第十二幕:姫君の背中
「おい、聞いたか?」
「何がだ?」
長安に建てられた城の廊下で、一組の兵士が噂話をしていた。
「天の姫が死んだ筈の文秀様を生き返らせたらしいぜ」
「死人を?まさか・・・・・・」
「いや、本当らしいぜ。それで自分の近衛兵に任命する、と言ったらしい」
近衛兵とは俗に言うなら、皇帝などを護る兵士たちの事だ。
家柄は言うに及ばず、実力も最強でなければ務まらない。
正に由緒正しく精鋭中の精鋭と言われる軍団である。
「そんな軍団に、文秀様は抜擢されたのか?」
兵士が聞けば、相方の兵士は頷いた。
「あぁ。生命懸けで自分を護った、という事でな。少なくとも・・・・・あの方---天の姫様は情を理解しているな」
「そう、だな。とは言え、俺には信じられないな・・・・・死人が生き返るなんて」
「すまないが、少し良いか?」
不意に声を掛けられて、二人の兵士は振り返るが、開いた口が閉じなかった。
閉じられないのだ。
何せ、眼前に立っているのは話に出ていた死人---文秀その人なのだった。
「驚くのも無理ないが、私は文秀だ」
男---文秀は何度目の言葉だ、と自問自答しながら兵達に話し掛ける。
「すまないが、槍を調達してくれ。出来るなら丈夫な槍を頼む」
『は、はははははは・・・・・はいっ。ただ今!!』
二人は直ぐ様、走り出した。
まさか、本当に死人である文秀が生き返ったとは!?
信じられなかったが、眼前に現れて話してきたのは・・・・・・・・誰でもない文秀だ。
それが信じられなかった・・・・・とは言え、再び槍を持って来た時には信じる事が出来るだろう、と二人は思った。
「・・・・やはり、良い気持ちはしないな」
走り去った二人の兵士を見て、文秀は嘆息してしまう。
天の姫---織星夜姫に生き返らせられてから、見世物小屋に入れられた気分だ。
死んだ筈なのに、こうして五体満足の状態で生前と変わらない。
所が、他の者から見れば自分は死人だ。
嫌でも、彼等の様子を見れば理解できる。
とは言え・・・・・・・・・・・
「この身は夜姫様に捧げた」
あの綺麗な月の瞳を宿す娘に、心身は捧げたのだ。
あくまで仮初めであり、まだ正式な臣下とは言えない。
それは彼女に従う蛇---ヨルムンガルドを見て判った。
ヨルムンガルドも自分と同じ立場であるが、文秀は一目見て次元が違う、と理解したのだ。
自分では万に一つも勝ち目が無い、と判ってからは出来るだけ近寄らないよにしている。
夜姫も見越したかのように「槍を用意しなさい。少し私と舞いましょう」と言った。
舞とは、恐らく稽古の事だろう。
敢えて舞と称したのは彼女なりに洒落っ気を出そうとした、と文秀は考えている。
とは言え、これで何とかなる筈だ。
後は夜姫の所へ戻り、槍が来るのを待つだけである。
文秀は来た道を戻って、夜姫の居る部屋に向かった。
その間は誰にも合わなかったので、下手に興味の眼に晒される事はなかったのが、文秀なりには幸いであった。
部屋に戻ると、寝台に一人の娘が座っており、その傍らには同い年の娘が二人いた。
「あら、意外と早かったわね。文秀」
寝台に座っていた娘は銀と紫が混ざった髪をしており、透き通るような肌をした手で、髪を振り払った。
振り払われた髪で、両の眼が隠れるようになったが・・・・・隙間から見える月の瞳を文秀は見落とさない。
『相変わらず綺麗な瞳だ』
内心で思いながら、文秀は娘の前まで行き臣下の礼を取った。
「先ほど兵士に頼みましたので、もう少々お待ち下さい」
「それなら少し話でもしましょう・・・・余り良い気分ではないでしょ?」
娘の問いに文秀は顔を伏せたまま、静かに答えた。
「確かに・・・・余り良い気分ではありません。知っていた者も、私をまるで化物のように見るのです」
「それは仕方ないわ。何故なら貴方は一度、死んだんだもの」
容赦なく娘は文秀に現実を叩き付ける。
しかし、と区切りを入れた。
「だから何?貴方は私の臣下であり家族。少なくとも主人である私は貴方を見捨てたりしないわ」
「・・・・・・・」
「貴方の手足が無くなろうと、女に捨てられようと、袋叩きにされようと、ね」
裏切らない限り・・・・・・・・
「う、裏切るなど・・・・・・・」
文秀は娘の言葉に、うろたえながら否定しよとした。
しかし、娘は遮った。
「裏切りは何かしらの理由があるのよ。それによっては私も対応を変えるわ。ただ、言っておきたかったのよ」
言っておきたかった?
