セフィラ・コード
昼休み終了ギリギリまで楓、彼方の話に付き合わされ、その後機嫌を損ねている昴に改めて謝罪するなど、午後の始まりはいつもよりも慌しいものだったが、授業を始めてしまえばあっという間に放課後だ。
多少の疲労感を覚えつつも翼は帰路につく。昴の家と翼の家は逆方向に存在するため、帰り道は翼一人になる。
学校から最寄りの駅に到着した翼が改札口で携帯端末をかざすと、画面にOKの二文字が表示され、数回画面が点滅する。
現在の交通機関は、一世紀前に比べると大きく様変わりしている。移動手段として使われているものは一世紀前と同じだが、電車の路線は地上から全て地下へと移行され、座席は全て指定席に変わっていた。
運転は全てコンピュータによっての自動操作だ。電車間の距離はネットワークを通じて常に一定で保たれているため、交通機関の中では最も事故の確率が低い。
飛行機もその在り様を変えた。海外や地方へ向かうためのものはもちろん、区切られたエリアを移動する飛行船なるものがコースを分けて空を飛んでいるのは、既に街の人々にとっては日常的な景色の一部と化している。
ホームで待っていると、暗闇の奥から電車が見えてきた。減速し、静かに停止した車両の入り口に立ち、翼は入り口に取り付けられたデバイススキャナに携帯端末をかざす。
画面に表示されたA1という文字を確認して車両へと乗り込むと、中はまるで大きな個室のようになっている。両の窓際に二列ずつ設置された、計十六人分の座席にはいつもなら誰かが腰掛けているのだが、今日は偶然にも同じ車両に乗り合わせた人物はいなかった。
翼は最前列の窓際席A1に腰を下ろし、取り付けられた窓の外にある暗闇へと視線を向ける。やがて、ほんの少し加速感を翼の身体に与えて、電車はレールの上を移動し始めた。
窓の外から車内へと視線を戻し、座席に寄りかかった翼はゆっくりと瞼を閉じる。
一人になると、自然と昨日の父親とのやり取りを思い出す。自分の日常が変わるのだと、告げられた二日前に。
◆ ◆ ◆
「すまないな。急に呼び出してしまって」
「それは構わないけど、どうしてこんな夜遅くに俺を呼び出したんだ、親父?」
現在の時刻は夜中の十二時過ぎだ。話をする時間ならもう少し早い時間にもあったはずなのだが。
「まあ、とりあえず座れ」
質問に答えず、蓮哉は翼に座るよう促した。不思議そうに首を傾げながら、翼は畳に腰を落ち着かせる。
翼が蓮哉に呼び出された場所は離れだった。六畳の部屋二つ分程度の大きさのここは、普段翼が蓮哉に稽古をつけてもらっている場所でもある。
明かりは点けられておらず、月の光が淡く照らす室内は、どこか神秘的な雰囲気さえ醸し出している。この場にいるのは、もちろん翼と蓮哉の二名だけだ。
稽古を行う時間は平日なら夕方、休日なら朝と決まっているので、稽古をするために呼び出されたわけではないのだろう。
では、一体自分にどんな用事があるのか? 再びそれを問おうとする前に、蓮哉が口を動かした。
「扇野家に伝わる力について、話したい事があったのでな」
その口ぶりで、蓮哉が何を言おうとしているのか理解した翼は、途端に表情を険しくさせる。
「……『コード・ギャザリング』。代々扇野の当主が跡継ぎに継承してきた力か」
「そうだ。本来なら、力の受け継ぎは十八歳以降に行っているものだが、予定時期を早め、明日にお前へコード・ギャザリングを継承する事に決めた」
「……待ってくれ。どうして時期を早める必要があるんだ?」
翼はコード・ギャザリングという力の存在や、その力のルーツについては知っている。が、それと時期を早める事に関連性があるとは思えない。
蓮哉は威厳のある顔をわずかに曇らせ、うむ、と小さく頷いた。
「……お前には教えていない事がいくつもある。今から、それを説明しよう」
周りの空気が引き締まった気がした。いや、気を操れる翼には、確かにその場の空気が変わったのが分かった。
