異能者の存在
「今日は随分と遅い到着だったじゃねえか。寝坊でもしたのか、翼?」
結局、学校に到着したのは十一時を過ぎた頃だった。
HRの時間を過ぎている時点でどう足掻こうが遅刻だと分かり、途中で走るのを止めたのが原因である。密かに狙っていた皆勤賞は、入学して一ヶ月で実現不可能になってしまった。
「……なんだ、昴か」
机に突っ伏していた翼に話しかけてきたのは、彼の友人である山崎昴だった。人懐っこい笑みを浮かべる彼は、近くにあった机に寄り掛かる。
「なんだとはご挨拶じゃねえか。……つうか、いつになく元気がないな? どうかしたか?」
「……まあ、ちょっと色々あってな。それより、出席出来なかった一、二限目の授業データをコピーして、俺の所に送ってもらいたいんだがいいか?」
「ああ、いいぜ。ちょっと待ってろ」
頷くと、昴は自分の席に戻った後、机に内蔵されている仮想ディスプレイを展開させた。
先程まで何も写っていなかった机の表面に画面が出現する。画面の下にあるアイコンを指で軽くタッチし、翼に頼まれたデータをコピー。それを特定のアドレスへとドラックして送り込む。
数秒後、翼の机上に展開された画面に一通のメールが届く。メールを開いて内容を確認し、翼はそれを保存した。
今の時代、ノートや教科書といった紙の媒体が使用される事は少なくなってきている。本も殆どが電子書籍へとシフトしているため、図書室は『電子図書室』という呼ばれ方に変わっている。
「すまないな。恩に着るよ」
「気にすんなって。俺もお前に、よく宿題のデータを見せてもらってるんだしよ」
宿題も紙媒体ではなく、入学式時に学校から支給される教材用端末へコンピュータを通じて送られてくる。これで学校に宿題を置き忘れるという事は昔と違ってなくなったわけだが、宿題をする側にいる生徒は、今も昔も対して変わらない。
「たまには自分でやってきた方がいいんじゃないか? データを移しているだけじゃ勉強にならないぞ?」
「問題ねえって。テスト一週間前になったら、毎日一夜漬けするからよ!」
「それだと一週間不眠不休という事になるんだが」
そう言い終えて、二人は可笑しそうに笑い合った。
楽しげに談笑していると、不意に携帯端末からメロディーが流れ出す。二人が不思議そうに携帯端末へ視線を落とすと、そこにはニュースの速報が表示されていた。
『東宮エリアにて式神およびテイクオーバー対策組織『プログラム』と、それに反発する十数名のテイ
クオーバーとの戦闘がありました。十二分前にプログラムが反発するテイクオーバーを制圧しましたが、東宮エリアには少なからず被害があった模様です』
これが届いたのは翼と昴だけではなかったようで、クラスのあちこちでは生徒達がこのニュースを話題にし始めている。
テイクオーバーという存在は一般の人間にも知られている。というよりは、日本の総人口の内、二百万人がテイクオーバー(つまり五十人に一人が式を操り、異能を行使する存在)なのだから、その存在が世間に知れるのは当然だ。
そしてそれだけの人数がいれば、式の力を使って良からぬ事を考える輩が必ず現れる。プログラムが設立されて既に百五十年以上が経過し、テイクオーバーが一般人に被害を与える事は少なくなってきているが、それでも途絶える様子はない。
携帯端末から視線を外した昴は大袈裟に溜息をつき、肩を竦ませた。
「怖いねえテイクオーバーって奴は。俺達と同じ人間なのに、式で化物のような力を行使出来る。聞いた話によれば一人でエリアを一個分つぶせるような力を持っている奴もいるらしいじゃねえか。いくら便利な時代になったっていっても、こんなのがいたら安心して過ごせねえよ。なあ?」
「ん? あ、ああ」
携帯端末を凝視していた翼は、昴の問いかけで視線を上げた。