「どういう意味でしょうか?」
文秀だけでなく、控えていた娘二人も気になったように耳を傾けた。
「私は・・・・これまで何度も裏切られてきたわ」
誰とは言わないが、何度も裏切られ続けてきたのだ。
それこそ信頼していた相手にも・・・・・・・・・
「だから、裏切りには慣れているの」
「・・・・・つまり私が貴女様を裏切っても、傷ついたりしないのですか?私が裏切ると思うのですか?」
「判らないじゃない。誰が誰を裏切るかなんて」
何処までも娘は冷静に言うが、それを聞く方は耐えられたものではない。
「・・・・・姫様、貴女様は先ほど言いましたね?」
自分は臣下であり家族だ、と。
「つまり貴女様は私を裏切らない」
ならば・・・・・・・・
「私も同じです。仮初めの儀しかしてないので、私は本当の臣下とは言えません」
しかし、と文秀は続ける。
「改めて、この身も心も捧げます。それは仮初めの儀で誓いました。ですから、私には・・・・・どうか、信頼して下さい。私は貴女を裏切りません」
「・・・・昔、そういう言葉を言っておいて裏切った者が居たわ」
文秀は愕然とするしか出来なかった。
こんな言葉を吐いておきながら、裏切る者が居るとは・・・・・・・・・・!!
「でも、最後は私を護って死んだわ」
『・・・・・・・・・・・』
文秀、左右の娘は沈黙した。
裏切っておきながら、やはり姫を護らんとして死んだのか・・・・・・・・・・
「馬鹿な男よ。裏切るのなら、最後まで裏切り続ければ良かったのよ」
娘は辛辣な言葉を投げたが、止めの一言を述べた。
「裏切り続ければ、少なくとも私の刃で殺して上げたのに」
何とも酷い言葉、と取れるが・・・・・そうではない。
そんな中途半端な裏切りをするなら、どうして裏切ったりしたのだ?
自分を裏切らなければ、死ぬまで面倒を見たのに・・・・・・・・
そして裏切ったのなら、最後まで裏切り続ければ良い。
何処までも見つけ出して、主人として理由を聞いてから自らが殺す。
だが、その者は裏切りながらも、途中で姫を護って死んだ。
娘から見れば、中途半端な裏切りと取れたのだろう。
同時に、憐れな死に様と投げているのだ。
「・・・・姫様。先ほどの言葉、言い直させてもらいます」
文秀は言った。
「私は貴女を裏切るかもしれません。しかし、裏切るなら最後まで裏切り続けます」
その時は・・・・・・・・・・
「貴女様の刃で、この文秀の首を刎ねて下さい。さすれば、死後は貴女様の背中を護りましょう」
「良い言葉ね・・・・・でも、今は私の臣下として戦い続けて。今宵から私の背中を任せるわ」
「!?」
背中を任せる・・・・・・・
つまり全面的に自分を信頼する、という証拠だ。
「もし、それで私を殺しても怨まないわ。私の眼が駄目だった、と言われても仕方ないもの」
違う?
「・・・・いいえ。では、今宵より貴女様の背中は私が護ります」
「えぇ、そうして」
と二人の会話は終わって、それを合図にしたように扉が開いた。
「あの、槍を持って参りましたが・・・・・・・・・」
消え入りそうな声が扉から聞こえてきたので、娘は剣を持って立ち上がった。
「さぁ・・・・舞を始めましょう。文秀」
「御意に。我が姫君」
二人が先に扉へ行き、その後を二人の娘---侍女が追い掛けた。
“やれやれ、いきなり背中を任せるとは、相変わらず型破りだな”
誰かの声がしたのだが、その声は誰にも聞こえなかった。
“まぁ、こいつは大丈夫だな。しかし、これからが大変だな”
もう直ぐ娘---織星夜姫の老臣であり、近衛兵団の副将と再会する筈だ。
あの男---老将は自尊心が高い。
それは近衛兵団の主将にも言える事だが、年齢的な事を考えれば老将がある。
同時に娘---織星夜姫を孫のように溺愛しており、夜姫の背中は自分が護っている、という自負もあるのだ。
それなのに、こんな若造に任せたとあっては・・・・・・・・・・・
“眼も当てられないな・・・・・・・”
会うなり切り結ぶなんて、事も安易に想像できてしまい、声の主は頭を抱えたくなるが、それもまた楽しそうだ、と笑いながら夜姫たちの動向を暫し見守る事にした。