっちゃったかなと思って手を見るも、ちゃんと予めとってある。意外と冷静だな、俺。ちょっと爪が伸びてきてるなとぼんやり思った。
はぁ。
そこら辺で俺は観念して、認めることにした。
この男はもう死んでいて、
この事態が、紛れもなく現実であることを。
死体をリアルに見たのは産まれて初めてだったけれど、俺の頭はさっきから意外に冷静だった。俺は薄情にも思う。面倒なことになった、と。
今俺が死体と向き合っている公園は、ちょうど俺が通う学園の裏手にある。公園から学園は近いけれど、公園から学園に入るには遠回りして正門まで行くしかないし、そんな遠回りをしてまで、この公園に寄っていこうなんて酔狂な生徒は全くいないといっていい。それもそうだ。朝の学生は何かと忙しいし、そうでなくともこの公園、公園とは名ばかりのただの雑木林だからな。
まぁ何が言いたいのかというと、つまり、
俺がこの場にいる必然的な理由なんてない、ということだ。
おまわりさんに、「ところで、君はなんでこんなところに来たのかな?」と問われれば、俺は「あうあう」としか答えられない。捜査線上に早くも怪しすぎる男が浮上してしまうというわけだ。
でもまぁ、必然的な理由がないからといって、理由のない行動などありえないわけで、今回も俺にはちゃんとここにきた理由はある。ごく個人的な、あまり公にできない理由が。
そう、何を隠そう、俺(と死体)の傍らに止まっている真っ赤なオートバイが、その理由だ。
校則第――何条だったか。いちいち覚えてはいないが、我が学園では例え免許を所有していても、通学に徒歩以外の手段を使ってはいけないことになっている。俺は国の法律によると、免許さえもっていれば誰にはばかることなく自動二輪に乗ってよいことになっているのに、たかが校則ごときに権利を侵害されるいわれはないと思い、一時期生徒会を通して校則の改変を迫ったこともあったのだが、頭の固い教員達には遂に理解されず、俺は一人尾崎豊を熱唱して泣いた。というか実は、途中でめんどくさくなって止めた。
よく考えれば、別にバレなければよくね? ということだ。俺はそこまで生真面目でも善人でもない。むしろダークよりがかっこいいと思う、中二スピリットを未だ忘れない漢だ。
だからこうして学校裏の誰も利用しない公園にバイクを隠し、学校に通っている。だから、バレたらまずい。ここにいる本当の理由を喋ることは、できればしたくない。
いや……、
しかし、まぁ……。
さすがに人が死んでいるのだった。バイクは没収されるかもしれないが、このまま見て見ぬフリ、というわけにもいかないだろう。遂にここにきて年貢を納めるときがきたようだ。神は見ている。悪いことはするものじゃない。さらば中二スピリット。たかが校則違反に神はやりすぎじゃないかと、畏れながら思ったりもするけれど。
俺は仕方なしに、普段はあまり使わない携帯電話を起動し、これまで一度もかけたことのなかった番号をプッシュする。コール音が鳴り、相手が電話に出るほんの束の間、何気なく向けた目線の先に、何かがあった。
場違いに真っ白な紙……あれは色紙だろうか。
死体の側に置かれていたその大きな紙には、太いマジックペンでこう大書されていた。
それは禍々(まがまが)しい筆致で、
『放課後殺人クラブ オウサツ木曜日』
と。
意味は分からなかったが、その時俺は初めて、背に薄ら寒いものを感じた。