お誘い
「そこの彼女、少し俺らとお話でもしない?」
不意にそんな声が聞こえたのは、翼達が目の前の店に入ろうとしている時だった。
声のした方を見ると、二人の男性が一人の女子生徒へと話しかけている。制服を着ていない所を見る限り一般人だろう。
「ええと、私、ここで人を待っているんですけど」
「いいじゃない少しくらい。今は昼休みだろ? どっかの店に入ってちょっと話すだけなんだからさあ」
二人の男性に迫られ、困った様子で辺りを見回す女子生徒。翼は呆れた様子で一般人男性二人を見た。
この学校に入って一月、女子生徒がナンパされているのを見るのはこれで三度目だ。千咲学園の女子生徒に美女が多いかどうかは翼には分からないが、よくもまあ多くの生徒が周りを歩いているのに話しかけられるものだ。
ナンパされている女子生徒が気の毒に思えてくるが、周囲の殆どが学生なのだから自分がわざわざ出しゃばり、助ける必要もないだろう。
先に店へ入っていった昴を追いかけるために歩みを進めようとしたその時、偶然にもその女子生徒と目が合ってしまった。
すぐに逸らされると思ったが、その少女は助けを請うように翼から視線を逸らそうとしない。
無視して店に入ってしまうという選択肢もあるにはある。だが、その後に食べる昼食が果たしておいしく感じられるかどうか。
(……なぜよりにもよって俺なんだ)
偶然目が合ってしまったのを不幸に思いながら、翼は渋々彼女の方へと歩みを進めた。
「ごめん。待たせちゃったね」
二人の一般男性の方を見ようとせず、翼は知りもしない彼女に対して親しげに声を掛けた。少女の強張っていた表情が安堵に変わるのが、赤の他人からしてもよく分かる。
「じゃあ行こうか」
「はい」
少女が素直に頷いたのを確認し、翼は一般人男性二名へと視線を向ける。二人は顔を見合わせた後、居心地悪そうにそそくさとその場を去っていった。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
「それは別に構わないけど、なぜ俺に助けを?」
本当は「なんでよりによって俺なんかを選んだんだ」と言いたかったが、文句を言っても仕方がない。ただ間を持たせるために「目が合ったから」と答えられると理解しながらも、翼は彼女に問いかける。
しかし、彼女に返された言葉は、予想していたものと大分違っていた。
「一目見て、優しそうな人だと思って……迷惑を掛けてしまいましたね。これから友達と合流するんですけど、何かお礼をさせてくれませんか?」
食事所でお礼と言ったら食事だ。それはつまり、なにか奢るということなのだろう。
翼の心境からすればお礼というよりはお詫びをしてもらうと言った方がしっくりくるのだが、この際そんな事はどうでもいい。
わざわざお礼をしてもらうような事でもないし、店の中には昴が待っている。彼女には悪いが、食べ物を奢るという提案は丁重に断らせてもらおう。
「楓~! イチゴクレープ買ってきたよ~!」
「あっ、彼方ちゃん!」
考えがまとまったところで、目の前の少女――楓というらしい――は近づいてくる一人の女子生徒に声を掛けた。
彼女は彼方という女子生徒の近くへと行ってしまい、翼は言い出すタイミングを失ってしまう。どうすればいいか分からずその場に立ち尽くしていると、楓は彼方を連れて戻ってきた。
「彼方ちゃん、この人が男の人に絡まれている私を助けてくれたの」
「そっか。困っている女の子を助けるなんて今の時代に珍しい紳士だね! 楓、もしかして惚れちゃったりしてない?」
「し、してないよ~!」
何やら勝手に話が盛り上がってしまっているようだ。女の子同士会話に花を咲かせるのは構わないが、それは自分を解放してからにしてほしい。
立ち尽くしている翼の方へ視線を向け、楓はにこりと笑顔を見せる。
「それでは、行きましょうか」
「君の武勇伝を聞かせてよ、紳士君」
二人の勢いに押され、「断る」という言葉を言えなくなってしまう。元々、女子生徒とあまり話をしない翼は、女子高生独特の押しというものに弱かった。
見方次第では、さっきのナンパと対して変わらないのではないかと思いながら、翼は渋々彼女達に着いていく事にした。とてもではないが、断れるような雰囲気ではない。
携帯端末で昴へ謝罪のメールを送信して、三人は食事所のエリア内を歩き始める。
「そういえば、まだ名前を名乗っていませんでしたよね。雛沢楓。千咲学園二年生です」
「あたしは瓜生彼方。同じく二年生だよ~」
「……扇野翼。学年は一年です」
翼の自己紹介を聞いた二人は、意外そうに目を丸くした。
「あれま、あたし達より年下だったんだね。大人びてるからてっきり同学年だと思ってたけど。……ふむ、楓は年下が好み、っと」
「もう、からかわないでよ彼方ちゃん!」
どうやらこの彼方という女子生徒、恋愛関係の話が好きらしい。セミロングよりも短い髪型や大きな黒い瞳で、ボーイッシュな印象を受けていたため、何だか意外に感じられた。
楓はウェーブの掛かった茶髪の髪を指に巻きつけ、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。
どう接すればいいものかと悩み、とりあえず翼は無難な質問を彼女達に投げかける。
「俺達は一体、どこの店に向かっているんです?」
「二年校舎側にあるファミリーレストランだよ。それと、年上だからって敬語を使ったりはしなくてよし!」
