第十三幕:前世の名前は・・・・・・
長安にある兵達が行う訓練場。
そこに一組の男女が現れて、対峙していた。
男の方は槍で、女の方は無骨な剣だ。
その二人を、娘二人が静かに見守っている。
槍を構えた男は静かに腰を据えて、ジッと動きを停止していた。
相手の出方を窺っているように見えるが、額を見れば尋常じゃない汗が流れている。
相手は二十になった女で、しかも自分は長物の槍だ。
槍の長さは剣よりある。
つまり自分の攻撃は相手に届くが、相手の攻撃は自分に届かないのだ。
何より男女という性別も、単純に言っても男の方が有利である。
それなのに男は汗を流す。
眼前の相手は・・・・・そんな物を全て投げ出しても、勝てない相手に等しい。
対峙した男は、それを肌で感じ取ったのだ。
『・・・・・この気、下手な将軍より強い』
男---元死人の文秀は槍を構えつつ、対峙している娘---自分を生き返らせて新たな主人となった人物を評した。
娘は剣を右手だけで握り、ぶらりと刃を下に向けている。
つまり構えていない訳で、打ち込もうと思えばいつでも出来るのだが、文秀には出来なかった。
先ほど評したように、気が下手な将軍より強い。
見た目は華奢なのに気---即ち身体から放たれる精神は強く、どう頑張っても文秀は敵わない。
「どうしたの?文秀・・・・構えただけで、ちっとも動かないけど」
娘が静かに声を放ち、文秀に問い掛ける。
透き通った楽器のような声で、凛としていた。
また容姿も、その声に合っている。
銀と紫が混ざり合った髪、陶器のような白い肌、宮廷侍女より綺麗な服・・・・・全てが娘の存在を引き立てる“装飾品”でしかない。
それだけ娘の存在は大きかった。
娘の名は織星夜姫。
日本と言う国の大学に通っており、劇団員でもあるのだが、今は三国志の時代に居る。
そんな娘が文秀の新しい主人だ。
傍に居る二人の娘は朱花と翆蘭、と言い地方豪族の娘だったが、今では夜姫の侍女である。
これまでの経緯を手短に説明するなら、こういう事だ。
主人である夜姫は「舞をしましょう」と言い、自分を訓練場に連れて来た、という訳である。
舞---彼女から言わせれば、訓練は舞なのだ。
となれば自分は相方で、先に動かなくては舞手である夜姫に申し訳ない。
「・・・・・・」
文秀は自らの身体を叱咤して、槍を力強く握り締めた。
そして・・・・・・・・・・
「・・・・・りあ!!」
腰を深くして、両手で握り締めた槍を鋭く夜姫に繰り出す。
空を切り、槍は真っ直ぐ夜姫の月色の瞳を貫こうとした。
しかし、右手に握られた剣が蛇の鎌首みたいに走り、突き出された槍を弾き飛ばす。
ビリビリ、と文秀の手に強い衝撃が走る。
『女の細腕で、これだけの強さが・・・・・・・・・・』
改めて自分の主人は強い、と思わずにはいわれないが、同時に・・・・・・・・・・・・
『この感覚・・・・私は遥か昔に覚えている。嗚呼、そうか』
彼の女は・・・・・・・・・
「流石です・・・・流石は戦姫!戦場の舞姫!!流石は戦場を稲妻の如く翔ける我らが戦乙女にして、戦女神!!」
文秀は腹の底から大声で、夜姫の異名を叫ぶ。
長安中に響くような声であったから、何事かと兵達が来たのは言うまでもない。
その中には華雄と胡しんも居た。
「少し前世の記憶が戻って?」
夜姫が月の瞳を細めて問えば、文秀は僅かに薄らと笑った。
「はい・・・・貴女様の手で、あの“退屈な都”から抜け出せた所までは記憶に入ってきました」
退屈な都・・・・・・?
「やっぱり貴方は生粋の戦士ね。神々の都を退屈、と称するんだから」
「それは貴女様にも些か理由がある、と入って来た記憶の中から推測しますが・・・・・・・・」
他の者達は何が何なのか解からない顔だ。
「まぁ、私にも理由があるわね。でも、最初は貴方が悪いのよ」
私を袖にしたのだから・・・・・・・・・
「え、私が、ですか?!」
文秀は驚きの声を上げるが、夜姫は違っていた。
「ほら、隙があるわよ」
瞬時に距離を詰めて、文秀の横腹を剣で斬ろうとする。
しかし、それを先ほどでは考えられない速さで、文秀は槍で受け止めた。
「ふふふふ・・・・記憶だけでなく、身体の方も戻って来たのかしらね?私を袖にした殿方」
「あの、私、袖にしたのですか?」
何だか周囲から痛い視線が来たので、文秀はオズオズと尋ねた。
「正確には前世よ。まぁ、私も初心だったからいけなかったけど、貴方は私の告白をこう言って拒絶したの」
『今は女子と恋に戯れる時ではない』
「その時は戦闘中だったから、無理もなかったわ。でも・・・・・その後で私が助力する、と願い出た時の方が頭に来るわ」
『女子の力など不要だ』
「あの時は激怒したわね・・・・これでも力はある、と自負していたわ。それなのに貴方は私を袖にして、別の女に恋心を抱いていた」
女としての誇りはズタズタだ。
「だから、色々と邪魔したわ。貴方の気を少しでも引きたかったのよ」
『・・・・・・・』
皆の視線が更に鋭くなり、文秀は委縮する。
「でも、貴方ったら敵だった私の手当までしたのよ。何度も貴方を殺そうとした私を」
それが何を意味しているのか・・・・・・?
