第十一幕:仮初めの臣下
「・・・・・本当に、文秀なのか?」
洛陽から遷都し、新たな都となった長安。
その長安内に設けられた城の一室---皇帝の后などが住む後宮にある一室で、董卓の片腕と言われる華雄は戸惑った声を出した。
彼だけではなく、彼の上司に当たる胡しんも声こそ出さないが、明らかに動揺をしている。
彼等の前には長安へ向かう途中で戦死した部下---文秀が何事も無かったように、二人の前に立っていた。
要は死人が生き返ったのである。
「はい、文秀です。ですが・・・・一度、私は死にましたよね?」
尋ねられて文秀は答えるが、自分も解からない為、二人に聞き返した。
「えぇ、そうよ。私と言う愚かな女を護って死んだのよ。貴方は・・・・・下種な人間に刺されて、ね」
二人が答える前に、綺麗な声が文秀の問いに答えた。
文秀は声のした方向を見る。
声のした方角には寝台があり、そこに一人の娘が脚を組んで座っていた。
年齢は二十になったばかりであるが、物腰は落ち着いている為、少しばかり大人に見える。
容姿は紫と銀が混ざっている、という信じられない髪色で艶も絹のようで、指で掬っても直ぐに逃げてしまうだろう。
着ている衣服は后などが着るような豪華な衣服であるが、決して金に物を言わせた着方ではない。
自分に合った色、生地、着方をしている。
装飾品の類は殆ど無いにも係わらず・・・・・誰よりも栄えており、文秀は少なからず眼を奪われた。
しかし、娘の左手には一匹の蛇が巻き付いており、せっかくの可憐な姿も些か恐怖に変わってしまう。
文秀は彼の娘を知っている。
自分が生命懸けで護った娘だ。
最後に見た時と同じ月の瞳を、両の眼に宿している。
「文秀・・・・・私を護ってくれた男。生き返った感想はどう?」
娘は流れるように口を動かして、文秀に問いを投げた。
「・・・・何だか、少し旅に出ていた感じがします」
農民に殺されてから、自分は空を漂っていた気がする。
それこそ旅に出た感じで、だ。
とは言え、もう少しマシな説明があるだろう、と自分でも思ったが娘は気にしていない様子だ。
「仕方ないわよ。貴方は一度、死んだ身。本来なら私の都に連れて帰って、改めて生き返らせたかったわ」
だが、今の自分では無理だ。
「どうして、と聞いても宜しいですか?」
蛇が縦眼で文秀を睨んで、文秀は悲鳴を上げそうになる。
生きていた時は、ただの蛇と思っていたが・・・・・生き返って改めて見ると、とてつもない蛇だと分かった。
それでも悲鳴を上げなかったのは・・・・・彼なりに持っている武人としての意地だろう。
しかし、それすら蛇は平らげる勢いでいる。
それを娘が戒めた。
「ヨルムンガルド、この男は今日より私の臣下であり家族よ。新しい家族に何て態度を取るの」
娘に叱られた蛇---ヨルムンガルドは直ぐに視線を外したが、やはり文秀を咎めるように見えてしまう。
「ごめんなさい。この子を始め、どうしても貴方を含めた人間の臣下には厳しいの」
「は、はぁ・・・・・あの、私を含めて、と言いましたけど他にも居るのですか?」
「それは居るわよ。でも、貴方の場合は・・・・私と似ている、かしら?いいえ、違うわね。貴方も、この剣と同じく・・・・・巡り逢えた存在ね」
前世が証明した、と娘は告げるが文秀には解からない。
「あの、どういう事ですか?前世と言われても、私には何の事か・・・・・・・・・・」
尤もだ、と娘は頷いて説明を始める。
「前世とは今の文秀と言う人物の前。つまり生まれ変わる前の事よ」
ここまでは良いか、と娘が聞けば文秀を始め他の者まで頷いた。
一応、彼等も居る以上は知っておきたい、という所だろう。
頷いたのを見て娘は説明を続けた。
「前世の記憶は生まれ変われば無いわ。でも、稀に持っている者も居るの」
私の場合もそうだ、と娘は言う。
「今の私もそう・・・・・輪廻転生を行って、生まれ変わったの」
罰を受ける為に・・・・・・・・・
その罰という言葉が気になるも、皆は沈黙して娘の言葉を待った。
「さっきも言った通り、前世の記憶は生まれ変われば無いわ。でも、爺達がやったのかしら?途切れ途切れだけど、前世の記憶があるの」