「しかし、あまりそういう物言いはしない方がいいと思うぞ。クラスメイトの中にテイクオーバーがいるかもしれないし、いたとしてもそいつとこの事件は関係ない。テイクオーバーの使う力は危険かもしれないが、それはあくまで力が危険なだけであって、それを扱う人物が気をつけていれば問題ないんだからな」
同意を求めていった言葉が否定されたからか表情は一変させ、昴はわずかに顔を俯かせる。
「……まあ、確かにその通りだな。ただの一般人でも危ねえ奴は危ねえわけだし、テイクオーバー全員を危険だと思うのは流石に乱暴な考え方だったかもしれねえ。……けど、やっぱり自分達と違う力を持った奴だと考えると、そういう偏見みたいなもんを持っちまうんだよ」
自嘲じみた笑みを浮かべて、昴は言葉を続ける。
「お前はテイクオーバーに偏見とかないのか?」
「……さあね。持っていないと思うが、実際はどうだか分からない」
翼にとって、テイクオーバーという存在は無関係ではない。翼が父親である蓮哉から引き継いだ力は、テイクオーバーに大きく関わりのあるものなのだから。
暗い話題で沈み始める空気。それを晴らすかのように昴は寄りかかっていた机から離れ、わざとらしく笑みを浮かべた。
「さて、こんな話題はここまでにして、そろそろ学食に行こうぜ。のんびりしてると席が埋まっちまうしよ」
四限目の授業を終え、現在は昼休みを迎えている。クラスにいる生徒の数が少なくなっているのは、皆各々の友人と昼食を取っているからだろう。
昴の言葉に頷き、翼は展開していた仮想ディスプレイを消して座席から立ち上がった。
翼達の通う千咲学園は、各学年事に校舎の分けられている学校だ。入り口に入って右側の一練が一年生。左側のある二練が二年。正面にある校舎、三練を三年が使用している。だから、違う学年の生徒が顔を合わせるのは全校集会、もしくは各校舎の間に設置されている食事所での食事の時、そして部活動の時ぐらいだ。それゆえ、違う学年の生徒とコミュニケーションを取る機会はとても少ない。
なぜ各学年事に校舎を分けているのかというと、全校生徒の人数が多いからだ。
千咲学園は一年生が七五三名。二年生が七三七名。そして三年生が六九七名。合計二一八七名からなる(教員の数を含めればそれ以上である)マンモス校だ。同じ学年の生徒を一つの校舎に集めてしまう事で、教師に移動の手間を省かせ、授業の時間を減らさないよう工夫した結果がこれなのだとか。
自分達のクラスがある三階から階段を使って一回まで降りてきた翼達は、学食へと向かうために外履きへと履き替え、玄関ホールから外に出る。
「なあ、今日はどこの店に入る? 俺朝飯食ってねえから、結構ガッツリ食いたいんだけど」
「朝飯食ってきてても、お前はいつもガッツリ食べてるだろ」
「いつも以上にガッツリ食いたいんだ!」
食欲旺盛な友人に翼は苦笑して、彼の言葉を承諾する意味を込めて頷いた。
「分かった。それならラーメンとかジャンクフード辺りの店に入るか。そういう店の食べ物はそんなに値も張らないし、授業のデータをコピーしてくれた借りがある。何か奢るよ」
「マジで! じゃあありがたく奢ってもらうわ!」
知り合ってまだ一ヶ月だが、翼も昴も互いに遠慮をする事はあまりない。言いたい事を素直に言えるこの関係が、翼にとっては心地よかった。
間もなく辿り着いた場所は、学食というよりはレストラン街と表現する方が適切かもしれない。そのエリアには多くの店が立ち並んでいて、店の中にいる客の多くが千咲学園の生徒達だ。食事所は全て千咲学園の敷地内にあるわけだが、食事所に限っては一般人の立ち入りが許可されているため、ちらほら生徒ではない人の姿も見受けられる。
それが時に、生徒にとって嬉しくない事態になる事も少なからずあるのだが。