第八幕:狂った予定
後宮の寝室に董卓の部下である華雄、胡軫、その部下達が入り、早歩きで廊下を進んでいる。
その後ろを二人の侍女が続く。
「あ、あの、何なんですか?その娘は?」
一人の娘---赤が混ざった髪を持つ娘が問い掛ける。
「言った筈だぞ。天の姫---織星夜姫様だ」
胡軫が何でもないように答える。
「そうではありません。先ほどの、あれは何なのですか?曲者の時もそうでしたけど・・・・・・・・」
赤が混ざった髪を持つ娘の言葉は的を射ている。
この娘の名は判ったが、先ほどの件---つまり董卓との会話、そして曲者の時もそうだ。
徐に意識を手放すし、雰囲気さえ一変する。
それを教えてもらわないと、これから世話するのだから困るのだ。
「貴様と貴様は夜姫様の世話をして、生命を捨て護れば良い。侍女なら覚悟しているだろ?」
だが、胡軫は平然と言い切ってしまった。
「そ、そうですけど・・・・まだ、名前しか知りません」
「お、同じく・・・・・・・」
赤が混ざった髪を持つ娘に、弁上する形で薄い黒髪の娘が言う。
「それは我々も同じだ。殆ど寝ているから、聞きたくても聞けない。だが、何れ知る事になるだろう」
何れ・・・・・・・・
「特にそなた等は侍女だ。夜姫様が眼を覚ませば、逆に聞いてくるだろう」
その時に改めて聞けば良い。
「・・・・それを貴方様達にも報告しろ、と?」
察しが良いな、と胡軫は喉で笑った。
出来るだけ声は出さないようにしているのだろう。
だが、赤が混ざった髪を持つ娘から言わせれば馬鹿にされた気分でしかない。
とは言え、逆らう事など出来もしない。
そして部屋に到着した。
夜姫を抱き上げていた胡軫が、優しく寝台の上に下ろす。
すると左手に巻き付いていた蛇---ヨルムンガルドが黙って、胡軫を見上げる。
「華雄、私は董卓様の所へ行く。そなた等は警護を頼む」
「御意に。では、外で警護しましょう。何かあれば外に居る」
胡軫が先に出て行き、華雄と部下数名が後から部屋から出て行った。
残されたのは侍女二人と、眠る夜姫、寄り添うヨルムンガルドだけだ。
「何だか大変な事になっちゃったわね・・・・・・・・」
赤が混ざった髪を持つ娘が嘆息した。
「ですね。あ、それより自己紹介がまだでしたね」
薄い黒髪の娘が言えば、赤が混ざった髪を持つ娘が頷く。
「まぁ・・・・寝ているし、先に自己紹介しちゃおうか」
言うが早いか赤が混ざった髪を持つ娘が、徐に立ち上がり自分の名を告げた。
「私の名前は朱花。今年で十九歳になるわ。まぁ、この歳で、まだ結婚もしてないし、婚約者も居ないけど」
「それは私もです」
赤が混ざった髪を持つ娘---朱花が言えば、薄い黒髪の娘も返答した。
「私は翆蘭。同じく十九歳ですが、朱花さん同様に婚約者も居ませんし、結婚もしていません」
「そう。で、その腕輪の事は何か聞いている?」
朱花が問えば、翆蘭は困ったように答えた。
「実は、私の祖父の代からあるんですけど、祖父が何も言わないで死んだので・・・・・・・・・・・」
「私も似たようなものなの。別の国から来た、とは言われたんだけど・・・・・それ以外の事は何も判らないの」
そちらもですか、と翆蘭は言いつつ寝台で眠る夜姫を見た。
「この方の名前は織星夜姫、ですけど・・・・・性が夜姫で、名が夜姫、でしょうか?」
「たぶんね。でも、何か今の雰囲気は違うわよね?さっきのと比べると」
朱花は夜姫を見ながら、先程の雰囲気を思い出した。
曲者を追い詰めて、自分と翆蘭の腕輪を見た時の・・・・・・あの表情は強烈だった。
しかも、自分と翆蘭の腕輪が共鳴するように震えて、光った事も覚えている。
そして呂布との対話だ。
噂で聞いた通り、如何にも強そうな男であり、夜姫の言葉を借りるなら「最低最悪」であろう。
夜姫が思い出したくも無い“忘れ得ぬ男”に、自分もなれるか・・・・・などと聞いたのだ。
ハッキリ言って、女の立場から言わせれば無礼千万であろう。
恐らく夜姫はそれ以上の怒りを宿していた事だろうが、董卓の登場で事無きを得た。
「ねぇ、あの男---董卓を見た時、どう思った?」
翆蘭に問えば、彼女は暫し考えてから答えた。
「何か・・・・幼い印象を受けました、ね。大事な物を取られまい、とする感じがありました」
「私もそうだったわね。でも、大事過ぎて・・・・触れたくても触れられない、という感じもしたわ」
董卓は夜姫を抱き止めたが、直ぐに部下へ渡した。
その時の顔が・・・・・とても印象に残っている、と朱花は言った。
「そうですか・・・・この方---織星夜姫様は、どうなんでしょうか?」
「会話らしい会話はしてないけど、余り良い過去は無いわね」
話を聞いた感じだが、良い過去は殆どないだろう。
似たような雰囲気を持つ者が、彼女の傍にも居た。
必要な事以外は過去を話したがらず、仮に強く出ても上手く話題を摺り返られた。
そんな雰囲気が夜姫にはある。
何より左手に巻き付く蛇---ヨルムンガルドが、それを証明しているであろう。
左手に何かが巻かれている。
白い布、だろうか?
