第十九幕:新月の夜まで・・・・・・・
「・・・・・・・」
長安に聳え立つ城の一室で、一人の男が腕を組んで思案していた。
壮年らしい貫録と威厳があり、着ている衣服でも判る鍛えられた肉体が武将と印象付ける。
しかし、武将という印象で・・・・・文官向けではない。
それもそうだろう。
彼は辺境の一将軍でしかなく、槍を持ち戦う事が本職で書類と戦争するのは畑違いだ。
とは言え・・・・・・文官が仕事をしないから、自分がやるしかない。
幼い帝では駄目だ。
「・・・・・・・」
男は腕を解いて、小さくを息を吐き筆を取った。
男の名前は董卓。
漢王朝を乗っ取り、洛陽から長安へ遷都した男なのだ。
そんな男だが、苦手な物が在る。
文官の仕事だ。
彼は辺境育ちで、儒教を信仰していない。
彼から言わせれば儒教など「人間の作り出した宗教」でしかなく、自然の流れなどが真の宗教なのだ。
おまけに辺境育ちだから、書類なども片付ける事が出来ない。
故に自分も部下も高い位には就かず、巷で有名な者達を高い地位に就かせて仕事をやらせたのだが、元から自分を蔑んでいる彼らだ。
ここに来て、とうとう・・・・・・仕事を放り出した。
裏で糸を引いているのは解かっている。
自分の恐怖は心底知っているが、それに対抗している者が一人だけいる。
王允だ。
漢王朝に絶対の忠誠を誓い、物差しみたいに物事を判断して柔軟な方法を取らないが、無能と聞かれた有能である。
王朝に対する忠誠心も本物だからこそ、自分に真っ向から対立しているのだろう。
そんな彼が裏で糸を引いているから、文官達も強気に出て仕事をやらないのだ。
おまけに・・・・・・妙な噂まで聞いた。
『王允は天の姫の力を貸し与えられた。いや、天の姫が王允の力を見込んで、後宮に招いたらしい』
あくまで噂だが・・・・・董卓にとっては気が気でない。
王允を生かしているのは仕事が出来て、自分の気持ちに正直だからだ。
しかし、天の姫---織星夜姫が絡めば違う。
噂を聞き付けて、董卓は華雄に調べさせて・・・・・王允が後宮に入るのを見た、という真実は掴んだが、夜姫からは何の言葉も無い。
それが妙に心に引っ掛かり、ただでさえ苦手な事務仕事が余計に苦手に思える。
どうすれば良い?
王允の事だから、何れは自分を倒す事だろう。
そうなれば夜姫も取り上げられる。
何か良い手は無いだろうか?
「・・・・・・・」
いや、手はある。
王允は自分に対しては真っ直ぐに意見するが、他の者は王允の力と位が上なのを力としている。
なら・・・・・奴等より上の位に就かせれば良い。
それによって仕事をさせるのだ。
とは言え、それは身内を巻き込む所業となり、負ければ・・・・・・・董家は滅び去る。
一か八かの大博打で、しくじる事は出来ない。
だが、それを行えば今の状況を打破する事は出来るだろう。
それから連合軍にも備えなければならないから、城壁の強化して食料を蓄えなければならない。
後は敵を懐柔したり、地方の者達にも借りを作る為にも・・・・・・金が要る。
となれば・・・・・・・・・
「“五銖銭”を改鋳するしかないな」
この五銖銭とは貨幣の事だ。
中国では最も使用された貨幣で、この時代でも使われている。
「先ずは五銖銭を改鋳して、金を用意する。そして食料を蓄えて籠城にも備えなくてはならんな」
考えれば行動は急がなくてはならない。
腰を上げて董卓は直ぐに部下を呼び、自分の考えを説明した。
「良いか?もし、命令に従わなければ・・・・・・眼を抉り、大鍋で煮殺すと言え」
こんな手は惨いが、民達等を無理にでも振い立たせるには・・・・・・・良い手だ。
後でとんでもないツケが来るのだが、今を乗り切り無くては何も出来ない。
部下は直ぐに行動を開始したが・・・・・・董卓は暫し自分の行いに嫌悪感を抱いた。
こんな真似は何度もしたが、織星夜姫を手中に収めてからは・・・・・・・嫌悪感を抱くようになったのである。
「・・・・・毒、だな。夜姫は」
自分に嫌悪感などを抱かせたから毒と言える。