言葉と共に彼方がビシッと突きつけてきたのはバナナクレープだ。楓も現在、イチゴクレープを食べながら移動している。
「こうして出会ったのも何かの縁だよ! だから気さくに話しかけてちょうだいな!」
「……そういう事なら、遠慮なく」
彼方の提案を承諾すると、なぜか再び彼方は翼へとバナナクレープを突き出してきた。
「?」
「お近づきの印として、翼ちゃんに一口食べさせてあげるよ」
「翼ちゃんって……」
隣を歩く楓が、呆れたように小さく呟いた。翼もちゃん付けで呼ばれるような事は今までになかったので、少し面食らってしまう。
「……瓜生さんは間接キスとか、そういうのは気にしないのか?」
少しの間を置いて返事をすると、彼方は「う~ん」と唸り声を上げて、
「特に気にしたりはしないかな~。だって実際にキスするわけじゃないでしょ? 今時そんなので照れちゃったりするようなウブな女の子は中々いないよ~」
「間接キス……」
彼方の言葉を復唱した楓の顔がみるみる赤くなっていく。どうやら彼女は、彼方の言うところの『ウブな女の子』らしかった。
「……もしかして翼ちゃん、あたしとの間接キスを意識しちゃったりしてるのかな?」
翼の問いが照れ隠しによるものだと考えたのか、彼方は、からかうような口調で言った。
「べ、別にそういうわけじゃない。ただ、嫌じゃないのなら食べさせてもらおうと思っただけだ」
「ふ~ん、真意はどうか分からないけど、それならはい! あたしの間接キスを受け取るがいいよ、翼ちゃん!」
差し出されたバナナクレープを手に取り、翼は心の中で小さく溜息をついた。
彼方の声は周りに聞こえやすいようで、辺りを歩いている生徒の視線がいくつかこちらに向けられている。気配を感じ取ったりするのに長けている翼からすれば尚更だ。
イチゴクレープを両手に持って、楓も翼の方へと視線を向けていた。
ただクレープを食べるだけだというのに、どうしてこんなにも注目されなくてはならないのだろう? 非常に食べづらい状況である。
しかし、ここまで来て食べるのを止めたら、彼方が何を言ってくるか分からない。(目的地に着くまでからかわれ続けるのではないだろうか?)
からかわれるのがあまり好きではない翼としては、どうしてもそれは避けておきたい。
意を決して、翼はバナナクレープを口に運んだ。
クレープの柔らかな生地と、中のバナナや生クリームの甘さが口内へと広がっていく。状況が状況なだけに、あまり味を堪能できなかったが。
「あぅ」
と、小さく声を漏らしたのは楓だった。翼と目が合うと、頬を朱に染めて視線を下に俯かせてしまう。
「どう? おいしいでしょ?」
「……まあ、おいしいよ」
食べたら食べたでまたからかわれるのではないかと警戒していたが、どうやらそんな事はなかったようだ。
翼の返答に満足したのか、彼方は翼からバナナクレープを受け取り、再び食べ始める。
間を持たせるついでに、翼は好奇心を満たすことにした。
「ところで、二人は同じクラスなのか?」
「そうだよ~。ファミレスでもう一人合流する子がいるんだけど、その子も同じクラスなんだよ。ね、楓!」
「う、うん。一年生の時から一緒だから、三人で一緒にいる時間は長いんですよ」
「二年続けて同じクラスになるなんて、結構すごい事じゃないか?」
学年人数が少なければその分一緒のクラスになる確率は必然的に高くなる。が、一学年だけで七百人近い生徒がいるのだから、三人が揃って同じクラスになる確率はかなり低い。
「そういえばそうだね。きっと私達の普段の行いがいいから、神様が一緒のクラスにしてくれたんだよ」
「彼方ちゃんはお世辞にも普段の行いが良いとは言えないけどね」
「なぬっ!? まさか楓からそんな辛口評価を貰うなんて思いもしなかった!」
二人の賑やかなやり取りを訊いていると、自然と頬が緩みそうになる。彼の変化に気付いた楓は、頭一つ分低い位置から翼を見上げ、にこりと微笑を浮かべた。
「やっと笑ってくれましたね」
「え?」
楓の言葉の意味を理解出来ず、翼は小さく首を傾げる。
「最初に会ってから今まで、ずっと翼君は笑ってませんでしたから。やっぱり、迷惑だったのかなって」
「いや、そんな事ないよ」
反射的に、翼は彼女の言葉を否定した。
正直、最初は迷惑と言わないまでも、困った事になったと考えていた。けれど、それはあくまで知らない人からの誘いというのに慣れていなかったからで、こうして言葉を交わしてしまえばどうという事もない。
「今まで笑ったりしてなかったのは多分緊張してたからだよ。それがようやくほぐれてきただけだろうから、あまり気にしなくて大丈夫だよ、雛沢さん」
「そうですか、良かった……翼君、無理にとは言わないんですけど、私がそうしているように、翼君も私の事を名前で呼んでくれませんか?」
「それは別に構わないけど、いいのか?」
「はい、お近づきの印です!」
屈託のない笑みを浮かべて、楓は翼に手を差し出した。握手を求めているのだと気付いた翼は、微笑を浮かべてその小さな手を握ろうとするが、
「ひゅ~! 楓ったら積極的~!」
彼方が楓をからかったために、握ろうとしていた手は咄嗟に後ろへと引かれ、隠されてしまう。
そんな彼らの表情は、彼方のからかいによって一人は苦笑、一人は赤面に変わり、和みかけたムードは、また少しだけぎこちなさ(主に一人が意識してしまっているだけだが)の残ったものとなった。