確認したいが、ヨルムンガルドが隠すようにしているから判らない。
ヨルムンガルドは二人をジッと、縦眼で見ているが・・・・・友好的な眼はしていない。
『何かすれば、咬み殺す』
そう縦眼が告げているから、無理に見ようとすれば間違いなく咬まれるだろう。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
二人は黙って、寝台で眠り続ける夜姫を見続けた。
やる事もないし、これから彼女の世話を二人でやるのだ。
天の姫の侍女・・・・・・・
これは侍女を務める者にとって光栄、と思われる。
皇帝一家の世話をする侍女は数多いが、その中でも本当に間近で世話できる者は限られていた。
天の姫なら尚更だ。
そんな侍女の中に自分達は入れたのだ。
光栄と言えば光栄であろう。
とは言え、何で自分達が・・・・・・・?
疑問に思う所はある。
自分達は地方豪族の娘たちで、皇帝の眼に留まる事なんて無い。
そして侍女としての経歴が豊かであり、尚且つ立派な家柄の侍女は数多く居る。
それなのに、どうして自分達が?
考えてみたが、答えは見つからなかった。
ただ、今は・・・・この眼の前でスヤスヤ、と眠り続ける新しい主人が起きるのを待とう。
これから・・・・・二人で天の姫---織星夜姫を世話するのだ。
侍女とは常に主人の傍に居る。
事が起これば、剣となり盾となり・・・・主人を護らなくてはならない。
時には辛口な事も言う。
手も上げる時もある。
だが、全ては主人の為に行う事だ。
少なくとも朱花も翆蘭も・・・・・そう思っている。
『早く目覚めて下さい』
二人は夜姫を見て、そう願った。
雰囲気に耐えられない訳ではない。
ただ、純粋に・・・・主人と会話をしてみたいのだ。
そんな素直な思いに・・・・・・・・・・・・・
“侍女と弟子が二人か。やれやれ・・・・少し予定が狂ったな”
誰かの声がするも、その声は誰にも聞こえなかった。
少し困った声だが、何処かで面白がっていた。
“まぁ、良いか。何れ姫さんには侍女が付く予定だったし、少し早めに侍女が付いても悪くない。いや、寧ろ良い方だな”
夜姫の過去は出来るだけ、他の者達には知られたくないが・・・・・・何れ知る者は知る事だろう。
侍女が付くとなれば、尚更であるが・・・・その前に侍女が付けば、少なくとも予防にはなる。
二人という数も悪くない。
夜姫の身分で言えば、少ない方だが輪廻転生する前も質実剛健を旨としていたから、良い人数であろう。
この質実剛健だが、弟子二人---一番弟子が実践しているから、悪くないと思われる。
しかし、自分の予定が狂うなど珍しい。
そして・・・・・こういう時は必ず嫌な事が起こる前触れだ。
“・・・・あの元婚約者か?有り得なくないな”
あの女は夜姫を付け狙い続けた。
夜姫を輪廻転生に追い込んだ男を・・・・・・送り込んだのも、あの女が少なくとも一枚噛んでいるだろう。
それを考えれば、この予定が狂った事も納得できる。
だが、だ。
“予定は狂うものだからな。それに・・・・・姫さんなら強引にネジ曲げるさ”
彼女だけではない。
自分と臣下たちがやる。
いま出来るのは近衛兵団の長、弟子二人、そして・・・・・・・・・
“後一人---近衛兵団の副長にして、姫さんの爺だろうな”
彼の者は長に比べれば、攻撃より防御に重きを置いている。
似てないが、性格は自尊心が高い所だろう。
最後も己が首を刎ねた点も似ている。
そんな爺が加われば・・・・・もう暫くは安泰であろう。
この戦いが終われば、いよいよ三国の時代に本格的に突入するのだから・・・・・・・・・・・・