だが・・・・・・・・・
「毒なら、死ぬまで喰らうまでだ」
今さら後戻りできないのなら、このまま突き進むまでだ。
そう董卓は思いつつ、親族たちを呼び出して自分の力を強めようと決めた。
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長安で董卓の横暴は洛陽の比ではない、と言われ始めたのは今から数日前だ。
先ず銅貨の五銖銭が改鋳されて、貨幣価値が乱れてしまい買い物するにしても一苦労に陥ってしまった。
しかし、これは良い方だ。
何せ金が無いなら、原始的な方法だが物々交換すれば良い。
所が・・・・・食料は違う。
董卓は食料を備蓄し始めて、自分達の腹に入る食い物は最低限の量だ。
それなのに董卓は自分達が食べる量は制限していない。
おまけに食料を差し出さなければ眼を抉られて、熱鍋に放り込まれて煮殺される。
聞いた話では・・・・・それを平然と見ながら酒を飲んでいると言う。
極め付けに親族を高い位に就かせて、自分の一族を繁栄させる始末だ。
ここまで来ると理不尽過ぎて笑うしかない。
今も民達は笑い合っている。
しかし・・・・・その笑みは歪んでおり、また何かを暗示していた。
「へへへへへ・・・・・董卓も終わりだ」
一人の男が、だらしなく口元を緩めて笑い続ける。
他の者達も同じだったが、馬の蹄音を聞くと直ぐに黙して仕事に取り掛ったりした。
幾ら董卓の終わりが近づいている、と“知らされて”も・・・・・・まだ死にたくない。
そういう所に執着する“心”はある。
まだ、だ。
蹄の音は近付いて行き、今も一人で笑う男の前で止まった。
馬は数十頭ほど居て、馬に乗っていた者達は武装した兵達だ。
その中でも一際目立つ男---恐らく武将と思われる者が、まだ笑い続ける男を槍で指す。
「貴様、なぜ笑っている?どうして仕事をしない?」
「え?何故かって?何で仕事しないかって?」
男は笑みを浮かべたまま、武将の問いに問い返す。
「笑わずにいられるかよ!董卓は死ぬんだぜ?もう直ぐ殺されるんだよ!!」
天から罰を与えられる。
本当の天の姫が、だ。
「あんな何も出来ない小娘じゃない。本当の姫が、董卓を殺すんだよ!!そう御告げがあったのさ!だろ?皆!!」
男が皆に声を掛けるも、皆は顔すら合わせず無言で畑を耕したりした。
とばっちりは誰も食いたくない。
そう告げていた。
同時に武将達も口に出さなければ、今の時点では手を出さない積りだった。
「おいおい、どうしたんだよ?先日、天の姫が来て言ったじゃねぇか」
『あの女は偽者よ。でも、大丈夫・・・・本物の私が来たからには董卓の死も間近よ」
神々しい光を放って、その娘は自分達に告げたのだ。
「・・・・・・・・」
武将が馬を進めて男の前に立つが、男は笑い続ける。
既に正気の眼じゃない。
「ひひひひひ!もう直ぐ死ぬんだよ!お前等も!董卓も!あの化け・・・・・・ぎゃあ!!」
「・・・・・・」
武将は無言で槍を男に刺して、グリグリと背中を貫いた槍を動かして男を痛め付けた。
それなのに男は笑い続けて息絶えた。
「・・・・この男の首を刎ねて、晒し首にしておけ」
罪状は・・・・・・・・
「嘘方便を言い、董卓様と天の姫を愚弄した、とでもしておけ」
それだけ言って武将は槍を引き抜く。
血飛沫を上げて男は倒れたが、直ぐに兵達に立たされて首を刎ねられた。
首を刎ねられたのに・・・・・・顔は笑みを浮かべていた。
“ふふふふ・・・・・その男の言葉は本当よ。董卓の兵達”
誰かの声---女の声がしたが、誰にも聞こえなかった。
その女の声は笑いを漏らし続けて、言い続ける。
“貴方達は死ぬの。董卓と共に・・・・・姉上と共に、ね”
この世界で姉を殺して、自分の男を取り戻す。
それが終われば、どうなろうと知った事ではない。
誰にも聞こえない女の笑い声は何時までも空中に木霊した。
“うふふふふ・・・・・・・もう直ぐ・・・・・新月の夜まで、後もう少し・・・・・・・・・・・・”