恐らく側近たちが完全には無くさせず、再び巡り逢えた際の為に、とやったのだろう。
「余計な事をしてくれたわ・・・・・これじゃ罰と言えないわ。中途半端な罰よ」
「お言葉を返すようですが、それを行った方は貴女様に罰は無い、と思ったからと私は考えます」
文秀は敢えて娘に言った。
娘は罰、と言うが側近たちは違うと思ったからこそ、敢えて手を入れたのだろう。
もし、罰と思っているなら何もやらない筈だ。
「そういう見方もあるわね」
娘は頷いた。
だが、今の自分---織星夜姫、という存在は困惑している、と言った。
「幼い頃から見る夢に悩んでいるわ。貴方達にもそんな事を言ってない?」
娘---織星夜姫が聞けば、華雄達は心当たりがあるのか僅かに頷く。
やっぱり、と夜姫は言いながらも、こうも言ってみせた。
「それでも時期に記憶は完璧に蘇るわ。そうなる時こそ・・・・・私は初めて私に戻れる。改めて、私と言う前世は織星夜姫になれて、失った力も戻る事になるのよ」
今も徐々に戻り始めているが、まだ昔のようにはいかない。
「こうして居るのも力が戻り始めた証拠だけど、やっぱり寝ないと力が補充できないわね」
これからは定期的に寝て、力を補充していかなければ、と夜姫は言った。
とは言え・・・・・・・・・
「時間も無いわね。もう直ぐ・・・・・・乱世になるもの」
『!?』
この言葉に皆は言葉を失うが、何処かで何れはなる、と確信していた。
乱世だけでなく、そんな風に人間とは確信を得るものだ。
「乱世になれば、既に飾り物となっている漢王朝は更に廃れるわ。そうなれば、私を欲しがる者は今以上に増える。その前に私は力を戻すわ。もっとも・・・・・個人的な理由も在るけど」
最後は消え入りそうな声で言い、皆には聞こえないように言った。
「話は終わりだけど、文秀・・・・・貴方は私の家族となり臣下となった身。もう董卓の臣下じゃないわ」
「ですが、私は・・・・・・・・・・」
文秀は何かを言おうとしたが、夜姫は扇で口を止めた。
「言い分は解かるわ。でも、貴方は私の為に戦った。こんな愚かで、汚くて、おぞましい女の為に、ね」
董卓の命令もあるだろうが、彼は自分を護り死んだのだ。
「その行動を私は買って貴方を私の臣下にしたい、と思ったのよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・死んだのなら生き返らせて、改めて臣下にしたい、と思ったの。前世も関係しているのは否定できないけど」
「・・・・・・・・・」
「だけど、改めて言うわ。文秀、この私の為だけに今宵からは剣を取り、私の為だけに戦いなさい」
夜姫は文秀を真っ直ぐに見つめた。
月の瞳が文秀を真っ直ぐ射抜き、文秀は自然と片膝をついて右手を拳にして、同じく床に置いていた。
「この身は貴女様---織星夜姫様だけの存在・・・・・・この身と心も、魂も貴女様だけの為に捧げましょう。前世が関係していようと、今の私は文秀という存在です。この心身は貴女様だけに終生、捧げます」
朱花と翆蘭は少なからず、文秀の言葉は素敵だし、夜姫みたいに言われたいと思った。
女として、一度で良いから・・・・・こんな風に言われたい、と思うのは自明の理だろう。
無論、男も逆の立場で言われたいと思うものだ。
話を戻すと、それを聞いた夜姫は笑った。
「ありがとう。何れ改めて臣下の儀を取り行うけど、これで仮初めの儀は出来たわ」
満足な夜姫とは対照的に、華雄達は複雑な気持ちだった。
彼の気持ちは解かる。
自分達も董卓に忠誠を誓い、彼の為に剣を取り戦っている。
文秀も新たな主人に忠誠を誓ったに過ぎないのだが・・・・・・どうしても嫉妬してしまう。
夜姫に忠誠を誓いたい、と思うのだ。
彼女の治める都へ行き、そこで彼女の治める都で暮らしてみたい。
何れ朽ち果てる身・・・・・だが、夜姫の治める都に朽ち果てるという概念は無い。
そんな気がしたし、仮に朽ち果てても地上よりマシだ、と思ってしまうのだ。
とは言え・・・・・彼等も夜姫の臣下にして家族になる。
ただ、それを今は知らないだけである。