翼が頷いたのを確認し、蓮哉は続ける。
「我々の力がどういった経緯で誕生したかは知っているな?」
「ああ、俺達の先祖が式神から摘出した式を自分の式に同調させた事で、コード・ギャザリングが発現されたんだろ。それがどうしたんだ?」
プログラムが発足されて二年目の時期に、式神は関東近隣に現れた。
体中に無数の式を宿し、異能で被害を与える存在、それが式神だ。日本では地震や津波といった自然災害に部類されている存在だが、詳しい生態や出現条件はまだはっきりとはしていない。
発足されて時期が間もないプログラムはテイクオーバーを総動員して戦いに挑んだが、その圧倒的な力の前に、何万人ものテイクオーバーが命を落とした。戦いが終わったのは式神が現れて三日後の事だったという。
仕留めるには程遠く、退けるだけしか出来なかったプログラムだが、式神の一部を偶然にも入手し、そこから三つのコードを摘出する事に成功した。式神との戦いで生き残った者の中から、優れた式を持つ者三人に式神の式を埋め込むと新たな力が発現したのである。
式のコントロールを奪い、他者の異能さえも自在に操るコード・ギャザリング。
式そのものを破壊し、異能を無力化するコード・ブレイカー。
本来なら人の身に一つしか宿らない筈の式を形成し、無数の異能の発動を可能にするコード・クリエイト。
扇野家はその内の一つ、コード・ギャザリングを保有する一族だ。そして扇野を含めた三つの家系は、プログラムやそれに関わる人物達から『三始族』と呼ばれ、彼らの扱う力は『セフィラ・コード』と名づけられた。
「式神の一部から式を摘出し、それを我らが祖先に埋め込んだのはプログラムだ。話によれば、プログラムは祖先の力を式神対策だけとしてではなく、戦略兵器として他国の制圧に利用しようと目論んでいたらしい。だが、三始族はプログラムの――国の考えに反抗し、プログラムから脱退した」
昔の話ではあるが、他国でテイクオーバーを戦争の駒として使っていた国はいくつもあった。先進国となって今でこそ他国とも良好な関係を築けている日本も、かつては同じ事を考えていたのかと思うと、翼は憤りを通り越して呆れてしまう。
「よくプログラムが脱退を許してくれたものだな。それだけセフィラ・コードの力が強大という事か」
「戦略兵器として使おうとしていたぐらいだ。暴れればプログラムは壊滅的な被害を受ける事になる。国としても、それは避けたかったのだろう」
翼の反応と同じ様に、蓮哉も頷きながら苦笑を浮かべる。
「しかし親父、全然話が見えてこないぞ。俺達が話していたのは、そもそもコード・ギャザリングについてじゃなかったのか?」
話の脱線を指摘した翼に、蓮哉は首を横に振る。
「これからが本題だ。それを話すのに、プログラムの話題を挟む必要があったのでな。少し遠回りをさせてもらった」
「……それはつまり、プログラムにも関わりがある話って事か?」
肯定するように頷く蓮哉。
わずかな沈黙を挟み、蓮哉は話を再開させる。
「先日、堤の元にプログラムの人間が現れたという情報を入手した。どういう意図かは分からないが、おそらく、我々の元にもプログラムの人間が近々現れる筈だ。それに、反政府組織『コロイド』にも少なからず動きが見られる。反発するテイクオーバーの多くが所属するコロイドにとっても、反逆するテイクオーバーを止めるプログラムにとっても、我々三始族の力は欲しいところだろう。奴らの接触目的は、十中八九我々の力を手中に収める事だ。こちらがそれに従わなければ、奴らにとって我々はただの邪魔者に過ぎなくなる。そうなれば必ず戦闘に発展するだろう。だからこそ、万が一の事を考えてお前にコード・ギャザリングを継承すると決めた」
「……戦いで死ぬかもしれないから、先に俺へ力を継承すると?」
「そうだ」
一切否定の意思がない簡潔な返事は、翼に困惑をもたらした。