「貴方に対する恋心が余計に燃え上がったわ。何としてでも、貴方を臣下に加えたい、と思ったわ」
しかし・・・・・・・
「貴方は死ぬ運命にあった。だけど、死ぬ間際に私へ言ったのよ」
『この身は滅ぶが、何れは再び巡り逢うだろう。その時は・・・・・この身と魂は貴女の物にして構わない』
「そして巡り逢ったのよ・・・・・私の愛しい臣下となった“クー・フーリン”!!」
クー・フーリン・・・・・・・・
誰もが聞いた事のない名前に首を傾げるが、文秀だけは違っていた。
「その名・・・・その名こそ我が前世の名!ぐわあぁぁぁぁぁう!!」
突如、獣の声を出して文秀は一気に跳躍して、空中から槍を繰り出した。
それを夜姫は避けるが、一度だけではない。
少なくとも空中に居る時点で、数十回は鋭い突きを繰り出し、見事に着地しても隙を与えず長さを活かして、攻撃を続けるのだ。
先ほどとは違う。
胡しん達は眼を見張るが、夜姫は軽やかに舞うような形で避けては微笑み続ける。
「うふふふふふ・・・・・貴方と舞うのは久し振りだけど、相変わらず荒々しいわね。まぁ、見た目は以前より断然良いけど」
文秀は聞こえないのか、黙って槍で攻撃を続けて夜姫を壁へと追い詰めようとした。
しかし・・・・・・・・
「うがあっう!!」
ブンッ、と豪快な一突きが夜姫を襲うも、それを寸での所で避けると柄を掴んだ。
そして剣を柄に当てる。
「ふふふふ・・・・・捕まえたわよ」
妖艶に微笑みながら、ゆっくりと柄を剣で辿って行く。
「うっ・・・・・ぐぐぐぐぐぐっ!!」
文秀は槍を引こうとするが、まったく槍が引けずに焦り出す。
そして・・・・・・・・・・
セイッ!!
中間で槍の柄を一刀両断して、そのまま流れるように残りの柄を辿り・・・・・・・・・
ヒュン・・・・・・・
文秀の首筋に両刃の剣を当てる。
「私の勝ちね?文秀」
「ぐ、ぐぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・」
夜姫に言われて文秀は悔しそうに唸るが、手はピクッ、と動いている。
しかし、それも僅かで直ぐに彼は静かになった。
地面に音を立てて倒れたのである。
「もう、余計な真似をしたわね。ヨルムンガルド」
夜姫は文集の脚元から這い出る蛇---ヨルムンガルドを叱りつける。
「あ、あの、夜姫様。文秀は・・・・・・・・」
胡しんが夜姫に問い掛ければ、夜姫はヨルムンガルドを顎で指した。
「この子が毒をやったのよ。たぶん・・・・神経性の痺れ毒かしら?」
主人が問えば、ヨルムンガルドは頷いた。
「え、や、夜姫様。あ、あたし、この蛇に咬まれたんですけど・・・・・・・・・!!」
朱花が慌てて問えば、夜姫は何でもないように答えた。
「大丈夫よ。この子は自分で毒を注入できるの。もっとも、持っている毒は・・・・・神さえ殺す猛毒だけど」
神さえ殺す猛毒・・・・・・・・
「私の為にやってくれたんだろうけど、余り良い事ではないわよ。ヨルムンガルド」
夜姫に叱られつつも、ヨルムンガルドは黙って文秀を一瞥した。
彼なりに「未熟者ゆえ、主人の手間を省きました」と言いたいのかもしれない。
「今回は不問にするけど、次は罰を与えるわ」
それだけ言って、夜姫は剣を振り布で拭いてから鞘に収めた。
そんな彼女を・・・・・・静かに見つめる者が居るも、誰も気付いてはいなかった。
いや、ヨルムンガルドと空の者は気付いていたが、敢えて何も言わなかった、と言った方が正しいかもしれない。
見つめる者は一体・・・・・・・・・・・