扇野家歴代当主の中でも圧倒的な戦闘力を誇り、『最強』の二つ名を持つ扇野蓮哉ともあろう人物が、そのような発言をするとは思っても見なかったからだ。
気を操る術や体術、戦術はこの父親から教えられたもの。翼からすれば蓮哉は父であると同時に偉大な師だ。常に目標としてきた人物である彼が、弱気にも死ぬかもしれないと言っている。
自然と、翼は否定の言葉を口にしていた。
「馬鹿な。コード・ギャザリングを含め、接近戦においても親父は最強なんだろ? 俺だってその強さは知っている。そんな親父が、万が一にも誰かに負ける筈がない!」
「物事に絶対はない」
静かに放たれた蓮哉の言葉は、翼の感情の昂りを抑えるには十分な力を持っていた。
それは、翼に抱いていた『決して誰にも負けたりしない』という蓮哉のイメージを砕く、残酷な響きがあった。
「俺とて簡単に遅れを取るつもりはない。だが、事態を悪い方向に想定しておいても損はないだろう? もし俺がコード・ギャザリングを宿した状態で死ねば、代々引き継がれてきた力は途絶えてしまう。ならば、コード・ギャザリングをお前へ先に継承し、俺がお前を守ればいいのだと考えた」
「そんなの、良くないだろ! どっちにしても、親父は戦いに身を投じるって事じゃないか! 俺はあんたが死ぬなんて全く思ってないが、自分を身代わりみたいに扱っては欲しくない!」
息子として、親を心配するのは当然だろう。
だが蓮哉の意思もまた、強いものだった。
「子を守らない親がどこにいる。それに、たとえお前へコード・ギャザリングを継承しなかったとしても奴らとの戦闘は起こりうるものだ。私が家族を守る為に戦わなくてはならないのに変わりはない」
「だ、だけど……」
「許してくれ、翼。お前の過ごしていた日々は、二日後からは別のものに変わるかもしれない。しかし、俺はその日常を守るために戦おう。自分の身を犠牲にしようとも、な」
感情に任せてしまえば、子供のように振舞ってしまえば、蓮哉の決意を揺るがすのは可能かもしれない。が、そこまで子供でもない翼は本人の決意を真正面から聞かされ、何も言えなくなってしまう。ただ出来たのは、唇を噛み、顔を俯かせて黙り込むことぐらいだった。
◆ ◆ ◆
瞼を開くと、周りの席にはまばらに人が座っていた。
どうやら寝てしまっていたらしい。外の景色は変わらず暗いトンネルの中だが、携帯端末に
表示されている時間を見る限り、目的地である駅を通過したという事はないだろう。
小さく息を吐き出して、翼は蓮哉の言葉を思い出す。
翼の日常は変わってしまうかもしれない。だが、自分を犠牲にしてでもお前を守る。あの人はそう言っていた。
ただ、もし蓮哉が犠牲になってしまっても、翼の日常は変わってしまう。家族がいて、友人がいて、戦いなどない平和な生活。それが翼の理想とする日常だ。
今の日々を壊したくない。でも、その思いに反して翼の日常は形を大きく変えようとしている。
プログラムに所属している少女、秋草真奈は純粋に協力を頼んでいた。彼女はただ、上からの命令を実行しているに過ぎない。(人は何か欲を持っている時、個人差はあれど気配を発する。真奈からはそういう気配を感じなかった)
しかし、それを命令するプログラムの人間が、三始族の力を利用しようと考えているかもしれない。蓮哉の話を聞いた後なら疑って当然だ。
もし純粋に式神の対処の為だけにコード・ギャザリングを使おうとプログラムが考えているのなら、翼も協力するのにやぶさかではない。しかし、プログラムの真意が分からない以上、簡単に「はい」と返事をするわけにもいかない。
だからこそ、翼は真奈に嘘をついた。やり方が気に食わないと適当な理由をでっち上げ、彼女達に協力するのを拒んだ。
それでも、彼女らプログラムと接触する機会は少なからずあるだろう。また家の前で待ち伏せされたりするかもしれないと思うと、翼の口からは自然と溜息が漏れた。